蠅とウィスキー
アリスはゲン爺に連れられてゴミの山を歩いていた。この島の顔役に合わせるためだと言う。アンドロイドのアリスがここでバーを営業するためには筋を通す必要がある。それをゲン爺が取り持ってくれるのだそうだ。
「それにしても臭えなあ。いつまで経っても慣れねえ」
工業製品から漏れ出る溶液が混ざり合い、反応して発生する酸とアルカリの臭気。そして自動食品工場でラインアウトしてしまった食品の腐敗臭。腐敗臭に集まる蝿が至る所で羽音を響かせている。
「見えたぞ」
ゲン爺が指し示す先に巨大なゴミのクレーターとも見える穴があった。
穴はよく見ると四角いすり鉢形でスタジアムがすっぽり入りそうな広さがあった。そして斜面を埋め尽くしているのはゴミではなく、ちいさな工場なのだ。ひとつひとつの小さな工場でアンドロイドやロボットたちがゴミを選別し、分解している。分解されたパーツはさらにプラズマ粉砕器で微細な粒子に砕かれ、元素毎に仕分けされる。
それを一人でやるアンドロイドもいれば、分業で連携しているロボットたちもいる。あちこちでプラズマ粉砕器の光が瞬き、爆ぜる音がする。辺り一面に金属イオンの匂いがたち込めていた。
「俺たちはここでゴミから全ての源を生み出している。俺たちがこうやって元素を作り出すからMシティの連中は工業製品を作り出せるんだ」
「でも結構高い代金を取るんでしょ」
「あたり前だ。違法だからな」
ゲン爺が得意げに笑う。
「でも純度100%の混じりっけなしだぜ」
下り坂を進むうちに何人かの人間とすれ違った。どの顔もみなひどい人相をしていて、ここへ来る前の職業が想像できた。そんなごろつきのような連中がそろってゲン爺に頭を下げる。ゲン爺はここではそれなりの顔だ。
通路を右に左に折れ、すり鉢のかなり下部まで降りて来ると景色が一変した。右も左も小さな工場だったのが、そこから先は屋台のような食べ物を扱う店舗に取って変わった。ランニング姿で鳥の肉をさばく店主。熱い鉄板で野菜と小麦粉を混ぜたお好み焼き状の何かを焼く老婆。辺り一面に香ばしい匂いと煙が渦巻き、喧騒が耳を圧倒する。活気に満ち満ちてレイヤー分けされた街では見られない生命力を感じさせた。
「奥を見てみな」
ゲン爺が指し示す通路には手作りのランタンがずらりと並ぶ。ひとつひとつが店の看板でそのデザインや内容から酒場のエリアだと推測できた。
「あの坂は底まで全て飲み屋で埋まってる。だから坂道じゃなくて酒道なのさ」
ゲン爺はそう言って笑った。
酒道の店舗の一つに入った。入り口も中も狭い。ほんの2畳ほどの広さで小さなカウンターと、スツールが狭い間隔で4つ。割れたグラスに空瓶がそこかしこに転がっているが、片付ければ十分バーとして営業できる。
「ここを貸してもらえるの? 家賃とかはどうなるのかしら」
「家賃は上がりの5割。それが嫌なら失せな」
背後からの声に振り向くと天を突くような大男が仁王立ちしていた。こんなゴミの島に不釣り合いな白い背広に毛皮のコートを羽織っている。10本の指は全て純金メッキされ爪の代わりにダイヤモンドが埋め込まれていた。もちろん歯は全部金歯である。そしてアリスを見下ろす目は鋭く顎が発達していて威圧感があった。顔にはいくつもの深い皺が刻まれ、その一本一本にこの違法工場をその身一つでまとめ上げてきた男だけが持つ重々しさが宿っていた。
「ドリームシティへようこそ。俺はオーキーだ。中で話そう」
オーキーは野太い声でそう告げるとスツールに腰掛けた。合図をすると手下の男が一本のボトルをカウンターに置いて下がった。それを見たゲン爺の顔が引き締まった。
「オーキー。こいつはちっと」
ウィスキーは『カネマラ』。アイリッシュ・ウィスキーの代表だ。『カネマラ』はアイリッシュにしては珍しくスモーキーな風味を持つシングルモルト・ウィスキーである。緑色の腰の座ったボトルが特徴的だ。
「初めからそういうつもりで連れてきたんだろう。だったら年寄りは黙っていろ」
オーキーのひと睨みでゲン爺は黙ってしまった。
「『カネマラ』ですね。フルーティさと甘さ、そしてスモーキーな風味を絶妙なバランスで表現する素晴らしいウィスキーです。このウィスキーと私にどのような関係があるのでしょう」
「あんたは誰よりもウィスキーに詳しいと聞いた。そして俺たちには見えないモノも見えるとな。それは本当か」
もちろん赤外線で物を見ることもできるがそんなことを聞いているのではないと分かっていた。
「見えます。見えますが、皆さんが考えているような姿形を持って見える訳ではありません。私が見るのはあくまでエネルギー場です」
「なんだっていい。その目でこいつを分析しろ。そしてどうしてこいつを飲むと人が死ぬのか俺に教えろ。一週間以内にそれができたらこの店はくれてやる。できなきゃお前も元素にする。話はそれだけだ」
