勉氏への書簡2022 (前編)・1

2021年末

今日は嫌がらせされながら、勉氏への書簡4・5を読んでいました。
長くてすごい時間がかかりますね。
貴女一家しか、読まないでしょう。
前回の勉氏への発信がひと月以上前なのにびっくりしましたよ。 
貴女ほんとに嫌がらせで自滅するんですね…。
前回、なぜ同級生勢や所属区の関係者が関わっているの分っているのに、そこに頼みにいかないのか?という所で終わっています。
8年前、〇ムウェイ勢や同級生勢と飲みに行ったり、色々頼み込んでさんざん金を使い間に入ってくれる人を探してました。
全員が知らぬ存ぜぬで通してきて(会員であるメンツも判明していたのに)どうにもなりませんでした。
貴女一家がそう対応するように工作してましたよね。

飲みに行ったりしている内に、背信行為が何度かあったんで、ここに頼んでも埒あかないなと同級生勢に頼むのをやめたんです。
勉氏と裕子女史と交渉できる人を探し始め、それでN氏と知り合った。
始めはこの信心で解決できない問題などないと意気軒高に言っていたんですが、勉氏が手を回し始めると、題目をあげて早く会えるように祈ろうという受け身に変化してゆきました。 
N氏も勉氏と会ったりするうちに、人のいう事を聞くタイプではないと分かり始めたんですね。

で、今に至る。
今、N氏夫人や所属区の同志勢に頼もうにも、貴方が手を回しているんで、またしても知らぬ存ぜぬ対応に変わってしまっていてどうにもなりません。
かなり迷惑をかけそうな雰囲気なんで、その話は出来ないのです。
同級生勢も同様で、この間、隣駅でたまたまいた奴なんか、8年前、中区で私の風俗店行き阻止工作に動員されたり、もっと前には仕事を紹介する工作や何度も安価工作に動員されていたにも関わらず、話かけても変な知らぬ存ぜぬ対応してましたよ。 
まあ、私関係の受益が同級生勢に関しては止められ、うまみがなくなったのと、話すな工作指令が貴方から出されたからそうなったと感じています。
実際、そうなんでしょうね。

要するに貴方が出来ないように手を回したから出来なくなったんです。


ツイッターの過去録ダウンロードでは20%ぐらいは消えてしまっていて、肝心の所が無くなっていたりするんで、再掲しときます。

普通の親なら私に会って色々話をするが、勉氏はそれを怠ったか?
ここに関しては完全に怠ったと言えるでしょう。 
現実によく見たことも無ければ、当然話したことも無い現状だからです。
消えているんでまた書いときます。 
昔の仕事の同僚が言っていた事なんですが、その人の一人娘も自意識過剰というのか、体裁を恐ろしく気にするタイプでいて、異性と付き合った事も一度きりで、両親として心配して自分の会社の後輩社員と会ってみるかとか、勧めたりしていたそうなんです。(娘さんの仕事は地方公務員。奇しくも裕子女史と同じである。)
お父さんはそんな事気にしないで、余計な事はしないでと神経質に返答していたそうです。 
その時は30過ぎた歳の頃だったそう。
そのまま35歳になってしまったんで、いよいよ真剣に見合いでもさせないといけないと思い、そういうツテのある知り合いもいないので、マッチング系の会社の資料などを取り寄せて夫婦で娘に登録しろと勧めつつ、勝手に登録したんだそうです。 
それを聞いた娘は激怒して、私の人生なんだから余計な事はしないでとしばらく口もきかなくなったんだと言ってました。
異常に反発するんで、その手の話はタブーとなり、ついに40を越えたんだそうです。 
もうなりふり構っている場合ではないと、厳しく娘に年配向けの見合い斡旋会社に行けと話したんだそうです。
その時、娘はなんと言ったか? 
なんでもっと若い自分も相手も条件の良い時に勧めてくれなかったのか? お父さんのせいで、私の人生はめちゃくちゃよと泣きながら反発したそうです。 
やはり愛娘に対する父親なんで、昔から勧めてきただろとか、お前がヒステリックに拒むから取り止めたんだろとかは言えずに、父は娘に謝ったそうです。
私の前の前の仕事の同僚に聞いた話なんで、勉氏や裕子女史も、もしかしたら自分と似たケースとして聞いた事あるかもしれませんね。

その娘は、その後どうしているか?
すぐに見合い会社で会った男性と結婚して、娘が生まれています。
私がその話を聞いたのは、父親である同僚が自分の孫娘について、語っている話の中での事でした。

勉氏と裕子女史父娘が二人でいるところを私は2回観た事が有るんです。
1回目は氷取沢の本屋。 私がプロレス雑誌を真剣に読んでいるのを見て貴方は「あれぐらい真面目に働けばいいのにな」と言っているのを聞いています。それに対して裕子女史はケラケラ笑っているだけで、二人して店の外に出てゆきました。 
これが前職か前々職の時なんで裕子女史が、既に30代後半の時の話なんです。 
世間一般には既に限界ギリギリの年齢で人をクサしている場合ではない状況でいて、裕子女史もケラケラ笑っている場合ではない歳なんですね。
おそらくは勉氏が横浜に来たんで、裕子女史を訪ね、で、あのアホはどこにいるんだと問うと、車に仕込んだGPSが本屋に的中。 
立ち読みしていると答える裕子女史。 
二人で私を見に来た時なんでしょう。
裕子一家の特質として言えるのは、なんにしろ悠長に事を構えて生きている所なのが、この逸話で良く分かるのではないでしょうか。

