![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/110910070/rectangle_large_type_2_cae52aeec558c6309d8f420c6a3f8c94.jpeg?width=1200)
花火
【あらすじ】
花火大会の夜、僕は、屋台の店の前で見知らぬ少年が怪しい男にチケットのようなものを渡して花火のようなものを受け取るのを目撃する。不審に思った僕は、少年を追って、テントの中の不思議な街に入り込み、懐かしい駄菓子屋さんや「さやちゃん」の姿を見る。少年が落としたチケットはテントの街の駄菓子屋さんのチケットでもあり、病院の外出許可証にもなり、テントの中のステージの上では、僕は、いつのまにか出演者にもなってしまう。謎が謎を呼ぶ中、僕は、「使ってはいけない」コインを持って、駄菓子屋さんの裏庭にある不思議な回転木馬に乗ってみることに……。
1 花火大会の情景
あの日の花火は、何かおかしかった。
と言っても、SF小説の中でのように平らだったり歪んでいたりしたわけではなく、打ち上げ花火の光は、丸く広がって光っていたし、夜空の月だって、普通の満月で、不自然に欠けていたりしたわけではない。でも、何かが変だった。
もしかしたら、それは、花火そのものではなく、夏祭りの景色全体の空気だったかもしれない。
でも、それが何か、はっきりとはわからなかった。
屋台のお店のまわり、警備のおまわりさん。
金魚すくいや綿あめ、とうもろこしの屋台を探しているらしい子どもたち。
ひとりひとり見れば、みんな、いつもの夏祭り、いつもの花火大会の普通の光景だ。
それなら、変だったのは、屋台や金魚すくいのお店のテントのまわりの電球の灯りだったのだろうか?
でも、特別明るいわけでも暗いわけでもなかったと思うし、点滅していたり、特別な色だったりしたわけでもなかったはずだ。
もしかして、変だったのは音?
いや。そんなはずはない。
夏祭りらしい騒がしさはあっても、特別ひどい騒音というわけではなかったはずだし、もちろん、異様に静かだったなどということもなかった。
もし、お気に入りの音楽でも流されていたりしたら、「あっ!」と、思うところだろうが、そんな特別な音楽が流されていたわけでもない。少なくとも、あの時はまだ。
とうもろこしの屋台のすぐ前で青い野球帽をかぶった一人の少年が不思議なチケットのようなものを帽子を目深にかぶった男に手渡そうとしているのを見つけたのは、そんなときだった。
いかにも怪しそうな男。
それは、例えば、繁華街の中に一軒だけ取り残された青果店のようなもの。
青果店のように見えて、実は、危ない植物、売ってはいけないものを売る危ない店。
もしかして、このとうもろこしのテントのお店も、そんな怪しい店なのだろうか?
怪しげな男が、少年に何かを渡す。
それは、線香花火のような小さな包み。透明な袋の中にそれらしい中身が見える。
だが、待てよ。
線香花火に見せかけて、その中に、危ないものが……
あったりするのでは、と思って身構えていると、それを少年に渡した男は、すぐに店の前から離れて人ごみの中に消えて行くではないか?
やはり。
怪しいと見て、僕は、男の後を追おうとした、が。
何という素早い動き。
やはり、こいつ……
と、思ったときには、すでに男は、人ごみの中に消えていた。
少年から受け取ったチケットのような紙とコインのようなものの一部が地面に落ちたのを拾って、今度は、少年の姿を追った。
「あいつ、危ないやつとグルなのか? 今、拾ったチケットとコインは、証拠だぞ」
駄菓子屋さん、文房具屋さん、それに小学校のすぐそばの雑貨屋さん。
「こんな身近なところで!?」
危ないやつらが暗躍していたなんて!?
謎の少年は、神社の境内に走り込んで行った。
「あれは、芝居小屋!」
境内には、赤いテントの芝居小屋が設置されていた。年に一回か二回やってくる劇団の公演が、来週、始まるのだ。
「あいつ、あんなところに」
謎の少年は、誰もいない芝居小屋の中に入り込んで行った。
「逃がすものか!」
僕は、すぐに、少年を追って、テントの中に飛び込んだ。
「駄菓子屋さん?」
驚いたことに、テントの中は裏通りの街角で、謎の少年を追いかけて行くと、すぐに、駄菓子屋さんの入口が見えてきた。小学校のすぐそばの駄菓子屋さんによく似ている。
そして、少年がその入り口に近づくと、中から、また、怪しい男が姿を現し、少年からチケットのようなものを受け取ると、少年を中に招き入れた。
「さっきの男と同じ? 今度こそ逃がすものか!」
僕は、二人を追って、駄菓子屋さんの店の中に飛び込んだ。
しかし、すでに、二人の姿は見えなかった。
「どこだ?」
駄菓子屋さんの店の建物は、とても小さく、入ってすぐに裏の戸に行き当たる。
「ここから逃げたんだな」
僕は、すぐに、その裏の戸を開けて、外に出た。
そこには、小さい公園があったが、少年と怪しい男の姿は見えなかった。
「この公園、もうすぐ無くなるのかな」
古びたブランコがあったけれど、近くのジャングルジムにはロープが巻かれ、「使用禁止」の札が付けられていた。
そして、気が付くと、さっきの駄菓子屋さんの建物がどこにも見当たらない。
「変だなあ?」
僕は、公園を出て、近くを歩き回った。
「ああ、ここか」
いつのまにか、さっきまでいた街の中にいた。
花火大会の日の、さっきまでと変わらない街。綿あめや金魚すくいのお店、とうもろこしの屋台。
「夢?」
僕は、ポケットの中のチケットとコインを取り出してみた。さっき、不思議な少年が怪しい男に渡し、その男が落としたものだ。
「木馬?」
そのコインには、木馬の姿が刻まれていた。そして、チケットのようなものにも木馬のデザインが。
「何だろう?」
だが、ぼくには、ちょっとしたアイデアが浮かんでいた。
駄菓子屋さんに飛び込むとき、さっきの少年は、このチケットを男に渡したに違いない。だとすると、このチケットは、奴らの秘密の隠れ家にはいるためのチケットなのかもしれない。
また、あの秘密の駄菓子屋さんが現れたとき、これを使えば中にいれるのかもしれない。
僕は、あの不思議な駄菓子屋さんの秘密を知りたいと思った。
今日は何もかったことにして、次のチャンスを待つことにした。
2 芝居小屋の情景
「まさか、かくまっていたんじゃあないだろうな」
「いいえ、とんでもありません。仕事はクビにしたし、かくまってなどいませんよ」
テントの中の舞台では、警察官が店主を問い詰めていた。
「怪しい音楽家の一味だったなんて!」
問い詰められた居酒屋の店主が言い訳をする。
「そんなに危ない音楽家なのか?」
劇とはいえ、そこまで真剣に取り調べなどする必要があるのか、と、僕は、けげんな気持ちで舞台を見ていた。
