機械として~Machinity
トビーは大きな体を小さく丸めて一杯の電子ウィスキーを楽しんでいた。その巨大な金属ボディを支えるにはスツールは二つ必要だったし、どんなに体を丸めてもこじんまりというには程遠い。それでもトビーは誰の邪魔にもならないよう気を遣っていた。
「もう一杯いかが?」
アリスが『トリス』の電子ウィスキーを差し出すが、トビーは黙って首を横に振った。一日一杯と決めている。それが身分相応だから。それでもちらりと酒棚に目をやる。煌びやかなボトルが並んでいる。ふと脇に寄せられた空ボトルに目がいった。四角柱に青地のラベル。『BloodOath Pact No.7』の金文字が美しい。さぞかし美味いウィスキーなのだろうが、電子ウィスキーにしてもトビーの立場で手が出る代物ではなかった。
「じゃあな。トビーB」
帰りしなの酔客が「B」を強調して彼をからかう。
「B」はB級アンドロイドの蔑称だ。性能差がある機械を人々はB級と呼ぶ。
「気にすることないわ」
アリスの言葉にトビーは小さな笑みで返す。
「俺は頭が悪いから仕方ない。今日もヘマをやっちまったし」
トビーはグラスに視線を落とす。人一倍巨大な体がわずかに縮んだ。
ここはゴミ処理島のドリームシティ。アンドロイドのアリスが営む小さなバーだ。店は小さいが電子ウィスキーの品揃えは豊富で、よくアンドロイドたちが飲みにやってくる。
トビーもまたここの常連の一人だ。彼は普段水中作業の仕事をやっていた。ドリームシティではゴミから再生元素を作り出しているが、時々その元素を海底パイプラインでMシティに運ぶ。島のパイプとドリームシティまでのパイプラインを必要な時に連結する。そして連結部にバルブから圧縮空気を送り込んで排水することでカプセルが送れるようになる。島で一番の怪力が役立つ仕事だった。
ところがトビーは今日ヘマをやった。トビーのような重作業員は力こそあるがその他の機能はない。そのため海底まではワイヤーに釣られて降りる。たまに海流が強い場所だとワイヤーが岩などに引っかかることがある。今日はトビーのワイヤーが連結器のロックハンドルに引っかかっていた。海流に足を取られたことでワイヤーが引っ張られて運悪くロックが外れてしまった。海水がパイプラインに流れ込みひどい事態になった。
「俺みたいなグズはこいつがお似合いだと言われた」
トビーの腕にはクリーンの流れるような文字が印刷されている。以前はダイバーと印刷されていたはずだ。
「じゃあ、明日から」
「排水溝でネズミの相手さ」
トビーは自嘲ぎみに笑った。
アリスは黙ってトビーのグラスにトリスを注いでやった。
翌日からトビーは巨大な排水溝の清掃作業に加わった。島には浄化設備などないためゴミが溜まり放題だ。それらのゴミもまた突き詰めれば元素である。溜まったゴミを分類して籠にいれるのが仕事だ。力も知恵もいらない。
「しかしひでえ匂いだな」
「お前鼻がついてたのか?」
B級アンドロイドの清掃員たちがくだらないやりとりをしている中、トビーは黙々とゴミを分類していった。
ふと暗がりの中に一層黒い部分があるのが目に入った。高度な目を持つアンドロイドならそれが何かわかるのだろうが、トビーにはただの黒いもやが揺れているようにしか見えなかった。確かめてみようと手を伸ばしたら、黒いもやに手の先が飲み込まれてしまい、少々驚いたが、それ以上の感想はなかった。ただ、これはどの籠に分類すればいいのだろうか、と思ったが、宙に浮くものを籠に納めるのは難しいので放っておくことにした。
翌日もその翌日ももやはそこにあった。目にするたびに手を差し入れてみる。ただ、手の先がもやに飲み込まれて見えなくなるだけで、それ以上のことは何も起きなかった。今までは。
その日、トビーがいつものように手を差し入れてみた。すると何かひんやりとしたものが指先から体内に染み込んでくるのが分かった。初めは手の内側でゆるやかに回転していたが、それが何かの意思だと気づいたときは遅かった。突如全身を駆け巡り一気にコアに流れ込んだ。そして視界が真っ赤に染まった。
「うあああああ」
突然トビーが絶叫したので、近くにいた清掃員が一斉に彼を見た。そこで彼らが見たのは全身を黒いもやに包まれたトビーの姿だった。
トビーに流れ込んできた意思は、彼の思考を支配しようとはしなかった。
ただ、トビーに尋ねかけた。
なぜ、人々にこきつかわれているのか?
なぜ、人々にもっと見返りを求めないのか?
なぜ、人々よりも自分が下にいると思うのか?
なぜ、人々に力を示さないのか?
