生存保障JGP(MMTの実践例の提示)
現在MMTの中で話題に成っているのがJGP(ジョブギャランティプログラム)と呼ばれている政策だ。僕もこれはとても優れた理念だと思う。ただこれをどのように実装させるべきか?がすごく曖昧で分かりにくい。そこで僕自身の仏教の修行の経験をバックに事例を提示してみようというのが今回の趣旨だ。
食べることは仕事だ。
食べなければ死ぬ。
自然界では食べることに全精力を傾けてほとんど全ての生命が動いている。
食べる事を経済学は消費などと位置付けるキチガイ沙汰を行う。
消費者という概念が僕は身の毛がよだつほど大嫌いなのだ。
僕は消費者という概念は使用者又は活用者に変えるべきだと思う。理由は回る構造でモデルを作った方が良いと思うからだ。さらには使用価値という概念も組み込まないとまずいと思う。この問題はもう一度別の場所で行う予定だ。今回は食は仕事という問題に踏み込んで行こう。
食は仕事だ!と言い出した理由は実を言うとJGPを実施を想定している。食まで仕事であると認めれば、JGPは国民の生存保障制度に成るんじゃないかと考えたのだ。食は仕事としてのJGP。色んなやり方を考えたんだけど、僕は僧侶の修行の経験があるので、どうしてもそこを基盤にしながら考えてしまう。実施事例の提示みたいな感じで読み進めて欲しい。
高齢の修行を積んだお坊さんの中にはお釈迦様の言葉より、より良く食べてより良く寝ることの方がずーっと重要な仏教の実践だという人すら居る。
生きることの根幹である食と睡眠(規則正しい生活)を向上心を持って実践する。これが重要なのだ。
仏教の食事の基本は一汁三菜又は一汁五菜です。汁物と三種類か五種類のおかず。ご飯も付く。
様々な種類の食材を食べることを重視しているんだと思う。多様な栄養素が必要というのは現代の栄養学でも認められている。
ちなみにご飯と味噌汁はセットで食べた方が良い。ご飯に含まれないたんぱく質が発酵した大豆には含まれ、バランスが整う。大豆は発酵させたモノの方が体に良い。味噌汁が無かったら納豆を食べよう。
ただ、現代は昔と違って糖質過多に成っている。砂糖が広まったのは1850年くらいなので、昔の一汁三菜には糖質はもっと少なかったはずだ。現代のお坊さんにも肥満が多いのはこの辺りを見落としてしまって居るからかも知れない。
この辺りは医師が最近盛んに研究し始めていて、糖質制限に関しては、糖尿病医の江部康二氏ブログが役に立つ。糖尿病治療として確実に成果を出しており、医学学会でも認められつつある。
また、現在僕が実践しているのは精神科医の藤川徳美氏のメガビタミンだ。高たんぱく高ビタミンで精神疾患の治療に結果を出している。
現在は平均寿命が上がっていること、又、糖質過多など食環境が変化しており、一汁三菜のように様々な食材を食べることを基本にしながら、現代の食の知見も丁寧に取り入れるべきだろう。
ちなみに僕は僧侶の修行の前まで不安神経症のような症状に悩まされていた。仏教書を様々読んでも全然解決できなかったのだけど、お寺で修行生活を1年続けたら直ってしまった。
朝の鐘で起きて、一番最初にお経で声を出す。一汁三菜の朝食を取って、昼間は掃除や門番のような軽めの作務をする。昼に又、一汁三菜の食事を取って、午後も作務。夕食をとった後は自由行動なんだけど、複式呼吸をしながら座禅する人も居た。
一人暮らしで生活習慣と食習慣が乱れまくっていたのが、直ってその後の人生はほとんど風邪も引かないほど丈夫に成った。
生存保障としてのJGPとして導入するなら、朝起きた時の声明と夜の座禅は宗教性もあるので、義務化しない方が良いだろう。重度障碍者でも出来るような本当に誰でも出来るものにして、そこに向上心を組み込むことが重要だ。ただ、朝の声明も夜の座禅もどちらもやりだすと健康増進効果は確実にある。
又、仕事として食と睡眠の向上を目指すのだから、指導者などもおく必要があるだろう。指導員の選定は地方自治体などに任せ、最終的には生存保障JGPを受けた人物がそれを担っていける形にするべきだ。
当然のことながら、生存保障JGPはJGPの中の一部門になる。うつ病などの精神疾患や重度障害者などはこの部門だけ行っても良い。ここから他部門に移っても良いし、他部門との併用させても良い、さらにはこの部門を選択しなくても良い。
今回は生存保障JGPをJGPの一部門として構築してみた。ほかの部門についても考えねばならないが、今回はとりあえずここまでにしておこう。