獣狩の夜は、筋肉と共に。
友人に動画を送っている。
Bloodborneというゲームをプレイしている様子を、私の解説付きで収録した動画だ。友人はその動画を再生しながら私のLINEへコメントをくれる。私も時折、それを見ながら自分の動画を再生する。さっきまでやっていたゲーム、あるいは前日にやっていたゲームなのに何を話していたか全然覚えていない。ゲームの続きをするのは楽なのに、前回何をしていたのかを思い返すのは難しかった。
また、Bloodborneは進めば進むほど内容が難解になる。未だに解釈が割れている部分もあるし、あくまで独断と偏見によるものではあるがゲームの内容から読み取れることを説明していく。あるいは、Bloodborneをプレイするにおいて最も大切な「逃げる」ということについてだ。逃げる、あるいは、避ける。
Bloodborneは敵の攻撃力が明確に強く設定されている。その辺をウロチョロしているモブの攻撃一発で体力が半分以上削られてしまう。単純な足し算だが、そんなやつが二人いればこちらが反撃する前に体力を削りきられる。三人、四人いればそれはもう当然のように体力は一瞬でゼロになる。なので、このゲームにおいてまず覚えるべきは「逃げること」だ。序盤、敵より自分が勝っていることは足の速さくらいしかない。
なので私は一度、敵にしっかり殴られてその火力を見てもらってから、十人はいようかという大群を前にしてどう攻略するか。
「逃げるんですねぇ!」と敵の前を全力で走った。Bloodborneにおいて大切なのは、最初から最後まで「戦わなくて良いなら、逃げる」を念頭に置いて進むことである。
現実問題として、記憶喪失の状態で物語は始まるのだ。そんな状況で暴漢が四人いたらどうするか? 逃げる。そう、必要なのは護身術でも、暴力でもない。逃走する勇気だ。だって、相手のほうが強いんだもの。そして、私のほうが足が早いんだもの。しかも私の運動神経も並ではない、なんと銃弾を避けられる。頑張ればとかではない。「バン!」と音がしたら右か左にステップする。音がしてからでいい。
そんなキャラクターを操作して、動画を送っている。様子を撮影し、動画編集ソフトに取り込んで、音量を調節して、エンコードしてアップロードしては「……なんか音量のバランスおかしい気がするんだがなぁ」と首を傾げつつちょうどいいバランスが見つからないまま送っている。完璧よりまず完成させること、と偉人が言ったそうだ。都合のいい標語は掲げておくに限る。
そして、自分の動画であるのを良いことに批評的な目で見る。端的に言って「面白いか、これ」という話だ。それは、私にとって面白いか、という問いかけである。他の人がどう感じるかは分からない。送っている友人は面白いと言ってくれている。一旦それはそれとして、この動画は、私にとって面白いものだろうかと考えるのだ。
まず、私はゲームは見るよりやる方が好きだ。なので、ゲーム実況と聞くと「……自分でやればよくね」と思う。そんな中でやるゲームともなると、自分にはハードルの高いゲームであったり、あまり興味はないが配信者さんが好きで聞いたりしている。この観点から見ても、まず私にとってハードルの高いゲームではない。なぜなら実際にやっているからだ。それから、配信者さんは私なので別に好きではない。
自分のゲーム実況の評価はマイナスからのスタートなのである。軽快なトーク、スタイリッシュなアクション、そんなものはない。あるとしたら「とにかく見やすく工夫する工程そのもの」くらいである。全くの素人がただでさえ面白いゲームをどこまで鮮度を落とさずに、かつ興味を持って聞いてもらえるか。どうせ聞いてもらえるなら、楽しんでほしい。
血みどろの世界に身を投じる様子を見て、笑ってほしい。この世界にはいろんな変なやつがいるのだ。車椅子に乗っているのに銃をぶっ放してくる爺さん、見るからに腕力が強そうなマッチョ、どう見ても同業者な狩人、デカいカラス、楽に避けられる弾を一発一発丁寧に込めている紳士、など。キャラクターによっては、ストーリーが与えられているが、それはまた別の話だ。まずは、この世界の「どう見ても変なやつ」に一通り触れてからでないと話が進まない。
だが、それはそれとして目の前にヌッと現れる自分の倍以上の背丈があり白いローブを被ったでっかい斧で襲いかかってくる大男について何も突っ込まないのは、流石にもったいない。あと、私もレベルを上げて攻撃力は高くなっているはずなのに、相手の固さが序盤から全然変わらない。なぜなら、ボスを一人超える度、敵も強くなっているからだ。
そんな話を友人にしている。先にも述べたが、私はゲームはやるものだという認識が強い。かつて「見るほうが好き」という人に出会ったときには、果たして何がそこまで面白いのかわからなかった。今でも、具体的な手応えはない。
