ドラマみたいなふたりのはじまり06



「――先輩、今の本気で言ってます?」
低い声でたずねられ、その迫力にごくりとのどが上下した。
後輩がこちらに一歩近づき、私の背後にある壁に手をついた。
長身の彼と壁の狭い空間に閉じ込められ、鼓動が速くなる。
「俺がその程度の気持ちで先輩を口説いてるって、本気で思ってます?」
彼は静かな口調で言いながら軽く首を傾けた。
顎をしゃくるようにしてこちらを見下ろす不機嫌な視線が色っぽい。
「自分で言うのもなんですけど、俺はそれなりにモテるんですよ。遊びでいいからって言い寄ってくる軽い女なら、いくらでもいる」
確かに彼は見た目がよくて長身で仕事もできてさわやかで。そんな男を女たちが放っておくわけがない。
彼が女性社員に言い寄られている場面を何度も見たことがある。
「それならなおさら、どうして私なんかに……」
「それでも先輩に執着するのは、自分でもどうしていいのかわからないくらい好きだからです。セックスだけが目的じゃない。心も体も全部、俺だけのものにしたいってずっと思ってた」
淡々とした口調なのに、内側に秘めた熱情が伝わってくる。その声を受け止める耳たぶが熱くなった。
「一緒にいるときも、いないときも。いつも俺の頭ん中は先輩でいっぱいなんです。俺の百分の一でいいから、先輩にも俺のことを考えてほしいって。俺のことを男として意識してもらいたいって。こんなに必死にもがいてるのに――」
彼は壁に手をついたまま長身をかがめ、私の耳元でうなるようにつぶやいた。
「それでもあんたは俺の気持ちをわかろうともしないで、どうせ体目当てだって決めつけて突き放すんですか」
「……っ」
その声の切実さに息をのむ。
彼は本気で好意を伝えてくれていたのに、勝手に逃げ回って決めつけて遠ざけようとした自分の不誠実さに気付いた。
自分の身勝手な考えが恥ずかしくて頬が熱くなる。
「ご、ごめ……」
私が謝罪の言葉を口にすると、彼はため息を吐き出した。一歩後ろに下がり、壁から手を離す。
「とりあえず、今日はもう帰ります」
そう言われ、目を見開いた。
「待って」
思わず手を伸ばし、彼をひきとめる。
「なんですか?」
コートのそでを掴んだ私を見て、後輩はわずかに眉をひそめる。
こんな雪の中、後輩を外に放り出すなんてできない。
電車はまだ動いていないだろうし、タクシーだってつかまらないだろう。
夜の街を冷たい雪に打たれながらひとりで歩く彼の姿を想像すると、胸がきしむようにいたんだ。
ひどいことを言って傷つけたまま別れるなんて、罪悪感と自己嫌悪で頭がおかしくなりそうだ。
「あの、その……」
でも、こんな気まずい雰囲気の中、泊まっていってほしいなんて言うのは身勝手だろうか。
だけど、でも……。必死に言葉を探していると、こちらを見下ろす彼の表情がふっとゆるんだ。
「先輩。そんな顔で引き留めるの、ずるいです」
ため息交じりに言われ、私はまばたきをする。
「俺がこのまま帰ったら、先輩はひどいことを言った自分を責めて落ち込むんでしょう? それがわかっててこの手を振りほどけるほど、俺は薄情な男じゃないです」
あきれたように笑われて、はりつめていた緊張がほどけた。
私は肩から力が抜けていくのを感じながら、もう一度頭を下げる。
「ごめん。本当に」
「謝罪はいいです。それより、雪がひどいんで泊めてもらいますけど、もうさっきみたいに煽るのはやめてくださいね。先輩の家にいるってだけで、けっこうギリギリなんで」
「ギリギリってなにが?」
「なんでもないです。ほら、さっさとシャワー浴びて温まってきてください。俺はあとからでいいんで」
「でも」
「口答えするなら帰りますよ」
冷たい視線を向けられ、私はぐっと唇を噛む。
なぜか主導権を後輩に握られている。なんだかいつもと立場が逆だ。
でも気まずいまま彼に帰られるのはいやなので、素直に言うことを聞いてシャワーを浴びる。
バスルームから出てきた私を見て、後輩がぷっと笑った。
「髪くらいちゃんと乾かしてきてくださいよ」
自分の髪を見ると、毛先から水滴がしたたっていた。
急いで出てきたのがばればれだ。
「だって、待たせて風邪をひかせたら悪いと思って」
首にかけていたタオルで髪を拭こうとすると、後輩の手がのびてきた。
タオルの両端を掴み、そのまま私の自分方へひきよせる。
大きな両手で包み込むように私の髪を拭いてくれた。
「あー、もう。すっぴんでパジャマで髪びしゃびしゃのまま出てくるとか、どんだけ無防備なんですか」
「あ……っ」
しまった。慌てていて自分がすっぴんだということをすっかり忘れていた。
それに普通にパジャマを着てしまったけど、せめて部屋着にすればよかった。
「見苦しいものを見せてごめん。着替えてくる……っ」
恥ずかしくてそう言うと、逃がさないというように私の頭をつつむ手のひらに力がこめられた。
驚いて視線を上げた私は、こちらに向けられた甘い視線に息をのむ。
「見苦しくないです。仕事中とはちがう素の先輩を見られてすごくうれしいです」
「こんなだらしない恰好を見てうれしいって、ちょっと感性がおかしくない?」
「おかしくてもいいです。俺はどんな先輩でも好きですから」
後輩の猛攻撃に思わず悲鳴を上げそうになる。
勘弁して。こんなの心臓が止まってしまう。
「それよりも、さっさとシャワー浴びてきて!」
怒鳴るように言って後輩をバスルームに押し込め、はぁーっと息を吐きだした。
体の中心で、心臓がうるさいくらい大きく音をたてていた。

