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ドラマみたいなふたりのはじまり08


後輩を家に泊めたあの雪の日から、今まで以上に彼が気になるようになってしまった。
仕事をしていても、無意識に彼の姿を探してしまう。たくさんの人が話していても、彼の声だけをはっきりと聞き取ってしまう。
そんな自分に気づくと、慌てて首を左右に振り心の中で「別に好きなわけじゃない」と言い聞かせる。
だって、社内恋愛なんて面倒でしかない。
私は悪あがきのように、何度もそう繰り返す。

休憩時間に私が社内を歩いていると、後輩の姿を見つけた。
彼は女性社員たちにかこまれている。みんな私より若くてかわいい。
その様子を遠くから眺めていると、胸のあたりがちくりと痛んだ。
なんだ、このもやもやした気持ちは。
顔をしかめた私は、彼を取り囲む女性社員を見て「あ」と気づく。
あれは、前にエレベーターで私の噂をしていた子たちだ。
あのとき向けられた悪意を思い出し、もやもやがさらに大きくなる。
すごく楽しそうだけど、いったいなにを話しているんだろう。
気になる。だけど、知りたくない。自分の中の矛盾に戸惑う。
さっさとフロアに戻って仕事をしよう。そう思ったとき、後輩がこちらを見た。
私に気付いた途端、整った彼の顔に笑顔が浮かんだ。
あ。やばい。
気づかないふりをして踵を返そうとしたけれど、よく通る声で「先輩!」と呼ばれ、無視できなくなった。
後輩は周りにいる女の子たちに「じゃあ、俺行きますね」と話を切り上げ、笑顔でこちらにやってくる。
あぁ。女性社員の前でそんなあからさまに好意を態度に出したら、またなにか言われるんじゃ……。
焦る私をよそに、女性社員たちは「後輩くんまたね」「がんばって~」と楽し気に手を振っていた。
んんん。なんでだ。以前と態度が全く違う。
不思議に思っていると、私の隣にやってきた後輩が「あのこたちはもう変な噂をしたりしないんで、安心していいですよ」と耳元でささやいた。
「どうして」
「先輩のことが好きだけどなかなか振り向いてもらえないんでアドバイスしてくださいよってお願いしたら、すっかり応援してくれるようになりました」
「うわぁ……」
女性社員に私のことが好きだって宣言したのか。思わず頭を抱えたくなる。
「それって逆に嫉妬を煽りそうじゃない」
「べつにあの子たちは本気で俺を好きなんじゃなくて、ただ話題がほしくて噂してるだけだから平気ですよ」
確かに、彼女たちの視線からは敵意は感じなかった。
きっとイケメンでかわいい後輩に頼られてうれしいんだろう。
私は歩きながら隣にいる後輩を見上げる。
こういう男を人たらしっていうんだろうな。
見た目の良さはもちろん、気が利くし頭の回転が速いし、するりと人の懐に入り込む愛嬌がある。
なんだかずるいな。腹が立ってきた。
エレベーターの前で立ち止まると、後輩がこちらに視線をなげてくすりと笑った。
「先輩、俺が女の子たちと話してるところを見てやきもちやきました?」
「まさか!」
とっさに否定したけれど、動揺で声が高くなる。ごまかすためにこほんと咳ばらいをする。
「私がやきもちをやくわけないでしょ」
「そうですか? 俺を見る目が怒ってましたよ」
そう言われ、咄嗟に両手で目元をかくしてうつむいた。その様子を見た後輩が、ぐっと息をのんだのがわかった。
後輩はしばらく黙り込んだ後、はぁーっと長い息を吐きだす。
「なんですかそのかわいい反応。そうやって顔を隠すの、やきもちやいたってみとめているのと一緒ですよ」
しまった。墓穴を掘った。そんなつもりじゃなかったのに。
「いや、ちがう。これは……っ」
必死に否定する言葉を探していると、後輩が真顔でとんでもないことを口にした。
「あー、くっそかわいい。人目につかないところに連れ込んで抱きしめたい」
「はぁっ!?」
ぎょっとする私を見て、自分の発言に気付いた後輩がにっこりと笑顔をつくる。
「すみません。心の声がもれました」
「心の声って!」
いつもそんなことを考えているのか!ここは職場なのに、なんて不埒な!
「エレベーターなかなかこないですね」
後輩は平然とエレベーターの階数表示を見上げる。私も気を取り直し顔を上げた。
荷物の積み下ろしでもしているのか、さっきからエレベーターが動いていない。
「三階分だし、階段つかう?」
「ですね」
普段はあまりつかわない階段へと向かう。ひと気がないせいか、階段をのぼる靴音が大きく響く。
「こういうところに先輩とふたりでいると、こっそりキスしたくなりますね」
一階分あっがったところでまたとんでもないことを言われた。
動揺が表情にでないように顔をしかめる。
「後輩くん。また本音がもれてるけど」
私が階段を上がりながら言うと、後ろにいる後輩は「わざとです」とくすくすと笑う。
「先輩が俺を好きになりはじめてる感じがするので、ちょっと本音ずつをだしていこうと思って」
「気のせいでしょ。好きになってないから」
ドキドキしているのを悟られないように素っ気ない口調で言うと、手首をつかまれた。