2回目は東北地震のすぐあと、数日後ぐらいの事でしたね。 
地震の前にバッテリーとドライブレコーダーを借りてきて、後部座席から、うちの前の道路が写るようにセットし始めたんです。 
どちらが先だったか忘れましたがA野女史に「なんで話しかけないのよ」と叱責されている録画を見たのもその機材でした。 
(今、中古屋でドラレコ2千円で売ってますが、10年前当時は7万払って借りていた。テクノロジーの目覚ましい進歩に圧倒されますね)
地震の後で娘たちを心配した勉氏が横浜までやって来た時だったんでしょう、姿は写っていないんですが、うちの前で何かごにょごにょ話合っていて、裕子女史が私の車のガソリンの残量を心配したらしく(震災後、ガソリンの供給が滞り入手困難になった。当時H市まで通勤していて往復60キロ車移動していた)勉氏が燃料ゲージをのぞき込んで軽だから、しばらく大丈夫だと答えている音声を聞きました。
姿が写ってないんで、本来は誰かは分からないんですが、勉氏と裕子女史以外に私の車を見てその会話をする人間はいないんで特定されたんでした。
地震の当日には午前2時に私が帰って来るのを待ってアンカリングをかまして来てましたし、間違える事は無いんです。
地震が2011年なんで、丁度、11年前。裕子女史も40を迎えた時の事です。

前述の逸話で同僚が、もう鬼の心で娘に見合いを勧めようと決意した年齢なんです。 
まあ一般の父親ならば強制的に結婚話を押し付けるべき時だったでしょう。 もしくは結婚前提の相手として、次の同志医師を連れてくるのが普通の父親のやる事でしょう。
私もこの頃に、裕子女史を切り離せない仏縁みたいなもんなんだと考えるように成っていきました。 
あの地震の日の午前2時待ちされて、通勤のガソリン残量の心配されたら、誰でもそうなると思いますよ。
 
裕子女史もまだ全然若いし、すぐに会っていれば何の問題も無かった。 
稼ぎが悪いのは、初めはどこもそんなもんだろうし、それなりに暮らして行ければ、後に向上する余地があった。

その地震の次の日の時の音声の最後に勉氏が「自分から話しかけた方がいいんじゃないのか」と言い。
裕子女史が「だってXXXXなんだもん」と言い訳している録音が残されていました。 
一応は裕子女史に私と話をするように勧めてはいたんです。 
しかし、勉氏的には中学の時に「青学教師、静太郎を無能呼ばわりする事件」を起こしているぐらい、初めから私の事が気に入らないらしく、強いて推すような相手とは思っていなかったのではないでしょうか? 
それが露骨に現れるのが、私の入会とK氏折伏という裕子女史来北の2大チャンスを逃した失策なんです。
(※来北=私の家に来ること)

最近、厚生労働省が不妊治療費用支援の年齢の上限を43歳に決めたそうです。
だいたい妥当な設定らしく、異論があまり出ていませんよね。
私の入会も、K氏折伏も40前後の事なんで、あの時、来北させていれば裕子女史が充分に人並みの幸福な人生を送れる時期の事だったのが分かります。

負け戦について、例えば日本人だと真珠湾の第2次攻撃をしとけば戦局が全然違う進行をしたとか、米国と和解してドイツと一緒にソ連に攻め込むべきだったとか、語る事よくありますよね。 
失敗の原因を探り、のちに生かすのなら有益でもあるんでしょうが、そもそも導き出した答えが間違いで、正解は満州とかの問題視されている権益を放棄して貿易を再開させ戦争を一切しないで、戦争中の国々に輸出して生き延びるというものだったとしたら、戦術や戦争戦略について語り合うのは無意味なもんなのでしょう。

今、50になり、戦後に負け戦を振り返っているような状態にあると思っています。

K氏折伏や私の入会の時に来北させなかったと勉氏を恨んだとて、昭和40年にミッドウェーで魚雷から爆弾に換装、また魚雷にとかの失敗を語っている事と同じ事だと思うんです。
意味が無いし、先になに一つ前向きにつながらない。 
私と裕子女史との間の正解は初めから戦争をしない事みたいな感じで、初めから私を選ばない事なんでしょうね。
しかし大体、何事もすんなりうまくいかないのが人生。 
裕子女史と私もほんとに縁が有るから(裕子女史が越してきた日にT沢から私だけ呼ばれた事等)初めから選ばないという選択肢は与えられていない。