曲がりなりにも手間ひまをかけて作っているのだが、その上で「これで良いのか?」と、日々探求している。コツコツと響く足音、敵を切り裂く斧の炸裂音と敵の悲鳴、そしてそれにかき消されない程度の声量、気を配る部分は多いが試行錯誤の繰り返しである。ゲーム内の音も聞いてほしい。しかし、敵に斬りかかるときの音は私の声をかき消すほど大きくなる。逆に、私の声はといえば日によっては音が歪むほど大きく、日によってはちょうどいい。
いよいよ、通話用になんとなく買ったマイクを始めとした収録環境も、馬鹿みたいにテンションが上った私の声を歪ませずに録音できるように見直したほうが良いだろう。恐らくこれまで触ったことのない設定にも触れることになる。パソコンというのは、こちらが操作できるポイントも自動で調整してくれている。しかし、それを一度切り、自分のその日の声に合わせた調整ができるようになるべきなのだ。と、送った動画を見直しながら思う。
私の声の音を優先するあまりゲーム音に迫力がなかったり、逆にゲーム音よりやや声が大きいくらいにしておくと今度は効果音でかき消されてしまいそうになる。
Bloodborneは、コツコツと響く足音と相手を切り裂く音、そして武器が変形するときのジャコンと響く効果音も楽しんでほしい。ボスと邂逅するときのゾワゾワする音、そしてBGM。それに、テキストから読み取れる断片的な情報とそれをつなぎ合わせる工程。まだまだ、私には表現しきれないものがあるのだと、動画を収録しながら感じる。
しかし、そうした試行錯誤や動画の目標設定、そしてなにより「見てもらうからには楽しんでもらう」という一つのモットーのようなものが形成されていくのを感じる。もちろん同時に「力を入れたからと言って面白くなるわけではない」というのも教訓として抱えている。
ただ、動画として、見てもらうコンテンツとして何をテーマとして何を楽しんでもらうか。三つぐらいあるとステキだ。そして、ゲームにはそれが揃っている。音、世界観、そして主人公。この三つの比率を変えて、混ぜ合わせていく。音は今後も要調整として、世界観と主人公は毎回できるだけ前に出てきてもらうことにしている。私のこのゲームで見てほしいところはBloodborneという世界と、そこで動き回るただ一人の主人公、筋力にステータスを振りまくったことから筋肉ムキムキおじさんと呼ばれ、さらに医療教会の装束を手に入れた後、神秘の力も獲得して現在は「筋肉ムキムキ医療教会騙り神秘おじさん」となった主人公がこの世界で私に何を見せられるのかを収録していく。
死にゲー、と片付けるには惜しい。死ぬのが嫌なら走って逃げればいいじゃない。そんな側面もあるチャーミングなゲームなのだ。物語が進むに連れ「病気を治しに来ました!」という目的がどんどん崩壊していく。物語開始時点から比べれば「ここはどういった場所なのか?」という説明にも苦労するようになってきた。徐々に難解になっていくゲームなのだ。プレイする上でその難解さはおよそ問題にならない。スーパーマリオブラザーズにおける1-1がキノコ王国から見て具体的にどこに位置するのかがストーリー進行に一切影響を与えないように「悪夢の辺境」と呼ばれる場所について何も知らなくても、ひとまずクリアはできる。その場所がどういった意味を持った場所であるかを探求するかどうかはプレイヤーの裁量であり、端的には「目の前に出てくるやつ全員倒すか、邪魔なら逃げてボスだけ倒せばゲームそのものはクリアできる」そういうゲームだ。
そして、その脇道にある探求へと踏み入れるかどうか。好奇心を持って進んだ先に、先駆者と思われる者がいるので後を追う形になるが、自分が一番じゃなくてもその探求の道を歩むか。あるいは、ただただ敵を殺し尽くして先に進むか。
そういうところも全て踏まえて、Bloodborneなのだ。それが、わずかでも伝わってほしい。ちょっとアイテムを取りに行くだけで一見調整ミスにしか見えないダメージを叩き出すモブに追われ「さーて、これ、どうやって帰るかな」と家に帰るまでがBloodborneであることに打ちひしがれる私を通じて覚えてほしいこと、伝えたいこと。それは「もう無理だと思ったら無視して逃げていい! 戦わんでいい!」以上である。そして、その逃げた先にはもうどうしようもなく立ちはだかるやつが居る。
そいつも、実のところ倒さなくていい。もう、全然いい。クリアまでに絶対通らないといけない敵は案外少ない。しかし、それでもなんか行けそうだから行く。そうした、逃げ続けた先にあるちょっとした自信と過信、そして「まぁ、どうせ死ぬだけ」という徐々に薄くなっていく命の価値。そこに何を見出すのか、その話も含めて私は語っておきたい。
だが、まずは、兎にも角にも敵を倒す力を身に着けなくてはならない。探求には丈夫な体が必要なのだ。そうして今日も、筋肉ムキムキ医療教会語り神秘おじさんはゆく。その道は血に酔った狩りか、人だったものへの弔いか、あるいは屍を踏み越えた先にあるものを見つけるための探求か。
では本日も、収録をして参ります。