オーキーはやおら立ち上がるとアリスを見もせずに店から出ていった。いつしか店を取り囲んでいた野次馬が一斉に道を開けた。ゲン爺が済まなそうな顔をしていた。
ゲン爺の説明によるとこうだった。ここでは様々な元素が再生産されているが、たいていは、鉄、銅、アルミなどの一般的な金属が主だ。内部のパーツからレアメタル、レアアースなどもそれなりに回収できるのだが、ごくごく稀に悪魔の金属と呼ばれるディアボリウムを回収できることがある。ディアボリウムは非常に特殊な電気特性を持った金属で、温度や電圧などを変えることで自由に電気特性をプログラムできた。そしてディアボリウムは非常に高額で取引される。
そんなディアボリウムを見つけた者は喜びで祝杯をあげるのが常である。ところがある頃から祝杯をあげるとなぜかアンドロイドが一体破壊された。まるで溶鉱炉にでも投げ込まれたかのように無惨に溶けた姿で発見されるのだ。さらに翌日には祝杯をあげた本人も気が触れてしまったり、首をくくって死んでしまったりする事件が立て続けに何度か起こった。以来サタニウムは本当に悪魔に呪われた金属だと噂された。
だが問題はそこではなかった。
アンドロイドとロボットたちで作るマシン商工会が、人間たちが利益を独占しようと企んだ仕業だと噂し始めたのだ。もちろんどこにもそんな証拠はなかった。だが一旦噂が立つとそれは一気に広まり、そして人間と機械との関係は一気に悪くなり、一触即発の様相を呈し始めた。
「全てはこいつを拾った時から始まった」
「呪われたウィスキーだとでも言うのですか」
ゲン爺が悲壮な目でアリスを見る。
「拾ったのはワシなんじゃよ。関係があろうがなかろうが、落とし前をつけなきゃいかん」
ゲン爺のためであれば道はひとつしかなかった。
アリスの右目は重力の微妙な違いからその者の持つエネルギー場を読み取ることができた。そしてそのエネルギー場はその場を残した者の意志を反映している。強い意志を残せばそのようなエネルギー場になる。
アリスの右目が見た『カネマラ』のボトルには確かに何かのエネルギー場が取り付いていた。だがそれは今まで見てきた「人の想いや意志」といったものとはだいぶ違った。まるで砂の塊のようであり、その時々で流れるように形をかえていった。それは決して一つの意志ではない。
「何か分かったのか?」
「何か変ね。形が安定しないの。もし呪いとかそういう類のものなら、しっかりとした形を成すものなのよ」
「よくわからんが、何かあるのは間違いないんじゃな」
「そうね。でもこれでどうして人が死ぬのかわからない」
アリスは七日間エネルギー場の動きを見続け約束した最後の日になった。揺れ動く形に法則性は全くなかった。だがたったひとつある特徴を見つけた。
「ねえ、ゲン爺さん。この島には地下ってあるのかしら」
「なぜじゃ?」
「このエネルギー場は小さな粒子のような意志の集まりよ。それらの一部が時々下に向けて飛び出すのよ」
ゲン爺の眉が持ち上がった。しばらく考え込むとため息をついた。
「案内するしかないな」
ドリームシティはその違法性から政府に場所を特定されることがないように常に動いている。ゴミの島のように見えるのは実は巨大なタンカーを並べてつなげた筏だった。そしてタンカーの船底部には今は使われなくなり閉鎖されたエリアがあった。
「そこには何があるの?」
「地獄の釜さ」
「よくわからないわ」
ゲン爺は狭い階段を降りていく。
「もともとプラズマ粉砕器を作り上げたのはアンドレという名の科学者だった。アンドレがその技術を確立したとき、ワシらはアンドレにウィスキーをたらふく飲ませて船室に閉じ込めてしまった。技術を盗んでワシらだけで儲けようとしたんじゃ」
「そのときに飲ませたウィスキーってまさか」
ゲン爺が頷く。
「そう『カネマラ』じゃよ。なんでそんなことをしたのかって聞きたいのじゃろ。確かにわしらは欲に目が眩んでいた。でもそれだけじゃない。あいつはいかれていた。完全におかしくなっていたんじゃ」
それはショッキングな内容だった。アンドレは自らを肉体もろともプラズマ粉砕器で粉砕してチップに吸着し、機械と一体になろうとしたというのだ。そしてそれは半ば成功しかけていた。半人半機械の不気味な生命体が誕生しかけていた。ところがその実験機に一匹の蠅が飛び込んでしまった。実験が終わったとき実験機から出てきたのは、人間と機械と、そして蠅の融合したおぞましい生物だった。その悪魔的な所業に恐れをなしたゲン爺たちはアンドレを酔わせて船底に閉じ込めた。
「ところが、一週間ほどして様子を見に行ったら、あいつはいなくなっていた。煙のように消えていたんじゃ」
階段の手すりを握りしめるゲン爺の手は震えていた。
