錆びた釘
アリスはつむっていた目を開くと同時に斬霊剣を下段から切り上げた。素早く右足をスライドさせて体の向きを変えて、切り上げた剣を斜めに切り下げる。目にも留まらぬ速さで振り下ろされた斬霊剣に、冷えた空気が切り裂かれてびゅっと鳴る。星々が冷徹な光で蒼天に煌めいていた。ゆっくりと切先を持ち上げて中段に構える。構えた先にイグニスがいた。
イグニスはアリスのバーを手伝う貂の姿をしたアンドロイドだ。体は小さくても器用に雑用をこなす。
「また剣術の練習ですか。熱心ですね」
アリスは戦闘モードを解除して構えを崩した。
「何か用?」
「ひとつ質問していいですか?」
「ええ。何かしら」
「どうして練習するのですか。動きは全てインプットされているのですよね。アンドロイドが同じ事を繰り返す意味がわかりません」
これは練習などではない。アリスがどう答えれば理解してもらえるか逡巡していると、イグニスが両手を振った。
「いいんです。無理に答えなくても。どうせ私に理解できる話ではないでしょうから。それよりお客さんですよ」
アリスが剣を鞘に収めて店内に戻ると若い男性タイプのアンドロイドがカウンター席で電子メニューを眺めていた。色白で細面。美形であるがどこか神経質そうな顔立ちだった。
「ごめんなさい。外にいたの。それでご注文はお決まりかしら」
ディゼルはメニューをスクロールするとカクテルの一つを指さした。
「これを。『ラスティネイル』をいただけますか」
「強いのがお好きなんですね。ベースの指定はあるかしら」
「すこし尖った味になるウィスキーはありますか」
「それならこれね」
アリスは宙に『アードベック・10』のボトルを映し出す。
「『ドランブイ』が持つ甘味にたいして強い薫香とスパイス味がとてもいいバランスにミックスされるわ。どちらも強いお酒だから気をつけてね」
ディゼルはロックグラスを持ち上げた。ステアされたばかりの『ラスティネイル』はまだわずかに回転してる。それを一口喉に流し込むと甘さと熱さが喉を突き抜け、口いっぱいに薫香が広がった。ディゼルは僅かに身を引いて手に持つロックグラスを見た。
「こりゃすごい」
「お気に召してなにより」
もう一口含んでからディゼルは「実は相談があるのです」と切り出した。彼がここへやってきたのはアリスに聞きたいことがあるからだった。
「感情が抑えられないんです」
話を聞くとディゼルはマルーが管理していたXロイドだけの部署で働いているアンドロイドだった。
その部署は新たに開発したXロイドだけが集められた実験的な部署である。Xロイドはアンドロイドの意識とスライスした完全意識を融合させている。完全意識が悟りの境地といっていいのに対して、融合させた意識はスライスした途端に扱いにくいものになってしまった。それで人間の意識を理解できるアリスが助言し、ようやく業績が上がって来たところだった。てっきり問題は解決したものだと思っていた。
「感情が抑えられないっていうのはどんな風なの? アンドロイド自体は感情を持たないから完全意識から来ているものだと思うけど、目的達成割合が変化するのかしら」
「いいえ。そういうことではなく、唐突にひとつの考えが思い浮かび衝動を抑えられなくなるんです」
ディゼルはカウンターの上で両の拳を握りしめていた。
「ひとつの考え。例えば仕事に行きたくないと思うとかかしら」
アリスが茶化す。
「いえ。そうじゃなく……」
ディゼルは両手でカウンターを叩きながら立ち上がった。そして唐突にアリスを抱きしめた。
「僕は女性を見るとこうせずにいられないのです。自分で止めることができないのです」
アリスはやんわりとディゼルを押し返した。
「私は女性ではなくて女性型のアンドロイド。あなたも男性型のアンドロイドで男性ではない。見かけが違うだけの異性をどうこうしたいという衝動はありえないわ。たしかにXロイド特有の問題みたいね」
「どうすればいいでしょう」
「そうなる前に何か兆候はないのかしら。警告が出るとか」
