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さらに凄みを増した"究極"発電回路
■オーディオテクニカの"粋"、EXCELLENCE
オーディオテクニカが同社の技術と哲学の粋を結集して創り上げる、EXCELLENCEという名が冠されたシリーズがある。長くその中核をなしてきたのが、MCカートリッジのAT-ART1000である。
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AT-ART1000 ¥657,800(税込)
本機の音へ初めて触れた時の衝撃は、
今もって新鮮な記憶として脳内にある。
いつの間に8年もたってしまったのか。
■心臓を撃ち抜かれるような音!
2016年の発売当時、雑誌の試聴で聴き、また当時パーソナリティを担当していた衛星ラジオ・ミュージックバードの「オーディオ実験工房」で、開発エンジニアへ話を伺いながら音を鳴らした。その時の感動、いやそんな陳腐な言葉では伝えられない、心臓を撃ち抜かれたような、あるいは魂を持っていかれたような印象は、今も忘れない。
こういうと、目の玉が飛び出るような迫力とか、大岩が転がり落ちてくるような力感とか、そういった音を連想なさる人もおいでかもしれないが、ART1000はそういう音ではない。むしろ、聴きようによっては飾り気のない音と捉えられてもおかしくない。
■優秀録音をギョッとするほど生々しく
ART1000が本領を発揮するのは、優秀録音のレコードと器の極端に広い再生環境に巡り合った時である。特に故・長岡鉄男氏が激賞されたA級外盤などでは、爆発的な音は大爆発に、生々しい音はギョッとするほど生々しく、広大なホールトーンはあくまで広く透明に表現する。さながらレコードの中へ入っている情報を何より精密に再現するという趣だ。
この表現を可能にしたのは、ART1000のため特別に開発された「ダイレクトパワー」方式の発電回路である。何とカンチレバーの先端、スタイラスの頭上に顕微鏡サイズのコイルをステレオで配し、磁気回路の中をくぐらせて発電するという方式である。凡そカートリッジの発電方式の中でも、最も針先の振動から近い位置で発電する方式といってよいだろう。
■ダイレクトパワーとダイレクトカップル
この発電回路は、1980年代半ば頃に登場したある製品を思い出させる。ビクターのMC-L1000である。「スーパーダイレクトカップル」と呼ばれた発電回路は、スタイラスを縦に長い無垢ダイヤとし、その先端にICの製作技術を応用したプリントコイルを接着、磁気回路へ突っ込んで発電させるという方式だった。
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今思うと8万5,000円などただのように安いカートリッジだったが、
当時大学生の私にはとても手が出せなかった。
MC-L1000は、恥ずかしながら自分で入手することは叶わなかったが、長岡氏のリスニングルーム「方舟」で何度となく聴かせてもらったことがある。まさに異様な生々しさと体に電撃が走るようなパワー、超音速で体を突き抜けるようなハイスピードという、文字通り長岡サウンドの化身というべきカートリッジだった。
このMC-L1000と、前身のMC-L10、MC-1を使い、長岡氏は優秀録音盤を次々見出していった。逆にいうと、この再生系がなければ、あれほど多数の優秀録音盤が世に出ることはなかったのではないか。そう思わせるに十分な衝撃だった。
■居合い抜きの凄みを連想するダイレクトパワー
そんな長い前置きの後に恐縮だが、AT-ART1000というカートリッジの音は、MC-L1000やその兄弟とはいうほど似ていない。わが家ではMC-L10が実働中だが、剛刀の切れ味や力こぶを見せつけるようなパワフルさではL10が勝る。ART1000はむしろ、目にも止まらぬ速さで刀を抜かれ、知らぬうちに青竹が真っ二つになっているような、そんな凄みを感じさせてくれる音だ。
もっとも、ダイレクトカップルやダイレクトパワーといった発電回路を有することが、即ちどこかに共通する音質をもたらすということではない。往年のビクターも、長岡氏が絶賛したMC-1の兄弟モデルとして、MC-2やMC-101Eといった製品を繰り出したが、氏によると「どれもMC-1の音とは似ていなかった」とか。それほど優れた素材であっても、それをどう生かすかによって、どのような果実も生まれ得るということなのであろう。
■誕生から8年で角型コイルの新世代機が登場
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AT-ART1000X ¥770,000(税込)
見た目はベース部分の色味が違うくらいの差だが、
1000Xになってより音楽が濃厚かつ切れ味鋭くなったように感ずる。
AT-ART1000が登場したのはつい先日のことと思っていたら、何ともう8年も経過していた。そして2024年、ブラッシュアップ・モデルのAT-ART1000Xが誕生する。前作と一番大きく違うのは、他ならぬダイレクトパワー発電回路である。ART1000はφ20umの極細PC OCC線をφ0.9mmで8ターン巻いた丸型コイルだったのに対し、ART1000Xは同じ線材を1.1×0.6mmの長方形に巻き、より磁力線が効率的に当たるよう改良したことと、磁気回路のギャップを0.6→0.5mmへ狭め、さらにコイルへ当たる磁束密度を高めたことが挙げられる。
