ニューのっぺらぼう
ドリームシティがすっぽりと影に覆われた。見上げる空には島を覆い尽くすほどのドローンが浮かんでいて、その開いた底部からは延々とゴミが落とされている。ゴミはMシティで生産された工業製品の廃棄物や材料の削りカスなどで、そんなゴミの中に一つだけ奇妙な物が混じっていた。
それは大きさで言えば棺桶くらい。こげ茶色がかったクロームの長方体で見た目も棺桶そのもの。うず高く積みあがったゴミを押しのけながらゴミ山を滑り落ちてきたそれは、地面を幾分か滑ってから止まった。
棺桶のようなそれの蓋が空気を吹き出して唐突に開いた。中には若い男が横たわっていた。
「ふう。やっと着いたか」
若者の名はマルクといった。さほど背は高くないがその笑顔は見る物を魅了させずにはおかない。誰もが釣られて笑顔になる、そんなポピーの花が咲き乱れる丘のような雰囲気を持った青年だった。
マルクが棺桶から這い出ると、ただの棺桶に見えたそれはガチャガチャと音を立てながら形を変えてちょっとしたスタンドバーに早変わりした。3人も並ぶとカウンターはいっぱいになるが、彼はそれで満足だった。まずはこの小さなバーから少しずつ手を広げていこうと思った。
「さて、宣伝しなくちゃ」
マルクは開店のお知らせを一斉配信した。お知らせには、
「オープン記念、先着10名にリアルウィスキーを1杯無料進呈」
と書かれていた。配信が済むとカウンターにウィスキーボトルを並べた。四角柱のボトルにはウィスキーが入っているが、よく見る琥珀色ではなく水の如く無色透明だった。ラベルには淡いタッチのポットスチルのデザイン画と『NAGAHAMA NEW MAKE』の文字。樽熟成をしていない出来立てのウィスキー原酒だ。
「さあ、新規開店。いらっしゃ〜い」
マルクは青空に向かって叫んだ。
アリスはゲン爺に『白州』の電子ウィスキーを出してやった。ゲン爺はそれを嬉しそうに舐めている。
「それにしても今夜は客が少ないのう」
「それが、ゴミ山の脇に新しいお店がオープンしたみたいなの」
アリスが肩をすくめる。いつもなら常連が連れ立ってやってくる時間だが、今日はゲン爺しかいない。
「ああ、リアルウィスキー進呈ってあれか。今時、本物がタダで飲めるなんて豪勢な話じゃのう」
ゲン爺はその店の話が出た途端そわそわし始めた。覗いてみたくてしかたないのだろう。今日はもう誰もこないだろうし、どんな店か行ってみるのもいいかもしれない。アリスは早々に店じまいをしてゲン爺を誘った。
ゴミ山には人だかりができていた。店の周りにはもちろん、少し離れた場所でもグラス片手に談笑する光景がみられた。彼らの話によれば、先着10名のウィスキー進呈はすっかりなくなったようだが、本物のウィスキーがアリスの店の半額以下で飲めるらしい。
「どこから仕入れたんじゃろか」
「そうね。本物はかなり貴重だから、半額で出せるとは思えない」
アリスたちが店まで近づいてみると、人だかりの隙間からマルクがあいさつをしてきた。
「やあやあいらっしゃい。顔役のゲン爺さんとアリスさんですね。アリスさんは商売敵の視察ってところですか?」
そう言うマルクの笑顔にはどこにも嫌味なところがない。あれほど涼しげな笑顔で言われたら、言われた方も軽く受け流せる。
「まあ、そんな所ね。半額というから気になって」
気になることはもう一つある。アリスは右目で相手の持つエネルギー場を見ることができる。人それぞれエネルギー場は違うのだが、マルクの持つエネルギー場は何かがおかしい。確かに人間のそれでアンドロイドのものとは明らかに違う。でもどこがおかしいのかわからない。
「ああ、これですよ」
マルクがボトルを掲げて見せる。『NEW MAKE』と読める。
「お出ししたいけどアンドロイドじゃあ無理ですよね。ゲン爺さんはいかがですか。顔役には恩を売っておかないといけないし、無料でいいですよ」
カウンターに寄りかかる連中が一斉に笑いゲン爺を見る。飲まない訳にはいかない雰囲気ができあがっていた。
ゲン爺は香りを嗅いでから口に含み強いアルコールの刺激に一瞬顔をしかめた。
「えらい強いのう」
「ニューメイクですから。荒々しさを楽しんでください」
「それにしても随分とたくさん仕入れたようじゃの。どういったツテじゃ」
裏があるなら早めに吐いておけという意味をこめた言葉だ。
「それは企業秘密です」
顔役としていろいろと考えてあった言葉はマルクの屈託のない笑顔に四散した。
以来アリスの店の常連は随分と少なくなった。どうやらみんなマルクの店にもっていかれたようだ。信じられないような値段で本物が飲めるならその方がいいと誰もが思っている。そこにはアリスも異存はなかった。だが、少しずつ運命の歯車は狂い始めていた。それがどういうことなのかまだ誰も分かっていなかった。