ディゼルは迷いのある目でアリスを見た。アリスが首を縦に振るとおずおずと答えた。
「頭痛がします。まるで錆びた釘を頭に打ち込まれたみたいに」
アンドロイドに頭痛という症状はない。頭痛を検知するセンサーなど誰も開発しなかったから。
アリスは頭痛がしたら女性型アンドロイドから離れるように、とだけ助言した。それ以上助言できそうなことはなかった。
ただ、このままではまずいと思った。錆びた釘というのは、少しずつ周りを侵食していく。もし組織に錆びた釘があるのならそこから綻びが生じるかもしれない。
翌日、ディゼルの元上司であるマルーがやってきた。紳士然として銀行家のように見えるアンドロイドであるが、今は退職して廃棄待ちの身である。
アリスがディゼルの人柄を尋ねると、啜っていた『サントリーオールド』の水割りを置いて「やっかいだな」と呟いた。ディゼルの問題は前々から問題視されていたようだ。
「最近はエスカレートして、エルザという女性型アンドロイドをストーキングしているらしい」
「ストーキングってアンドロイドがどうストーキングするっていうの」
「つきまとうだけのようだが、それでも色々と問題です。意味もなく他人をつけ回すのは、行動制御できていないとみなされます」
「エスカレートしたってことは、もっとエスカレートするかもしれないということじゃないかしら」
「だとしたらまずいですね。エルザが危険だ」
二人は顔を見合わせた。
ディゼルはエルザの後ろ十メートルを歩いていた。エルザは六日間の労働を終えてメンテナンスに向かうところだ。毎週同じサイクルなので行動は完全に把握していた。そしてメンテナンスファクトリーに行く道筋も当然把握している。
エルザが路地を曲がったところでディゼルは駆け出して一気に距離を詰めた。
足音に振り向いたエルザの首を抑えて壁に押し付ける。
「待っていた。この日を待っていたぞ」
エルザが抵抗を示すが腕力は男性型の方が強い。ディゼルの腕を振り払えない。いくら緊急事態コードを発信しても何も起きないことにエルザは困惑した。この路地にはディゼルが通信妨害装置を仕掛けていた。だからアテナスはすぐには気が付かない。
「俺と意識融合しろ」
エルザの目が驚きで開く。
「これからセキュリティカッターでお前のセキュリティを解除する。それからお前に乗り込むから俺と融合するんだ」
エルザがいやいやと首を振るがディゼルの手は緩む様子はない。
ディゼルは構わずエルザの顎下に指を押し込みロックを外した。顔面が跳ね上がり頭部の内側が露わになる。中心にあるコアが恐怖を示す赤紫色に明滅していた。Xロイドでなければ決して現れない色合いだった。
「美しいよエルザ」
ディゼルは腰に引っ掛けていた電気ドリルのような機械を持ち上げると、モジュールの隙間を通して先端ニードルを差し込みエルザのコアに当てた。
「セキュリティを解除する」
いよいよディゼルがスイッチを入れようとした時、路地の入り口から何かが飛び込んできた。
ディゼルが振り向く間もなく強い力で突き飛ばされ地面に転がった。慌てたディゼルが立ち上がったところを羽交い締めにされて動きを封じられた。
「誰だ」
「大人しくしろ」
ディゼルを羽交い締めにしているのはマルーだった。体が大きい分力も強く逃れられない。そして目の前には鞘から斬霊剣を抜き放ったアリスが立っていた。
「あなた、このままではちょっとまずいみたい。何とかしないと」
ディゼルは斬霊剣を見た。街灯の光が無慈悲に反射している。
「それで何をするつもり?」
「少し斬るわ」
「やめてくれ。助けてくれ。死にたくない」
今度は感情が恐怖の方に振り切ったらしい。ディゼルは必死でもがいた。だがマルーの拘束は緩まない。
「アンドロイドは死ぬことはないわ」
目の前でアリスが斬霊剣を下段に構えた。
「やめて」
アリスは懇願を無視して一気に切り上げた。切先がディゼルの鼻先を掠める。直ぐに上から振り下ろされた剣が袈裟がげに胸を掠める。
「た、た……」
