挑戦者にとって応援がどれだけ救いになるか
昨日、映画「えんとつ町のプペル」を観てきまして、初めて映画館で泣いてしまいました。この映画は100分ほどの長さなのですが、その間に3回も泣いていました。特に胸を打たれたところでは、息がしづらくなってしまうほどで、こんな体験はなかったので、文字に起こしておきます。
原作は読んでいたけど、期待を遥かに超えていた
原作の絵本は元々読んでいて、大まかなストーリーは把握していたのですが、絵本のストーリーの前後で内容が付け足されていたり、途中に細かい内容が入っていたり、映画ならではのアクションシーンがあったりと、絵本を読んでいながら、その期待を大きく超えてきました。
特にアクションシーンやえんとつ町の映像は映画館の大きなスクリーンではないと体感できないような壮大なもので、テーマパークのアトラクションを楽しんでいるように、ワクワクしながら楽しんでいました。
街を下から上に景色が登っていくところなんか、本当に自分がその場にいるような、街の奥行きと高さを味わうことができるので、ぜひ映画館で見るときは、大きなスクリーンで、前の方で見ることをお勧めします。
主人公はゴミ人間と友達のいない少年
YouTubeで冒頭の3分間だけ本編が流れているのですが、えんとつの上で空を見ているのが友達のいない小さな少年で、竜巻から生まれてくるのがゴミ人間。
物語はこの2人の出会いから始まり、少年が昔から信じている「星」を見るという夢を、ゴミ人間と一緒に叶えようと決心するんです。
このゴミ人間の心が純粋で、人間みんながもっているような、夢を追う心の象徴のようなものに思いました。
それに対して、小さな少年は臆病で、だけど自分のお父さんの言葉をずっと信じていて、夢はあるけどなかなか行動できない、まさに自分を鏡で映し出しているようでした。
この2人の登場人物はまさにこの映画を見る人の心の二面性を映し出していて、夢はあるけど、才能や環境を理由に、行動できないことを表現しているように感じました。
周りの目を恐れて自分の夢を捨てる
僕は小さい時、卒業文集に自分の夢を書くのが苦手で、自分の心からやりたいと思っていることを書くよりは、周りから何も思われないような夢を探すことをしていました。
その時はずっと野球をしていましたが、僕の周りで「野球選手になる」なんて書いていた人はいませんでしたし、自然と「プロにはなれないもの」という空気が周りに流れており、そんなことを書くものなら、いじられの的になることはわかっていました。
特に僕の周りでは「ジコチュー(自己中)」って言葉が流行っており、人の流れから外れた人、自分の好きなことばっかりしている人を嫌う傾向があり、「ジコチュー」のレッテルが貼られた人は、悪い人間という見方をされました。
確かに自分勝手な行動をして、人に迷惑をかける行為はすべきではないですが、自分の夢を話すことで、誰に迷惑をかけているかというと、少なくともその周りにいる友達には迷惑はかからないことだと思います。その区別ができないまま大人になり、集団から外れたものを批判するという風潮は今も根強く残っています。
そういった環境の中で自分が外されることがないように、自分の夢を捨てて、周りが喜ぶようなことを探すことをしていて、僕には自分の夢を話せるような友達はいなく、今まで親友と呼ばれるような友達はできないでいました。
みんな言うし、自分だって心のどこかで思っていた。「できるわけない。」、「周りの環境がもっとよかったら。」なんて。
えんとつ町のプペルでも、少年は自分の夢を語ることを許されず、その夢を語れる友達もいない。そんな中で、勇気をもって友達になったゴミ人間に自分の夢を思わず言ってしまいます。
ゴミ人間はその夢を否定するわけでもなく、素敵な夢だと言ってくれて、さらに2人の絆は深くなっていきます。
挑戦者は背中を押してもらって動いている
これは原作者の西野さんが舞台挨拶でおっしゃっていたのですが、「映画が終わった後に拍手をしてもらえることが、製作者をどれだけ救ってくれるか。この音を聞いた時に、届いたんだなぁって思うことができる。」という言葉の後に、「映画が終わったとに拍手を一番最初にしてくれた人にも感謝しているが、その人をひとりにしなかったみなさんにも感謝している。」と。
小さな少年が夢を語った時に、ゴミ人間が純粋な心で、それを素敵な夢と言って、後押しをしてくれました。町の人に少年の夢を馬鹿にされた時に、ゴミ人間は言い返したことで酷い目に遭いますが、それでも友達だからという理由で、怯まず応援してくれました。
そのおかげで、小さな少年は震えるひざをひた隠しにして、前へ進んで行きます。夢を諦める理由を全て捨てて、挑戦を諦めませんでした。そして、その姿を見たこれまで批判してきた人の心も動き、力を貸してくれて、さらに前に進むことができます。
これは、挑戦者を応援することが、どれだけその挑戦者を救うか、前に進めさせてくれるか、さらに、これまで夢を捨てた人、批判した人も応援側に回ってもいいんだよというメッセージでした。
挑戦者がどれだけ怖い思いで、苦しい思いで、その夢を語り、どんな状況でも、周りの友達のために「ここで終わってなるものか」と自分を奮い立たせてそこに立っているか。最後の立川志の輔さんの語りでは、西野さんのこれまでの挑戦とも重なり、息もできないほど涙が止まりませんでした。
めぐりめぐる物語
この映画を楽しむ上で、エンディング主題歌が欠かせません。このエンディング主題歌が映画のエピローグとなっているので、映画を見終わった後に、主題歌の歌詞を見て、いろいろなシーンが一気に思い出されます。
この歌詞の中に「えんとつ町の物語 めぐりめぐる物語」とあるのですが、この挑戦者の物語はいつどんな時も変わらずある話ということを言っています。
まさに自分がいる環境で、似たようなことが起きていますし、「みんなわかっていることに蓋をして、夢みることを諦めている。」「誰かが夢を語ろうものなら、社会から追いやられる。」という風潮はこの時代でも渦巻いています。
これは今後も、世界のどこかで起き続けることで、そんな中で自分いる環境でどうするか?ということを考えていました。
もし自分がえんとつ町にいて、星の存在も知らない時に、それを見ようとする人がいたらどうするか。自分の目で見る前に諦めるのか。それにワクワクして、応援を後押しするか。
誰もが自分の夢を言えるように、それを応援する人が集まるような社会になれるように、僕も挑戦の一歩を踏み出します。