アリスの常連だった一人が亡くなったという話を聞いたのは数日後だった。工場の事故だった。その男はゴミを分解するプラズマ分解機の向きを逆にしてスイッチを押した。手作りの機械に安全装置などついていない。プラズマ分解機は男を一瞬で元素に分解してしまった。現場にはプラズマ光線が当たらなかった膝から下だけが、展示品のブーツのように残されていた。
事故を目撃した仲間は、まるで彼は目が見えないかのような仕草をしていたと語った。
アリスはその晩マルクの店を訪れた。マルクが出すウィスキーがどういった物なのかを知りたかった。いつかのような人だかりはもうなかった。固定客がついて落ち着いたようだ。今日もカウンターにはアリスの店の元常連が並んでウィスキーを飲んでいた。
「私にも一杯いただけるかしら」
「おや。珍しいお客さんだ。人工胃袋でも付けたんですか?」
「いいえ。それより事故があったことは知っている?」
「もちろんです」
マルクが鎮痛の表情を見せる。それすら心をくすぐられる。
「うちの常連さんですから。痛ましいことです」
「彼に何か変わったこととかなかったかしら」
マルクが肩をすくめる。
「あなたが調べているんですか?」
「ええ。ゲン爺に頼まれてね。ところでちょっと見てみたいの。あなたの出すウィスキーを」
一瞬、誰にでも見せるさわやかな笑顔が止まったように見えた。
「もちろん。好きなだけ『見て』ください」
カウンターに置かれた『NEW MAKE』におかしな点は見当たらなかった。波長分析結果はウィスキーそのものの値を示している。
「何かわかりましたか?」
「いいえ。本物のようね」
「バーは信用が第一ですからね」
ウィンクをしながらマルクはグラスをカウンターの下にしまった。これ以上ここで調べても何もわからないだろう。アリスが礼を言って去ろうとした時、カウンターの一人が唐突に倒れた。
彼は喉を押さえて喘ぎながらまるで目が見えなくなったとでもいうようにもう一方の手で宙をかいている。
アリスは倒れた男の姿勢を変え、気道を確保しながらゲン爺に連絡を入れた。
すると隣に立っていた男もまた倒れれ、続け様もう一人も倒れた。
「どうなっているの?」
すぐに医療知識のあるアンドロイドがやってきた。だが、ここはゴミ処理島のっドリームシティ。シティといってもアウトローたちが集まり、政府の目を掻い潜りながら移動をしている船である。ちゃんとした病院があるわけでも、薬の在庫が豊富なわけでもない。ここで生き抜くのは全て自己責任。そして運。彼らはそのどちらもなかった。アリスの見ている目の前であっけなく心臓を止めた。
「冷凍保存して次に陸に近づいた時に病院搬送してもらいましょう。そうすれば蘇生できるかもしれない」
「ええ、それしかないようね」
それに気になることが一つあった。先ほど分析したウィスキーは確かに本物だった。だが、彼らが飲んでいたものは本物とは程遠い。倒れてカウンターから滴るウィスキーのような液体はただのエタノールを混ぜた紛い物だ。エタノールを飲み続ければ失明や呼吸困難。引いては死もありうる。本物はオープン記念で振る舞ったものとカウンターの下に隠した一杯だけということか。
「マルク?」
マルクの店はもぬけの空になっていた。
ドリームシティを隈なく探したが、一体どこに姿を隠したのかマルクの行き先はようとして知れなかった。ただひっそりとマルクの残したカウンターバーだけが佇んでいた。そしてそのカウンターバーもまたある日消えた。そこには紛い物が収められていた空瓶だけが無造作に放置されていた。
月末がやってきた。月末にはレイバーナイトがある。レイバーナイトとは月に一度作業を早めに切り上げて島全体で飲んで騒ぐ夜のことだ。多くの者が飲み屋にくり出す。アリスの店もこの日は大繁盛となるのだが、今回に限って臨時休業をしていた。アリスの店を訪れた連中は舌打ちをして別の店に散っていった。
その頃アリスは島で一番大きな解体工場の輸送レーン付近で暗闇に身を潜めていた。もし棺桶サイズの物を島から送り出そうと思ったら、ここの輸送レーンを使う必要がある。ただし行き先はMシティ一択だ。
案の定夜半に物音がしてマルクが現れた。背後に例の棺桶を引いている。
「あら、お久しぶり。そんな物引きずってお出かけかしら」
突如現れたアリスに一瞬慌てたマルクだったが、すぐにいつもと変わらぬ余裕の笑顔に戻った。
「そうだね。君にはもう分かっているんだろうけど、ここで商売するのはもう難しそうなんでね。他に移動しようと思ってね」
