兄弟山の背比べ
春の暖かな風がまるで優しくなでていくように村を通り抜けていきます。村のはずれに山が二つならび、まるでその温もりを村にとどめておくかのようでした。
二つの山は兄弟でした。でも、どちらが兄でどちらが弟か誰も知りません。村人がその二つの山が兄弟と知っているのは、いつでも兄弟喧嘩をしているからでした。
ある時はどちらが先に山の中に花を咲かせるか、ある時は積もる雪の量がどちらが多いか、また、ある時は生い茂る木々の数がどちらが多いかを山に住む鳥達に手伝わせて競ったり、そうかと思うと山に住む鳥達も、どちらが上手に鳴けるかと一緒になって競っていたのでした。
いつものように勝つの負けるのを繰り返し、新しい競争の種を見つけては飽きずに競い始めます。
ある日のこと、それぞれの山にある木の実でどちらに大きい実があるかを競っていました。まだ、木々が実を結ぶのには早いこの時期に、鳥達は苦心して探し出します。そして、実を結ぼうとまだ花が咲き続けている草花の中から、ようやく実らしく膨らみ始めた実を見つけては頂上に持って行き、大きさを競っていったのでした。
鳥達が見つけ出しては、それを競い、そして頂上に持ってきた木の実を積み上げる。そうやって青や赤や深紫の小さな山は次第に大きくなっていき、ゆっくりと争いの方向が変わっていったのでした。
争う内容が、木の実の大きさから、実の山の大きさを競うようになっていったのでした。
兄弟山のそれぞれに、木の実の山があるものの、鳥やリスなんかの小動物が集めてきた獲物ですから、積み上げていっても大した高さになりません。
そもそもがどっこいどっこいの大きさの兄弟山です。その上にどれだけ積み重ねていっても、似たような高さにしかならないのでした。
そのころ、村では五月晴れの澄んだ空の下、村人は畑仕事や野良仕事に精を出し、その休憩の話題として兄弟山のざわつきについて話をしていました。カラスが多いなどと話をする者もいれば、山のふもとで木の実が鳥に荒らされている、なんて話をする者もいれば、山の動物が増えたのかなぁ、なんてことを推測する者もいたのでした。それでも、まだ山について話をするのは少しだけで、土をいじり、種をまき、作物を作ることに精を出しているました。
山の上では、鳥達がせっせと木の実を運び、少しでも高くなるように競っていたのでした。頂上から少し下がった木の上で休憩をしていたカラスがぼそっと、どちらの山が高くなれるか背伸びして比べればいいのに、とつぶやいたのでした。
山はそれを聞くと、それをやろうと木の実集めを止めるようにと鳥達に言ったのでした。
村人達は春が終わる前に、作物の苗を植え終わったり、生え始めてきた雑草を取ったりと忙しくしていました。気付くと山に集まっていた鳥達は村に戻り始め、いつものように遊ぶようになっていったのでした。すっかりと姿を消していたカラスも村で我が物顔で水浴びをして、兄弟山が背比べをする前のような風景になり、それを横目に村人達はせっせと畑仕事に精を出していたのでした。
兄弟山はひっそりと背比べを続けていたのでした。大きくなろうと力んでみたり、大きく息を吸ってはおなかを膨らませたりしています。いっこうに高くなりそうにないと身動きをしていました。何の気なしに兄弟の様子を眺めにやってきたカラスの羽が落ちて、山の鼻先をくすぐりました。鼻先がむずがゆくなり、思わず大きなくしゃみが出ます。山のくしゃみです。山の足下にある村には大きな揺れが起き、溜め池の水は揺れてあふれ、家々では家具が倒れ、その激しい揺れに泣き出す子供もいたのでした。
それだけ大きな揺れだと兄弟山のもう片方の頂上に積んであった木の実の山も崩れます。
そのくしゃみをきっかけに、今度は二つの山がくしゃみだけでなく身震いなんかもするようになり、互いに互いの上にある木の実の山を崩そうと躍起(やっき)になったのでした。
もちろん、そのたびに大きな揺れが村を襲い、溜め池の水はあふれ、家の中にあるものはすっかりと倒れてしまいました。そうかと思うとはじめの揺れで驚いて泣いていた子供は慣れてしまい気にもとめずに遊んでいたりしたのでした。子供と同じように大人達も揺れに慣れ、池の縁には盛り土をし、倒れて困るような物はそもそも寝かしておく。かまどやいろりからは燃えやすい物を遠ざけて、目を離している時に揺れがあっても火が広がらないようにしたりと、揺れとともに暮らしていくようにしたのでした。
今日揺れたからと言って、明日揺れるかはわかりませんが、近いうちに必ず揺れるのならば、揺れるのが当たり前のこととしてやっていこうと村人達は言い合っています。
兄弟山は相変わらずの小競り合いを続けます。
けれども、木の実の山はくしゃみや身震い程度で崩せるところはほとんど崩れてしまい、何をしようと変わらなくなっていったのでした。
兄弟はどうにかして背を高くしようと考え込んだのでした。
村はしばらくのあいだ静かな日々が続いたのでした。
けれども、その静かな時間は長くは続かないのでした。
きっかけはあくびです。
それはそれは大きなあくびがきっかけになったのでした。
思いっきり口を開いて体を伸ばすと、頭半分ぐらい高くなったのでした。
山は気付きました。
あくびをしてのびれば、背が高くなる。それからというもの、兄弟山は背伸びをしては競い合っていたのでした。