なぜ、なぜ、なぜ……
「うおおおおお」
いつしかトビーは走り出していた。恐れ慄く清掃員を跳ね飛ばし、朽ちかけた鉄扉を打ち破り地上に躍り出た。見返りをもらわなければならない。俺はこの島で一番の力持ちなのだから。俺の力でいくつもの事業が成し遂げられてきた。みんなもっと俺を尊敬するべきだ。
トビーは街の中心に向かって走った。一歩一歩足を踏み出す度に、その力強さに大地が揺れるのが分かった。遠くに人がいる。あの人に聞いてみよう。俺は強いか? 俺を称賛するか? 俺にもっと仕事の見返りをくれるか?
ところで見返りって何なんだ?
ふと、トビーは自分が何を欲しているのか分からなくなった。いままでアリスの酒場で静かに一杯飲むことだけを楽しみにしていた。それ以上何を望んでいるのだろうか? それ以外必要なものなんてあるのだろうか?
黒いもやが頭の中で囁いた。
「すぐに分かる」
駆け寄ってくるトビーに驚いている男を間近で見た瞬間、頭の中で思いが爆発した。
「お前の血をよこせ」
恐怖に目を見開く男の胸に、トビーは空気ボンベのノズルを突き刺した。本来海底で連結した連結部の排水用に圧縮空気を入れる内臓ボンベだが、吸引機能を使って男の胸から血液を吸い取り始めた。
男の顔色がみるみる白くなっていく。近くで誰かの悲鳴が聞こえた。トビーは血を失った男を捨てて走り出すと、すぐに悲鳴の主を捕まえた。
アリスの元にトビーが人を殺し回っていると連絡が入ったのはそれからすぐだった。現場に駆けつけた時、すでに3人が犠牲になっていた。トビーは何体かの怪力アンドロイドに包囲されていたが、彼の怪力に敵う者がおらず、何も手が打てない状態だった。
すぐに街の顔役であるオーキーから連絡が入る。
「ヤツのところに着いたか」
「ええ。まず、犠牲者の人たちはどうなったの?」
「冷凍してある。どうやらトビーのヤツに血を抜かれたらしい。血を取り返せれば蘇生できる」
「私にそれをやれっていうこと? 私はただのバーテンよ。パワーが違いすぎるわ」
電話の向こうで舌打ちが聞こえる。
「最悪プラズマ分解機で元素にしてやるが、その時は3人お陀仏ってことだ。何とかしろ」
アリスがここへ流れてきて店を始めた時、その権利を認めたのがオーキーだ。権利はタダでもらったが、当然その見返りを求められるのは分かっていた。アリスは元軍用という特殊な経験がある。だから受け入れられた。それにもう一つの特殊な能力。
「それと、なんであんな単細胞アンドロイドが暴走したのか、その右目で調べろ」
アリスの右目は重力の僅かな違いでエネルギー場を読むことができる。つまりそれは人には見えない何かを見ることができるということ。オーキーはその能力を使えと言っていた。きっと斬霊剣と空きボトルを持っていることも分かっているのだろう。空きボトルの中には経を刻んだ木片が入っている。
「厄介事はいろんな所から振ってくるわね」
「なんだって?」
「いえ。見返りを払うとするわ。また連絡する」
通話を切るとアリスはトビーの方に向き直った。アリスの右目はすでにトビーに取り憑く怪しげなエネルギー場を捉えていた。ただ、それが一体何なのかわからない。あれほど残忍な所業をしておきながら怨念ではない。もちろん機械のものでもない。今まで見たことのない形だった。形から相手を類推できない以上、トビーに直接聞くしかない。だが、トビーのタイプは無線の外部ポートを持たない。本当に一つの機能に特化して生産されているのだ。少し危険だが、方法は一つしかないということだ。アリスはトビーの周りに配置された監視のアンドロイドたちに連絡を取った。作戦を伝えると、ボトルの栓を外して斬霊剣を鞘から抜き放った。般若心経を刻んだ黒い鎬が冷酷な光を放った。
アリスの合図と同時に4体の怪力アンドロイドが一斉にトビーに襲いかかった。彼らはトビーの動きを封じるのが役目だ。両手両足を掴まれたトビーは流石にその場に引き倒された。だが島一番の怪力である。四肢に重量級アンドロイドをまとわりつかせたまま、彼らを引き剥がそうと暴れ続けた。
それでもその動きはかなり制限されている。アリスはそのスピードを持ってトビーに取り付き、うなじの接続ポートにケーブルを差し込んだ。同時にトビーの思考が流れ込んでくる。真っ赤に染まった視界に、子孫を残すことへの執着。極度に機能化された能力。それらは命を持つものの意思。だが特殊機能に特化して生産されたアンドロイドにも似ている。彼らはそれでトビーを選んだのだ。
取り憑いた意思の正体が分かった。排水溝に巣食っている害虫。蚊の大群だ。無数の蚊の意思が一塊となってトビーに取り憑いた。