あれから、何度か、神社の境内にできていた公演が始まる前の芝居小屋のテントの中をのぞいてみたけれど、駄菓子茶さんがある街などはもとより、何も変わった様子もなく、あの不思議な少年の姿も、怪しげな男の姿も見かけることはなかった。そして、とうとう、芝居の公演が始まる日がやってきた。
「何か、手がかりがつかめるかもしれないし」
とにかく、僕は、テントの中の芝居を観劇することにしたのだ。
劇のタイトルは『ブレーメンの音楽隊』。あの有名なグリム童話がもとになっているらしい。
たしかに、舞台では、音楽家がどうのこうのと言っている。
が、どんな風にグリム童話とつながるのかはわからなかった。
劇は、第一部と第二部とがあって、一週目に上演されるのは第一部だけ。だから、今日の劇の続きは、また来週ということになる。でも、その来週の劇を見るためにも、今日の劇はちゃんと見ておいたほうがよいだろう。
もっとも、僕の目的は劇の鑑賞ではなく、このテントの中で見失った謎の少年と怪しい男の消息につながる情報を得ることだが。
もしかして、あの少年がこの劇を見に来るもしれないとか、劇団員の誰かが、あの怪しい男の仲間とか、そんなことだってあるかもしれない。
といっても、特になんのアイデアもない。ただ、少年たちを見失ったテントに来ているだけというのが正直なところだ。
でも、劇団の公演が終わってしまえば、このテントもなくなってしまうのだ。だから、このテントを探索できる機会を逃す手はないだろう。
劇の中には、怪しい男として、謎の音楽家という存在が語られている。しかし、その音楽家を追っている警察だって十分怪しい男だ。
見ていると、どうやら、居酒屋の店員の仕事をクビになったという怪しい音楽家は、「音楽家」とは言っても、ただ、サクソフォンを吹くらしいというだけの話だし、怪しいからというだけの理由でクビになるなんて、なんとも理不尽な話だ。
それに、怪しいというのも、昔の伝説で、サクソフォンを吹く音楽家の演奏が嵐を呼んで、街が洪水で破壊されたとかいうそれこそ怪しい話があるというだけのことのようではないか?
「ひどい話だ」
と、思ってはみたものの、それなら、今、僕が、先日見かけた怪しい男を「怪しい」と考えていることだって、根拠を言えと言われたらそれこそ怪しいものだ。
僕の勘を認めるなら、劇の中の警官の言い分だって認めないといけないのだろう。
劇の中では、かつて、謎のサクソフォンが聞こえる中で洪水が起こり、嵐の中、雷が鳴り、木馬が飛んでいくのを見たという伝説とか、わけのわからない話が続いていた。
木馬に乗っていたのは少年ではなく、少女だったという話も。
「そう言えば」
僕は、この前見た不思議な少年の姿を思い出した。
「あれは、もしかしたら女の子?」
たしかに、怪しい男にコインのようなものを渡したりしているのを見て、勝手に少年だと思っただけで、ちゃんと顔を見たわけではなかった。青い野球帽をかぶっていたけれど、女の子だったとしてもおかしくはない。
と思ったら、今度は、劇の中で異説が。
木馬は二頭で、一方に少女が乗り、もう一方に少年が乗っていたという話も。
いったいどういうことだ。
「なんだ、ただの劇の話じゃあないか」
僕は、いつのまにか、劇の中に入り込んでいる自分に気づいて、我に返った。劇は、結局、僕には、わけのわからないまま終わってしまった。
3 テントの中の街
神社の境内に設置されたテントの中での芝居が二日繰り返されて、芝居が休みのその翌日、とうとう、テントの中に、あの不思議な街が現れた。
テントの中の暗闇に目が慣れてくると現れる不思議な街。
その不思議な街に現れるちょっと懐かしいようなお店。八百屋さん、魚屋さん、……。それらの店先の電球の光には、なんとなく古い世界の香りに覆われているような感じがした。
どこからか、音楽が聞こえてくる。でも、それが何の音楽なのか、はっきりとは聞き取れない。
そんな不思議な街を歩いていくと、今度も、あの駄菓子屋さんが見えてきた。
今度は、あの不思議な少年の姿は見えない。
僕は、ひとりで、その不思議な駄菓子屋さんの店の中にはいってみた。
「駄菓子屋さん」
と、思ったけれど、店の中には、文房具屋さんのようにノートや鉛筆があったり、雑貨屋さんのように、ビー玉やおはじき、トランプまであった。そして、花火。
「線香花火かな? ビー玉なんて、今頃買う人いるのかな?」
昭和レトロ館でしか見たことがなかったビー玉が店で売られているのを、僕は、初めて見た。
「ゆっくり見ていってくださいね」
店の奥に腰掛けていたおばさんのおだやかな声が聞こえた。
やがて、僕は、店の奥の扉に目をやった。この前、ここから外に出た、あの扉だ。
「この木馬?」
僕は、扉に、どこかで見たことがあるような木馬の絵が描かれていることに気づいた。
「チケットはあるの?」
不意に、おばあさんの声がした。
「チケット?」
その言葉で気づいた。
扉に描かれている木馬の絵は、この前、少年が怪しげな男に渡そうとしたチケットとコイン、怪しげな男が落として僕が拾って持っているあのチケットとコインに描かれている絵とそっくりだった。
僕は、ポケットの中から、チケットとコインを取り出して、そこに描かれている絵を眺め、扉の絵と見比べた。
「ほう! コインも持っているんだね」
おばあさんは、ちょっと驚いているようだった。
「あ、はい」
僕は、うなずいた。
「扉の向こうにはチケットがあれば行けるよ」
「え? そうなのですか?」
「そう。ただし、……」
おばあさんは、ゆっくりと続けた。
「そのコインは、決して使ってはいけないよ」
「え?」
「もし、戻ってくるのならね」
この前は、チケットなど渡さずに扉から出てしまったけれど、このチケットを渡してから扉を通ると、どこか、特別な場所に行けるのかもしれない。この前は、不思議な少年の姿を見失ってしまったけれど、今度は、追いつけるのかもしれない。
そんな風に思えて、僕は、おばあさんにチケットを渡すと、扉を開けて、店の裏から外に出た。
駄菓子屋さんの裏の扉を抜けると、そこは、また、不思議な街の続きだった。
だが、さっき、駄菓子屋さんにはいるときとは、何かが違っていた。
「セカンドワルツ?」
そう。さっきまで、遠くからぼんやり聞こえていた音楽が、今度は、かなり、はっきりと聞こえた。
オーケストラとともにサクソフォンが演奏するその音楽は『セカンドワルツ』だった。
「サクソフォン?」
あの劇の中で、怪しい音楽家として追放され、追われていた音楽家が吹いていたという木管楽器。劇の中の伝説で、昔、嵐を呼んだというサクソフォン。
「もしかして、ここは、あの劇の中の世界なのか?」
そう言えば、ここは、あの劇が上演される芝居小屋、テントの中の街だったのだ。
僕は、『セカンドワルツ』が聞こえてくる方へ、音を頼りに歩いて行った。
お祭りなのだろうか?
