『なぞなぞ』
女の子というのは、男の子に比べて大人っぽいというが、本当だ。
六才となり、小学校に通いはじめた上の娘など、なにかっていうと、はあ、疲れたと言って溜め息をつく。たかが小学校に行くだけで、何をそんなにも疲れる事がある、と思うのだが。
とはいえ、最近、あまりに大人っぽ過ぎるので、少し心配になってきた。
というのも、なにやら言う事が変に理屈っぽく、母親に似てきた気がするのだ。
この間も、「パンはパンでも食べられないパンはな~んだ?」ていう誰にでもわかるなぞなぞを出してあげると、返ってきた答えは「他人のパン」。
確かに。
パンはパンでも、他人のパンを食べるわけにはいかないけど。
そういう事ではなくて、あくまでなぞなぞ、なぞなぞだからもっとなぞなぞっぽい答えは、と訊くと、「ああ、それなら、絵に描いたパンとか、そういう事?」て、逆にこっちの要求を確認された。
確かに、パンはパンでも、絵に描いたパンは食べられない。
しかし、それをいうなら、「絵に描いた餅」。
子供なのによく、「絵に描いた餅」なんていうことわざ、知っていたのに感心するけど、微妙に間違えて覚えているところが妻そっくりだ。
しかも、それを指摘すると、「細かい、」と怒るところまで同じ。
なので、ごめんごめんと謝って、もう一度「パンはパンでも食べられないパンはな~んだ?」て訊くと、「ナン」だって。
そうきたか。
確かにナンはパンだ。インド発祥のパンだ。
しかも「パンはパンでも食べられないパンはナ~ンだ」と言ったのはこっちだ。
それに対して、娘は同意しただけ。正解といえば、正解だろう。
とはいえ、まさか、そんな風に、人の言葉尻を捉えてものを言うような言い方をするところまで妻に似るとは。
むずがる妹をあやして遊ぶ娘は、戸惑う私の空気を感じとったのか、めんどくさそうな顔をして「それじゃあ、毒入りのパン。もしくは、フライパン」と言った。
確かに、毒入りのパンは食べられない。
食べれると言われれば食べれるが、毒入りのパンと出されたパンは食べれない。これもある意味食べられないパンだ。
間違いなく食べられないパンといっていいだろう。
だが、しかし、ここで、新たに、フライパンが出てくるという事は、娘はすでに答えを知っていたわけである。
知っていながら、それを言わず。言わないなら言わないままでいればいいものを、最後に、ぼそっと、実は知っていましたと言ってくるあたりが、完全にあの時の妻と重なり、私は自分でも気づかぬうちに、大きな声で「ブブーっ、残念、はずれっ」「フライパンはフライパンでも、揚げたパンかも知れないから」と言っていた。