ドラマみたいなふたりのはじまり02

酔った勢いで会社の後輩と男女の関係になってしまうという、非常に不本意なことをやらかしてから一週間。
私はひたすら後輩を避け続けていた。
あの夜は本当に酔って理性を無くしていただけで、社内恋愛なんてごめんだし、私が好きなのはお互いに心地よい距離を保てる余裕のある年上の男だし、三十歳目前にして五つも年下のイケメンと本気の恋をはじめるなんて、ひたすら面倒でしかない。
もうこれは忘れたふりをしてすっとぼけるしかない。
そう結論を出し普段どおり仕事をしていると、私の右半身にするどい視線が突き刺さる。
うわぁ。見られてるよ。めちゃくちゃ凝視されてるよ。
その視線の主が誰かなんて、確認するまでもない。
仕事中だというのに不満たっぷりの表情でこちらを見つめているのは、もちろん例の後輩だ。
私は決してそちらを見ないように気を張りながら、勘弁してよと心の中で叫ぶ。
そんなふうにまっすぐに見つめられたら、ベッドの上で言われた言葉を思い出しちゃうじゃない。

――俺はどんなに酔っていても、好きな相手しか抱きませんから

不意いうちでくらった遠回しの告白を思い出し、体温が勝手に上がる。
いやいや、あんなのただの冗談だ。社内でも取引先でももてもてでかわいい女の子選びたい放題のイケメン後輩が、わざわざ年上の私を本気で口説くはずがない。
そう自分に言い聞かせ、後輩の視線を無視して立ち上がる。
資料を取り出すためにキャビネット型の書類棚に手をかけたけれど、なぜか開かない。
「あれ」
何度か試しても一向に開く気配がない。普段は開きっぱなしになっているのに、誰かが鍵をかけたのだろうか。そう思い、鍵を管理している課長に声をかける。
「課長、すみません。書類棚の鍵ありますか?」
たずねた私に、四十歳手前の課長はてへっと舌を出して笑った。
「悪い。どっかいっちゃった」
「いや、どっかいっちゃったって……」
なんのための鍵だ。なんのための管理職だ。このダメ課長め。私が怒りのオーラを放出しかけたとき、後ろから声をかけられた。
「欲しい書類、この中ですか?」
ぎょっとして振り返ると、いつの間にか後輩が書類棚の前にいた。
「そう、だけど」
動揺を隠してなんとかうなずく。後輩はそんな私を見下ろし、こちらに手を伸ばした。
長い指が私の胸元に近づく。
か、会社でなにをする気……っ!?
身がまえると、彼は私が首からぶらさげていた社員証に触れた。
「これ、借りますね」
そう言われ視線を上げる。後輩が持っていたのは、私がなんとなく社員証にくっつけていた針金のクリップ。
びっくりした……。ほっとして肩から力を抜いた私を見て、後輩がくすりと笑う。
「あの夜みたいに触られるかもって、期待しました?」
耳もとでささやかれ、全身の産毛が逆立った。絶句してなにも言えない私に、彼は端整な顔に涼しい笑みを浮かべて付け加える。
「会社でなんて触りませんよ。理性が崩れて歯止めが利かなくなるから」
「な……っ」
さらっととんでもないことを言われ、驚きのあまり目を見開く。
そんな私を無視した後輩は、長い指でクリップの針金を伸ばし、鍵穴に指しこんだ。
「なに、お前鍵開けられるの?」
遠巻きに見ていた課長がこちらに近づいてくる。
「このくらいの単純な鍵なら、たぶん」
そんな会話をしているうちに、カチャンと小さな音をたてて書類棚の鍵が開いた。
「先輩、開きましたよ」
「あ、ありがとう」
お礼を言う私の後ろで、課長が「すごいな」とのん気に笑う。
「お前、本当に器用っていうか几帳面だよな」
「そうですか?」
「この前も、取引先から届いた荷物、熨斗紙から包装紙まですげぇ丁寧にはがしてたし。ベッドで女の服を脱がす時も、一枚一枚優しく脱がせそう」
そんな課長の言葉に、私はごふっと音をたててせき込んだ。このダメ課長は仕事中になんてことを言うんだ。
「また課長、そいういうセクハラ発言をするー!」
「後輩くんは私たちの心のオアシスなんだから、変な想像しなくでください!」
近くにいた女性社員たちから非難の言葉が飛んできた。そうだ、もっと言ってやれ。
私が心の中で全力で同意していると、なぜか彼女たちの会話があらぬ方向に向かっていく。
「でも、確かに後輩くんって恋人になったら優しくしてくれそうだよね」
「わかる。紳士っていうか、王子さまっていうか」
「とことん甘やかしてくれそう」
そんなことを言ってうなずきあう。
いやいやいや。こいつのどこが紳士だ。どこが王子だ。
この男、ちっとも優しくないから!一枚一枚脱がせるどころか、部屋に入った途端ベッドに押し倒して、服を着たままことに及ぶ野獣だから!
