サンタを知らなかった子どもがサンタになって書いた備忘録
幼い頃のクリスマスを思い出すと笑える。
目が覚めたら枕もとにサンタさんからのプレゼントが!!という経験が、実は一度もない。
家はいつもお金に困っているように見えたし、「我が家は仏教徒だから」という理由で、サンタクロースが我が家の敷居をまたぐことはまずなかった。
小学校の頃にどんな子どももぶち当たる「サンタはいるのかいないのか」問題も、個人的にはもちろん皆無だった。
思い出せるサンタといえば保育園に来たサンタクロースだ。
あの赤い衣装を着て、顔を半分以上白いヒゲで隠し、大きくて白い布袋を担いで現れた。
みんなサンタクロースの登場にキャーキャー騒いで駆け寄ったが、私は先生にそっと後方の席に連れて行かれた。
あのサンタは父だったから。
父は保育園のクリスマス会でサンタクロースに扮し、用意されたプレゼントを舞台で子どもたちに振る舞ってみせていた。
ひと言も喋らない動作のおかしいヘンテコなサンタクロースだった。
友達がみんなクリスマス時期になるとサンタを崇拝し出す中、私は「一度でいいから目が覚めたら枕もとにプレゼントがある、という状況を体験してみたい。嘘でもいいから置いてくれ」と親に訴える夢のない子どもだった。
とはいえ、クリスマスこそなかった家庭だったけど、両親は貧乏なりに多くの思い出を作ってくれていたし、とにかくたくさんの楽しい経験をさせてくれた。
家は都営住宅、4畳半と6畳の二間で家族5人で暮らしていて狭く汚かったけど、その分、家族は膝を突き合わせてよく話し、よく笑い、楽しく過ごしていた気がする。
それらが相俟って、幼い頃のクリスマスについては、大人になった今ではすっかり笑いのネタであり、決して悲しい思い出ではない。
むしろ暖かな思い出として私の脳内には映し出されるのだ。
あの下手くそな父のサンタ姿も、プレゼントも何もない殺風景な枕もとでさえ。
私にはサンタクロースはいなかった。
けど私の子ども達にはサンタクロースがいる。
私にはクリスマスの朝にプレゼントの箱を開ける楽しみはなかった。
けど私の子ども達にはその喜びが毎年ある。
自分と子ども達を重ね合わせて考える。
この子達は、プレゼントを得ると同時にちゃんと暖かな思い出も作れているのだろうかと。
プレゼントだけでクリスマスの思い出を占拠されてはいないだろうかと。
だから、私達サンタクロースが手をかけるべきクリスマスプレゼントは、実はそこを考えることが一番大切なのかもしれないと思う。
家族と笑って過ごすこの穏やかなクリスマスを、子ども達のクリスマスの思い出にできるようにしたい。
「楽しいね」って言える時間こそ、何よりも贅沢で、何にも代え難いプレゼントなのである。
これはサンタを知らなかった子どもがサンタになって書いた備忘録。