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結局は自分らしく生きている人がいいなって話です。 #呑みながら書きました


秋、素敵やんって気候になっていたのに、昨日今日とむしあっっっっっいい日になりましたね。なんてわーわー言うとりますけども本祭の #呑みながら書きました  は参加させていただいておりますが後夜祭ははじめてでして。よろしくです。

今日、母が

「これ、パッケージが可愛かったから。飲むやろ?」

ってエールビールを買ってきてくれて。それじゃあ遠慮なくいただきますって飲みはじめました。この間の本祭の時は、つい深酒をしてしまい、いい具合に酔っ払って調子に乗ったついでにジャッキーチェンの水源、酔拳の動きをしたら、棚に手の小指をぶつけて悶絶したあとになぜか

「サモハンめ!おぼえてろ!」

と口をついてしまいました。何でサモハンに八つ当たり?そこは素面で考えても謎なんですけど。多分、私はサモハンの包容力のある容姿とコミカルな内面に甘えたのでしょう。ジャッキーに「ジャッキーめ!おぼえてろ!」って言うとガチギレされた挙句に本気の酔拳を喰らうと思うんです。だけど、サモハンだと「あはは!なんでやねん!」って笑い飛ばしてくれそうな気がするんです。だから私はサモハンの人柄に甘えてしまいました。…何の解説や。とりあえず今日は本祭の轍を踏まないように軽めにアルコールを摂取したいと思います(願望)。

この間、久しぶりに外食したのですが、そのときにとても美しい人に出会いました。美しく化粧を施し、所作に品があり、お召し物も個性的で、知識も豊富で、発言したことに責任感があり、内在しているものに芯があり、その方の半径5m以内の人が振り返って見てしまうような、芸術的な美しさを放出していたのです。本当に同じ人間?って思うくらいで。私はその方が発する熱に当てられて、蕩けてしまうんじゃないかと思いました。少し畏怖の念のようなものも芽生えて借りてきた猫状態やし。とても有意義な時間を過ごしてからその方とお別れしたのですが、そのあとも淡い痕跡を遠目で思い出しながら帰宅しました。そして、マスクを取り、鏡を見るといつもの私がいました。ナチュラルメイクと言えば聞こえがいいかもしれませんが、ほとんど手をかけなくなった顔。それを見ていたら寺山修司氏の言葉が断片的に浮かんできました。かなり断片的だったので調べてみました。


美しい女には、どこかわざとらしさが必要である。化粧、饒舌、技巧、仮面──そして、そのかげにひそむ、はっとするほど無垢の心。遊びのきらいな女に、美しい女はいない。詩を解さない女、ベッドのきらいな女にも、美しい女は、いない。美しい女とは、美しい女になろうとする女のことである。

寺山修司


そして、私は一心不乱に化粧をしました。肌にファンデーションを塗り、眉を描き、アイシャドウを引き、チークを入れ、口紅を引きました。でぎ、できあがった顔を見ると、力が入っていた肩がフーッと丸くなり、一気に脱力しました。そして、ポツンと

よかった。

と思ったのです。何がよかったのか。その魅力的な人に出会えたことがよかったのか、触発されて久しぶりに化粧できたことがよかったのか、それとも化粧という虚構によりこの荒んだ現実を生きていくエネルギーに変換できることを思い出せてよかったのか。そのすべてが「よかった。」のかもしれません。そして、誰にどう見られたいか大事じゃなくて、自分自身でどうありたいかが大事なんだと思いました。私は私。人と比較することなく、私の道を歩けばいい。深酒して酔拳をして小指を打っても、サモハンに悪態ついても(サモハンごめん)、美しい人に魅せられても、再度化粧に目覚めても、私は私。テキトーでありながら、責任をもって生きていこう。うん。え?なんの話?結局は自分らしく生きている人がいいなって話です。


終劇


昔の香港映画みたいな、突然に終わるスタイルです。オチつけるのって難しいね。呑み書き楽しかった。マリナ油森さん、ありがとうございました。






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