驚かない練習
関西の人はキャラメルを噛まないらしい。
高校時代、先生から聞いた話だ。
社会科の先生が休んだ日、副校長の先生が代わりに授業をすることになった。先生は普段の授業とは全く関係なく、国の違いと文化の違いの話をしてくれた。しかし先生が初めて感じた文化の違いは、小さいころに関西へ引っ越した時に感じたキャラメルを噛まない。というギャップだったのだという。
「もう40年も前だけど、いまだに覚えてる」
黒板に全く何も書かず、さっきまで海外旅行に行った時に驚いた話をしていた先生は、かなり規模の小さい驚きを話していた。私は正直、韓国に旅行に行って驚いた話よりも、そのキャラメルを噛まない話のほうに興味をひかれた。
「アメを食べるときにも、君らの中にも噛む人と、最後までなめきる人といると思う」
というと誰かが「〇〇君は噛んでた」と言い「お前もだろ」と横やりを入れた。一通り話が落ち着くと先生は言った。
「あとねぇ、友達の家の味噌汁の豆腐がね。正方形だったんだよね。でも、その時に『四角い』って言っちゃって隣にいた友達から『いろいろあるんだよ』ってたしなめられた時に、初めて当たり前って違うんだなぁっていうのを感じたんだよね」
今にして思うと、あまりにも地味すぎる着眼点ではあるのだが、でも、小さいころに感じた衝撃と、それを口に出してしまった恥ずかしさはとてもリアルに感じられた。
気にも留めないほどの文化の違いというのは案外たくさん転がっている。
例えば歯を磨き終えた歯ブラシをすすぐとき。私は口をすすぐ用のコップに水を一回溜めてシャカシャカかき回してすすぐ。普通に蛇口をひねって流れる水で歯ブラシをすすぐ人もいるようだ。教室内アンケートを取ったときは、蛇口派が大多数だった。
名古屋に引っ越した時は、味噌汁にはいっていたのは独特な匂いのする八丁味噌だった。私はそれがとても苦手で飲むのに苦労した。
文化の違いは、普段生活するうえでほとんど顔を出さないものもあり、歯ブラシのすすぎ方がどうであろうが、豆腐の切り方がどうであろうが、キャラメルやアメを噛もうが舐めようが本来どちらでもいいはずである。
しかし、これが一緒に生活するとなるとその微妙な違いがいちいち気になることもある。
「私ね、玉ねぎのお味噌汁が好きなんだよね」
と、恋人が言った。
「……別れましょう」
「びえぇ」
カエルがつぶされたような声を出して恋人は私に抗議の意思を示した。
私は玉ねぎの味噌汁が大嫌いだった。私は苦いもの以外は大体食べられるはずだったのだが、その中でも例外的に苦手なのが玉ねぎの味噌汁だった。苦手な理由はいくらかあるのだが、それを解消しても好きになるわけではない。しかし、恋人は玉ねぎの味噌汁のおいしさに関しては一切触れず、また私を懐柔することもなく「てめぇはインスタントの味噌汁でも飲んでろ」というところに落ち着いた。
恋人と私も、文化の違いは多々ある。家族との仲の良さであったり、好きという気持ちの示し方であったり、寝かた、食べ方、怒り方。全部違う。でもとりあえず、私は恋人が家族と仲がいいことを知っている。だから、恋人のお父さんが私に対する対応があまりにもぎこちなくても、いったん知らないふりをしている。お母さんがノリノリで私に接してきても、声を出して驚かないようにしている。
隣にいる人は、ほかの人間とそっくりに見えるけれど見れば見るほど、ズレが見える。小さいころの、ちょっとした衝撃。
ルームウエアという文化を知ったとき。
どうして、家の中用の服を着るのかを聞いてみたことがあった。
「外で着た服は汚いから」
「なるほど」と、私は答えたけれど、誰かと一緒に生活するにはある程度文化背景が一緒なほうがいいな。と思った。多分、この人が私の部屋を見たら発狂するだろう。「ちょっとこの部屋に一週間だけ住んでみて」と言われようものなら、まず清掃会社を呼んで部屋をリセットするところから始められるかもしれない。家でどんな服を着ているかなんて、見えない。一緒に暮らしてみて、初めてわかることもたくさんあるだろう。
「大根と人参の味噌汁なら好き。もっと言うなら○○っていう店の味噌汁」
家のじゃないんだ。と、言われるだろうか。
時々見つける、ちょっとしたズレ。並行世界の住人なんじゃないかと思えるような、ちょっとした違いは、ちょっと見てから目をそらす。そして自分の中にある「こんな人いたリスト」に行動だけ書いておく。そしたら、次に同じものを目にしたときに、驚かずに受け入れられるような、気がする。
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今回のテーマ「味噌汁」
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