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サイン色紙と私の足跡。

毎年、自分の誕生日に手形と足形を取っている。

いつからか、母が始めたことだ。朱色の絵の具を手につけてから、真っ白い色紙にドンと手のひらを目一杯広げて置く。手の次は足にも絵の具を付ける。

小さい頃は一枚の色紙に手と足が両方共収まっていたのだが、だんだん収まりきらなくなってきた。手と足を別にしたので色紙の数は二枚に増えた。

中学生になっても、高校生になっても、私は手形足形をとっていたし、大学生になっても、そのよくわからない儀式を行っていた。

でも、嫌々だったので手形足形を取り終わると、すぐさま中断していたゲームに戻ったり、自室に戻ったりする。そして、しばらくしてからなんとなく気になって絵の具を乾かしてある色紙を見ると、二十数年書道を続けている母の鋭い字で私の名前が書き込まれていた。

そんな母に比べて、私は字が汚い。

「割と壊滅的な字」

「読めるけど読めない」

「まぁ、いける」

様々な評価をいただくが、どんなに好意的でも概ね「綺麗ではない」という点は共通している。字は汚いよりはきれいな方がいい。数え切れないほど書いてきた自分の名前さえ、あまり上手とは言えないので、回数を重ねるだけでは上手くならないことは間違いない。

今でこそ「読めないというほどではない」という水準の文字がかけるようになってきたと私は思っている。ただ、私の本名は、私にはバランスが難しく、いつもヨレた字になってしまう。


先日、寄せ書きをする機会があった。東京にいた頃に働いていた出版社の社長へ、私を含めた人々が色紙を送ろうという話が持ち上がった。しかし、参加人数があまりに多かったので、全員自分の名前をぐるりと円になるように書いていく事になった。

中心に、宛先の名前を書き一人ひとり、名前を書いていく、私もヨレた字で名前を書いた。二十数年書いているのに全くうまくない名前の入った色紙。それでも、ズラッと名前の入った色紙は傘連判状みたいでなんだかかっこよかった。なんだか革命でも起きそうな色紙。

「これは、すごい色紙になるかもしれませんね」

色紙を贈られた社長のYさんは「いや、これはもうすごい色紙なんだよ」と言った。

私の就職が決まって会社を去ることが決まる少し前。Yさんが、昼休みの時にふと思い出したように私に顔を向けた。

「〇〇君さ。いずれ〇〇君がここを去って、別のところで働いていたときね。私は『この〇〇君と昔働いてたんだよ』って心から言えると思うんだ。だから、あなたと働けてよかった」

唐突な一言だった。

「そう……ですか」

私は、曖昧な返事しか返せなかったが、それでもYさんは「うん、そう。きっとそう」と、力強く私に言った。

でも、もしそうなったら、私がそこにいた証はたくさんある。下手くそな字の色紙も、その一つになることだろう。Yさんのその言葉を、最近よく思い出すようになった。あの色紙は、私だけでなくYさんが心から自慢できる人たちの名前が並んでいるのだろう。

私は、Yさんが自慢できるような人になっているだろうか。そんな質問を自分に向けるのが、恥ずかしかった。そんなに大層な人物になりたいわけでもない。まして、そんな質問を自分に投げかけ続けて生きるような人に、私は絶対なれないと思っている。それでも、そんな風に問いかけてしまう自分が居た。

私は地方の小さな会社に勤めている。でも、インターネットはどこでも繋がるので、周りの友だちの進捗はガンガン伝わってくる。

特に学生時代同じ団体で、プロジェクトを私と一緒に引っ張ってくれた人たちのいいニュースはたくさん飛び込んできた。売り上げ上位に食い込んだ。プロジェクトを任された。私の周りの人たちは、泣きなくなるほど優秀だ。

でも、私は「負けていられない」とは、どうしても思えなかった。ただ、走り去っていく友達をじっと見ていた。

そして、優秀な友だちの1人であるTさんが、先輩の売り上げを追い抜いたとき。私は、焦りより、悔しさより、嬉しくなって飛び上がりそうになった。

それはなんだか、自分は楽して他の人の成果に乗っかっているようにも感じられたが、それを含めた上でも、自分が嬉しいと思った気持ちは揺るがなかった。私は本当にただすごい人に囲まれているだけの、大したことのない人間の一人なんだと思えたとき、スッと気分が軽くなった。

「私さ、あなたと働いてたことが、嬉しい」

そう声をかけたとき、浮かんだのはYさんの顔と、ヨレた私の名前も一緒に書かれた色紙だった。

Tさんは言った。

「俺も、今は当たり前になってきたけど前は『俺、こいつと団体運営してんだぜ』とかあなたに思ってたよ」

私は、また曖昧に「……そっか」と、返した。しかし、今回は「嬉しい」と、短いながらも感想を言えた。


今年も、誕生日がやって来る。一人暮らしをして初めての誕生日だ。何歳になっても字は綺麗にならないし、全く成長が感じられないどころか、なんとなく周りの人に置いていかれているような感覚さえある。

高校生以降、ほとんど大きさの変わらない手形足形を今年も取るべきか、私はまだ迷っている。それでも時間は流れていく。歳を重ね、最初の一歩をまた踏み出すのだ。

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今回のテーマ「サイン色紙」

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