ここから、未来に幸福を掴めるように過去の失敗を振り返り、生かしてゆかなくてはなりません。

勉氏を非難するような内容にもなりますが、勉氏が私と会わなくてはならないという事を説明するのに必要なものだけに留めていますので、ご容赦下さい。

まず、貴方の家族、裕子家は男は貴方だけで、嫁姑と裕子姉妹の4対1で長く生活していました。 
それでも、女心的なものを把握できていなかったのではないでしょうか? 
前述の同僚も妙齢の女性の心を計りかねていましたが、貴方も同じく裕子女史の表向きの姿勢と心の中の本心とを、理想と現実、周りや家族への体裁と気持ちを素直に表に出せずに腹蔵するものとを全く理解していなかったのではないでしょうか。
同僚の娘は30歳、35歳と2つの時期に、家族の婚活の勧めを拒絶しています。 
40過ぎた時に、自分でも物凄い危機感を感じたんでしょう、応じる事になった3回目の見合いのすすめに対しては、前2回のすすめを拒絶させていた原因の羞恥心や体裁を危機感が超えたんだと思うんです。
父親に憎まれ口を叩いてはいるが、内心は感謝していたと思うんです。
父親が黙って理不尽な罵倒を堪忍し、謝罪することで娘の心を解き放って、前に進ませたんです。

うちの老母が80手前で日に日に老いの影を濃くしてゆくのを見ています。貴方も、80を過ぎた御歳となれば、なかなか気力も体力も思うようにはゆかない事とは思います。
愛娘裕子女史の幸福の為と思って、最後まで助けてやって下さい。
必要なのは、前述の同僚の娘と同様の女心の2重規範、体裁と本心、メンヘラのダブスタみたいなものを裕子女史も持って生きているという事を理解してもらいたいんです。
裕子女史と私はご存じの通り中学の同級生です。
同じクラスにはなっていないんで同窓生というのかな?
馴れ初め以来、話をしたのもコロナ時代以前にもかかわらず、巨大マスクをしていて、私が裕子女史と分かってすらいない状態の数分の会話のみ…。 それでいて、裕子女史の貴方の元にいた時代から、職場の寮に住んでいた時代、今の独立して住んでいる時代とずっとうちに関わり続けています。
で、35年前から、多大な保護と受益工作と同じくらいのマイナス工作という相反するものを私は受け続けていますよね。
この事実を、今、80年生きてきた貴方は、裕子女史も二重基準を生きていると知った上で、どう解釈するでしょうか?

基本的には、裕子女史は人と話をするのが苦手な位に内向的な性格なんだと思っています。 
それは勝手な想像だけではなく、(大森イトーヨーカ堂裕子レジで武者震い事件)、(裕子大森駅前にて蒲田のヤンキー娘にカツアゲされる事件)、(巨大マスクで静太郎と初めての会話事件)、(裕子、A野に叱責を受け何々だもんと弁明に終始する事件)などの行動時に物凄くメンヘラ挙動を見せていた事からも導き出したものです。
さらには中学の同級生に裕子女史の人物評を訊ねたときに得た「大体いつも集団の後ろを黙ってついてきて、いつも後ろで薄ら笑いをしている子」というものもありました。 
アホの子供みたいに思われていたんですね。
貴方から見た、裕子女史はどういった性格の女性なのでしょうか?
私や同級生勢、A野女史や故N氏が思っているものとかなり近いものなのではないですか?
自分の本心をうまく伝えられずに貧乏くじを引き続けている。
不器用で内向的な女性という評価でいいんじゃないでしょうか。
なおかつ、35年転向しないで一心を貫く、蛇のような執拗さ…。
いや間違えました、ほんとに物凄い情に厚い女性だと思うんですよね。 
なかなかそういう人いませんよ。

だから、いろいろありますが、私には裕子女史の幸せを図っていかなければならない責任があると思って行動しています。

今の所、食い違いと認識の相違みたいなもんでこじれにこじれて、貴方の後押しも得られず、私も盆暗で使えない男なんで彼女的に良くない方へ行きついてしまった感がありますよね。 
うちへ来るのが一番だと思いますが、貴方がより良い道を娘に提示するのであれば、それで裕子女史がより幸せになるのならいいと思いますよ。

が、今の所、貴方もうちへ嫁がせる道しか、考えていないでしょう?

前に長々と、実家の売却工作を誰が仕切っていたのかの推測を書いて、勉氏の可能性が一番高い事を導き出していました。
実家の売却の話が来たのがおととしのコロナ禍の初年度真っただ中の4月、完全に売却完了したのが去年の4月だったかな?
半年以上前ですが、まあ貴方がお元気でいる事が分かるところです。
さらに、裕子女史の来北を企画していなければ、実家の売却まで関わる必要もないんで、貴方的にも、うちに嫁がせる道筋が一番大きく想定されているはずです。

大体、毎年1回は後ろ向いていたり、暗がりで顔が見えない所に亡霊のごと佇んでいたりして陰湿に姿を見せるんですが、2021年度はとうとう一度も姿を見せずに終わりましたね。
いくつか要因として考えていますが、一番大きいのはコロナ禍で組織活動の形が変容した事が有ると思います。 
無駄に集まったり、動員をかける事が憚られる状況から、生活の97%を組織に依存している裕子女史(普通の活動家同志は65~90%に留まる値)にとっては大気が3%に激減した惑星へ放り込まれたようなもので、水を失った魚状態。 
私にアンカリング行為を仕掛けても、周りへの体裁が第一の女なのに、見て欲しい肝心の観客が動員出来なくなってしまったのでしょう。 
ここに彼女のほんとに面白い人格が現れていて、相手の私ではなく、周りの取り巻きに見せようとしている事が発覚するんです。

