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絡み合う宇宙

 アンドロイドのアリスが営むバーは小さな店だ。カウンター席が四つとテーブル席が二つ、三つあるだけのこじんまりとした空間で、全体的にダーク基調の木目で仕上げてある。といってもそういった内装表示をしているだけで、いつでもライトな雰囲気に変更できる。窓はない。あったとしてもすり鉢場の雑多な街並みが見えるだけで海は見えない。それでもぽつりぽつりと客はやって来る。

 今日はテーブル席で下を向いて静かに飲む客が一人と、カウンター席でゲーム論について意見を戦わせているアンドロイド客が二体。だいたいいつもの光景と言っていい。

 そんな中、ドアベルを鳴らして入ってきたのはこの街の顔役であるゲン爺だった。Mシティとの契約を打ち切られてしまい、このところ表情が硬い日が続いている。今日も笑顔は見えない。ゲン爺はテーブル席の客を見、それから視線をカウンターに移すと、

「こんなところで油を売っていないで、仕事の一つも見つけてきたらどうだ」

と小言を言った。

 ゲーム論を戦わせていた二体は顔を見合わせるとこそこそと店を出ていった。テーブル席の男は静かに被っていた帽子のつばを下げた。

「あまりご機嫌麗しい感じではなさそうね」

「仕事がないのに機嫌がいいはずがない。このままじゃあ日上がってしまうから、いろいろな筋に御用伺いを出しているところじゃ」

 ゲン爺はため息を吐いた。

「本物のウィスキーは何があったかのう」

 アリスは黙って『カネマラ』をカウンターに置く。本物はこれしかない。あとは全て電子ウィスキーだ。

「よし。それをもらおうか」

 そう言った直後、何か連絡が入ったらしくゲン爺が手でアリスを制した。そして何度か頷いたあと小さく舌打ちをした。

「済まんのう。注文はキャンセルじゃ。つまらんお遣いができた」

 ゲン爺はまた来ると言い残してそそくさと出ていった。

 店は静かになりピアノのしらべだけが空気に溶け出すように流れていた。カウンターの客は最初の一杯をまだゆっくりと味わっていてアリスと話をするつもりもなさそうだ。

 そんな静かな時間を打ちこわしたのは奇妙な感覚だった。まるでスイッチが切り替わったかのように、目の前の光景が変化したのだ。何がどう変わったのかと聞かれても答えられない。色も景色も変わっていない。ただ、何かが変わったとしか言いようがない。まるで別の次元に足を踏み入れてしまったようか感覚。その違いをアリスの電子頭脳ですら導き出せなかった。

 すぐにドアベルが鳴った。入口に男が立っていた。名はフレディといった。自信にみなぎる表情をしており、目は人生を謳歌している者特有の明るい光に満ちていた。そしてこの島では珍しい背広姿だった。そういえばテーブル席の客も背広だ。

「いらっしゃい。見ない顔ね」

「ああ、他所から来た」

 この島は政府に場所を特定されないように常に移動している人口島だ。流れ者がふらりと立ち寄るような場所ではない。アリスの中で警戒度が上がっていく。

「どうやってここにやって来たの?」

「偶然さ。上空を飛んでいたら真下に見えた。ちょうど喉が渇いていたところだったんで立ち寄ったのさ」

 飛行路にない海域で偶然島を見つけるのはどれくらいの確率だろうか。それでもアリスはフレディの言うことを信じた。信じることが正しいように思えた。

 フレディはカウンター端の席に座ると『スコッチユニバース』を注文した。

「あるかい?」

「ええ。『マーキュリー』なら。でもあまり出る銘柄じゃないから3杯分だけ」

「よし。3杯ぜんぶもらおうか。これが飲みたくて来たんだ」

「もしなかったらどうしたの?」

 アリスの問いにフレディは自信満々で答えた。

「そんなことは起こらない。俺が飲みたいと思えばそこに用意される。俺の人生はそういうものだし、あんたは俺の飲みたいウィスキーを全て持っている」

「確かに私の在庫はそれなりだけど、世界中の全てのウィスキーデータを持っているわけじゃないわ」

「それはわかってる。言いたい事は俺が飲みたいウィスキーをあんたが持っているってことさ」

「例えば?」

「ジョニーウォーカー・ダイヤモンドジュビリー」

「一杯あるわ」

 フレディの眉が持ち上がる。

「イザベラズ・アイラ」

「それも一杯だけ」

 フレディがそれみろとばかり指を立てた。

「どちらも高価なウィスキーだけど、あなた煌びやかなボトルをかじりに来たの?」

 フレディがそうじゃないとばかりに手を振るが、彼の嗜好がどういったものなのか理解できた気がした。

 フレディは2杯目を飲み終え、3杯目に口をつけると話し始めた。

「知っているかね。この世界は平行宇宙のひとつにすぎないって」

「そういう論文があることは知っているわ」

 フレディが小馬鹿にしたような顔をする。

「ネットで論文を読みましたか。俺が言いたいのは本当に存在するって事だ」

 実の所を言えばアリスは過去に平行宇宙からやって来たという女と会ったことがある。それは向こうの宇宙のアリスだった。ただそれを証明する手立てはない。それに余計な事を言えばフレディの増長した態度に火を点けかねない。こういう輩は静かに対応するに限る。

