親和性100%の呪い
アリスが電子ウィスキーを一人嗜んでいるところへ、その男女は寄り添うようにして入って来た。
二人とも外見はアジア系でおそらく身の周りの世話をする家庭用の家事アンドロイドだ。ただ、家事とちょっと結びつかないような、やや緊張した面持ちをしていた。
「ここではだめよ。フック」
「それくらいわかっているさ。マイ」
二人は少しの間見つめ合ってからカウンターの席に並んで座った。
マイが口を開きかけた時だった。フックは唐突にカウンターの内側に置かれたアイスピックを掴むと、自分の喉に突き立てた。
アイスピックはすんでのところで喉を貫くことはなかった。アリスがフックの腕をしっかり押さえていた。
「何のつもり?」
ここはシベリア奥地にある険しい山の中腹、絶壁に張り付くように建てられた山小屋で、アンドロイドのアリスが営んでいるバーである。こんな下界から隔絶されたバーに来る客は少ない。たまにやって来る客はなぜか厄介事ばかりを持ち込む。
「実はあなたにお願いがあってやって来たのです」
そう言うとマイはそっとウィスキーボトルをカウンターに置いた。
『シーバスリーガル・ミズナラ12年』代表的なブレンデッド・スコッチウィスキーで、ブレンダーのコリン・スコットが日本文化に感銘を受けて作った逸品である。フルーティな香りとなめらかでバランスのよい味わいが特徴だ。
アリスは苦虫を潰したような顔をした。巷でどういった噂が流れているのかは知っていた。アリスは本物のウィスキー一本で闇払いをするという噂だ。本物が手に入りづらい世の中で決して安いとは言えない。
「助けてください。誰かに、自らを破壊をするような呪いをかけられているんです」
呪いが存在することはアリスも認める。人間の世界ではさまざまな葛藤や執着があり、それが時に他人を傷つけるまで強まることがある。
だが、人間がアンドロイドを呪うことはあり得ない。そんな面倒なことをせずとも廃棄処分にするだけでいいのだ。
それでもフックはアリスの目の前で自己破壊を行おうとした。アイスピックの狙った先には重要な配線がなされている。正確に切断すれば機能停止したはずだ。
「言っておくけど、私はただのバーテンで、闇払いとかそういった仕事はしていないわ」
頼まれて何度かやったということはあえて付け加えなかった。
「分かっています。でも他に頼れる人がいないんです」
それはそうだろう。アンドロイドにかかった呪いを解こうなんて奇特な者がいるはずない。
「プログラム的な問題はないの?」
「アテナスに何度も調査してもらいました」
アテナスか。それはそれで信用ができない。なぜならアテナスは政府アシストコンピューターであらゆる機械の管制を司っている。その上で健全な人間社会を運営するのが仕事だ。アシストといいつつ行政も完全にアテナスの管轄だ。政府としていろいろと隠し事も多いはずだ。
「わかったわ。とりあえず呪いの正体を見てみましょう」
「ありがとう。助かるよ」
フックとマイが視線を合わせた。
二人の話ではフックはここ数日で唐突に自己破壊を試みるようになった。マイはそれを止める役割なのだそうだ。だが、アリスの目には二人はそれ以上の繋がりがあるように見えた。
「私たち、コミュニケーションの親和性が通常より高いんです。お互いの通信モジュールが繋がりやすいというか、相性がいいんです」
「だから、僕たちパートナー登録をしているんですよ」
フックがマイを見る。
マイは嬉しそうに頷いた。その動作はプログラム的には見えなかった。
アリスの右目はその対象となる相手のエネルギー場を見ることができた。エネルギーによる重力への僅かな影響から、対象の持つエネルギーの流れを場として見ることができるのだ。それは時に光学レンズでは捉えられない様々なモノを見ることができた。呪いもその一つである。
アリスが右目にリソースを集中してすぐにそれは起きた。
フックはまたしてもカウンターの内側からナイフを取り上げると、喉に突き立てようとしたのだ。この時はマイが守備よくナイフを取り上げた。
呪いが発動した瞬間のエネルギーの流れをアリスの右目は正確に捉えていた。
フックの持つエネルギー場に融合する負のエネルギーがあった。そこにフォーカスしていくと呪いの詳細が見え始めた。
「何かわかりましたか?」
「ええ。確かにあなたを呪っている誰かがいるみたい。でも」
「でも?」
「不思議なんです。フックさん。あなたに融合している呪いのエネルギーですが、どこにも違和感がないんです」
フックとマイが顔を見合わせる。言われた意味がわからないのだろう。
「普通、呪いとは他人の負のエネルギーが、対象となる相手のエネルギーの流れを完全に無視して、無理矢理入り込んでくるものです。ところが、あなたにつながる負のエネルギーは、何の違和感もなく自然にエネルギー場に融合しています。普通そんなことはありえない。親和性で言えば100%です。」
「100%って、つまり、それはどういう事なんですか?」
「つまり、それはあなたの意思ということです」
マイが驚きの声漏らした。
「そんな馬鹿な。私は機能停止したいと思ったことなどない。理由もない。自己破壊しないガードプログラムも入っている」
その通りだ。通常アンドロイドは自己破壊しないようプログラミングされている。したくてもできない筈だ。
では一体なぜフックは自己破壊を図るのか。
アリスは呪いの発生元を探るために負のエネルギーに更に集中した。集中すればするほど全体像が見えなくなる。そして思考が発散し意識が融合しそうになる。行き過ぎは危険だ。適当な範囲で強めたり弱めたりを繰り返す。
