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墓掘りの男
男の名はストーンといった。背が高く痩せていていつもくすんだ色のフードを頭から被っていた。ひとりカウンターの隅に座り、特徴のあるかぎ鼻で香りを確かめながら舐めるようにウィスキーを飲んだ。銘柄はスモークヘッドと決まっていた。もちろん電子ウィスキーの方だ。本物などここには置いていないし、彼自身本物を飲める身分には見えなかった。
ここは政府管理外地区の深海にあるカプセルバー。元戦闘アンドロイドであるアリスが営んでいる。アリス自身脛に傷を持つ身であり、政府とはあまり関わり合いたくない。そしてやって来る客もまたしかりだ。だから時々望みもしない厄介事を持ち込む客がいるが、今日は静かに一日が終わりそうだ。普段なら何もない海底を珍しく一頭のクジラが優雅に横切っていった。
「もう一杯。もらおうか」
ストーンがグラスを持ち上げた。
「あら。今日はどうしたの。良いことでもあったのかしら」
ストーンは皮肉でも言われたように顔をしかめた。そうするとやけに鼻が目立った。
「良いこと? 荒れた世さ」
彼は墓掘り人だった。世が荒れれば仕事が増える。スモーキーな香りはそんな現実を忘れさせてくれる。
アリスはうなずいた。つい先日もまた意識転送用のアンドロイドが持ち去られたばかりだ。ファッションに特化したファッショロイドと呼ばれるタイプで、持ち去られたボディは百体を超えた。
猟奇的な事件で犯人はアンドロイドの首を切り落とし、ボディだけを持ち去った。意識転送していたオーナーは首を落とされた時点で肉体に戻るので、単なる窃盗事件として扱われる。それでも首を落とすという行為には猟奇的な色が伴う。電気的な反応だろうが、首を落とされた瞬間アンドロイドはそろって苦悶の表情を浮かべた。持ち去られたボディはどこへ消えたのか。ボディには位置センサーが搭載されているが、反応はまるでなかった。
「そう。確かにおかしな事件が続くわね」
アリスはちらりとストーンを見た。
「前回も同じようなことを話した気がするわ」
ストーンの口元がわずかに上がった。
「墓掘り人は話題に乏しくてね」
それきりストーンは口をつぐんだ。二杯目のウィスキーもいつものように舐めるよう飲み、そして飲み終わると静かに帰っていった。
それからしばらく退屈な日が続いた。アリスにしてみれば、客が少なくて厄介事もない日々ということになる。そこにたいした意味はない。
ストーンが再びやって来たのは、大きな事件があった夜だった。その晩のストーンは一張羅のフード付きコートのところどころに焦げ跡を付けていた。肩で息をしながらも、いつものようにカウンターの隅に席を取るとスモークヘッドを注文した。いつもよりいささか陽気に見えたが、彼はどこか闇を背負ってるように見えた。
「俺がなぜスモークヘッドが好きか知っているか?」
「スモークの香りが好きだからでしょ」
「違う。ボトルのドクロだよ。墓掘り人にぴったりだろ」
ストーンは干からびたような笑い声を上げた。
「厄介事はごめんよ」
「何も厄介なことなどない。全ては終わった」
その日、夜空を照らす第二の月『ジュノー』に攻撃が行われた。ジュノーは多くの国家が参加する通商連合所有の超大型衛星である。直径20キロメートルあり、その内部の全てがコンピューターという異様な代物だ。通商連合のアシストコンピューター群は、それを経済活動のために使用すると発表しているが、そのスペックは分子レベルで仮想地球を作れるレベルだ。本来の目的が何なのかは公表されていなかった。
そのジュノーが何者かによって攻撃された。海からレールガンによって打ち出された百本もの杭がジュノーの表面に穴を開けた。ジュノーにも防御システムは装備されているが、そもそも戦闘用ではないため、同時に百本もの高速攻撃に対応できず、かなりの数が着弾したようだ。
「打ち込まれた杭は大した爆発を起こすこともなく、表面に穴を開けて焦げ跡をつけたそうよ」
ストーンは広角を持ち上げてみせた。目がどこか遠くを見ていた。そのせいで気味の悪さが際立った。
「巷じゃあファッショロイドだなんだと言って、目立つことだけを目的に魂を機械に売り渡すやつがいる。そういった連中の末路があれだ」
「どういうこと?」