「それは無理なんじゃない。あなたのIDはもう知れ渡って……」
そう言っている最中にマルクのIDが変化した。個人のIDはその人物の全行動記録から算出される。IDが変わるというのは個人の歴史が変わったということになる。記録は政府アシストコンピューター、アテナスがサーバー衛生ジュノーで管理している。改ざんは不可能だ。
「僕はもうマルクじゃない。今度はドミニクだね。うん、いい名前だ。さてもう行かないと。君はマルクを捕まえるためにここに来たんだろう。残念。彼はもういない。ドミニクは何もしていないし、島を出て行っても問題ないよね」
黙って聞いていたアリスが今度は微笑む番だ。まるで悪さをした子供に向けるような取ってつけた笑顔だ。
「それはどうかしら。あなたこの島を分かってない。それに行くじゃなくて帰るじゃないの?」
ドミニクの眉が持ち上がる。
アリスはハンドガンをドミニクに向けた。衝撃波が十字に走るクロスガンだ。撃たれると衝撃波で身体が四つに裂ける。
ドミニクの眉が再び持ち上がる。彼はポケットから小さなナイフを取り出すと自分の腕に当ててさっと引いた。切り傷から赤い血が滴り落ちた。
「見なよ。この通り僕は人間で君はアンドロイドだ。アンドロイドが人間を傷つけてはいけないことは知っているよね。しかもドミニクは何もしてない。経歴を参照してごらん」
今度の笑顔は意地の悪いものだった。
アリスが小首を傾げた。
「分かったわ」
「何?」
「さっき言った通りよ。あなたはこの島をわかっていない。ここはアウトローの巣窟なのよ」
アリスは迷わず引金を引いた。
「やったか?」
通信相手は顔役のひとり、オーキーだ。
「ええ」
「よし。いいだろう。契約通りバーの権利を一年更新しよう」
アリスは四散したドミニクの身体を調べた。真っ二つに避けた頭部にはAIチップが収められていた。きっと人間ではないのだろうと想像はしていた。だが想像以上だった。
「何これ」
驚いたことにドミニクの脳は人間のそれではなかった。人間に近い形のエネルギー場を持つのはアルマジロだ。アルマジロの脳にAIチップを繋いで誤魔化していた。IDは死人のものでも使っていたのだろう。ただ、気になるのは誰がそれを与えたのかということ。
棺桶の中を調べると一本だけ『NEW MAKE』が残っていた。アリスはドミニクの遺体を棺桶に入れると、ウィスキーを横に置いてやった。そして進路をMシティから分解ゾーンに設定し直すとそのままレーンから送り出してやった。
「人として生きることもできなかったのね。せめて向こうで一杯やるといいわ」
青白い光が暗い工場内を一瞬照らしすぐに消えた。残されたのはどうしようもなく重たい闇と、残り香のような謎だけだった。
終
おまけのテイスティングノート
『NAGAHAMA NEW MAKE』は長濱浪漫ビールが製造販売するニューメイクのシングルモルトウィスキー原酒です。ニューメイクは樽熟成する前の蒸留したての原酒のことで無色透明です。ウィスキーは樽で熟成させることで味がまろやかになり、ウィスキー独特の琥珀色に変化します。そのためニューメイクは荒々しくボリュームのある味わいが特徴です。アルコール度数は59度と高いですがそれでもフルーティかつスモーキーな香りの一本です。
長濱浪漫ビールは日本一小さな蒸溜所ということで、一回の蒸留で生産されるニューメイクはたったの100リットルだそうです。ウィスキー製造用のポットスチルも非常に小さく、瓢箪型のかわいらしい形状です。その形状をデザイン化してボトルラベルに採用してます。見学ツアーもあるようなので一度見てみたいものです。
さて、今回のお話はのっぺらぼうという題名をつけてありますが、ニューメイクとかけています。のっぺらぼうはご存知の通り目鼻口がない人のことで、ムジナが化た物と言われています。のっぺらぼうの顔に目鼻口がつくことで人間としての特徴、つまりIDができあがります。つまりのっぺらぼうはどんな人間にもなりうるということですね。ニューメイクウィスキー原酒もこれから熟成させる樽の選定や、年数、熟成の仕方などで無限の可能性を持ちます。いってみればのっぺらぼうのようなものですよね。
今人間に最も近い生物といえば、チンパンジーとか言われていますが、もし脳に情報チップのようなものを埋め込めれば人間と同じような生活が送れるかもしれません。それがさらに進めば、脳は生命維持だけして思考や行動管理はAIがやるようにできるかも知れません。人間の姿をするかは別にして、バーにウィスキーを飲みにやってくるアルマジロがいつか現れるかもしれませんね。