錆びつき軋み音をあげる船底の部屋の扉を開けると、潮の香りに混じってむっとした匂いが鼻をついた。古びた機械が中央にあるだけの殺風景な部屋だった。たくさんの蠅が耳障りな羽音をたてていた。
「何もありゃせん。あるのは嫌な思い出だけじゃ」
「そうでもなさそうよ」
背後で勝手に扉が閉まった。蠅の羽音が大きくなる。どこから集まってきたのかアリスたちを中心に蠅の群れがぐるぐると周りを回っている。
「なんじゃこいつらは」
「呪いの正体よ」
「どういうことじゃ」
今や蠅の羽音は大声を出さなければならないほどになっていた。
「『カネマラ』にとりついていたのはアンドレの意志よ。でもアンドレの意志を引き継いだのはこの島にいる無数の蝿たち。その一匹一匹が細切れになったアンドレの意志を持っているの」
「でもそれと人が死んだり、アンドロイドが溶けたりするのは何の関係があるんだ」
アリスは抱えてきた荷物を床に下ろしながら答えた。
「アンドレは蠅を自在に操れた。だから蠅を使って誰かをノイローゼにするなんて簡単なこと。毎日耳元で蠅の羽音がしたらだれだってノイローゼになる。それとアンドレは自分が機械として復活するために、アンドロイドを溶かして必要な元素を集めていたんじゃないかしら。機械と融合していたなら、内側に蠅を忍び込ませて操るのもお手の物でしょうから」
「なんてこった。じゃあ俺たちの敵は蠅だっていうのか? この島に何匹いると思う。どうやって全ての蠅を駆逐すればいいんだ」
「こうよ」
アリスは抱えてきた荷物を構えた。引金を引くと先端からプラズマ光電が走り空気を切り裂いた。イオンと焦げ臭い匂いが辺りに充ちた。続けて二度三度とプラズマを発射する。あれほどたくさんいた蠅はほとんど焼き尽くされていた。
うずくまっていたゲン爺が顔を上げた。
「やったのか?」
だがまだ二人を白い無数の粒子が取り囲んでぐるぐると回っていた。
「許さんぞ。お前ら許さんぞ」
宙を飛び回っていた粒子が中央に凝固し始めていた。それは徐々に半透明な人形に変化していった。
「アンドレ」
「許さん。絶対に許さん。俺をこんなにしたのはお前たちだ」
「許してくれ。この通りだ」
床に頭を擦り付けるゲン爺を半透明で歪んだ姿のアンドレが見下ろしていた。
「許せる訳がな……」
途切れた言葉にゲン爺が恐る恐る顔を上げた。アリスが斬霊剣を突き出していた。斬霊剣はアンドレの胸を貫いていた。
「こうなるのを待っていたのよ。何十万引きもいる蠅を全て相手にはできない。でもあなた一人ならこの剣で斬れる」
アンドレは身を捩り剣から逃れようとするが、すでにその力は残っていない。
「お前らに俺がどんな思いをしたか分かるのか!」
アリスは剣を一気に床まで切り下げた。
「分からないわ。私機械だもの。死人は黙って成仏なさい」
アリスは続け様斬霊剣を下から斜めに切り上げた。
「強制成仏!」
切り裂かれたアンドレは状態を保てなくなり蒸発するようにして少しずつ消えていった。アンドレの意志が完全に消え去ると、部屋が明るくなった気がした。
「助かった。ワシゃもうだめかと思った。でもこうなると初めから分かっていたのか?」
「さあ……」
アリスは肩をすくめた。
「でもうまいこと行ったわ。さあ戻って一杯やりましょう。美味しいウィスキーが一本あるのよ」
アリスはそう言っって微笑んだ。
終
おまけのテイスティングノート
『カネマラ』はアイルランドの北東端にあるクーリー蒸溜所で作られています。名前の由来はカネマラ国立公園からきていますが、島の正反対である北西端に位置しています。カネマラ国立公園はアイルランドの原風景があるといわれる、自然豊かな風光明媚な地として知られています。そんな地をイメージして作られたのが『カネマラ』です。クーリー社を創業したジョン・ティーリング氏は、通常アイリッシュウィスキーが3回蒸留して独特のスムースな味わいを作り上げているのを、あえて2回蒸留にして独特のスモーキーさを作り上げました。常に挑戦的な手法を選ぶ彼を人々はアイリッシュの革命児と呼びました。
今回のお話ではアリスが自らの中で革命を起こして、新たな道へ一歩踏み出すきっかけを描きたいと思いました。アリスはいままで誰の目にもとまらずひっそりと生活する道を選んでいました。ところがここでは自分を助けてくれたゲン爺のためにあえて挑戦をします。この挑戦はアリスをどこに向かわせるのでしょうか。『カネマラ』はヴァッティングといって熟成年数の違う原酒をブレンドすることで独特の味わいを作り上げています。それはそれぞれ違った味わいを組み合わせることで全体の味わいに深みと複雑さを持たせることができます。アリスもただ方向を変えて挑戦的になるだけではなく、いままでの静かな暮らしがあってこそ、新たに挑戦する日々とのヴァッティングで深みのあるアンドロイドになると思うのです。