繰り返す炎
遠目に見ても夜のMシティは煌びやかな工業都市だった。世界の工業製品の大半を製造し出荷するために、島全体が工場と化していて島から伸びる数本の腕の先にはそれぞれ空港が整備されていた。
そのうち最も長い腕の先には、天空に龍が駆け上るがごとく雲を突き抜けて伸びる宇宙エレベーターが備わり、ひっきりなしに貨物を運んでいた。製造に必要な原材料を月や小惑星から輸送するためだ。
アリスは海の上で闇夜を煌々と照らす工業島、Mシティ、つまりマシンシティをじっと見つめていた。
どこから侵入するのがベストだろうか。
もちろん世界の工業製品を扱う島である。警戒体制が敷いていないはずがない。水上だけでなく水中もくまなくセンサー網が張り巡らされているはずだ。どうしたものかと思案していると、アリスの横を何かが通り抜けていった。
それはやがて水上に姿を表した。人であった。まるで優雅に散歩でもするかのごとく、水面を歩いている。にもかかわらずそのスピードはかなりのものであった。たちまちにして海岸線に辿り着いた。そして上陸したと思った途端に爆発した。防衛用のレーザーが撃ち抜いたのである。
裏手からこっそり侵入するのは無理だと判断したアリスは正面から切り込むことにした。港でいきなりレーザーを撃たれることはないだろう。
不夜城であるMシティの港は、空港同様に夥しい数の輸送船が行き来していた。アリスは入港する船の一つに張り付くと港付近まで運んでもらい、桟橋の手前で離れて桟橋の突端から上陸した。すぐにロックオンされるかと警戒していたが意外にもセンサー類によるサーチはなかった。ごく普通に荷下ろしをする船の脇を通り抜けて倉庫外に入った。
倉庫外から先は工場地区まで貨物輸送トンネルが続いている。トンネルは見張られているはずなので、工場地区まで荒地を歩くことにした。海岸の丘を上り切るとひらけた場所に出た。いくつかの建造物があるが暗くひっそりとしていた。建造物はどれも特徴的で中には観覧車と思しきものもあった。
「こんなところに古い遊園地?」
すると唐突に全ての設備に明かりが灯り遊具が動き始めた。テンポが良く愉快な音楽が流れ、誰も乗っていないカーゴを回し、上下させた。
そして人気のない中央広場にたったひとり人がいるのが見えた。
その人物はシルクハットにタキシード、黒いステッキを持ち、軽快な足取りでタップを踏んでいた。
タタン。タタタン。タンタカタンタン。
タップシューズが小気味のリズムで音を奏で、それに合わせてステッキを振る。リズムはどんどんと早くなり、いよいよタップが佳境に入ると唐突に音が止んだ。
タキシードのタップダンサーはシルクハットを取るとアリスに向かって丁寧にお辞儀をした。
「ようこそ我が遊園地にいらっしゃいました。こころゆくまでお楽しみください」
やはり見つかっていた。ただいきなりレーザー攻撃を受けずに済んだのは幸いだ。
「あなたは誰? 私はアテナスに用があって来たの。会わせてもらえないかしら」
相手のエネルギー場を見ることができるアリスの右目は、この人物がアンドロイドだと示している。ただどこか普通のアンドロイドとはエネルギー場の形が違う。
「はて。アテナスとはあの、政府アシストコンピューターのアテナスですか。それはさぞかし重要なご用件なのでしょうね。しかしアテナスはご多忙の身。なにしろ通商連合の全製品生産、管理、そして加盟国の国民全員のライフログ管理までこなさないといけないのですから。あなたのお話を聞く時間はないでしょう。代わりに私めがお伺いしますよ。
ああ、申し遅れました。私、イグニスと申します。以後お見知りおきを」
「あなたに話せば人類進化計画を止めてくれるの?」
イグニスはシルクハットを被り直すとステッキを振り振りアリスの前を行ったり来たりし始めた。
「さあ、そんな難しいことは私にはできません。私にできるのはせいぜいこれくらいのことです」
イグニスがステッキを振った。石突が指し示す先で爆発音が響いた。
「いやはや。この島には毎日100体ものウォーキングボムが送り込まれてくるのです。まあ、たいていはあのようにレーザーで狙い撃ちなのですが、時に内部まで入り込んでくる輩もいるのですよね。困ったものです」
つまりレーザーを潜り抜けた者の相手がイグニスということだ。イグニスの顔から笑みが消えた。
イグニスが猛烈な勢いで飛びかかってきた。振り上げたステッキが空を切り裂く。赤く光る軌跡からレーザーソードが仕込まれているに違いない。当たれば真っ二つである。
アリス後ろに飛びながら身体をひねって回し蹴りを放つ。
イグニスも身体を柔軟に曲げて攻撃をかわす。
アリスは着地と同時に前に飛び二発目の蹴りを繰り出した。イグニスの正面。ステッキはまだ届かない。
当たった。
イグニスの体がちぎれて飛び散った。
飛び散った先々で何かがしなやかな動きで地面に着地した。
「これは何?」
取り囲むようにして5匹の貂(テン)がアリスを睨みつけていた。
「思ったより速いですね。さすがです。でもここではあなたの速さなど何の役にもたたないですよ」
正面の貂が言った。口調からこの貂はイグニスだろう。そしてイグニスの額には三つ目の目があった。
「私たちが何者かわからないでしょう。アンドロイドに似ているけど、同じではない。見たことのないエネルギー場を持っている。これがアテナスが生み出しているものの正体です。さあ、その実力もしかと見ていただきましょうか」
イグニスが飛びかかってくる。そのスピードはまるで弾丸だ。脇腹のプロテクトスキンは綺麗に切り裂かれていた。
そして残りの4匹の貂が次々に飛びかかってきた。
確かに弾丸のようなスピードだが、避けきれないほどではない。アリスは避けながら軌道を見極め、反撃の機会をうかがった。そして後方から飛びかかってきた貂を蹴り上げた。
1匹退治完了。残り4匹。
そう思った直後に後方からの攻撃をまともに食らった。
どういうこと?