自意識過剰で、注目されたい、されているという観念にがんじがらめになっていて、本来の目的である来北につながる対私アンカリング行為よりも私を待っている時間のけだるさの方が強く作用して、めんどくさいから私の前に姿を見せないでもいいと彼女の中で収まって行ったんだと思います。

では、裕子女史的には、これから先にどうしてゆくつもりなのか?
私に仕掛けられる工作について前に解説しているんでご覧ください。

裕子女史は2021年度も普通に幼児連れ工作、犬の飼い主工作をさんざん繰り返していました。(何故かカップル工作は少なかったかな)
犬に関しては、裕子女史がどんな情報を掴まされて犬工作しているのかわかりませんが、うちはあらゆる動物を飼っていた動物好きですからね…。 
貴女の飼っている室内犬なんかぜんぜんOKなんですよ。 
老母も小さい可愛い犬を飼いたいと昔から申しておりますし。
だが、うちのマンションは犬猫飼育禁止ですからね。 
うちの棟に7家庭住んでる同志勢に対してやるべき工作なんではないでしょうか?
※さらに貴女が来たら私はここを出る予定なんで老母も住人同志も関係ないんですけどね。 私に関してはプーの記述を参照されたい。

幼児連れ工作は、どこでもやっているらしいんですが、基本的な目的は子供のいない夫婦や独身者に劣等感を与えるための工作です。 
しかし私に対しての幼児連れ工作は普通の目的だと裕子女史にとっては自爆行為なんで(やってて自分で虚しくなるだけだから)別な目的を持たされて行われています。 

表向きの目的名目は、私に幼児連れを見せて、私の焦りを誘い、より活動的に裕子女史を求めてゆかせるというものです。
裏の裕子女史の心の中の本当の目的は、自分の相手(私)を焦らせ走らせようと工作し、手の平の上で転がしているかのような優れた姿を周りの同志勢に見せたいというものなんです。

ここでも、結局は自分を見て欲しい注目してほしいという、彼女の不思議な人格が根底にあるんです。
勉氏的には、娘が可哀想だから、あまりうがった見方をしないでくれよという感想でしょう。
しかし、現状を正確に認識しないと話が先に進まなくなってしまっています。
必要な作業なんですね。

故N氏と知り合った時に裕子女史の出産加齢リスクについて、話し合った事が有りました。 
私が30代後半になり、入会してまで裕子女史に会わなきゃならない理由として、普通の家庭を作るとしたらもう時間が無いから急がないといけないという事を話しました。 
中学の同級生勢や〇ムウェイ勢に頼み込んでいる時期も包み隠さず、彼らに裕子女史の加齢リスクについて話していました。
地震の2時待ちの後で、もう腹をくくって彼女の幸福を考えようと動いていたんです。 

N氏は〇氏の息子さんの話をしていました。
49歳ぐらいで人工授精で授かったそうです。
「この間TVのニュースで見たけど、いっぱい管をつけられて可哀想だったよ。俺も病気したから分かるんだ」と言って、それなら、一刻も早く裕子女史と会えるように勤行しようと指導が始まったんです。 
その会話は裕子女史も外で覗いたりしてたから録音なりN氏からなり聞いている事でしょう。 
すぐに勉氏もN氏に会っていますよね。
詳しく調べたことないんですが、〇氏の息子さんは障害とは言わないまでも、かなり病弱らしく、それを指して加齢リスクと結び付けて2人で話をしていたんです。 
(この話、もろにそのままあった実話なんで書いていますが、自己嫌悪に陥りますよ… 最悪なクズな事しているなと。 こういう事を書かざるを得ないまでに追い込む、貴方をどうかと思いますよ)
〇氏と息子さんには、余計な所で話題にしてしまい申し訳ない限りです、慎んでお詫び申し上げます。

今、裕子女史は50代に突入して、〇氏の出産年齢よりも高齢域にいるわけですが、その裕子女史が幼児連れ工作を企画し、私を焦らせるという行動には、おかしな矛盾した部分が出てくるのに気づくでしょう。

正常な出産が難しくなったと常識的医学的に判断できる年齢の女性が、自分の出産をだしにして相手を動かそうというわけですから…。

裕子女史のこの行動は、独身老女の境遇が応えてトチ狂ったとかそういうものではなく、普通の人なら35,40歳と節目を迎え婚期の区切りの年齢で、妥協したり誰でもいいぐらいに一歩踏み出すだろう時でも、林家パー子然としてケラケラ笑っていたり、打たせる為に超低速ストレートをほおってもらいながら、それを見逃したり、あさっての方向へ打ち返したりする、奇怪裕子女史の心の中では、何らおかしなところは無いんです。 
当たり前だ、当然だと言わんばかりに幼児連れ工作を依頼してくる裕子女史を周りの同志勢は見ている事でしょう。

[裕子女史はそういう感覚が鈍く、細かい事は考えていないんです。]

 この年相応の立ち位置や境遇を得られない事への焦りとか劣等感とかの欠落は、勉氏にも見られる事なんです。
裕子女史の年齢的な区切りや限界期でも前述の同僚がなりふり構わずに娘を見合いさせたような、強い決心を見せないで、(私の入会やK氏折伏の時に来北を勧めなかった事)娘の境遇を結果的に泥沼に叩き落してしまっている。