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その結果、出力特性は3Ω→3.5Ωから0.2mV→0.22mVと変わった。大差ないといえばその通りかもしれないが、私はデータよりも、求める音の世界を実現するために乾いた雑巾を絞るような、ダイヤモンドの表面を削ぐような努力を重ねた同社開発陣へ拍手を贈りたい。
AT-ART1000Xのその他のフィーチャーも書き留めておくと、カンチレバーはソリッド・ボロンでスタイラスは特殊ラインコンタクト針を採用。同社の高級カートリッジではおなじみの部材群である。シェルと接するベース部分はチタン削り出し、発電回路を覆うハウジングはアルミ合金で、そこへさらに硬質樹脂製のカバーが加わる。異種素材を巧みに配することで、共振を分散させて余分な音をつけないための配慮である。
■1個ずつ精密測定して割り出した適正針圧
面白いのは針圧で、もっともこれはART1000から受け継いだ特徴でもあるのだが、1本ずつデータが違う。熟練の職人による完全な手作りの産物なのだが、どれほど同じ部材を使って等しいクオリティで製作しても、実際には微妙な差異が生まれ、適正針圧が僅かずつ異なってしまうのだという。
一般的な発電回路では、それくらいの誤差は再生音へ大きな影響を与えないが、ダイレクトパワー方式はコイルが磁気回路のどこへ位置するかで発電量と音質が大きく異なってしまう。そこで、1個ずつ完成後に精密測定をして、最も適した位置にコイルが収まる針圧を記入した上で、出荷されているのだ。今回テストした個体は「2.4g」と記入されていた。
■どこまで細密に描写するのか!
自宅リスニングルームで試聴した。こういうカートリッジがやってくると、まず音を聴きたくなるのはこれ、長岡鉄男氏激賞の「古代ギリシャの音楽」である。冒頭、巨大なパーカッション・ケースを引っくり返したような強烈なパルス成分の洪水は、猛烈、強烈、壮絶なパワーとスケールが耳を襲うが、それが全然耳へ引っかかりとして残らず、そよ風のように、いや突風のように通り過ぎてゆく。大変な音の洪水の中へ、遠くで小鳥がさえずるさまもはっきりと描写するのが、ART1000Xの凄いところだ。
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グレゴリオ・パニアグワ指揮/アトリウム・ムジケー・ド・マドリード
仏HARMONIAMUNDI HM3427
故・長岡鉄男氏が激賞した結果、輸入盤も国内盤も大ベストセラーとなり、
何と長岡氏の手元にレコード会社から表彰状が届いたという。
「あまりにも有名だから」という理由で、
外盤A級セレクション300枚に入らなかった、曰くつきの盤でもある。
それからしばらくはインスト演奏が続き、そこも深い残響の中から不思議な楽器の音が立ち昇るのだが、音場の濃さや音像の実体感は、Xになってやはり向上したように聴こえる。全体に味わいが濃くなり、しかししつこくならない。本当に絶妙なチューニングという外ない。
そこから間もなくコーラス・パートとなるが、やはり声のコク、石造りと思しき堅い床に足を踏ん張って声を出すコーラス隊の音像がありありと浮かぶ。いい装置で聴くほど「古代ギリシャの音楽」はその持ち味を豊かに表現するのだが、それを一体ART1000Xはどんなレベルで描き上げるのかと、もう聴いているそばからワクワクが止まらなくなってくる。大体、試聴時はコーラスが終わったところで針を上げるのだが、久しぶりにA/B面通して聴いてしまった。
ジャズは非常にS/Nが高く、澄み切った演奏空間に奏者がクッキリと定位する。しかしその音像に余分なメリハリは感じられず、楽器と演奏者そのものの肉体が描写されているような、そんな表現に舌を巻いた。そんな表現でいながら、音楽を分析的に表現することはなく、ライブ演奏の勢いとホットさを部屋の空気へ自然と乗せてくるところが、このカートリッジの並外れたところだと深く感ずる。
■"普通の"録音では粗が見えてしまうことも
ポップスは、こういっては何だが少々つまらない鳴り方になった。いや、もちろん過不足なく鳴ってはいるのだが、何だか素っ気ないというか、録音の粗がよく見えてしまって演奏へ乗り切れない、というのが真相かなとも思う。要は、たまたま選んだ盤の録音がイマイチだったところ、それを素直かつ忠実に再現してしまったということかと考えている。普段聴いていて、こんな風に感じたことのない盤だっただけに、ART1000Xの描写能力には恐れ入った。恐ろしいカートリッジである。
AT-ART1000Xが発売されたのは2024年の7月、本稿執筆時の同年11月中旬時点で、AT-ART1000は未だカタログには載っている。10万円ちょっと廉価なART1000をお買い得とみるか、たったの10万円差でXの音が手に入ると思われるかは人それぞれだろうが、どちらにしろ「人生最高の1本」という意気込みで手を伸ばされるにふさわしいカートリッジである、とこれは断言させていただこう。