続・なぜ若手騎手達は調整ルームで通信機器を使用してしまうのか? 【教育系競馬談義】
前回の記事がこちら。今回は前回の続き。
もはや緊急事態
藤田菜七子に続いて永野猛蔵も騎手免許の取り消し申請を出したという。
よくわからないが、苦労して騎手になって、それなりに勝ちだしたところだと思うのに、そんなに簡単にやめられるものなのか。
しかも、骨折休養中に親族に対して予想行為のようなものもしていたという。これは、以前にもあった騎手の「酒気帯び運転」や「(超)スピード違反」などよりもある意味、深刻性を感じる。
うまいたとえになっているかどうかわからないが、ボクシングの選手が己の拳で人を傷つけるような。野球選手が野球賭博に関わったら(勿論野球賭博そのものが違法行為だが)問答無用で永久追放であろう。そういう、あなたは他の過ちに手を染めてしまったとしても、その領域にだけは踏み込んだらダメでしょう、というような。
そんな一種の狂気すら感じないこともない。
前回記事で現代の若者と通信機器の関係を推測して少々騎手の側を庇ったわけだが、今回はまた少し違う方向から考察してみたいと思う。
サービス業化が加速する教育業界
少子高齢の時代である。
私は学校で働いているが、学校、教員という仕事は昔から多かれ少なかれサービス業としての側面があったものだと思うが、その流れは確実に加速していると感じる。それは自分の職場、自分の働き方を振り返ってもそうだし、子供を通わせている学校の先生の様子などを見ていても感じる。
そもそも、教育は「子どもがいないと成り立たない商売」である。その子どもの数そのものが減り続けている。貴重な日本の人的資源である「子ども」たちの教育を学校や教員は「させて頂いている」という表現が的確な状況である。教員の何気ない言葉で子どもが傷つかないように気をつける。少しでも子どもの体に触れるなどもっての他。人前で叱ることすらあまり推奨はされない。「腫物にさわるよう」と言ってしまうと言い過ぎかもしれないが、希少性を増した子どもたちは、確実に、30年前・40年前より刺激にさらされない育てられ方を家庭や学校でなされてきている。
もちろん、全ての子どもがそうだというわけではない。しかし、全般的な傾向として、現代の子どもたちは「ストレス耐性が低い」「自分の希望に沿わないことをやりたがらない」「意義の見いだせないものを我慢してやり続けられない」といった特徴を備えるようになってきている。
JRA競馬学校への提言
競馬学校などは厳しい寮生活の中でそういった世間の学校とは異なる空気感の中で育てられているのかと思っていたが、そうでもないのだろうか。現代っ子に合わせた柔軟性を、騎手教育にも取り入れてきているのだろうか。
もしそうだとしたら、JRAの幹部の方がこの文章を見ていたら声を大にして言っておきたいが(見ているわけがないか)、「厳しく育てた方がいい」と思いますよ。
今藤田や永野が自主的な引退に至ってしまった、それより前には角田大河の件もあった、これらが何を原因としたものか一括りにできることではないが、これからも同じような若手騎手の問題は起こる確率が高いと思って対処した方がよい。一時的な不祥事の続出、でとどまるものではないと思っておいた方がよい、と思いますよ。
現代は一生一つの会社に勤めあげる時代ではないと言う。一般企業では確かにそうかもしれないが、小さいころからの憧れの職種たるスポーツ選手や競馬の騎手、それはさすがに60や70まで続けられる仕事でもないのだし、苦労して勝ち取ったポジションでもある手前、とにかくやれるうちはしっかりその道一筋で頑張る…ものかと思っていたのだが、一部の者にとってはそうでもなかったようだ。
華やかな反面、厳しい自己管理が求められる騎手という職業。それなりの覚悟と責任感を持って飛び込んできた若者でないと、ただ少々運動神経がよくて馬乗りが上手いだけの者を集めてきても、教育の仕方がまずければ(教育がまずいのか、システムが問題なのかわからないが)今回のようなことが今後も続き得る、そういう危機感を持って、まずは調整ルームの通信機器問題から一つずつ見直しを図っていくべきだと思う。
幸いJRA競馬学校は営利企業ではないだろうし少々厳しくして入学志望者や卒業にこぎつけられる者が減ったとしても、将来的にほとんどの騎手が平凡に埋もれていってしまう現実やこれからますます日本競馬が外国騎手の草刈り場になりそうなことなどから考えれば、「少数精鋭」の方針でいくことは決して悪いことではない。各国の競馬が衰退すれば、海外から日本の競馬学校に騎手候補生を迎え入れていく未来もありそうだ。
社会全体に翻って言うと、将来的には、現在の、一口で言えば「耐性の低い子供たち」が大量に育っていく近未来の日本が、本当にこれまでのような規律あって活力に満ちた社会を存続していけるのか。少々の心配と共に、自己の仕事が持つ責任の重さも改めて感じている次第である。
しかし、学校現場で働いていれば、それと同様、優しくて人間味にあふれた、素朴で責任感の強い子供たちにほっとさせられることもまた多い、ということを追記しておいた方が、子供たちにとって公平であろう。