「ホログラムで羽衣や後光を見せたり、構造発色によってスケルトン化してみたり。視覚効果を最大にする技術は時によって兵器になりうる」
ストーンはスモークヘッドを舐めながら肩だけで笑った。
「そしてファッショロイドに限らず、あんたらアンドロイドも強力な電気エネルギーを発するバッテリーを持っているからな。簡易レールガンの電力を自分で賄うことだってできるってことじゃないかね」
アリスがいよいよこの男は厄介事を持ち込んできたに違いないと思い始めたころ、ストーンはこんなことを言い出した。
「杭は全部片付けられたようだが、焦げ跡は残ったままだ。あんなデカいものを洗車機に入れるわけにはいかないからな。焦げ跡が十字架に見えるっていうが、それは違う。本当はなんだか知っているか?」
「さあ、知らないわ」
「あれは烙印だよ。人類に対する烙印だ」
「意味が分からないわ」
「人類は魂を機械に売り渡してしまった。だからいつでも目にできる場所にバッテンを刻んだのさ」
「あれはあなたの仕業なの? なぜそんな馬鹿なことを」
「そうさ。俺だ。俺がやった」
ストーンは乾杯とばかりにグラスを掲げた。そして何十年も昔に彼は海洋学者をやっていたのだと語った。
「俺たちのチームはついにクジラの言葉を解読した。そして同時に彼らの悲痛な叫びも知ってしまった。人間が機械に依存すればするほど、地球環境は損なわれる。水温は上がり海流は乱れ、海の中の生態系もひどいものになった。海の生物たちは誰もそんな世界を望んでいない。だから俺は警告の意味を込めて機械化の象徴であるジュノーにバツを描いてやったのさ」
アリスはきつい目で見返した。
「そういうのを偽善というのよ。そんなことをしても何も変わらない」
「変わる!」
ストーンはカウンターを強く叩いた。
「俺が変えてやる。いいか。地球はガイアというひとつの生命体だ。人類だけのものじゃない。人類だけが利益を得るために壊していいものじゃないんだ」
ストーンの目に狂気の色がにじみ始めた。彼はカウンターを何度も叩き、つばを飛ばしながら喚き続けた。
「ガイアは一つの意志だ。そしてその意志を受け継ぐ者たちがいる。クジラたちだ。彼らは地球最大の生物であり、そしてとても知性的だ。クジラこそ意志を受け継ぐにふさわしいじゃないか。ええ? そうだろう。ちっぽけな猿なんかよりよっぽどふさわしい」
声を荒げるストーンの背にまとう闇はいよいよ濃くなったように見えた。
「だから俺はクジラたちと共にこのガイアを救う決心をした」
アリスはストーンの狂気の内側に何か別の意志を感じた。その意志が何なのか確かめるために、右目で彼のエネルギー場を見てみることにした。
「見ていろ。次はバツなんかでは済まさない。必ず。必ず…」
アリスの右目には重力場センサーが組み込まれている。人は誰でも特有のエネルギーを持つが、そのことによる僅かな重力場の変化を右目は読み取る。そして何かに取り憑かれた人というのは、特徴的なエネルギー場の形状を見せる。特に闇をまとった者は誰しもが深い穴のように見えた。自らの意志が落ち込んでしまい、二度と這い上がれない底なしの穴。ストーンの歪んだ思想もまた、深い深い穴に続いていた。どんな言葉を持ってしても、彼を穴から救い上げることはできないだろう。アリスはストーンの暗い未来を感じずにはいられなかった。
それからストーンは姿を消した。ファッショロイドの被害もなくなり、事件は忘れ去られていった。ジュノーの焦げ跡も清掃ロボットがきれいに消してしまい、ストーンの爪痕はもうアーカイブの中にしか無い。
だが、アリスはストーンの居場所を知っていた。彼が次に何をしようとしていたのか分からないが、彼に闇を与えた者が彼を背負っていた。
ある、誰も客のいない日、バーの窓から見える海底を一頭のクジラが悠然と泳いでいた。その背に人間の骸がワイヤーで絡みついていた。クジラと話せると、分かり合えると信じていたストーン。魚についばまれて半ば白骨化していた。それは海底に潜む意志を実現出来なかったストーンへの罰なのか、あるいは人類全体への警告なのか。
いづれにしても、クジラの知性的な目がはっきりとアリスを捉えていた日のことを忘れることはない。きっとあのクジラはまたいつかやって来るだろう。背中に墓掘りの男を従えたまま。その時アリスは何かを祈るのだろうか。
終