山が伸びをすると、地鳴りがします。村に山の方向から、草木を震わせ、時には小石も揺れてかちかちとぶつかり合う音が地面を伝ってくるように迫ってきます。
その地鳴りが村に届くと、揺れ、村を震わせるのでした。
村人はすっかりと慣れてしまい、その揺れもいつものことと気にしないでいるのでした。
背伸びでの競争はしばらく続いていました。
兄弟山はそれぞれで考えています。どうにかしてもっと伸びをしたい。どうしたらよいのかとあれこれ試していたのでした。体を揺らしながら伸びをしてみたり、首をすぼめて勢いをつけて伸びをしてみたり、思いつく方法をすべて試してみたのでした。
村はそのたびに揺れます。けれども、村人はすっかり慣れています。いくら揺れようが、続けざまに揺れようが、少し目をやるぐらいで気にとめようともしなかったのでした。
一方、兄弟山は伸びのコツが少しずつわかってきたのでした。思いっきり力んでから伸びをすると、本の少しですが背が高くなっていったのでした。それこそ、人間がぐっとおなかに力を入れるみたいに力んで、それから伸びをすると、げんこつ一個分ずつぐらいでも大きくなっているのでした。
兄弟山は気づいていなかったのですが、おなかに力を入れるごとに、ほんの少し山の真ん中が膨らみ、そしてその膨らんだ分が伸びをするごとに背丈になって大きくなっていったのでした。
村の異変は今までと違う形で静かに起きていたのでした。ほぼ毎日の揺れや地鳴りは、それまでは小刻みな揺れだったのが、ゆっくりとした大きな揺れに変わり、村のため池は盛り土は揺れであふれることがなくなったにも関わらず干上がったりしたのでした。
揺れに何も感じなくなっていた村人も干上がった池の底にたまった泥を見て少しは驚いたのですが、そこにのたうつフナやナマズを目にし、捕まえるのに忙しくなり、深く考えるのを止めたのでした。
それでも、井戸の水が温かくなり、まるで湯のようになると、その変容をみて気味悪がり遠縁を頼り村を去るものも出てきたのでした。その一方で去りゆく隣人を送り出しつつも、昨日と同じ毎日を繰り返そうとする村人もいるのでした。
兄弟山の背比べは、そろそろお互いに無理が出始めていました。背伸びをするたびに山の土が崩れ落ち山肌は裸のところが多くなり、山のあちこちにはひび割れができ、草木が落ちたりしていたのでした。
何かしたら揺れたり地鳴りがしたりというのはほぼ毎日のことでしたが、ここ数日はすっかりと静かになったのでした。
兄弟山はなにやら険しい顔をしています。互いが互いの方を向いて、口を真一文字に結び、なにやら脂汗を流しています。なにか具合が悪いのを我慢しているような表情なのでした。お互いの山肌からは、いままで木の実を運んだりと働いていた鳥達がすっかりと姿を消しています。
その変化は村でも感じていて、風が山から来るような日は、なにやら卵の腐ったような匂いがするようになったのでした。
村では、揺れが少なくなったことに喜び、そして、時折流れてくる妙な匂いは、少し我慢しておけば問題ないだろうと考えたのでした。
突然、大きな揺れが村を襲いました。
いままでの揺れは揺れてるうちに入らないぐらいに大きく、少しぐらいの地震でも平気だった家が倒れ、その中にいた村人は逃げることもできず、その瓦礫の山に閉じこめられたのでした。
あまりの大きさに辺りを見回している村人に、地鳴りとは違うドンという大きな音と振動が体中を震わせます。
すっきりと晴れ上がって雲一つない空の下、兄弟山のそれぞれの頂上からは今まで見たことがないような煙が立ち上がっているのでした。
いままで、どんなに山が村を揺らし空を慣らそうとも居続けていた村人も、いよいよ逃げなければならないかと腰を上げようとしていたときでした。山の上を覆っていた煙が、まるで一つの生き物みたいに山の斜面を下ってきたのでした。ゆっくりと、まるで雪解け水が流れ出すように山肌を煙が降りてきます。流れた跡からも新しく煙がわき立つものですから、山の形が煙に飲まれ、一つの大きな煙みたいになっていったのでした。
村人は遠くで起きている山の変化に気付き、その煙が村に迫ってるのを目の前にあわてて荷造りをしています。
村にいた鳥達はとうの昔に遠くに逃げて姿を消し、家の中に救っていた鼠達も、この前まで梁の上で追いかけっこしていたのがいなくなっていました。
いま、村の中にいるのは村人だけです。
村人達は、村から離れることができませんでした。
ゆっくりと動いているように見えた煙は、村に近づいていくにつれて早くなっているように見えました。大きな煙の山が遠くで動いているからゆっくりと見えていただけで、早さが増したわけではありません。残念ですが村人がそれに気付いた頃には、林の木々が煙の熱風で焼け焦げる匂いが村中に立ちこめ、あっというまに田畑はすっかりと飲み込まれていたのでした。
そこまで来ると逃げる間なんかはありませんでした。毎日の平穏な日常があった村が飲み込まれ、何もない平野になり、畦(あぜ)や家はすっかりとならされていたのでした。
残ったのはなだらかな大地の起伏のみです。
数日して、煙がすっかり落ち着き、風がさっと吹いて見通しが良くなりました。
まっさらな村の先には、すっかりと形を失い、今までの喧嘩が嘘のようにくっついてしまった一つの山が見えたのでした。