ドラマみたいなふたりのはじまり05
好意が先か、快楽が先か。
最近そんなことをよく考える。
そっけなく接しているのにめげずに私を口説いてくる後輩は、もともと好意を持っていたからあの夜私を抱いたのか、それとも酔った勢いでの一夜が予想外によかったから私に執着しているのか。
どう考えたって後者だろう。あのイケメンが前から私を好きだったなんてありえない。
入社したころから気になっていたと言われたけれど。私は来年で三十歳。幸せな恋もつらい経験もそれなりにしてきた。若い男の口説き文句を真に受けるほど馬鹿じゃない。
社内のエレベーターに乗り込むと、他部署の女性社員がこちらを見ているのに気が付いた。
「あの人、営業部の」
「あぁ。例の」
そんなささやきが耳に飛び込んでくる。
どうやら私の噂をしているようだ。
「後輩くんに口説かれていい気になってるらしいよ」
「わざともったいぶって返事を先延ばしにして、年下の男を振り回してるんでしょ。性格わる」
「ちょっと美人だからって、勘違いしてるよね」
「あのさわかやイケメンの後輩くんが、あんな人を好きなんてちょっとショック」
「わかる。女の趣味が悪い男って、がっかりだよね」
狭いエレベーターの中、悪意がちくちくと突き刺さる。
私は天井をあおいでため息をつく。
私と後輩のことが噂になっているらしい。たぶん、きのうの休憩スペースでのやりとりを誰かに聞かれていたんだろう。
これだから社内恋愛はいやなんだ。面倒なことが多すぎる。
うんざりしながら思い浮かべるのは、六年前大好きだった上司の顔。あのときにさんざん振り回されて傷ついて落ち込んで、社内恋愛なんてするかと誓ったのに。
それなのに。なんで酔った勢いとはいえ、あの夜後輩とホテルに行ってしまったんだろう。
まぁ、今更後悔しても遅い。自業自得だ。
後輩と向き合うのが面倒で逃げ回っていたけど、いい加減はっきりさせないと。私が噂されるのはどうでもいいけど、後輩の評判まで落としてしまうのは申し訳ない。
私はため息をついてから腹をくくる。
丁度今日は後輩とふたりで外回りに行く予定だ。仕事を終えてからちゃんと話そう。
そう思ったけれど、少し憂鬱な気分になった。
「雪、ですね」
取引先での打ち合わせを終えて外に出ると、後輩が空を見上げながらつぶやいた。
道も建物も街路樹も雪をかぶり一面真っ白になっていた。天気予報で雪が降るかもとは言っていたけれど、ここまで積もるとは予想外だ。
「あちこちで電車も止まってるみたいだから、無理に会社に戻らず直帰していいって」
私はスマホに届いていた課長からのメッセージを読みながらそう言う。
「電車が止まってるなら、タクシーもつかまらないですよね。先輩、家まで帰れそうですか?」
「ここから歩いて三十分くらい」
「よかった。雪で滑って転ばないように気を付けて帰ってくださいね」
白い息を吐きながら後輩が笑う。そして私に背を向けて歩き出す。
「きみはどうするの? 家は歩いて帰れる距離?」
声をかけると、彼は足をとめこちらをふりかえった。
「まぁ。夜中になるまでにはつくだろうし、疲れたら途中のネカフェとかで休憩します」
「それなら、うちに泊まれば? 明日は土曜だし」
私の唐突な誘いに、後輩は信じられないという表情で私を見る。
「は? 泊まるって、俺が先輩の家に?」
「慣れない雪道を革靴で何時間も歩くのは大変でしょう」
「だけど、今まで何度誘ってもスルーだったのに、どうして急に」
「いやならいい」
素っ気なく言って踵をかえすと、後輩は慌てたように私の手首をつかんだ。
「いやじゃないです。先輩の家、行きたいです」
外はこんなに寒いというのに、肌にふれた彼の手は熱かった。
「おじゃまします」
後輩が遠慮がちに言いながら玄関でコートを脱ぐ。
湿った雪が降りしきる中歩いてきたせいで、ふたりともずぶぬれで体の芯まで冷えていた。
「寒いよね。とりあえずシャワー浴びてあたたまって」
「いや、俺よりもまず先輩が」
「じゃあ、一緒に浴びる?」
私の提案に、後輩は動きを止めてこちらを見た。
「は? 今なんて?」
「だから、ふたりでシャワーを浴びる?って聞いたの」
私は冷静な口調で繰り返す。後輩の表情がけわしくなる。
「どうしたんですか先輩。なんか今日変ですよ。今までどんなに俺が口説いても拒み続けてきたのに……」
「これ以上会社で言い寄られるの正直迷惑なんだよね。私のこと一生懸命口説いてるけど、結局やりたいだけなんでしょ?」
私が濡れた髪をかきあげながら素っ気なく言うと、後輩の整った顔がゆがんだ。
自分の言葉が彼を怒らせていると自覚しながら、わざと無神経なふりをして微笑む。
「もう私に馴れ馴れしく話しかけないって約束するなら、一回だけやらせてあげる」
これ以上会社で変な噂が広がる前に、私を軽蔑して愛想をつかせばいい。
そうすれば、彼は年上の女に振り回された被害者で、批難と敵意は私に集まる。
「どうせ体目当てなんだから、それで満足でしょう? まぁ、どうしてもってお願いするなら、セフレのひとりにしてあげてもいいけど。ちゃんと私の言うことをきいておりこうにできるならだけど……」
私の言葉をさえぎるように「……は?」と低いつぶやきが空気を震わせた。
驚いて顔を上げる。
後輩の纏う空気の温度が明らかに下がる。いつもは穏やかな笑みをたたえている瞳をするどく細めて私を見据える。視線から彼の怒りがひしひしと伝わってくる。
「――先輩、今の本気で言ってます?」
低い、男の声色でたずねられ、その迫力にごくりとのどが上下した。
後輩がこちらに一歩近づき、私の背後にある壁に手をついた。
長身の彼と壁の狭い空間に閉じ込められ、鼓動が速くなる。
息をのんで彼を見上げると、最近よく考えていた疑問が頭に浮かんだ。
好意が先か、快楽が先か。
そんなことを考えるのは、ニワトリが先かタマゴが先か悩むくらい、無益で無意味だと思い知る。
だって、人を好きになってしまったと自覚したときには、もうすべてが手遅れだ。
『ドラマみたいなふたりのはじまり。05』END
北海道に住んでいるから雪なんて見飽きてるけど、普段降らない地域が降雪で交通機関が混乱して家に帰れなくなるとか、ドラマチックー!と思う。
なにかがはじまる気しかしない。という妄想。
金曜日のショートストーリー
第14回お題『たまご』
【企画概要】
『金曜日のショートショート』は、隔週金曜日に、お題に沿ってショートショートまたはショートストーリーを書く企画です。
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