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仁王の面白さについて

モノクロの画面に「落命」と表示される。そしてその下に「牛頭鬼により叩殺」と赤い字で書かれていた。ただ死んだだけでなく、お前を殺したのはこいつだぞ、と記されている。

今私は仁王2というゲームに取り憑かれている。仁王1はやったことがない。プレイステーションのフリープレイというサービスで、有り体にいってしまえば無料で遊んでいる。

そして、ムービーを見てキャラメイクをした。舞台は戦国時代の日本、妖怪が跋扈する世界で半人半妖の主人公が妖怪退治をするゲームだ。だが、キャラクターが動かせるようになっていっ分ほどで出会うのは、まず小さい餓鬼という敵だ。五回ほど斬ると倒せる。

そして次に出会うのが牛頭鬼である。自分の倍はあろうかという体躯に、人間と同じぐらいのサイズの金棒を手にしておりそれを片手で振り回している。そしてその金棒でぶん殴られると、体力の七割ぐらいを持っていかれる。ブンブンと振って二回殴られると死ぬ。「落命」である。

しかもこちらが試しに斬ってみたところ、牛頭鬼のHPゲージは減ったのか怪しいぐらいの量しか削れない。体感だが「百回斬ってやっと倒せるか?」くらいの減り方である。

さて、ではそんな仁王2の何が面白いのか。今回はその話をしようと思う。また、今後仁王と述べるのは全部仁王2のことである。1については一切知らない。ゲームシステムが全然違うかもわからない。

まず、仁王をするにあたって必ず……必ず覚えるべきこと。最初に覚えるべきことは「逃げる」ことである。逃げろ。強いやつとは戦うな。そもそも、まず餓鬼というザコの次に出てくるやつが百回斬らないと倒せないにも関わらず、こっちを二回パンチして叩殺してくるのはどう考えてもおかしい。そして、ちゃんと表示される。

「必ずしもすべての敵と戦う必要はない」

牛頭鬼と戦っていると、戦いの邪魔にならないようにしつつはっきりと表示される。あくまで「逃げろ」という指示ではない。だが、この明らかに自分より格上の牛頭鬼に今挑むべきかどうかは、考えるのだ、とゲーム側が言ってくる。なので、私も言いたい。逃げろ。あるいは、戦略的撤退である。レベルを上げてから、それでも牛頭鬼を倒したければ倒しに行けばいい。そうでないなら、一旦先に進むべきだ。

しかし、強い敵から逃げるだけのゲームでは面白くない。だが、牛頭鬼を倒したところでどうか。

「俺、あの序盤の牛頭鬼倒したわ」

「へぇー。おつかれ」

マウントにもならない。もちろん凄いのだが、凄さが今ひとつ伝わらない。では何のために牛頭鬼に挑んだり、逃げたりするのか。このゲームにおいて重要なのは、戦略と過程である。

声を大にして言いたい。

自分よりも格上の相手と戦う時は、逃げることも含めて持てるものを全部使え。持てるもの全てだ。近寄ったら切りつけてくる敵は、遠くから弓矢で射ってもいい。レベルを上げて死似にくくなってから正面対決を挑んでもいい。

あとあれだ。攻略サイト、攻略動画。見よう。自分の力でなんとかするのももちろん大事だが、自分の力でやりたいときにだけそうであるべきだ。自分より上手い人がいるなら、見よう。「牛頭鬼 倒し方」で調べても良い。

世の中はどんどん便利になっている。そしてそれと同時に「そんなん何が楽しいの」と、人の楽しみ方にゴチャゴチャ言ってくるやつがいるのもまた事実だ。しかし、考えてほしい。

開始直後にボス級のやつが出てきて、殴り殺されるゲームだぞ。何が楽しいとかじゃなくてもうこれは意地なのだ。ゲームは遊びじゃねぇんだ。ゲーム制作会社の用意した問題を、私の手の届く範囲の情報と技術で解決できるかという命を賭けた戦いなんだよ。

と、言っても恐らく理解はされないが、意地を張ってもいいし「どうすりゃ良いんだよこれ」と進み方を調べてもいい。つまりは、不自由の中には選択の自由が常にあるのだ。

牛頭鬼は足が遅い。だから、逃げるのは大して難しくないだろう。しかし、牛頭鬼は倒せる。無敵ではない。必ず、倒すことができる。

しかし、どうやって倒すか、いつ倒すかは自分で選ぶことができる。最初期のレベルで挑んでも良し、一旦無視してシナリオを進めてなんとなく強くなってきたあたりで仕返ししに行ってもいい。

私は牛頭鬼は倒してから進むと決めた。そして、手を変え品を変え戦いを挑む。牛頭鬼の側が嫌になるんじゃないかと思うくらいに、挑みに行く。

身も蓋もない事を言うが、敵はプログラムされたコンピューターである。そして、攻撃にはパターンが設定されている。ただし、私はどこからどこまでがひとまとまりのパターンなのかは分からない。

ここでもまた、人の動画を見るか、自分で見て覚えるかの二択があった。今回は自分で見て覚えることにした。

この手のゲーム、と括ってしまうには少し抵抗があるが敢えて触れたいのは別の制作会社が作っているBloodborneとエルデンリングである。

いや、仁王とBloodborneとエルデンリングはぜんぜん違うだろ。と、言える方はもう多分、私が面白さを説明するまでもなくズブズブにその世界にハマっているだろう。ゲームシステムは全然違うし、重きを置いているところも違うのは重々承知の上だが、今回はまとめさせてもらいたい。