「本当に?」
ふりかえると、真剣な表情をした後輩と目が合った。
階段のせいでいつもは見上げている彼と視線の高さが一緒だった。あらためてその顔の綺麗さを実感して心臓が跳ねる。
「俺のこと、少しも好きじゃないですか?」
熱を帯びた問いかけに、頬が熱くなる。
少しも、と言われると答えに困る。だって、かわいがっていた後輩に口説かれ続け、心が揺れているのは事実だ。
どうしよう。こんなに近くでみつめられたら、どんなに言葉で誤魔化しても動揺が伝わってしまいそうだ。
口をつぐんでうつむくと、頭上でくすりと笑う気配がした。
「先輩、キスしてもいいですか」
欲情がにじむ色っぽい声でたずねられる。
「だめ」
「どうして?」
「だって、ここは会社だし……」
私の精一杯の拒絶の言葉を聞いて、後輩がふと息をもらして笑った。
「それって、会社じゃなければいいってこと?」
「ちがっ!」
顔を上げた瞬間、唇をふさがれた。やわらなか感触に目を見開く。かるく顔をかたむけた後輩が、凍り付く私を見て至近距離で微笑んだ。
「かわい」
ぽつりと感想をもらして、また唇をふさぐ。
触れて、離れて、触れて。
そのたびにくびすじのあたりから、ゆっくりと力がぬけていく。骨抜きにされるって、こういうことを言うんだろう。
「ん……」
鼻にかかる甘い吐息が、ひと気のない階段に響いた。
「先輩、好きです」
彼は大きな手で私の頬をなで、愛おしそうに目元をゆるめる。
「本当に、どうしていいのかわかんないくらい、すげぇすき」
掠れた声が切なくて色っぽくて、鼓動がいっきに速くなる。
後輩の顔がもう一度近づいてくる。
またキスをされる。そう思った私は、手で彼の唇をふさいだ。
「もう、だめ」
「どうして?」
後輩はこんなんじゃぜんぜん足りないといいたげに、私をじっとみつめる。
「だって、こんなの心臓が爆発するから……っ」
泣きそうになりながら言うと、後輩はがっくりとうなだれてしまった。
そのまま動かなくなってしまった彼に、どうしたんだろうとパニックになる。
「だ、大丈夫?」
恐る恐る問いかけると、彼はうつむいたまま低い声でつぶやいた。
「あー、もう。このまま資料室にでも連れ込んで押し倒してめちゃくちゃに抱きてぇ……」
「はぁっ!?」
こいつはなんてことを言うんだ!
ぎょっとする私を前に後輩は大きく息を吐き出し、気持ちを切り替えてから顔を上げる。
「すみません。ちょっと本音をもらしすぎました」
いやいや、ちょっとじゃないでしょう。
私がびくびくしていると、後輩はふっと表情を緩めた。手を伸ばし、優しく私の頭をなでる。
「そんな強引なことはしないんで、怖がらないでください」
「怖がっては、いないけど」
私が小さな声で答えると、後輩は「よかった」と微笑む。
怖がってはいないけど、私を見つめる後輩の表情が甘くて落ち着かない。
心臓のあたりがせわしなくぴょこぴょこしてる感じ。どうすればいいのよ、こんなの。
「先輩。今すぐ付き合ってなんて言いませんから、このまま少しずつ俺を好きになってください」
その言葉にうなずいていいのか迷う。彼に惹かれているけれど、社内恋愛に踏み込む覚悟はできてない。
後輩はそんな私の戸惑いに気づいたのか、答えを待たずに階段を登り始めた。
「そろそろ休憩終わるから、行きましょうか」
「そうだね」
その優しさに感謝しながら彼の後を追いかける。
「今日はこれから外回り?」
「はい。打ち合わせが二件」
「風邪をひかないようにあったかくしていくんだよ」
「なんですかそのおかん発言」
さっきまでのキスを誤魔化すように、色気のない会話をしながら階段を登る。
「そういえば、海外の支社に飛ばされてた人が今度本社に戻ってくるらしいですね」
後輩がなにげなく口にした世間話に、全身の血が凍りついたかと思った。
「え……?」
「他部署の同期から聞いたんですけど、素行が悪すぎて飛ばされたって。よっぽどくせのある人なんでしょうね。直属の上司になったらどうしよう」
そう続ける彼の言葉は途中から全く耳に入らなくなった。
いつも不機嫌そうに目をすがめてこちらを見下ろす鋭い視線。薄い唇を片方だけ持ち上げて笑う皮肉げな表情。タバコの煙と一緒に吐き出されるかすかな笑い声。ずっと慕っていた憧れの上司。
そんな彼の姿が脳裏に甦る。
「先輩?」
足を止めた私に気づいた後輩が、こちらを振り返った。でも、彼の声がなぜかとても遠く聞こえた。


どうしよう。
後輩にキスをされたときとはまったく違う理由で、心臓が爆発しそうだ。


『ドラマみたいなふたりのはじまり08』END


そろそろくせのある厄介な上司が登場します。
がんばれ後輩くん。


金曜日のショートストーリー
第17回お題『爆発』



【企画概要】
『金曜日のショートショート』は、隔週金曜日に、お題に沿ってショートショートまたはショートストーリーを書く企画です。
*企画の詳細や過去のお題はマガジンの固定記事をご覧ください。

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