少しずつ、人の姿が増え始め、音楽も、少しずつはっきりと聞こえるようになってきた。
そして、とうとう、人々が踊る広場に出た。
「舞踏会?」
人々が踊っているのは、ステージの回り。
ステージのすぐ下でオーケストラが『セカンドワルツ』を演奏していた。
「何の舞台だろう?」
と、思って見ていると、やがて、ステージにロバや鶏といった動物のお面をつけたダンサーが登場して、動物の踊りを披露し始めた。そして、やがて、ステージには、今度は、お面などはつけていないひとりの少女が登場し、クラシックバレエのような踊りを披露し始めた。
「あの帽子……」
少女は、青い野球帽をかぶっていた。
「あのときの……?」
少女がかぶっていた青い野球帽は、あの不思議な少年がかぶっていたものとよく似ているように見えた。
「あの子?」
あれは、少年ではなく、女の子だったのかもしれないと、思えてきた。
僕は、ステージに近づこうとした。だが、あまりに多い人で、なかなか近づけない。
やがて、ステージに、サクソフォン奏者が登場し、人々の喝采を浴びる。もちろん、『セカンドワルツ』だ。オーケストラの演奏もますます熱を帯びる。
そして、いつのまにか、少女は、ステージから消えてしまった。
「どこだろう?」
と、あたりを伺うと、さっきの少女が広場から離れていくのが見えた。
「どこへ行くんだろう?」
僕は、少女を追いかけた。
人が多すぎるステージの回りよりは、少女の姿を追いかけるほうが、まだ、楽なくらいだったけれど、それでも、すぐには追いつけなかった。
少女を追って行く道すがら、街の色々な風景が通り過ぎる。
小学校の校庭には、運動会だろうか、まるで、さっきの広場のお祭りのようなダンスの姿も。でも、校舎には夕日があたり、夕暮れ色が校庭に流れだすと、いつのまにか、だれもいない庭に。
そして、いつか、そこは、病院の入口だった。
少女を追ってたどり着いたのは病院だった。
4 テントの街の病院
「診察受けるのかな?」
さっきまで、元気に踊っていたはずなのに……病気なのだろうか? それとも、誰かのお見舞い?
少女がはいっていったのは、正面玄関ではなく、通用口のような出入口だった。
「許可証は?」
守衛さんのようなおじさんに聞かれて、思わず、ポケットに手をいれる。出てきた紙切れを差し出す。
「はい」
あっさり通行許可された。
「外出許可証?」
ポケットにはいっていたのは、不思議な少年が謎の男に渡そうとして地面に落ちたチケット、僕が拾ってそのまま持っていたチケット……、のはずだった。が、よく見ると、それは、病院の入院患者用の外出許可証だった。主治医のサインもある。
僕は、いつのまにか自分のものとなった外出許可証に書かれている病室にはいって、自分のベッドに横になった。病室は4人部屋のようだが、自分のベッド以外は、使われていないようだった。
「僕は、入院していたのか?」
それなら、もうすぐ夕食の時間だ。病院の夕食は早い。そう思ったら、お腹が空いてきた。
「運んで来てくれるのかな?」
そんなことを考えているとき、廊下で足音が聞こえた。
「夕食?」
でも、足音は、病室の入口で止まったまま、誰も中にははいってこない。
「誰だろう?」
僕は、ベッドから出て、病室の入口まで出ていって、そっと廊下を見た。そして、廊下には、ゆっくりと遠ざかっていく少女の姿が見えた。
「さっきの女の子?」
僕は、少女の後を追って廊下を歩いて行った。
途中、窓の外に花火のような光が見えた。それは、しばらく前の花火大会の花火のようにも見えた。今日もどこかで花火大会があるのだろうか? と思ったが、すぐに、ここが、神社の中の芝居小屋のテントの中の街だったということに気づいた。
「テントの中の街にも花火大会があるのか?」
そんな意味あるのかどうかさえわからないことを考えながら、僕は、少女を追って、階段を降り、また、廊下を歩き、やがて、病院の庭に出た。いつのまにか、『セカンドワルツ』の音楽は止んでいた。
病院の庭は……公園だった。
昔、遊んだ公園。
ただ、古くなって使えなくなっている遊具もあった。ジャングルジムには使用禁止と書かれたプレートが取り付けられ、ロープが巻かれていた。
僕たち、男の子は、いつも、公園で野球をして遊んでいた。女の子のさやちゃんは、野球にいれてもらえなくても、たいていは、僕たちの野球を見ていた。
でも、いつだったか、帰りがけに、さやちゃんが振ったバットに僕が投げたボールが命中して、それが、びっくりするほどの大当たりで、そのまま、どこかに飛んでいってしまったことがあった。
どこかの木にでもひっかかってしまったのかもしれない。
そう思ったけれど、さやちゃんは、空まで飛んで行ってしまったと言って、ほんとうに、そう、思っていたらしい。
そう言われると、何だか、僕にも、なんだか、本当にそんなふうに思えるのだった。
「さやちゃん?」
そう。今、僕の前を歩いていく女の子がさやちゃんなのだと、いつのまにか、僕は思っていた。
病院の庭の公園の鉄棒には、見覚えのあるバッグが掛けられていた。
僕が言う前に、さやちゃんもそのバッグを見つけたようだった。立ち止まって、じっと見ている。
ああ。あれはさやちゃんのバッグだ。
いつも、お菓子や、ジュースのペットボトルがはいっていたあのバッグ。
首から下げていることが多かったけれど、あのとき、僕が投げたボールを打って、大当たりしたとき、たしか、さやちゃんは、バッグを鉄棒の隅にかけていたんだ。
それで、打ったボールの行方を捜しているうちに、バッグのことを忘れてしまって、それで失くしてしまったあのバッグ。
なあんだ。ちゃんと、ここにあったんじゃないか。
僕は、サンダル履きのまま、鉄棒のところまで歩いて行って、さやちゃんのバッグを鉄棒からはずした。
中には、おはじきや僕があげたビー玉もあった。
さやちゃんのものらしい薬の袋、それに、線香花火……
そして、……
ああ。これは、駄菓子屋さんで買ったドロップ。
そのドロップの缶を見たら、ついこの間買ったばかりのように思える。
夕日の色のドロップを食べたら、夕日の国まで飛んでいけそう。星色のドロップを空に投げたら、お星さままで飛んで行きそう。
さやちゃんがそう、言っていたのが、つい、この間のことのようだ。
僕が、ドロップの缶を開けると、さやちゃんもその中をのぞき込むようにしていた。
缶を逆さにしてみると、ドロップがふたつ。
夕日の色のドロップと星色のドロップだ。
さやちゃんは、僕の手のひらの上から、すぐに、夕日の色のドロップをとって、それから、それを、自分の口の中に入れた。
そして、夕焼けの空の方を向くと、うれしそうにスキップを始めた。
スキップ、スキップ、スキップ……
すると、どうだろう!