今並べたゲームは敵の強さが自分よりも明確に強く設定されている。序盤に出てくるクリボーポジションの敵でさえ、二人同時に絡まれるとかなり面倒だ。なので無視してもいいし、挑んでもいい。敵に挑むときの装備も、たまに全裸の人がいる。ボスを前にして全裸。防御力ゼロで、一回食らったら終わりの状態で戦う人がいるのだ。つまりは、一回も攻撃を食らわずに戦い続けることは理論上可能なのである。私はやらないが、可能ではある。

なので、仁王、Bloodborne、エルデンリングにおいては、めちゃくちゃ強い全裸のやつがいる点において共通している。この点で共感の得られるゲームはなかなか少ない。

同じようなゲームだというと「全然違う」と言われ「でも、めちゃくちゃ強い全裸のやつがいるよね」と言うと「……いるね」と答えるが全員別のゲームをしている。そういう界隈なのだ。内輪もめをしている間に「全裸の強い人がいるゲーム郡」にまとめられてしまいかねない。

話はそれたが、私はこの敵つよつよゲームシリーズをクリアしてきた。Bloodborneに関しては最初に心が折れて、立ち直るまでに一年を要した。エルデンリングは攻略サイトや動画を見ながら進めた。そして、仁王の牛頭鬼を見たときに思ったのだ。

「こいつ理不尽な強さだけど、絶対倒せるようになってる」

例えば攻撃パターンがある程度決まっていること。それから、長距離攻撃を持っていないこと。ガードをすればダメージを回避できること。牛頭鬼は攻撃力が高くて自分よりリーチのある金棒を使っているが、動きは緩慢だ。

攻撃力という点においては私よりも格上だが、攻撃をかわしたあとで相手が構え直すまでに一撃入れられる。それから、縦に棍棒を振る攻撃は必ず三回叩きつけて、最後の一撃のあとに隙が生まれる。

そういった癖を見つけていき、他の攻撃をガードでやり過ごすうちに「……この横振りいつも左から右に振るなぁ。回避で懐に入れば一撃くらいいけるか?」と思ってやってみたりする。

その過程が楽しいのだ。

敵は強い。強いが、無敵ではない。私よりも圧倒的に攻撃力が高くて、二回殴るだけで私を倒せるとしても、ガードしてダメージを抑えられれば死なないのである。それに、横にスタスタ歩いていれば避けられる攻撃もある。

なにより、もう面倒くさくなったら一回戦線離脱してシナリオを進めてから「この前は良くもやってくれたなぁ!」と難癖をつけて挑み直せばいい。と、思いながら牛頭鬼に挑み続けた。

仁王は、やらされている感じがしないのだ。確かに敵は理不尽なほど強い。だが、そっと忍び寄って背中から切りかかってもいい。弱いやつだけ倒してレベルを上げて、大きい敵と戦うのはボスのときだけにしてもいい。

ボス戦もシナリオに必要なやつ以外は無視していいし、シナリオに必要なやつの前になってからレベル上げのついでにサブクエストを埋めに行ってもいい。なんなら、友達と一緒に倒してもいいし、時間の合う友達がいない場合はオンラインで同行者を呼ぶことができる。

どうやって倒すか。そこにどれだけの労力を注ぐか。その計画や、あるいは場当たり的に挑み続けること。そこに仁王の面白さがある。

だが、敵の体力があと一撃で倒せるところまで追い詰めてから返り討ちにあって落命したときの絶望感もある。苦い思いをさせられる。

そこまで上達した自分と、同じようにまたあそこまで体力を削れるのかという難問に挑む。

君はどうする。と、常に問いかけられ続けるゲームだ。逃げてもいいぞ、と言われる。そしてそれはもう、試されてるとかではなく本当に逃げていいやつだ。

自分より格上の敵と戦うときには、しっかり準備をして作戦を練り、相手の動きをよく見る。そうした、自分の手に負えない難問に出くわしたとき、どの程度意地を張るかを含めてプレイヤーの性格が出る。

自分のできることはこれ、相手のしてくることはこれ、相手の強いところはここ、だから私がするのはこれ。と、もう、色んな情報を仕入れてようやく一つ一つが借り物や他人の知識の付け焼き刃だったものが、体に染み付いていきそうして必死になって自分よりずっと強い敵を倒したときの達成感はひとしおである。

上手く戦えた、上手く逃げられた。なんでもいい。やってみようと思ったことをやってみて、失敗して、そんな中で「いや、あえてこれで行くぜ」と自分のプライドを沸き立たせながら自分よりも何倍も大きな敵に対する回答を出し続ける。

それが楽しい。そして自分がやったあとで他の人のプレイを見るのも楽しい。私はこうやったけど、他の人は……? と見たときに、なんか全裸で牛頭鬼に挑んでいるやつがいたりするのだ。

できるのか、と思いつつも見てしまう。どうやって倒すのか、どんな工夫をしているのか。もちろん私はやらないが、やった人がいるという事実は変わらない。

理不尽であり、自由。

だから、仁王は面白い。

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キッチンタイマー
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