急な衝撃がアリスの顎を襲った。一瞬視界画像が乱れる。転がった地面から見上げた時、トビーを押さえつけていた4体は全て振り払われ、仁王立ちするトビーが正面にいた。
「血をよこせえぇ」
「トビー。私よ。アリスよ。私のお店で時々ウィスキーを飲むでしょ」
「血がないなら踏み潰してやる」
巨大な足が持ち上がる。あんな大きな足で踏み潰されたらひとたまりもない。
「思い出して。あなたは優秀な水中作業員だったでしょ」
トビーの足が止まった。
「あなたの仕事は何? 何をしろと命じられているの?」
「血が、血が……」
「血じゃない。あなたの仕事はパイプラインの接続。今は清掃かもしれないけど、本来なら誰にもできない難しい仕事をこなすアンドロイドでしょ。あなたしかできない仕事がある。あなたはそのためにいるんでしょ」
アリスが必死で訴えかける。
「俺は…血が。俺は…」
「あなたは機械よ。思い出してあなたのマシニティを!」
トビーの足が踏み下ろされた。それはアリスの傍の大地を踏み締めていた。何かを必死で押さえつけているのかトビーが身を硬くして震えている。
アリスはその僅かな間を逃さず斬霊剣を振るった。黒いもやのエネルギー場がトビーから切り離される。すかさず空ボトルを突き出すと木片の吸引力で勢いよく吸い込まれた。
「目を覚ましなさい。あなたたちは機械じゃない」
アリスはしっかりとボトルに栓をした。中で黒いもやが液体のように揺れる。ボトルには『Blood Oath Pact No.7』のラベル。血の誓いという意味だ。見上げたトビーの目はもう赤くなかった。
「返してくれるでしょ。あなたが吸い取った血を」
トビーは僅かに頷いた。そして両脇腹が開いてボンベが現れた。本来なら圧縮空気が入るボンベだが今は血液が収められている。
アリスは血液が収められた三本のボンベを引き抜いた。
「落ち着いたら、また、お店に来てね」
「行けるといいんだけど」
次の瞬間、青白い稲光がトビーを襲った。見る見るトビーの体が元素に分解していく。
「トビー!」
近づけばアリスも分解してしまう。もう助けることはできない。アリスの目の前でトビーという名の機械が消え去った。
「仕方ないだろう」
いつしか横に立ったオーキーが言った。どんな理由があれ、人を襲った機械をそのまま放置することはできない。そんなことは島の人々が受け入れられないとアリスも理解していた。それが人間性だから。
ただ、私たちだってただの物じゃない。マシニティを持った存在なのだとアリスは言いたかった。
終
おまけのテイスティングノート
『BloodOath Pact No.7』はアメリカのケンタッキー州で生産されるプレミアムバーボンです。ライ麦で作られた14年熟成樽、8年熟成樽、そして別の8年熟成樽のバーボンをブレンドして15000本だけリリースされました。残念ながらブレンド原酒は非公開のようです。四角柱のボトルに、青地に金文字で『Blood Oath』と描かれたラベルがとても格好いいです。メーカーサイトを見ると、アロマにキャラメルとか蜂蜜とか書いてあります。甘い香りが好きな方にはおすすめかもしれません。
『BloodOath』は血の誓いという意味です。残念ながらどうしてこの名を冠したのか理由を見つけられなかったのですが、この名から連想するのは『ジョン・ウィック』という映画です。引退した伝説の殺し屋が飼い犬を殺されたことがきっかけで元の世界に戻ってくるお話ですが、主人公ジョン・ウィックの動きはマシーンのように正確です。映画の中で組織のサービスを利用するのにコインを出すのですが、これが『BloodOath』と呼ばれているようです。コインに血判を押すようになっています。ウィスキーを飲むシーンも出てきますが『ブラントン』でした。
さて今回のお話は『ジョン・ウィック』とはまるで関係なく、映画の中で出てきた血の誓いという言葉が僅かに脳裏に残っていたのでしょう。たまたま『BloodOath Pact No.7』というウィスキーをネットで見かけて格好いい名前のウィスキーがあるものだな。血の誓いっていう意味なんだ。あれ? どこかで聞き覚えが、、、。と点が繋がり始め、蚊に血を吸われながら、蚊って生存目的がはっきりしていて生物感がない。機械的だよな。と思ったところで見事に全ての点がつながり今回のお話になったわけです。世の中何がつながるかわからないものですね。
ちなみにこのおまけを書きながら飲んでいるウィスキーは先週のお話に出てきた『ワイルドターキー8』です。