さやちゃんのからだが、ふわっと浮き上がったではないか!
地面から離れ、夕焼けの空の方へ。夕日の国へ。
さやちゃん?
そうだ!
僕は、手のひらに残っていたもうひとつのドロップを、星色のドロップを少しなめて、それから、それを、さやちゃんが飛んでいった空のほうへ力いっぱい投げた。
まるで、いつか、さやちゃんが打ったボールのように、僕が投げたドロップは、空へ向かって、空の星に向かって飛んで行った。
星まで届け!
そう、心の中で叫んだ瞬間、空の星が、きらっと輝いたように見えた。
さやちゃん?
気が付くと、星は、ひとつではなく、いくつもの、いや、無数の小さな星が、空から僕のすぐ足元まで続いていて、それはまるで空に登る道のようだった。
そして、その星の道のはるか上のほうで、スキップをするように踊っているのは、きっと、さやちゃんだ!
星の道の上のほうで、さやちゃんは、線香花火を光らせて見せる。
「さっきのバッグの中にあった花火?」
でも、どうやって火をつけたのだろう?
星の上のさやちゃんは、あのバッグから、また、何かを取り出したように見えた。
あのときのボールだ!
あのボールは、本当に、空まで飛んで行ったのだ。
僕とキャッチボールをするのを待っているように、さやちゃんは、そのボールを僕に見せて、そして、また、ダンス。
いかなくちゃ。
僕は、星の道を走り始めた。
星の道を、さやちゃんが待つ空へ向かって。
走って、走って。
すると、いつのまにか、僕は、公園の使用禁止のジャングルジムに登っていた。
「おおい!」
空に登って行ってしまったさやちゃんに呼び掛ける。
「どこ?」
ほんのちょっとの間、バランスを崩して下を向いてしまった間にさやちゃんの姿を見失ってしまった僕は、さやちゃんの姿を探した。そして、公園の外の道を走っていくさやちゃんの姿を見たように思った僕は、あわててジャングルジムを降りて、さやちゃんを追って公園から出て行った。
いつのまにか、僕は、また、いつもの街の中を走っていた。夏祭りの終わった静かな町。僕は、何もなかったように、宿舎に戻る。
昔住んでいた街は、特別な夢を見させてくれる。
そんな風に思えた。
僕が見ているのは夢だと、そのときには、そんな風にも思えた。
5 舞台の上の占い師
「この星の青年には、現実感がない」
宿舎のロビーのテレビ画面の中で、誰かが深刻そうにしゃべっている。
「そうですね。最近はやりの小説や映画などを見ても、現実の世界を客観的に見ているようなものって、見当たりませんね」
「そうなんです。そういうのはウケない」
「現実離れしたヒーローが、ただ、嫌な奴を切り捨てるといった単純なもののほうがウケる……」
「現実逃避ですね」
「それと、何だか、わけのわからないようなものも……」
「逃避だから、現実離れしているほうがむしろいいんじゃないですか?」
「死んで生まれ変わったらヒーローになっていたというようなもの」
「ええ。それは、もう、定番ですね」
「昔、ネットの小説投稿サイトではやり出してから、飽きもせずに、ずっと続いている……」
「私は飽きていますけれど……」
「死んで生まれ変わってヒーローになれるというようなものが流行るって、それ、自殺奨励みたいですね」
「でも、かなり古い児童文学作品に『ミオよ、わたしのミオ』というのがあって、それなんかも、最後には死んで幸せになれるような結末になっているんですよ」
「最後だけなら、ずっと昔から、それは、たくさんあるでしょうね」
「ラストだけでなく、現実世界がまるで見えていないのはどうでしょうね……」
「主人公の一人語りで、他人とのかかわりがほとんどないというのも問題では?」
「そんなのもありますね」
「社会とのかかわりがどんどん希薄になっている……」
「かなり前から言われてはいることですよね」
「どうすればいいんでしょうね?」
「案外、占いとか、人生相談みたいなものも悪くないんじゃないかな」
「占いですか?」
「誰の意見もきかないで過ごすよりは?」
「詐欺とか、犯罪みたいなものにつながりませんかね?」
「それは、どんなところにも危険はありますね」
「ネットでは、かなりいかがわしいのがありそうですね」
「縁日の屋台の占いとか、もしかしたら、そんなものでも、意味はあるかもしれませんね」
占いとか、人生相談とか、そのときは、まだ、自分には関係ないと思いながら、僕は、宿舎から出かけた。まさか、すぐに、自分が、占い師の話を聞くことになるとは思わずに。
その日の夕方、僕は、また、神社の境内の芝居小屋を訪れた。この前の劇の続きを見るためだ。わけのわからない劇だったけれど、何か、このテントの中の不思議な街の手がかりをつかめるかもしれないし、見逃すわけにはいかないのだ。
「『セカンドワルツ』!?」
サクソフォンが奏でる音楽で、冒頭から驚いて見ていると、舞台にはいつのまにか占い師が登場して、お客が来るのを待っているようだった。漠然と抱いていた占い師のイメージよりは若い男の占い師だ。サクソフォン奏者は舞台からは消えてしまったが、背後では、まだ、しばらく吹き続け、やがて、聞こえなくなった。
「秘密の街」
「誰にも聞けない広場の秘密」
「あなたも知らない自分の超能力」
占い師は、机の前の張り紙を、次々に貼り足していた。そのどれにも、何か、興味をそそられる言葉が書かれていたが、やがて、どうしても聞きたいと思える言葉が目に留まった。
「少年の花火の秘密」
「病院の少女の秘密」!
そして、占い師は、客席の僕に視線を送って、ニヤッと笑ったのだ。
「僕のことを……」
知っているのか?
