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豚肉に助けられてる原始人

「自炊してるの?」という質問への回答に困る。

自炊に対するハードルが高すぎるのではないかという懸念を差し置いても、私の家での食事は自炊というより「外食ではない」という表現が適切だ。ご飯は炊いている、お肉も焼いている。もちろんそうだ。しかし逆に言えばそれしかしていない。

米を炊き、肉を焼く。それが私の自炊の80パーセントを占める。残ったうちの10パーセントはコンビニで買ってきた100円のキャベツサラダである。最後の10パーセントは、ご飯をパスタに変更したり、肉が冷凍食品になるという心もとない変化だ。

果たしてこれが自炊か。つい数週間前まで包丁もまな板もなかった、そして買ってから包丁とまな板が登場したのはまだ2回しかない。外食はしていない、しかし自炊かといわれると正直微妙な位置である。

私の家庭はとにかく男が料理ができない。

父は数年前に単身赴任をした際、数か月に一度家に戻ってきたのだが、一人暮らしをしているときの料理の話をほとんどしなかった。ただ「豚肉に救われた」という一言が妙に重みがあって印象に残っている。家で料理をしている様子は一切見られなかったので、とても苦労をしたと思うのだが、一人暮らしの先輩としてのアドバイスはほとんど聞くことがなかった。

そして歴史は繰り返される。今は私が豚肉に救われている。正直「ロース」とか「切り落とし」とか言われても未だにどこの部分で何の料理に適しているのか分からない。しかし、とりあえず安くて調理が楽という理由で豚肉を買っては焼いている。

「……原始人か?」

そんな話をした時、恋人に言われた。

「そこまでではないよ」

「でも○○くん、焼く、しか言ってないよ」

確かに、恋人から見てもこれでは自炊をする彼氏というよりも、人類が肉と火を手にした結果の観察である。

一人暮らしをすると、料理がうまくなる。と聞いていたが、父もあまりうまくならなかったし私もうまくならないと思う。料理にもいくつか種類があることが最近だんだんわかってきた。和食、洋食というカテゴリーではなく、もっと、料理の根本的な目的がぼんやり見えてきたのだ。

例えるなら、恋人が作るのは食べてもらうための料理だ。色合いを気にしたり、こんなのを作ってみたいと思いながら料理を作っているのだろう。周囲にいる料理が得意な人も「作ったから食べて」と見せたり、インスタグラムに乗せるなどしている。だから、美味しいしそれ以上に見ていて綺麗だなと思う。

一方、私が作るのは食べるための料理である。とても人に見せられるものではない。そういうわけなのでしばらくは人に見せて「うまいね!」と言われるような料理を作るまでには至らないだろう。

「自炊してる?」

という質問には「うーん、肉は、焼いてますね」という曖昧な返事ばかりを返しているし、事実そうだ。豚肉ばかり食べていて、野菜はコンビニで買ったものをお皿に敷き詰めている。

自信を持って「自炊してます」と言えるようになるのも、まだもう少し先の話になりそうだ。

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今日のテーマ「ぶたにく」

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