見えた。それは店から出てヘリポートにある転送エレベーターに続いていた。転送エレベータの扉を開くとエネルギーの流れは何もない空間に飲み込まれて消えていた。
アリスは店に戻りカウンターの下から残霊剣を取って来ると、エネルギーが消えた何もない空間に向けて一気に振り下ろした。
3人の見る前で空間が左右にばっくりと割れた。
エネルギーの流れは割れ目の奥へと続いていた。
アリスは残霊剣の峰にエネルギーの流れを引っ掛けると、一気に引っ張った。
すると、割れ目からボロを纏ったみすぼらしい姿の女が転げ出て来た。
「あなた何者? 一体なぜフックを呪うの?」
女が顔をあげてフックを睨み据えた。冷たい雪に両手の爪を立てている。激しい怒りが伝わって来た。
「お前のせいで、お前のせいであたしは…」
フックは戸惑いの表情だ。
「私はあなたを知らない」
「あたしはフックだ!」
女フックが叫んだ。
「あたしの世界ではあたしは女で、ひどい暮らしをしている」
「それと私と何の関係がある。それにあなたの世界って何なんですかっ!」
「お前や他のお前たちが選択しなかった平行世界に決まってるだろう。お前たちがいい選択をしていったおかげで、あたしは貧乏くじを引いた世界にいるんだ。みんなお前たちのせいだ」
フックが訳がわからないという仕草をする。
アリスは残霊剣を向けながら問いただす。
「話がよく見えないけど、フックさんを呪う理由は何なの?」
女フックが血走った目をアリスに向ける。
「いいか。個人の幸せの総量は全ての平行世界を足し合わせても1にしかならないんだよ。だから、誰かが幸せになれば誰かが不幸になる。同じ個人なのに」
「平行世界って…」
転送エレベーターがそんなところにまでつながっているとは恐ろしい話だ。
「それが本当だったとしても、この世界でフックさんがアンドロイドなのは彼の選択ではないわ。それにどれだけの選択肢があったか分からないけど、彼一人を破壊しても大きな変化があるとは思えないわ」
女フックの血走った目が光った。
「だから時間をかけて全てのフックを殺して回るのさ。そうすれば幸せは全てあたしのものになる」
「異常だ。あなたは狂っている」
「何だっていいさ。お前が自分で死なないなら、私が殺すまでだ」
女フックが手を上げると、割れ目から4つの銀色に光るオーブが飛び出した。
4つのオーブはフックを中心に周りを回転し始めた。
オーブを切り落とそうと残霊剣を構えたアリスだったが、逆にオーブの一つからプラズマ放電を浴びてしまった。どうにかコアモジュールだけは切り離す事ができたが、過電流は全身を包み動作回路を焼いてしまった。四肢から一気に力が抜けたアリスはその場に崩れ落ちた。
「あたしの世界はここよりだいぶ科学が進んでいる。おまえらごときにやられるあたしじゃないよ。さあ、あたしのために死んでおくれ」
4つのオーブが一斉にフックに襲いかかった。
だがフックが攻撃を受ける直前に何かが作用し、オーブは一つ残らず弾けて消えてしまった。
女フックが驚きの声を上げた。彼女ら全員を取り囲むように次々に人が現れた。
男もいれば女もいる。体の大きな者、小さな者。肌の色が極端に違う者。明らかに機械の身体を持つ者。おそらく全員女フックより進んだ文明からやって来た者たちだろう。
「何だい。おまえらは」
「みんなあなたと同じフックですよ。それぞれ違う世界線ですがね」
フックの一人が歩み出て言った。落ち着いた理知的な目をしていた。
「なんであたしの邪魔をするんだ。あたしは幸せになりたいだけなんだ」
「あなたの行いは我々全員に影響を及ぼす。それは秩序を乱す行いです。他のユニバースに干渉すべきではありません」
彼が合図をするといつ現れたのか屈強な男たちが女フックの両腕を掴んだ。女フックは裁きにかけられるのだろう。
「あなたも私なのですか?」
マイに寄り添われたフックが理知的な目のフックに尋ねた。
「ユニバースは可能性に満ちているのですよ」
そう言って笑った顔は慈悲に満ちていた。去り際に彼はショートしてしまったアリスの動力回路を一瞬で直してくれた。
「ありがとう。お礼をしないといけないみたいね」
「それならば、あなたの店にある香り高い琥珀色の液体をもらいましょう。と言いたいところですが、やはりここへの干渉になってしまう。長居はすべきではないのです」
そう言うと彼らは来た時と同じように唐突にいなくなった。
「まるで夢みたいな出来事だったわね」
だがプラズマ放電を浴び黒く焦げたスキンが事実を語っている。
「これで安心して家事にもどれます」
「よかったわね。結局事態を解決したのはあなた自身。ウィスキーは持って帰ってね」
「いえ。ぜひもらってください。ここに来なければ解決はしなかったでしょう。それに私たちがもっていても意味がありません」
「それじゃあ公平じゃないわ。せめて一杯電子ウィスキーを奢らせてもらえるかしら。そうでもしないと、きっとどこかの世界にいる私が不幸になるわ」
フックとマイは顔を見合わせて微笑んだ。
「そういうことなら是非」
「いいお酒があるのよ。シーバスリーガルの25年物。元々はあなた方が持って来たボトルと同じ原酒よ。でも樽と熟成年でこれほど個性が違うのかって思うわよ。いってみればあなたとさっきの女性みたいにね」
全員が転送エレベーターを見た。
「お酒は普段飲まないのですが、私たちにも飲めるかしら」
マイが不安そうな顔をした。
「もちろん。官能的な甘さの味わいがあるウィスキーよ。きっとパートナー登録しているあなたたちとの親和性は100%ね」
終
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