何か気味が悪いような気もする。が、次の瞬間、もう、僕は、舞台の上に乗っていた。そして、小さな机をはさんで怪しげな占い師と向き合い、占い師に質問をしていた。
「病院の少女の秘密を教えてくれるんですか? 少年の花火の秘密も?」
占い師は、落ち着いた様子で椅子を指さし、座るように促した。それでとりあえず座ることにしたが、ここは劇の舞台の上。僕は、いつのまにか、劇の出演者ということになってしまった。
「それでは、いくつか質問させてください」
占い師が言った。
「はい」
どんな質問が来るのか、僕は、ちょっと身構えた。誰かと話をすることなんてあまりないから、自分のことだって、うまく説明できるかどうかわからない。が、花火のようなものを怪しい男から受け取った少年や、広場で見かけて病院で見失った少女のことが、どうしても気になって、彼らが誰なのか、僕は、知りたかった。
「花火を持った少年を見たのは、このテントの近くの屋台のお店の前だったのですね」
占い師は静かな口調で質問する。
「はい」
「で、このテントの中に消えた……」
「はい。テントの中の駄菓子屋さんに逃げ込んだんです」
「テントの中の駄菓子屋さん?」
「はい。追いかけたんですが、裏口から逃げられました」
「ううん。でも、駄菓子屋さんは、テントの外ですよ」
たしかに、テントの外の神社の境内にも駄菓子屋さんがあった。だが、少年が逃げ込んだのは、それとは別の駄菓子屋さんだ。テントの中の不思議な街の不思議な駄菓子屋さん。
「あの店とは別の……」
なかなか、あの不思議な街の話が伝わらないようだったけれど、それでも、占い師は、僕の話を熱心に聞いてくれているようだった。そして、観客も。そうだった。これは劇で、いつのまにか、僕は、出演者になっていたのだ。
占い師も、さっきのサクソフォン奏者も、ほかの出演者も、誰も、突然、客席から出て来て舞台に上がってきた僕に驚いたりはしていなかった。それが、僕にとっては驚きだ。僕が舞台に上がってくることは予定通りだったというのだろうか?
まさか、あの花火大会の日の少年と怪しげな男も、僕を劇に誘い込むための演技だったというのだろうか? そして、テントの中の街も、その中の駄菓子屋さんも……?
それにしては大げさすぎる。あれは、たしかに、ひとつの街だった。八百屋さんや魚屋さん、祭りの広場、小学校、病院まで……。それに、そのそも、出演者一人を誘い込むのにそんなに大がかりなことを画策するなんて考えられない。でも、……、
まさか、テレビの討論番組で、僕が占い師の人生相談を受けたくなるような討論を流したのも劇団の画策? さすがに、それはないだろう……。でも、……、
すべてが劇団の画策だったとしても、何故、そうまでして……?
俳優なんて、僕でなくてはいけない理由なんてないはずだ。
そもそも、僕に俳優の経験なんて……
と、思いかけて、僕は、ほんとうにそうだろうかと、疑問に思えてきた。
「そう言えば」
僕は、これまで何をしてきたんだろう?
僕には、自分が何者なのか、全然わかっていないような気がした。
自分のこともわからない僕は、きっと、こころの病か何かなんだ。
それで、精神病院に行かないといけないんだけれど、僕に、そう思わせるために、誰かがこれを仕組んだんじゃないのか?
そんな風にさえ思えてくる。
いや、そこまでは……、それが考えすぎだとしても……、
それでも、この劇団が、僕をこの舞台におびき寄せようとしたのは……、やっぱり、そうじゃないか?
いったい何のために?
それに、あの不思議な街は、いったいどうやって出現させたのだろう?
「そうですか……」
と、舞台の上の占い師は、難しいそうな表情を浮かべ、
「では、今回はこのへんで」
と、言って、席を立って、舞台を降りようとするではないか?
「あ、待ってください。まだ、何も」
聞いていないと言いかけたとき、占い師は、舞台から消える寸前、ひらっと、手紙か何か、とにかく紙切れを床に落としていった。僕は、とっさに、それを拾って、占い師の後を追うように舞台を後にした。背後で、客席からの拍手が聞こえていた。
6 秘密の薬草
劇の翌日の夜、僕は、小さな公園にやってきていた。
劇では、結局、謎は何も解けなかったし、劇の内容も、やはり、僕には何だかわからないものだったし、何故、僕が出演者になってしまったのかもわからないままだったけれど、舞台の端で拾った謎の紙に書かれていたのが何か謎を解くためのヒントになっているような気がして、僕は、その内容を解読しようとしているのだ。
拾った紙は、まるで、宝のありかを示す地図のように見えた。きっとこれは、密書なのだ。誰にあてた密書なのかはわからない。もしかしたら、あの占い師が、本当は教えていけないことを僕に教えるたに、わざと落としたのなのかもしれない。何故かは、やはり、わからないけれど。
密書に書かれた地図には、この公園の、ブランコの位置に、謎の×印がつけられている。そして、今夜、「夜中の十二時」という時刻。
今夜、このブランコで、何かが起こる。
きっと、そうに違いない。
待つしかない。
夜の公園には、僕の他には誰もいなかった。
ブランコは、「使用禁止」の札が取り付けられ、ロープが巻かれていたが、ロープは、簡単にはずれて、ブランコに腰かけることができた。
「結局、あの占い師、なんにも教えてくれなかったなあ」
僕は、ぼんやりと、あの劇の舞台の上での占い師との会話を思い出していた。
「僕のこと、色々聞いていただけで、肝心なことはなんにも話してくれなかったなあ」
僕は、その占い師の質問にまともに答えられず、自分が何者なのか、今まで以上にわからなくなってしまっていた。そして、どうすればよいのか……
「それを教えてくれるのが占い師の仕事じゃないのか?」
怪しい男にチケットとコインを渡して花火を受け取って逃げてしまった謎の子ども、芝居小屋の中の謎の街、その中の駄菓子屋さん、広場のステージ、病院の庭。それに、劇の出演者にさせられてしまった謎も。
不思議なことばかりだ。
「少年の花火の秘密」、「病院の少女の秘密」。
占い師の机に貼ってあった張り紙にはそう書かれていたのに、何もおしえてくれないなんて、インチキだ!
解けない謎に、僕は、不満だった。不思議なことには原因があるはずだろう?
劇の出演者に僕が選ばれたのなら、それにも理由があるはずだし、誰が仕組んだことなのか、つきとめなければ?
「そうかしら?」
不意に隣から女の子の声がして驚いた。
声の方を見ると、すぐ隣のブランコに、女の子が腰かけていた。
「いつのまに?」
だいたい、隣のブランコなんて、あったっけ?