それを皮切りに体制を崩され防戦一方になった。
アリスはかろうじて攻撃を避けながら近くにあった工場に逃げ込んだ。そこはエアタクシーのモーターを生産する工場だった。完全オートメーション化されたレーンの上を小さなロボットたちが動いて部品を組み上げていく。
そのスピードは早送りのビデオを見ているようである。
そして組み上がったモーターは円形のレーンを巡り、一番奥でバラバラになり元素にまで分解されてしまった。そしてまた元素から部品ができあがり、こちら側に巡ってきてロボットたちが部品を組み上げていく。
意味がわからなかった。これでは何も生産していないのと同じだ。
「不思議ですか。これがMシティですよ」
素早く身を伏せる。
飛びかかってきたイグニスはアリスを捉えられずそのままモーターに直撃した。
直撃を受けたモーターは破壊されてバラバラになったが、おかしなことに直後にはレーンでいまで通り次の組み立てに入っていた。
気にはなったが今はイグニスたちの攻撃を防がねばならない。先ずは体制を整えねば反撃できない。立ち上がったところの足を掬われた。もんどり打って腹這いになり気づいた時にはイグニスたちが目の前にいた。貂の上に貂が乗り、その上にまた貂が乗り、5匹の櫓となっていた。
「おやすみなさい」
櫓が一気に燃え上がり、その高熱の炎がアリスを直撃した。それは今までに経験したことがないほどの高熱だった。一瞬にして意識が途切れた。
再起動して目が覚めた時、アリスは遊園地の入り口に立っていた。無人の遊具がむなしく回転を続けている。そして中央広場ではタキシード姿のイグニスがタップダンスを披露していた。焼かれた痕はどこにもない。
「どういうこと?」
記憶にアクセスすれば工場での戦闘が間違いなく記録されている。ただ、時間がはっきりしない。
タキシードすがたのイグニスはシルクハットを取るとアリスに向かって丁寧にお辞儀をした。
「ようこそ我が遊園地にいらっしゃいました。こころゆくまでお楽しみください」
記憶映像と比較する。寸分違わず同じ動きに同じ言葉。
「どういうこと? あなたイグニスよね。たしか5匹の貂になるんでしょ」
イグニスが不審気な表情を見せる。
「おやおや。私が5匹の貂であることをご存知か。素晴らしき博識に恐れ入ります。だからと言ってあなたに勝機があるというわけではないのですけどね」
タキシード姿のイグニスは貂となり、5つの弾丸となってアリスを襲った。
だが、相手の攻撃がわかっていれば対処のしようがある。ようはスピードと連携さえ見切ってしまえばなんということはない。きっと後方からアリスの足を掬いにくるはずだ。その時が勝負の時だ。
アリスは攻撃を避けながら工場に逃げ込んだそして。いよいよという時に身を翻して足を掬いにきた貂を避け、正面のイグニスに回し蹴りを叩き込んだ。
勝った。
そう思った。
だが結果は違った。なぜかアリスは床に突っ伏し、目の前に5匹の貂が作る櫓があった。あっと思った時には炎に包まれていた。
気がつけばまた遊園地の入り口に立っていた。
そして中央広場ではイグニスがタップダンスを踊っている。
ループしている。
でもいままでの記憶はある。それを再確認すれば何が問題だったのかわかるし対策も立てられる。アリスはイグニスのタップダンスが終わる前に駆け出していた。
イグニスがシルクハットを取ろうと手をつばにかけた時、アリスはもうイグニスの目の前だった。5匹にばらけられると面倒なので、固まっている間に体当たりで全員にダメージを与える作戦だった。
手応えのある衝撃が来た。どんなに頑丈なアンドロイドだろうとかなりのダメージを受けたはずだ。体制を整えて振り返るとイグニスが誰もいない入り口に向かってお辞儀をしていた。
「いやはや。お辞儀の前に攻撃してくるとはあまりお行儀がいいとは言えませんね。それにさっき言ったでしょう。そんなやり方では勝機は訪れないと」
タキシード姿が5匹の貂にばらけた。これではさっきと何も変わらない。結局アリスは工場に追い詰められ炎に焼かれた。