かたや、今後の不動産市況を鑑みて、1家長兄の会社内での人事などの情報まで加えて、売却時期を選んで工作を企画していたりする。
こういう事は、普通の老人では出来ない、かなりの優れた人間のやる事なんですね。 
仮に勉氏がX氏に丸投げして依頼していて実際の企画はX氏が行ったとしても、そのX氏を選んだ、選べる立場にあった事が強い立場に立てていたという事の証明です。  
優れてはいるが、どこか抜けているという人ってよくいますが、裕子女史、勉氏父娘もその類なのだと考えています。

それに加えて、長女妙子女史が普通に家庭を作り、孫娘ヨモギちゃんが誕生していて、私への嫌悪感もあいまって、次女の裕子女史に対する関心が薄らいでいたのもあると思います。 
丁度、定年を迎えただろう2000年頃に夫婦で故郷に帰ったんだと推測していますが、(情報では山〇県説が有力←特定できないように伏字にしときます)横浜に来る時は妙子宅に泊まって孫娘に会い、一緒に遊びに行ったりしていた事と思います。
 私が出身区にいた頃の14年前のクリスマスに裕子女史が無言電話をかけてきて、老母がまた無言電話だよと渡す受話器を私が受け取ると幼い女の子が「わたし~わたし~」と叫んで切れた事が有りました。 
うちに無言&幼女電話かけてくるの有史以来、裕子女史しかいないんで、幼女がヨモギちゃんで、クリスマスに独り身の侘しさから裕子女史が姉妙子宅に遊びに行ってやらかしていたんですね。 
その頃、声の感じから3歳ぐらいでしたから、それから14年、今、ヨモギちゃん高校2年ですよ…。 
ここに越して来た時に私を指さしていた小学生の女の子が小3ぐらいだったし、2年前に車に轢かれたときに偵察に来た、どこかで見たことがある感漂わした女の子が中3ぐらいな感じだったんで、思いっきり計算が合いますね…。 
人の子の成長は物凄く早く感じると言いますが、ヨモギちゃんの成長を3段階で見た私はほんとに早く思えて驚くばかりです。

夜と霧という強制収容所を書いた本に、いつ殺されるかもわからない絶望的な状況下に置かれた人々が美しい落日を見て感嘆していたという挿話があったのを思い起こしています。 
やはり人間ってどうしても悪い出来事よりも明るい楽しい事を見るようになってゆきますよね。 
貴方が「裕子から話かけた方がいいんじゃないか」と言えば、「だって北枕はどっかいかれてるんだもん、あいつは頭おかしいのよ」と次女裕子は応える。 
それでいて前に連れてきた同志医師とはすぐに別れるし、北枕からは離れようとしない。 

自分の娘ながら、わけわからない。

「北枕にまつわる陰気な話に戸惑っているよりも、かわいい孫娘ヨモギと触れ合っていたい」貴方の裕子女史への姿勢はこのようなものではなかったかと想像しています。 
貴方は毎年何度か孫娘に会って、おじいちゃんとしての喜びや充足感を得ていて、人並み以上に幸福を掴んでいる妙子女史の家庭が片方に存在するんで、全てを補償する高額な保険に入っているような安堵感に満ちた心境にいるのではないでしょうか?  
可哀想だが裕子が独身で一生を終えても、妙子の家は幸福に生きてゆくだろうという非情な打算を思った事は一度もありませんか?
 

それは、あんまりだと思うんです。

ここから、私の同僚一家の娘さんの話を振り返ってみて下さい。
裕子女史が二重規範を持っている事をふまえて、これまでの裕子女史の言葉や振る舞いを全部回想して欲しいんです。

裕子女史は中学生の時から、貴方に私の事を話していましたよね。 
同級生勢と飲みに行った時に聞いた話では、すでに高校生の頃に私を自分の相手だと周りに宣言していたような感じの内容を聞いています。 

学生時代は「静太郎君はあんまり頭はよくないの、でも面白い人なのよ、子供の頃スリハンドクの絵本を読んでくれたでしょ、なんかやらせるときっと光る能力があるのよ、ああいうアホな男でも何とかとハサミは使いようで切れるというでしょ?」

故N氏が、裕子女史が私の事を名前で呼んでいると仄めかして言っていましたね。

30代には「静太郎君は仕事でも勉強でも、何やらせても長続きしないダメな男なの、でもいろいろ目立つところがあるから、もうちょっと待ちたいの、何とかにつける薬は無いと言うけど、アホな奴ほど生命力が強く自然治癒しちゃったり強靭だったりするのよ、薬なんか馬鹿にはいらないのよ!馬鹿の生命力を舐めないでよ!!」と狂ったように。

大体、否定的な文脈で語られていた事と思います。 
が、全否定していては貴方が見合い相手を連れて来たり、私との関係を切るようにせまると予想してバッサリ切り落とすのではなく、首の皮一枚残しておいたのではないですか? 
それで貴方も、まだ未練を残しているから離れろと言っても離れないだろうと強く言えなかったのでしょう。