心の中で抗議の声を上げる私に対し、後輩は「そんなふうに言われると、どんなリアクションをしていいのかわからなくて困ります」なんて照れ笑いをする。
「わー、照れてる!」
「後輩くん、ほんとかわいい」
いや、あんたたち騙されてるから!こいつにかわいさなんてみじんもないから!
あの澄ました顔をした男の正体を暴露してやりたい……!そんなこといえるわけないけど……!
私がぎりぎりと歯ぎしりをしていると、後輩の視線がこちらに向いた。
「先輩、どうかしました?」
からかうような問いかけに、心の中を見透かされた気がして頬が熱くなる。
「なんでもないわ」
必死に余裕のある口調で言ってフロアから逃げ出す。
なんでこんなに振り回されてるんだ。落ち着け落ち着け。
自分に言い聞かせながら、休憩スペースに置いてある自販機で飲み物を買う。
冷たい缶コーヒーを一気にあおりため息をつくと、「俺も飲みたいなぁ」と背後から声をかけられた。
ぎくりと飛び跳ねて振り返る。案の定、そこでにこやかに笑うのは後輩だ。
あんたから逃げ出すために休憩スペースにやってきたのに、どうしてついてくるかな!
心の中で文句を言いながら、冷静なふりをして微笑む。
「いいよ。書類棚を開けてもらったお礼におごってあげる。なにがいい?」
「じゃあ先輩と同じので」
自販機でコーヒーを買い手渡しながら話しかける。
「鍵をあんなに簡単に開けちゃうなんて、ほんと器用だよね。仕事もできるし女の子にももてるし、人生楽しいでしょ」
「そんなことないですよ」
後輩は私の言葉に苦笑いして首を横に振った。
「自分でも要領はいいほうだと思うし、大抵のことは人よりうまくやれるんですけど、どうしても開かないか鍵があるんですよね」
「なにそれ」
「好きな人にガッチガチに警戒されてて、ちっとも心を開いてくれないんです。年上の女性なんですけど、どうしたらいいですかね」
ストレートな質問に、コーヒーを吹き出しそうになる。またそうやって、軽率に人を動揺させないでほしい。
「さぁ、年下の男は嫌いなんじゃない?」
私がつんとすました表情で言うと、後輩がさらに聞いてくる。
「じゃあ年下嫌いの女性に振り向いてもらうにはどうしたらいいですか?」
「そうね、君が頑張って彼女の年齢に追いついたらいいんじゃない?」
その答えを聞いて、後輩の眉尻が情けなくさがった。
「年齢なんてどんなに足掻いたって一生追いつけないじゃないですか」
いじけた表情を見て、ちょっとだけすっとした。散々振り回されたから、逆に彼をやり込めるのは気分がいい。
「残念。じゃあ一生片想いし続けるしかないわね」
私が笑いながら言うと、「一生片想いですか」とつぶやいた後輩が一歩こちらに近づいた。私は戸惑いながら長身の彼を見上げる。
「それって、俺は一生先輩を想い続けていいってことですよね?」
さっきの情けない表情から一転、男の色気全開の視線で見つめられ、頭に一気に血が上った。
「ちが……っ!」
全力で否定しようとする私を見て、後輩が「ははっ」と声をもらして笑う。
「先輩、真っ赤ですよ。かわいいですね」
「そうやって、からかわないで」
ぎりぎりと歯ぎしりしながら睨むと、彼は余裕の笑みでこちらを見下ろしていた。
「からかってるんじゃなくて、口説いてるんです」
言いながら、私の胸をあたりを指さす。
「少しは心の鍵、ゆるみました?」
その問いかけに「ゆるむわけないでしょう!」と声を荒げて否定する。
そして私は彼を置き去りにしてその場から逃げ出した。
早足で歩きながら、心の中で悲鳴を上げる。

どうしよう。どうしよう。どうしよう。
社内恋愛なんてごめんだし、私が好きなのはお互いに心地よい距離を保てる余裕のある年上の男だし、三十歳目前にして五つも年下のイケメンと本気の恋をはじめるなんて、ひたすら面倒でしかないのに。
どうしよう。頬が熱くて仕方ない。

これからも平和な日常を送るには、もっと頑丈な鍵が必要だ。

『ドラマみたいなふたりのはじまり。02』END


年下なんて、と思っていたはずなのに、ずぶずぶにはまっていくやつ。


金曜日のショートストーリー
第11回お題「鍵」


【企画概要】
『金曜日のショートショート』は、隔週金曜日に、お題に沿ってショートショートまたはショートストーリーを書く企画です。
*企画の詳細や過去のお題はマガジンの固定記事をご覧ください。

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