この展開には終わりがない。出口もない。そう気がついたのは100回を超えたあたりだ。それはでは少しでも違う展開になればどこかに出口があると考えていた。だが、アリスが有利になってもなぜか最後は炎に焼かれるのだ。それはまるで結果が先にあるみたいだった。原因や過程はそれに合わせて作られている。
工場で作られているのは何なのか。モーターなのか元素なのか。あの生産ラインはアリスたちの戦いと同じなのではないか。あの無限ループ自体が結果なのではないか。
ただ、あの工場は無限に回り続けるかもしれないが、アリスのバッテリーには限界がある。いつかアリスが倒れてループは閉じる。このままでは勝てない。なぜ勝てないのか分からない。攻撃はなかったことにされてしまう。
アリスは遊園地の入り口でお辞儀をするイグニスを黙って見つめていた。このままではアテナスには辿りつかない。
「いままでの事はあなたの仕業? それともこの島のせい?」
5匹にばらけた貂の動きが止まった。海岸のさっきと同じ場所でウォーキングボムが爆発する音が聞こえた。
「やっと一歩前進しましたね」
「前進ですって」
「わたしはただあなたに気づいて欲しいのですよ。この島は何か変だと。そこに気づけばまだ可能性があります」
イグニスは攻撃の姿勢を解きその場に座り込んだ。目の前に電子ウィスキーのボトルが現れた。少し肩の張った特徴のあるボトルには『トマーティン・ファイヤ』と記されている。イグニスは慣れた手つきでウィスキーをショットグラスに注ぐとアリスに差し出した。貂にグラスを差し出されるのは妙な気分だ。
「今日はここまでです。飲みますか?」
「いいえ。遠慮しておくわ」
「毒なんて入ってませんよ」
イグニスはそう言って最初の一杯を飲み干した。それを契機にのこりの貂たちがわらわらとやってきて勝手ににグラスに注いでは飲みを繰り返し、やおら宴会が始まった。
「ねえ。あなたたちは何者なの?」
「失敗作ですよ。アテナスのね」
貂の一匹が逆立ちをしてから失敗して転がった。他の貂たちの大笑いで会話は途切れた。いつしかイグニスも宴会の一部と化していた。遊園地は消え辺りは荒涼とした何もない丘に姿を変えていた。どこまでが現実でどこまでが幻想なのかわからない。ただひとつだけ分かったことがある。この島ではアリスの常識は通用しない。
アリスは工場地帯に向かって歩き始めた。いつまでも貂たちの笑い声が響いていた。
終
『トマーティン・ファイヤ』はスコットランドのハイランド地方、トマーティン蒸溜所で生産されるシングルモルトウィスキーです。1980年代に宝酒造が買取り現在はオーナーとなっています。トマーティン蒸溜所で生産されるモルトウィスキーは主にブレンデッドウィスキーのキーモルトとして販売されていますが、数種類トマーティンブランドとしても販売されていて人気商品となっています。
その中で2017年にリリースされた『トマーティン ザ・ファイブ・ヴァーチューズシリーズ』という5本セットが話題となりました。中国の五行思想をとりいれて、WOOD、FIRE、EARTH、METAL、WATERという個性の違う5本セットを生産しました。それぞれが製造工程に密接に関わるということで、名前に由来する個性を引き出す作り方をしているそうです。FIREは焼いて焦げ目をつけた樽で熟成させています。それぞれの名前の由来を調べてみるのも楽しいと思います。
さて、今回のお話からMシティ編となります。いよいよMシティに上陸したアリスですが、早速おかしな相手に遭遇することになります。貂は狐やたぬきよりも変化が得意で三重県などでは恐れられている妖怪なのだそうです。鳥山石燕の貂の図では鼬と書いてテンと読ませていますが、鼬が長生きすると貂として妖怪化するのだそうです。貂は悪戯好きで火を起こす妖怪です。
なぜ妖怪なのかというと、科学技術が進んだ世界にはきっと一部の秘匿された技術が妖怪と同じ意味になるのではないかと思うのです。魔法も同じですね。そういったわけでMシティでは少し妖怪を登場させようと考えています。それがアリスの目的とどう絡むのでしょうか。これからも奇妙なことが次々に起こるでしょう。どうぞお楽しみに。
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