「劇の出演者に選んだのが誰でもかまわないんじゃないかしら?」
「でも、選ばれた理由だって知りたいし……」
「あなたはあなたでしょ。他の誰でもないでしょ」
「でも、その僕って、いったい何者なんだろうって……」
「だから、あなたはあなた、それでいいじゃない」
女の子は、ゆっくりとブランコを漕いでいた。
「ねえ、君は……」
やっぱり、さやちゃんだよね、と、言いかけたとき、女の子は、ブランコを漕ぎながら、右手で、公園の隅の方を指さした。
「ほら、あそこ!」
「あ! 何だろう?」
さやちゃんが指さしたその先に、僕は、何かの光を見つけた。
「花火かな?」
公園の植え込みで、チカチカと、何か、線香花火のような光が見えた。
ブランコから降りて、近づいて行ってみると、ただの草のようだった。
「薬草かな? 花火の火薬になるのかな?」
僕は、さやちゃんに声を掛けようとしてふり向いた……、が、さやちゃんの姿は、もう見えなかった。
「さやちゃん?」
そればかりか、さっき、僕が腰かけていたブランコに「隣」なんてなかった。
「どういうこと?」
謎なんて解けなくたっていい、と、さやちゃんに言われそうな気がしたが、やはり、不思議だ。「密書」に記された真夜中の時刻も過ぎ、僕は、結局、ここでも謎を解くことができなかった。
7 テントの街の駄菓子屋さん
神社の境内の芝居小屋での劇の上演も、もうまもなく終わってしまう。そうしたら、テントもなくなってしまい、あの不思議な街に行くこともできなくなってしまう。チャンスは、もう、わずかしかない。
そのわずかなチャンスに賭けるために、僕は、また、夕暮れの境内にやってきた。
残りのチケット、使ってはいけないコイン。不思議な薬草らしい草は、火薬になるかもしれないから、細かく切って空の薬瓶に入れて持ってきた。何かの役にたつかもしれないから。
あの街に連れて行って……
願いを込めてテントの中に忍び込むと……、
そこは、この前の広場のある街、小学校の近くだった。
たぶん、この街で、僕は、またさやちゃんに会える。
僕にも、物語のそれくらいのあらすじは想像できた。でも、それから、どこへ行く? さやちゃん、て、誰? そして、僕は誰?
それがわからなくても、僕には、さやちゃんを探さなければいけない……、それはわかっていた。
「行かなくちゃ」
僕は、夕暮れの街を歩いて行った。
八百屋さんや魚屋さんの少し古いような電球の灯りが店の前を照らし、母親と一緒に来ている子どもたちの姿も見える。小学校の校庭に、すでに人影はなく、広場の近くの路地を歩いているのは、たぶん、仕事帰りの人たちや、買い物帰りの人たち。
そんな街の中で、僕がはいるのは、やはり、あの駄菓子屋さんだ。
おばあさんにチケットを見せて、裏の扉の外に出してもらった店。戻ってくるならコインは使ってはいけないと言われた店。怪しい男から花火を受け取った少年がはいっていったはずの、そして、裏の扉から出て行ったはずの店。駄菓子だけでなく、文房具やビー玉、おはじき、花火まで売っている雑貨屋さんのような店。
もし、この前のことがなかったとしても、やはり、僕は、この店にはいりたくなっただろう。なぜって、今度は、店の前に「回転木馬、1分百円」という看板が出ていたからだ。この前は気づかなかったけれど、かなり古そうな看板だった。たったの1分というのはずいぶん短いような気もするけれど、そんなことより、こんな小さな駄菓子屋さんに回転木馬があるというのは驚きだ。「メリーゴーランド」でなく「回転木馬」と書いてあるのも珍しいと思った。あの裏の扉を開けて出たところにあるのだろうか。そういえば、あの扉にはたしかに木馬の絵が描かれていた。
「木馬の絵?」
僕は、自分がポケットの中に持っている謎のコインに木馬の絵が描かれていることを思い出した。不思議な少年が花火と引き換えに怪しい男に渡して地面に落ち、チケットと一緒に僕が拾ったコイン。この前、駄菓子屋のおばあさんに「これは使ってはいけないよ」「戻ってくるなら」と言われたコイン。そのコインにも描かれている木馬の絵とこの駄菓子屋さんの回転木馬とは関係があるのだろうか?
ポケットの中のチケットとコインは、花火大会の日に不思議な少年が花火と引き換えに怪しい男に渡そうとして地面に落ちて僕が拾ったものだ。それが、この駄菓子屋さんの回転木馬と関係あるのだったら、あの少年と怪しい男がこの駄菓子屋さんと関係があるということだろうか? そもそも、あの少年が芝居小屋のテントに逃げ込んで、僕はそれを追ってテントの中の不思議な街に迷い込んだのだ。
もしかしたら、少年は、逃げようとしたのではなく、僕を、この街に誘い込むためにあのテントの中に走り込んだのだろうか? そして、怪しい男がチケットとコインを落としたのも、僕に拾わせて、僕をこの街、この不思議な街の駄菓子屋さんに誘い込むためだったのだろうか?
僕を誘い込んで、それから先は、何をしようとしているのだろう?
「そんなのどうでもいいじゃない?」
と、さやちゃんが言いそうだ、と、僕は思う。そうかもしれない。誰のどんな企みだろうと、どうでもよいことなのかもしれない。もし、これが物語なら、どう思おうが、それは読者の自由、劇なら観客の自由だ。劇。そう、僕は、もう、劇の出演者のひとりなのだ。
何がどう関係しているのかはわからないけれど、僕は、この駄菓子屋さんの回転木馬に乗ってみたいと思った。ポケットの中のチケットは、まだ、残っている。
「木馬なら扉の先だよ」
駄菓子屋のおばあさんは、僕を見ると、待っていたというようにそう言いながら、店の奥の扉を指さした。僕は、おばあさんにチケットを渡して、扉を開けようとした。
「この前のコインは……」
「持っています」
僕は、ポケットから木馬の絵が描かれた謎のコインを取り出しておばあさんに見せた。
「使ってはいけないんですよね」
「そう。戻ってくるなら」
わざわざ、僕が木馬のコインを持っていることを確かめるなんて、本当は、僕に木馬のコインを使わせたいのだろうか? それに、戻って来ないのなら使ってもよいということだろうか?