裕子女史的には、私とは特に実生活でつながりもなく、会話すら有るには有るが3分程度で話をしたことないも同然、面と向かって話をすることも臆病な性格から出来ない。
でも私に有ったような仏縁すら感じさせるような強烈な出来事があったから、私との関係を絶って、別の男に乗り換える事も考えられない。
(私的にはT沢呼び出し事件と地震2時待ちが仏縁と思う出来事だが、裕子女史にとっての私との縁を貴方は聞いてみて下さい。)

だから誰かに仲を取り持って欲しい。
でも今まで静太郎をさんざんクサしてきてしまったし、今更、へりくだって周りの同志勢に頼むのも、嫁(い)き遅れた50女のプライドが許さない。


[ 誰か私が何も伝えなくても私の気持ちを察して仲を取り持って欲しい。]


2020年の12月の仕事帰りの夜9時半ごろ、中学の同級生のA野女史が倉庫の近くで後ろを向いて立たされていたんです。 
丁度、一年前ぐらいですね。(勉氏への書簡4を参照のこと)

私の車が右折するのを妨害するように、若い20ぐらいの女の子が、ガチ全力疾走させられていたんで、立たされていたというよりも、A野は地域でも重要な立場になっている可能性も有りますね。 
今でもA野が裕子女史を叱責できるような関係にあるのかもしれません。
そういう事よりも重要なのは齢50にして、中学の同級生に頼んで動いてもらい、未だに精神的に依存しているという驚愕の事実なんです。
A野は前述の地震後の裕子叱責の時も、10年前に私が同級生勢に仲介を頼むために盛んに飲みに行ったりしていた時にも動員されていたんです。
地震の時は裕子女史もA野もばっちりドラレコに映っていましたね。 
なんかジャイアンとスネ夫みたいな関係の見える映像でした。 
裕子女史が子分の方です。 
A野と裕子女史は同職種同業なんで、出身区組織内の職業グループで近い関係なのでしょう。
飲み会に動員された時はA野が中年男性を連れて、私と同級生勢が飲んでいる店に後から入って来たんです。 
で、特に意味の無い会話をしているのを聞いています。 
私が何を話すかを聞く役目だったみたいです。
普通の人なら、50にもなると高校に上がるぐらいの子供がいたりして、住宅ローンと子供の学費を賄うためにパートに勤しんでいたり、島耕作だと課長とか部長とか専務とかで、クラブのママと出来ていて、さらに切れ者だと社長の椅子に手をかけていたりする年齢です。
一般世間では50にもなると中学生時代の友人と繋がりの有る方が珍しいと思います。 
裕子女史のようなケースは組織内部でも稀なのではないでしょうか?
A野も普通に生きていて、普通の家庭を築いている事と思います。
そのA野が後ろを向いて待っている。 
これをどう解釈するべきか?
私が車に轢かれて、姉妙子女史一家が見にきた時、旦那とヨモギ父娘は普通にしているのに妙子女史だけ後ろを向いて立っていた事を思い出します。
そして貴方が数年前に朝うちの前まで来た時にも貴方自身が後ろを向いて立っていましたね。
裕子女史もよく後ろ向いて立っているという行為をやるんです。

A野は本人は普通に話しかけさせればいいのにと思いながらも、貴方の威光を笠に着た裕子女史に頼まれて、いやいや後ろを向いて待たされていた。 
妙子裕子の裕子姉妹は当然だと言わんばかりに、貴方が幼少期から刷り込んだ[教え]を忠実に実行しているんです。 

私は仕事でかなり広範囲の営業活動をしているんで、平均よりかは数多くの同志勢と接している事でしょう。 
普段から相手に後ろを向いて示威行為をしたりとか、相手と接するのに自分からは話かけないかけられないとか、一般社会と比較すると、どう見ても特殊な慣習を持っているのを貴方一家以外に内部家庭に於いて一件も見たことないんです。
対立する勢力に対してなんとなく意固地な態度をとる家庭とか、物凄く高圧的に子供にしつけをする家庭とかは散見されるが、貴方一家のようなケースを一度も観た事が無い。 

貴方一家に限定された特質なんです。

基本的に組織一般的には、真逆の、積極的に相手と対話しろ、当たって砕けろ、打って出ろ、戦えと言う攻めの姿勢を子供に教えていると思うんです。この内部でも特殊な家風は貴方が家族に強いてきた教育&躾によって作り上げられているでしょう。 

よい例えが見つかりませんので、タタールの軛(くびき)という言葉を検索して調べてみて下さい。 

裕子女史と妙子女史は貴方の強いている、勉氏の軛の元に生きている感じなんだと思うんです。
姉妙子女史がその軛の元に居ながら普通に結婚して孫娘を生んで幸せに生きているんで、貴方は自分の躾、教育法の無謬を信じて疑う所が無いものと思います。
しかし、裕子女史は人一倍、気が弱い性格してますよね。 
姉妙子女史がどういう性格なのかは分かりませんが、妹よりかは人並みの胆力なりを持っていたから普通の家庭を築いているんです。 
姉妹でも個性があり、全然違う性格をしているのだから、その軛が有利に働く個性と、不利になってしまう個性とがあるんです。 
現状を見れば判るとおりに裕子女史には転落要因となってしまっています。 


[貴方の強いた軛が裕子女史を転落させているんです。]