「知ってますって顔してるが、あんたは本当は何も分かっちゃいないのさ。なぜそんなことが言えるのかって? そりゃあ、俺はあっちの宇宙に行くことができるからさ」

「どうやって行くのか教えて欲しいわ」

 フレディは3杯目を飲み干すと、知るかとばかりに肩をすくめた。

「行きたいと思うと行ける。どうやって行くかなんて知らないし興味もない。俺はそっちへ行って俺の欲しい結果を手に入れる。ただそれだけだ」

 唐突にさっきの奇妙な感覚が襲って来た。何が違うのか分からないが何かが違う。同じように作られてはいるが、別の部屋に迷い込んだような居心地の悪い感覚。その不愉快とも言える感覚を押し除けながら、アリスは『ジョニーウォーカー・ダイヤモンドジュビリー』のショットをフレディに出した。もちろん電子ウィスキーだし煌びやかなボトルはない。

「面白い話を聞いたわ。これは私からのおごり」

 私は何を言っているの? なんでこんないけすかない男に大事なお酒を奢らなければならないのかしら。何かがおかしい。

「これが俺が選んだ結果だよ」

 フレディがショットグラスを持ち上げる。

「わかってもらえるといいんだけど。今がさっきと違う宇宙だってあんたらが気づくことはないだろうな」

「つまりこういう事。あなたは私が高価なウィスキーをおごる世界線の宇宙に移動したから、今こうしてただ酒を飲んでいるって訳?」

「ご明察。でもあんたはそれを証明できないし、そうじゃない選択肢があったことすら気がつけないって事。お分かり? ついでにおかわり」

 アリスは慌てて首を振った。

「じょうだんじゃないわ。これ以上ただ酒飲ませるような真似しないで」

 フレディは腹をかかえて笑った。ひとわたり笑いが収まるとカウンターに一枚の硬貨を置いた。

「今日は楽しかった。気が向いたらまた来るよ」

 それは25セント硬貨だった。

「ちょっと足りないみたいだけど」

「何ならそれで足りる宇宙に行くことにする」

 これ以上フレディに引っ張り回されるのはごめんだった。

「これでいいからもう二度と来ないで」

 とんだ大損だ。アリスが塩をまくつもりで店を出るとちょうどフレディのエアカーが飛び立ったところだった。エアカーが豆粒ほどの大きさまで遠ざかったところで、水中からミサイルが飛び出して直撃した。エアカーは火の玉となって燃え落ちた。

「どういう事?」

「彼の運命が尽きた。ただそれだけのことさ」

 背後を振り向くとそこにフレディがいた。正確に言えばテーブル席で顔を隠しながら静かに飲んでいた男で、彼もまたフレディだった。

 つまり、爆死したフレディが平行宇宙に移動ができるなら、他の宇宙のフレディもまた移動できるということ。彼に奪われた幸せを取り返しにくるフレディがいても不思議ではないということだ。

「あいつだけが幸せを独り占めするなんてずるいと思うだろ。だからさっきの老人につまらないお遣いを頼んだのさ」

 ゲン爺につまらないお遣いはしないという選択肢はあったのだろうか。いやきっとなかったのだろう。断られれば、このフレディは断られない宇宙に移動するだろうから。

 もうひとりのフレディはアリスの手に1ドル硬貨を数枚置いた。そして帽子のつばをちょっと持ち上げると自信に満ちた顔で去っていった。

          終

『スコッチユニバース』シリーズはドイツのボトリングメーカーがスコッチウィスキーを厳選してボトリング、販売しているものです。宇宙に関連したシリーズということで、名称は『ペガサス』、『アンドロメダ』、『マーキュリー』など宇宙に関連した名になっています。ボトリング時の契約のためか原酒の蒸溜所は非公開となってます。ただ、どこの蒸溜所か推理することができるように、熟成年数やカスクの種類などを数字で表して記載しています。その数字から原酒を推測するのも楽しいですね。

 また、今回のお話にちょっと登場した『ジョニーウォーカー・ダイヤモンドジュビリー』と『イザベラズ・アイラ』は超高級ウィスキーです。どちらも庶民が永遠に手に取ることはできない代物ですが、正直ウィスキー代よりボトル代やその他のプレミア代がの方が割合が高いのではないか? と思わせる代物です。まあ、私には関係ないのでどっちでもいいのですが。

 さて今回のお話は宇宙が題材です。宇宙といってもいわゆる世界線という方でSFでは平行宇宙としてよく利用される便利な代物です。この平行宇宙を自由に行き来して他の自分と入れ替わり幸せ独り占めできたらどうなるでしょう。でもきっと平行宇宙がいくらあっても自分を出し抜くことはできないのではないでしょうか。

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