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お茶に親しむことで、

ココロザシ

 「志」とはとても堅く感じると思いますが、それは知らず知らずに生まれています。
茶道をはじめるきっかけが何にしろ、「お茶のお稽古をはじめようかな」と思った瞬間や、友人から「お茶のお稽古しない?」と進められた瞬間から、茶道の道に進んでいるのです。近道、回り道、時には道に迷うことがありましても、その後の道はその人によって創られ、その人によって選べるのです。
振り返れば学生時代の修学旅行や学園祭でお抹茶を頂いた記憶があるかもしれません。テレビや雑誌でお茶の設えを目に入れたかもしれません。気づくか気づかないか、知らず知らずに道が創られ、何かを志しているのです。


モテナシ


 「もてなし」とは本来なら常識の一つでしたが、今では忘れられているような気がします。ホテル、レストランといった様々なサービス業界では「客をもてなすマニュアル」を作るほどですから、もてなすことに欠けている人が多いのでしょう。昭和のホームドラマに出てくるような家庭像をイメージしてみますと、父親が仕事の仲間や部下を家に呼び、妻子を自慢し、妻子は嫌な顔せず、自慢の食事を作り、客をもてなす。。。そんなシーンが浮かびます。現代ではあまり無さそうな状況ですかね。客が家に来る機会は減って来ていると感じます。普段の生活からもてなしを身に付けることができるのですが、遠のいてます。どのような形であろうと客が来れば、いらっしゃいませと頭をさげる。誰もがわかる常識ですが、忘れつつあるのです。顎で挨拶するより、きれいな姿のお辞儀があれば客は心地よくもてなされます。そこには自然と心が入っています。一礼から、もてなしがはじまるのです。


ミガク


 「磨く」ことを劣れば、その美しさは衰えます。自分自身を磨くことも同じことです。
お茶を頂くときに茶碗を右に回すか左に回すか、どちらでもいいじゃないか、お茶さえおいしければ・・・。と、私からすれば悲しい考えをする方もいます。お茶を頂く時の姿勢、茶碗を手に取る仕種を美しくすることで、自分自身の姿を美しくすることができます。どちらでも、おいしければいい、といった考えを消し去ることで心が清くなり精神が強くなります。心が落ち着くことで、茶が点てられる音、茶碗を手にした時の温もり、目に映る茶、その香り、そして味わう。普段の生活で意識することがない五感を高めていることに気づけます。姿、心、感覚の美しさを身に付ける、身に付けようとすることで、自分自身の成長を感じることができます。そして、その美しさをただ置いておくのではなく重ねて磨くこと大切なのです。


ウヤマウ


 「敬う」ことは現代社会では一番欠けていることかもしれません。見せかけには心がありません。
 お辞儀の仕方、お茶の飲み方、茶道具の扱いなどを身に付けることは自分自身の成長となりますが、その道は一人歩きの一方通行です。お茶のお稽古をはじめれば、そこには先生、先輩がいるはずです。共に歩いているのですから、一人で違う方向には進めません。稽古事では「師と兄弟子を恐れすぎても、馴れすぎてもいけない」と言います。恐れすぎれば習うことができず、馴れすぎても習うことができないのです。調和を持つことが大切です。ただ、そこに変な意識を持ってはいけません。敬う気持ちは意識するものではありません。自然とでるものです。「よろしくお願いいたします」「ありがとうございました」ここにあります。そして、それを次に引き継ぐことでいっそう調和が保てるのです。


タノシム


 「楽しむ」ことによって、お茶が美味しくなります。お茶を美味しく点てることより、楽しいお茶をしましょう。
「志」「もてなし」「磨く」「敬う」と厳しい言葉をあげましたが、多くの人はそれを楽しんでいます。志も持つことは自分の一歩となり、客をもてなすことで互いに喜びを分かち合い、自分を磨くことで成長し、人を敬うことで更に大きな自分を知る。大きくなる自分を楽しむのです。茶道の稽古では他にも身に付けることが沢山ありますが、それを修練するほど楽しみ方が増していきます。楽しみ方はそれぞれです。お茶のお稽古場が卒業のない学校、部活、サークルといった感覚でもいいのです。楽しむことにより一碗のお茶は美味しくなります。どうぞ、お茶を楽しんでください。


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