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~島暮らし編⑧~地図から消された、うざぎと毒ガスの島、大久野島にいってみた。

1,大三島~大久野島を結ぶ港 盛港 ばにーあいらんど
2,いざ上陸!バニーさんがそこらじゅうに
3,毒ガス資料館にいってみた
4,遺跡の跡地とtiktokプチtikitokバスり


1,大三島~大久野島を結ぶ港 盛港 ばにーあいらんど

今回は1日休みの日に観光にいった大久野島を中心に書いていきます。まず大三島~大久野島での交通手段としてはフェリーがあげられます。大三島の盛港から広島の忠海までのフェリーが出航しており、その中間地点で大久野島に立ち寄る船があります。(確か1日8本くらい?)今回私もこの港からフェリーで大久野島に行きました。名前自体は初めて聞いたのですがウサギがたくさんいる島はインスタグラムで見たことがあったような。。という感じでした。この日はすごく快晴だったためフェリーからの景色も最高でした。船に乗ってると海辺の田舎町に来た感じがすごくて心が癒されました。

またばにーあいらんどと書いているのは、別の日に島のバス停でバスを待っていた時にサイクリング中の8人くらいの外国人の集団に囲まれ?なんだなんだと思っていたら「I want to go to bunny island!!」と言われ道を尋ねられた思い出があるため書きました(笑)確かに外国人の方も多かった気がします。

フェリーでGO

2,いざ上陸!バニーさんがそこらじゅうに

そしてフェリーから降りていざ大久野島上陸してみると、そこら中にバニーさんがいました!!フェリーがついたところはちらほらでしたが無料のシャトルバスに乗り換え島の奥のほうにいくとどんどんそこらじゅうに現れだしました(笑)島中に野生のうさぎがいるとのことだったので、島を1周してみましたがどこに行ってもバニーさんがいました。盛港でウサギの餌を調達していったので少しずつ餌をやってみました。人馴れしてるので人間がくると結構な勢いでやってきて、ついてくるので最初はすごく驚きましたが、餌をやらないとすぐにどっかにいきました。島の中にはレストランや宿泊施設も少しありレンタルサイクルなどもできるみたいでした。(そこら中にバニーさんがいるので気を付ける必要あり)

いっぱいきた!

3,毒ガス資料館にいってみた

続いて島の中にあった「毒ガス資料館」に行ってみました。こんなうさぎだらけの平和な島になぜ毒ガス?と最初は思っていましたが資料館の展示物をみてその歴史がわかりました。実はこの島日清、日露、第2次世界大戦など日本がまだ戦争をしていた時代に毒ガスの工場があり製造から貯蔵まで行っていたんだそう。その事実がほかに知られないよう一時期は日本の地図から消された島として国民にも秘密にされていた島でもありました。資料館の中は撮影禁止でのため写真はないのですがこの島でも毒ガスの製造過程で数多くの犠牲者が生まれたのだそう。展示からはその悲惨さが伝わってきました。一見、訪れる前までは平和そうな島としか見えなかったですが、実際に訪れてみてその地域の歴史を知ることができたのでこれはやはり実際に足をうごかさないとわからないものだなと改めて思うとともに戦争がいかに悲惨で繰り返されるべきでないものなのかを考えさせられました。

4,遺跡の跡地とプチtikitokバスり

島内を詳しくめぐってみると島のいたるところには砲石台や発電所、毒ガス貯蔵庫の跡地が見受けられました。ヤシの木と海と原っぱの南国リゾートのような場所もあれば草が絡みつき廃墟と化した静まり返った建物がある場所もあり、同じ島なのに全く空気の違う別世界に来たような雰囲気を感じました。自分のマイカメラも持参していたのでいくつか写真をとり、なんとなくまとめtiktokにあげたらほとんどフォロワーもいないのに、なぜか再生回数が6万近くになりはじめてミニバズりを経験しました。びっくり!
自分の写真から少しでも大久野島を知ってくれる人がいればうれしいなと思いました。

山の中の階段登った奥に
トンネル抜けた先

今回は若干少なめですが閲覧いただきありがとうございました。毎回1つでもいいねがもらえると書いてよかったなあとほっこりします。次回で島編が終わります。続きをお楽しみに!!

次回予告:島編完結!最終章、島で学んだ大事なこと


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