8 夕暮れの回転木馬
扉の向こうには、予想通りの古ぼけた感じの回転木馬があった。
「本当に動くのかな?」
「1分百円」と書かれたコイン入れのような箱を見ながら、僕は、完全には信用していなかった。
「とにかくやってみよう」
僕は、財布の中から百円玉を取り出してコインの差し込み口に入れ、そして、木馬の一つに乗った。
ブザーが鳴って、ゆっくりと木馬が動き出す。上下にゆっくりと動きながら、左側に見える鏡を中心にして回転する。僕は、さやちゃんが現れるのを待っていた。
「どこから来るんだろう?」
どこからかもわからないのに、僕には、さやちゃんがやって来るような気がしていた。怪しい男から花火を受け取ったのも、男の子ではなく、さやちゃんだったかもしれない。芝居小屋の中に僕を誘い込み、広場へ、そして、病院の庭に誘い込んだのもさやちゃんだ。そして、病院の庭から空に飛んで行ってしまったまま、姿を消してしまったさやちゃん。あのチケットは、僕の病院の外出許可証でもあったのだ。今でも、僕は、あの病院に帰らなければいけないのかもしれない。
そんなことをぼんやり考えていたとき、やはり、さやちゃんは現れた。
鏡の中に。
木馬の左にある鏡の中に、僕の木馬の向こう側に、僕は、別の木馬に乗ったさやちゃんの姿を見た。
「いつのまに?」
それは、僕の木馬の右隣の木馬が写ったものに違いなかった。
僕は、さやちゃんがいるはずの右側を向こうとした。
が、そのとき、ゆっくりと、木馬は止まってしまった。
そして、それと同時に、鏡の中のさやちゃんの姿は消えてしまった。
急いで右を見ても、そこには、誰もいなかった。
木馬に乗っているのは僕だけだった。
「1分経ってしまったのか?」
僕は、木馬から降りると、もう一度、回転木馬の入口に戻ってコインの差し込み口に百円玉を入れた。そして、木馬に戻って、回転が始まるのを待った。
再び、木馬が回転を始める。
今度は、初めから左の鏡を見ていた。
するとどうだろう。鏡の中には、遠い街……、僕が知っている街によく似た街が現れた。
鏡の中の街は、この回転木馬がある駄菓子屋さんの裏手の庭と同じ夕暮れで、そこには、八百屋さんから出て来る少年の姿があった。
「あれは、僕だ」
僕は、そう思った。
鏡の中の僕は、買い物かごをさげていた。僕は、買い物かごの中身を知っていた。じゃがいもとにんじんと、それから……
いつか、僕は、鏡の中にはいっていて、少年になり替わっていた。
チリンチリン……、と、自転車のベルの音がする。
「また、明日!」
近所の野球仲間の声がする。
僕は、手を挙げてその声に応える。
チリン……
また、別のベルの音。
「あ、さやちゃん」
さやちゃんの自転車は、ちょうど、角を曲がるところだった。
「待って!」
僕は、後を追って走り出す。そして、角を左に曲がったところで、ガクンと小さな衝撃を感じて後ろを見る。
と、そこには、誰も乗っていない木馬。僕は、木馬に乗ったまま、右隣の木馬をぼんやりと見ていた。
木馬が止まっていた。また、1分が経過したのだ。
「もう1回……」
僕は、また、入り口のコインの差し込み口に百円玉をいれ、そして、自分の木馬に戻って、待った。
ガクンという小さな衝撃。
回り始める回転木馬。
鏡の中で、今度は、僕は、野球もできる公園の隅の鉄棒の前にいた。
さやちゃんがバッグを首からはずして鉄棒の端に掛けている。それから僕の方に近づいてきて……。
僕は、バットをさやちゃんに渡し、喜んでそれを振り回しているさやちゃんに向かって、これからボールを投げようとしている。
そうだ。これは、いつかのあのシーンだ。
僕は、あのときのように、さやちゃんが振り回しているバットをめがけて山なりのボールを投げる。
カーン!
さやちゃんの一振りは大当たりだ。
「ああ!」
「空まで飛んで行っちゃった!」
さやちゃんは大喜び。
公園の端の緑地帯のところまでボールが飛んで行ってしまったので、僕たちはそのボールが飛んで行った方角を探してみることにした。
が、そこで、僕は、ハッと気づいた。
あのバッグ。
「さやちゃん、バッグの中の薬は飲んだの?」
案の定、まだ薬を飲んでいなかったさやちゃんは、僕に促されて、バッグの中から夕方の分の薬を取り出して、水筒の水で飲んだ。ボールを捜しに行くのはそれからだ。さやちゃんは、また、バッグを鉄棒の端に掛ける。
そのとき、僕は、また、ハッと気づいた。
このままでは、バッグをここに忘れてしまう。
「さやちゃん、それは、持って行こう」
と、言いかけて、僕は、それを止めた。
このバッグを持って行ってしまったら、さやちゃんに会えなくなってしまうかもしれない。なぜか、僕には、そんな風に思えるのだ。
ここにバッグの忘れ物をすれば、いつか、それが、さやちゃんと僕をこの鉄棒のある公園に連れてきてくれる。
僕は、なぜか、それを知っているような気がした。
僕は、さやちゃんにバッグを持って行くように言う代わりに、その中に、花火を入れることにした。
「さやちゃん、これ、花火になるんだよ」
僕が差し出したのは、夜の公園で見つけた薬草だった。なんとなく、それが花火の火薬になるような気がした。それを、いつか、さやちゃんが花火にして見せてくれるような気がした。それで、さやちゃんの喜ぶ姿が見られるような気がした。
さやちゃんは、不思議そうな顔をしながらも、薬瓶にはいった薬草をバッグの中に入れた。そして、代わりに、僕に、一粒の青いドロップを差し出した。
「星のドロップ」
僕は、さやちゃんの星のドロップを口にいれた。あの駄菓子屋さんのドロップの懐かしい味にうっとりして、ほんのちょっとだけ目を閉じたちょうどそのとき、ガクンと小さな衝撃を感じた。
時間だった。
今度の1分は、さっきよりもちょっと長かったように感じられた。その長さのために、僕は、回転木馬が見せてくれる鏡の中の世界にはいっていたことを忘れかけていた。しかし、やはり、時間はやってきて、少し長い「1分」も終わり、僕は、また、ひとりで、止まった木馬に乗っていた。
もちろん、僕は、また、木馬から降りて入り口のコインの差し込み口に百円玉をいれた。そして、また、自分の木馬に戻って、次の回転を待った。
そして……
今度は、鏡の中の僕は、病院のナースステーションにいた。
看護師さんから薬をもらって飲んでいた。それから、自分の病室に戻って寝るのだ。
病棟の廊下から、誰もいない小さな面談室の中がチラッと見えた。小さな机と椅子があるだけだ。ここで、先生が患者の話を聞いてくれるのだけれど、ずいぶんと殺風景だなあと思った。いっそ、机の上に水晶玉でも置いたらどうだろう。先生の代わりに、僕が患者の話を聞いてみたらどうなるだろう?
そんなどうでもよいことを考えながら廊下を歩いていると、窓から庭が見えた。もう、夜になるというのに、庭には女の子の姿が見えた。
あれは、さやちゃんだ。
僕は、階段を降りて、庭に出て行った。
そこは、いつかの公園の隅の鉄棒の前だった。
さやちゃんがバッグから取り出した星色のドロップを、僕が口にいれる。
懐かしい駄菓子屋さんのドロップの味がする。
さやちゃんが、夕日の色のドロップをとって、それから、それを、自分の口の中に入れる。
スキップ、スキップ、スキップ……
地面から離れ、夕焼けの空の方へと飛んで行くさやちゃん。
手のひらに残っていたドロップを、星色のドロップを少しなめて、それから、それを、さやちゃんが飛んでいった空のほうへ力いっぱい投げる僕。
さやちゃんが打ったボールのように、空へ向かって飛んで行く星色のドロップ。
空からのびる無数の小さな星の道。
星の道のはるか上のほうで、スキップをするように踊っているさやちゃん。
星の道の上のほうで、線香花火を取り出すさやちゃん。
でも、どうやって火をつける?