この勉氏への書簡2022(以下、勉書)を書くのにツイッターの過去録ダウンロードをしたんですが、前述の同僚の娘の話と映画「トゥルーマンショー」の話の所だけ欠けてしまっています。 
実は、勉書1,2,3,4,5,を書く際にもダウンロードで欠けてしまう部分があったんです。
2022で欠けてしまった2つは私と裕子女史との問題の核心を突く部分と言えるでしょう。 
これはダウンロードに貴方の働きかけが介入できるから起きているのだと考えます。
(どうだかわかりませんけどね…まあ陰謀論的に)

なんで、映画「トゥルーマンショー」に関する部分も再掲しときます。
貴方と裕子女史は映画見てくれましたかね? 
まあ、観たとして書いてゆきます。
貴方と裕子女史は35年前から、私をトゥルーマンショーのジムキャリーみたいな立場に立たせているんです。 
私を裕子女史の相手としてではあるが、周りの視線を集めさせて、貴方と貴女はプロデューサーのエド・ハリスみたいな賞賛を浴びていられる安全圏にいて恍惚としている。
これが始まったのが、H市で偽店長として働き始めた頃の事です。 
完全に把握できるような、もろな嫌がらせが始まったのと同時だったと記憶しています。
映画「ガス燈」から「ガスライティング」(←検索されたい)という言葉が生まれたそうです。

その方式でトゥルーマンショーの衆人環視状態を[キャリー化]と呼びます。

私のキャリー化を説明すると、前述の各工作時に裕子女史が私を通して、自分を見て欲しい、自分が注目されたいという欲望を持っている事が見えてくると思います。

1・H市時代に裕子マンション隣のコンビニで待つと手紙を盛んに書いて送っていたんです。
当時、手書き便箋で送ってました。 
私はかなり阿呆で、書いたことを平気で忘れてしまう性格、送る前にコンビニでコピーを取っていたんです。 
出身区時代の借家にも各種盗聴盗撮機器が配置されてあったので、家で手紙を書いたら、即、裕子一派に把握されていたんです。
仕事の帰りにコピー取って送ろうとH市まで持って行った事が有りました。 仕事が終わって帰り道のコンビニへ入ると明らかに偵察部隊な若い男女2人組が、後からついて入ってきてコピーの様子を遠巻きに監視しているんです。
当時、ようやく監視状態を知り始めた時だったんで、ああ裕子女史の草が付いたなと思ったんです。
(草=忍びの者、間諜、忍者、新田次郎の小説などに詳しい)
特に妨害するわけでもなく、コピーを終えて近くの郵便局まで行って朝一配達されるように投函しました。 
裕子女史の職場宛てに…。

2・さらにH市時代の帰宅途中に中古DVDマンゾク館というTSUTAYAの姉妹店みたいなDVD販売店に入り、趣味の釣りDVDを物色していると、車に付けられたGPSから私が店舗の駐車場に入った事が判明。 
現地男子〇が裕子一派の依頼に即応。 すぐにここでも男2人組が後から入ってきましたね。
ここでも邪魔するわけでもなく、どの釣りプロのDVDを買うのかを見る任務だった様でした。 
特にここでの監視は性癖の正常異常を捕らえて、同性愛とかサドマゾ系の裕子女史にとって、まずいものだったら、静太郎を切る理由とする目的があったと思うんです。
裕子女史はこの頃、少し私と離れる気があったんでしょうね。 
が、私はド正常な男なんで機会を逃したんですね。

3・N氏と会って入会した後に裕子女史の職場の前で待つと手紙を出した時も、職場の駐車場に若い男女の監視部隊を待機させたりしていました。

1の時に寄越されていたのは裕子女史の所属狭域の、その時の男女狭域部長。
これ、50過ぎた今では回数が多すぎて、毎回、長が来ることは出来ないんで、構成員が持ち回りしています。 
稀に責任者が来る状態。 
1の時でも結局は誰でもよかったんです。 
なぜ、狭域長が寄越されるのか?
それは裕子女史自身が地域の同志の注目を集めたいからなんです。 
静太郎という存在を自分と絡めて知って欲しいというもの。 
だから、コピー作業の監視という全くの無意味な事に動員をかけているんです。

同志勢を動員するのなら、この時のような場合は、2人が私に話しかけて、仲を取り持ってもらえるよう依頼するのがスジですよね。
その依頼をすれば、私が拒むわけないのだから、貴方の言う[人並みの幸福]を掴むための道の上に立つことが出来たわけなんです。 

2の男2人は○○部の夜の待機部隊で裕子一派が連絡して現場に急行してきた例です。 
ここでも監視にとどめたのは、なぜなのか?
なぜ2人を私に話しかけさせないかと言えば、詳しい状況を2人に伝えていないで、私の情報を敵対監視対象としてしか知らせていないからなんです。
今でも、関与の薄い同志勢には上記の敵監視者としか情報を与えないので、連続休業や○○波を倒れるまでやらかす人員が出てくるわけです。