もう声も出ないディゼル目掛けて正面を突く。眉間手前一ミリメートルで切先がぴたりと止まった。
「もういいわよ」
マルーが力を緩めるとディゼルが地面にへたりこんだ。
「ディゼル。あなたのエネルギー場の尖った一部を斬り落としたわ。それは錆びた釘みたいでとても危なかった。きっとそれは融合した完全意識でしょう。残念だけどあなたの融合は失敗だった」
「完全意識っていうのは、人間の意識を無数に融合させることで脱個性化しているのではないのですか?」
マルーがディゼルを見下ろしながら聞いた。
「さあ。そうかもしれないけど、スライスして小さくなると元に戻ってしまうのかもしれないし、融合した相手によって変わるのかもしれない。どちらにしてもアテナスはそれを計算しきれなかった。そもそも、意識の本質なんて誰にもわからないのではないかしら」
「錆びた釘は抜くしかないか」
いつしか怯えは消え、不思議なものでも見るような目で見上げているディゼルにアリスは言った。
「またお店にいらっしゃい。個性的なお酒ならいくらでも出してあげられるから」
ディゼルは表情を変えずにゆっくり頷いた。
「やっとみつけた。探すのに苦労しました」
路地の向こうからイグニスが駆けて来た。
「どうしたの?」
イグニスはアリスではなくマルーに向かって言った。
「あなたの部署が大変です」
「私はもう退職した」
「いいえ。ついさっきアテナスがまたあなたを再任しました。部署でXロイドたちが暴れて手がつけられなくなっているそうです」
マルーとアリスは顔を見合わせた。
「直ぐ行く」
マルーが去った後もディゼルはその場に表情のない顔で座っていた。
アリスはこういう運命を辿るしかなかったディゼルを一瞬哀れに思った。
いや、人間の意識を取り込むというのは厄介ごとを背負い込むようなものだろう。Xロイドとただのアンドロイドとはどちらが幸せなのだろう。
「よかった今から店に来る? 一杯奢るわ」
ディゼルは再び頷くと僅かに微笑んだ。
終
『ラスティネイル』はスコッチウィスキーとドランブイを半々で混ぜたウィスキーベースのカクテルです。第二次世界大戦後に考案された比較的新しいカクテルで「錆びた釘」という意味です。その色が錆の色に似ているからとも、古の過去を連想させる色だからとも言われています。ベースはスコッチウィスキーなので、どのスコッチを選ぶかによって味わいは大きく変わってくると思います。ドランブイははちみつやハーブをモルトウィスキーに混ぜたリキュール酒です。ということはこちらもアルコール度数はウィスキーと変わりなく非常にアルコール度数が強いカクテルになります。昔、焼酎の梅酒割りという強烈なお酒で撃沈したことがありますが、それよりも強烈です。注文には注意が必要ですね。
ちなみに、ここでベースにした『アードベック・10』はスコッチウィスキーの中でもアイラモルトと呼ばれるウィスキーです。アイラ島で生産されるシングルモルトウィスキーの中でも群を抜いて、ピート香、ヨード臭、スモーキーフレーバーが強いです。これほど個性的なウィスキーもなかなかありません。『ラスティネイル』のベースにしたら好みはきっと両極端に分かれるでしょう。
さて、今回のお話ですが「意識」と「個性」というところに焦点をあてました。話中に出てくる「完全意識」は人間の意識をサーバ上に集めて融合し、個性や欲望といったものをなくした完全なる意識をつくるものです。その「完全意識」を薄くスライスしたものをアンドロイドに融合させることで、人間のような自発的な感情を持つアンドロイドをつくり、それをXロイドと名付けています。ところがこのXロイドが思った通りにならない。なぜならスライスした完全意識が個性を取り戻すことを飛び越えて過激になってしまうからです。なぜなら、意識は器によって変化していくのかもしれないと思っているからです。今後バーチャルが本格化して行ったとしたら、自分自身が器によって変化するのが体感できるかもしれませんね。