シャワーから出てきた後輩と、冷蔵庫をのぞく。
この雪じゃデリバリーを頼んだところで届くのが遅れるだろうから家にあるもので夕食をすませようとしたけれど、我が家の冷蔵庫に入っているのはチーズと果物とお酒くらいで、食事になりそうなものはなかった。
「先輩の普段の食生活が透けて見える冷蔵庫ですね」
感心したように言われ、私は顔をしかめる。
「女なのに自炊もしないなんてって、あきれてるんでしょ」
「あきれないですよ。自炊に性別は関係ないですし、仕事は完璧な先輩が家ではだらしないって、むしろギャップでぐっときます」
「そんなことでぐっとくるなんて、理解できないわ」
「そうですか?」
「全く1ミリも理解できない」
私が大きくうなずくと、耳もとでささやかれた。
「さっきも言ったじゃないですか。俺はどんな先輩でも好きだって」
その甘い言葉にひぇっと跳び上がる。
だから、心臓が、止まる!
「あ、カップラーメンがありましたよ。夕食これですませましょうか」
私が動揺している間に、後輩が棚からカップラーメンを見つけ出した。
手料理どころかカップラーメンて。なんて色気のない食事だ。
リビングのローテーブルの前に座りふたりでカップラーメンを食べていると、後輩が話しかけてきた。
「シャワーを浴びながら考えてたんですけど。今まで俺が口説いても波風立てないように逃げ回っていた先輩が急に俺を突き離そうとするなんて、なにかあったんでしょう?」
そうたずねられ、ぎくりと肩が跳ねる。
「会社の女性社員になにか言われた、とかですか?」
ピンポイントで図星をさされた。ちょっとするどすぎないか。
「どんなことを言われたんですか? 悪口ですか? それとも厭味?」
ぐいぐい質問攻めにされ、後ずさりながら視線を泳がせる。
「いや、私はなにを言われても別にどうでもいいんだけど……」
「じゃあ、俺のことですか?」
「女性社員たちに、女の趣味が悪いってがっかりされるのはいやでしょ」
私の言葉を聞いた後輩は、はぁーっとながい息を吐きだした。
邪魔くさそうに髪をかきあげ、うんざりした表情でこちらを見る。
「それこそどうでもいいですよ。俺は先輩以外の女に嫌われようが失望されようが興味ないです」
「でも、私が不愉快なの。私なんかに構っているせいできみの社内での評価が下がるなんて、腹が立つ」
「それで先輩は悪評も批判もすべて自分ひとりで引き受けて、悪女のふりして俺を突き離そうとしたんですか」
後輩は納得したようにつぶやく。
「女性社員の噂が社内の評価に影響するとは思えないし、したとしても仕事で取り返すんで心配しないでください。まぁ、先輩のことを悪く言われるのは俺が面白くないので、噂を流しそうな女性社員にはなにか手を打ちますけど」
「手を打つって何する気?」
「俺が一方的に先輩にほれておいかけてるだけだってはっきりさせれば、変な憶測や噂はなくなるでしょう」
「いやいやいや。そんなのはっきりさせなくていいから。それに、どんなに口説かれたって私は社内恋愛なんてする気ないから、そろそろ諦めてよ」