そのとき、僕は、さやちゃんのバッグにいれた火薬の薬草のことを思い出した。
「さやちゃん、火薬の瓶」
僕の声が聞こえたのか、さやちゃんは、バッグの中から火薬の瓶を取り出して、火薬を取り出し、線香花火にふりかける。
そして、チカチカと光り始める線香花火。
空で捕まえたバッグを見せるさやちゃん。
行かなくちゃ。
僕は、星の道を走り始めた。
星の道を、さやちゃんが待つ空へ向かって。
走って、走って。
ガクンという衝撃。
また「1分」が終わったのだ。
でも、「1分」はだんだん長くなっているようだった。
「今度こそ……」
僕は、また、木馬から降りて、入り口の箱の差し込み口に百円玉をいれようとして、ポケットの中から財布を取り出そうとした。
「あ!」
もう、百円玉は残っていなかった。財布の中にはいっていたのは、木馬の絵が描かれた謎のコインだけだった。
花火大会の夜、花火と引き換えに怪しい男に謎の少年が渡そうとして地面に落ち、僕が拾ったコイン。芝居小屋のテントの中の街の駄菓子屋さんのおばあさんから「戻って来るなら、使ってはいけないよ」と言われたコイン。この回転木馬に通じる駄菓子屋さんの裏の扉に書かれているのと同じ木馬の絵が描かれたコイン。
「戻って来るなら、使ってはいけないよ」と、駄菓子屋さんのおばあさんは言ったけれど、本当に危ないものだったら、あのおばあさんが、きっと、取り上げているに違いない。
僕は、木馬のコインを差し込み口に……
投げ入れた。
そして、自分の木馬に戻って、回転を待った。
ゴ、ゴ、ゴ……
これまでと違う音がして、木馬が回り始めた。
ゴ、ゴ、ゴ……
そして、これまでと違って、音楽が鳴り始めた。
『セカンドワルツ』!
そう。サクソフォンが活躍するその曲は、『セカンドワルツ』だった。
あの芝居小屋のテントの中の街で何度も聴いた『セカンドワルツ』。ここも、たしかに、あの芝居小屋のテントの中の街の中なのだ。
左側の鏡の中には、演奏するサクソフォン奏者の姿が……、と思うと、いったいどうなっているのか、そのサクソフォン奏者を先頭に、オーケストラのメンバーが鏡の中から出て来て……、
まるで円形劇場の中心にある回転舞台のような回転木馬のステージが、オーケストラの演奏の音でいっぱいだ。そして、その中で踊っているのは……。
「さやちゃん!」
とうとう、さやちゃんが、鏡の中だけでなく、回転木馬のステージに現れたのだ。いや、もしかすると、ここ全体が鏡の中の世界なのかもしれないが、そんなことはどうでもよいように思えた。
スキップ、スキップ……。
さやちゃんが登場すると、オーケストラのメンバーは、回転木馬のステージから降りて、外で演奏を続ける。すると、もう一度、ガクンという衝撃。
ゴ、ゴ、ゴ……。
「何だ?」
なんと、ゆっくりと、回転木馬のステージが浮き上がり、地面を離れて、上昇を始めたではないか!
暗くなり始めた夕暮れの空を飛ぶ、それは、まるで、空飛ぶ円盤のよう。そして、空飛ぶ回転木馬のステージの上には、野球のグローブが二つ。さっきのオーケストラのメンバーがステージから降りるときに置いていったのだろうか。
「これでキャッチボールをするんだ」
そう思ったとき、もう、さやちゃんは、ボールを持って、僕のほうを見ていた。
すぐにグローブをはめた僕たちは、ゆっくりとキャッチボールを始める。まずは、さやちゃん。山なりのボールが、しっかりと僕のグローブにおさまる。次は僕。さやちゃん、ナイスキャッチ。
何度目かにさやちゃんがボールを投げたとき、僕には、それが、チカチカっと光ったように見えた。
さやちゃんも同じだったのだろう。
ステージの上に置いていたバッグを拾い上げたさやちゃんは、あの火薬の瓶を取り出す。その瓶が、同じように光っているに僕は気づいた。
「火薬、まだ、残っていたのか?」
さやちゃんは、瓶の中に残っている火薬を空に飛ばす。
チカチカ、チカチカ、チカチカ……。
花火?
さやちゃんが飛ばした花火の光は、回転木馬のステージの回りで輝いた。そして、そこから、もう、遠く離れてしまった地上に向かって、もっと鋭い光を放っていた。
ドドーン、ドドン、ドドン……。
大きな音がする。
雷だ。
いつか、僕とさやちゃんは、二頭の木馬に乗って、夕暮れの空を飛んでいた。
地上は嵐で、雷も落ちているようだった。
花火のような光が、いつか、空に飛んで行って、星の光になっていた。
さやちゃんが飛ばした花火の光は、空いっぱいに広がっていた。
その星の光が左側の鏡にも映り、鏡が光っているようだった。星とともに、夕暮れの空に浮かぶ綿あめのような白い雲も映っていた。そして、鏡の中には、僕と同じように鏡を見ているさやちゃんの姿も映っていた。
「綿あめ、食べたい」
ふり向いた僕に、右隣の木馬に乗ったさやちゃんが言う。
「綿あめのお店、どこかなあ?」
僕とさやちゃんは、木馬の上から空の向こうをぼんやりと眺めていた。
「あ、あそこ!」
さやちゃんが叫ぶ。
左の鏡の中に綿あめのお店。
「何が映っているんだろう?」
と思って空に目を戻すと……、
「え?」
どうしたことか、空の向こうに夏祭りの街の景色が……。
さやちゃんが飛ばした花火の光は、遠い街の世界を幻灯機のように照らし出していた。
「綿あめ食べたい」
「うん、そうしよう!」
回転木馬のステージの中心にあったはずの鏡は、いつのまにか、空いっぱいに広がって、世界は、完全に鏡の中の世界になってしまったかのようだった。
「とうもろこしも!」
「うん、線香花火も!」
もう、この夢がさめることもない。
花火の光は、どこまでも、懐かしい街を映し出していた。
もう、僕たちも、そんな花火の光になってしまった。
そして、花火の光は、木馬に乗ったまま、夏の夕暮れの思い出色の中へ飛んで行った。