私が思い切り顔をしかめると、後輩がははっとふきだした。嬉しそうに目元をゆるめる。
どうして社内恋愛をする気はないとはっきり拒絶しているのに、そんなに嬉しそうに笑うんだ。
「先輩、少しずつ俺のことを好きになってますよね?」
自信満々に微笑まれ、「はぁっ?」とまぬけな声がでた。
「だって、前は年下は無理って言っていたのに、今は社内恋愛は無理にかわった。ってことは、俺が会社をやめれば可能性はあるってことですよね」
自分でも自覚していなかった気持ちの変化を指摘され、「いや、それは……っ」とパニックになる。
「じゃあ会社やめようかな。そうすれば、真剣に俺のことを考えてくれます?」
「え。なに言ってんの。だめだよ、やめたら」
思わず後輩の服のすそをつかんだ。
彼は一瞬目を見開いたあと、手で目元を覆いうなだれる。
「なにその必死な表情。ほんとかわいい。そんなに俺に会社をやめてほしくないんですか」
「だって。せっかく育てた有能な後輩が会社をやめるのはいやでしょ、普通」
あたふたしながら言い訳をすると、後輩はこちらをみつめ「やめませんよ」と微笑んだ。
「先輩が俺を好きになりかけているのに、わざわざ自分からはなれるようなことはしません」
「いや、好きになりかけてないから」
むきになって否定する私を見ながら、後輩は真面目な表情になる。
「今はそれでいいですよ。年下だろうと社内恋愛だろうと関係なく好きだと思ってもらえるくらい、頼りがいのある男になりますから。それまでもう少し待っていてください」
その言葉に、不本意ながらときめいてしまった。
おちつけと心の中でつぶやいて深呼吸をする。
動揺する私をよそに、後輩は「先輩が作ってくれたカップラーメン、おいしいです」とご機嫌に笑った。
「それ厭味? お湯を注いで三分計っただけなんだけど」
「まぁ、そうなんですけど。好きな人と一緒に食べるといつもより美味しく感じるじゃないですか」
その横顔を見ながら考える。
ただのカップラーメンでこんなにうれしそうな彼に、もし手料理を作ってあげたら。きっと、ものすごくよろこぶんだろうな。
そんな想像をした私は、慌てて首を横に振る。
私は社内恋愛なんて絶対したくないんだから、彼に手料理をつくるなんてありえない。


『ドラマみたいなふたりのはじまり。06』END


ショートストーリーのつもりなのに、どんどん長くなっていくのよくないよなぁ。と思いながら、うまく短くまとめられない。むずかしい…。
次回は先輩のおうちにお泊り編、後輩くん目線の予定。


金曜日のショートストーリー
第15回お題『手料理』


【企画概要】
『金曜日のショートショート』は、隔週金曜日に、お題に沿ってショートショートまたはショートストーリーを書く企画です。
*企画の詳細や過去のお題はマガジンの固定記事をご覧ください。

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