白戸三平カムイ伝で、長ったらしく文章で江戸時代の民衆支配のシステムを解説している部分があるんです。 
これを読むとよく似ているなといつも思うんです。

まず、支配層は年貢徴税で農民から搾取する為に、農民の中に上下の階級を作り、農民よりも少数の下層階級の被差別民を創出するんです。
下層民は農民よりも法や職種の限定などで虐げられ、数の多い農民からも差別を受け逆らえないで甘んじるしかないような仕組みにしてある。
その実、支配層が搾取する対象は大多数の農民からで、下層民よりも多くを、より多くを搾取される。 
農民は怒りの吐け口を下層民へ向けて、差別や虐待で鬱積した政治への反発を晴らして、苛烈な搾取に耐える。  
暴発する力を事前に下へ逃がす、民衆の心理までも計算した巧妙なシステムを作っていた。 
こういうの世界中で見られる話で、民衆を分断して対立構造を捏造し作り上げる手法は今でも各地で見られるもんなんですよね。

で、この人々の心の仕組みを応用した活動が行われているんです。
ババ抜きのババ引かされているようなもんなんで、必ず組織の存続に、のちの災いとなるでしょう。 
なんとか先人たちが命を賭けて作り上げた、自分達が命を投じている愛する組織の為にも是正して欲しい。  

裕子女史に関しては、なぜ間に人を入れているのに、話しかけてもらわないのか?
普通だと、相手に好意を持ったら自分で伝えるのが、大部分の人が選択する方法ですよね。
裕子女史の場合は、それが出来ないんです。 
そう書くと重症レベルのコミュ障に聞こえるでしょうが、裕子女史程度の臆病さなんか世界中にいくらでもいるんです。 
全人類でも30パーぐらいは裕子女史よりも臆病だと言っても過言ではないと思います。

なぜ、この現状に転落してしまうまで動けなくなっているのか?

まず、基盤として根底にあるのが、自分が話しかけられないという恥部を周りの同志達に隠したいからなんです。 


前にも書きましたが、中学の同級生勢に仲を取り持ってもらおうとしていた時に言われた言葉があります。

「馬鹿じゃねぇの、話しかければいいだけじゃん」

言われたまま書きますんで、これ険がある言い方に読めるかもしれませんが、私の出身地では普通の表現です。 
そういう事ありますよね。
この発言主も組織内部なんで、同志勢でも、普通は話しかければいいと判断する事例なんですね、私と裕子女史の関係は。

で、本来は裕子女史程度のコミュ障レベルの人だと、そこから年齢とか社会的な体裁で(前述の同僚の娘が見合いを受けたように)、友人がつぎつぎと結婚していったりといった取り残される焦りに追い詰められて、成長し発奮して、相手との関係を発展させてゆくんです。 
交際が始まり未来につながるんです。
裕子女史が追い詰められないで成長できなかったのは、焦りとか体裁の圧力を逃がす穴があったからなんです。


周りの同志勢の目から話しかけられないという自分の恥部を隠せたから成長できなかった。


カムイ伝の記述での農民から搾取するのに下層民を作り、支配者への怒りの目をそらせるのと同じく、私に敵対的であるという濡れ衣を着せて、自分から話しかける状態ではないと周りに喧伝し、自分の臆病さから話しかけることが出来ないという恥部を隠ぺいした。

しかし、それが可能なら内部で同じように逃げる行為が横行して、数的にもっと目立つはずなんじゃないのかと思うでしょう。
裕子女史には貴方の後援があったから、貴方の威光を笠に着て恥部を隠ぺいすることに成功しただけです。
普通の家庭の父親だったら、娘の心の機微を読んで逃げる為の力を貸さないから、逃げ場はなく、成長して人生の階段を上がってゆくしかないんです。

これは裕子女史の誤りではないと思うんですよ。
裕子女史単独では、周りの目をそらすだけの力が無いと思うんです。


[貴方の誤った裕子女史への支援が、裕子女史を今の場所まで転落させているんです]


もう5,6年前と記憶していますが、貴方が「裕子女史に人並みの幸福な人生を送らせたい」と言っていると故N氏から聞いていました。
貴方にとっての娘の人並みの人生とは何だったんでしょうか?

裕子女史は仕事を定年退官まで勤め上げ、旦那が普通のサラリーマンで真面目に働き、早死にせず、子供がいて、小さいながらも家を持ち、夫婦年老いるまで仲良く生きてぽっくり死んでゆくというような感じだったんでしょうかね…。
そんな想像をしています。
貴方にとっての不幸は、まず私が特殊技能分野の人間だった事でしょう、真面目なサラリーマンとして生きることはできませんでした。
(まだ先は長いですが)
それを受け入れて手を打ってゆくしかなかったんだと思います。

貴方も私を特殊分野の人間として認識していたと思います。
(貴方には分かるように書いてゆきます。)

一番、よくそれが現れていたのが内部重鎮T氏が営業地に来た時です。

実はT氏が来訪したと同じ日に、議員が二人、あと関西の某世界で有名な○○●が来て全員、1つ買っているんです。

議員の一人は内部エリートとしてツイッターで名前を出した事が有りましたので、それで来たんだと思います。 
もう一人は○○○○●○○●で、それ以前は全く知らない人物で、後で選挙の冊子で、ああ!あの時の客や!となりました。
前述の議員の付き添いみたいな感じで来たと思います。

○○●の有名な人は士業でその型を破らず守りながら発信を続けている面白い人で、北枕機関の保護範囲の指定関係で来たんだと思っています。 
この人が来た事で北枕機関の実行力を知る事になりました。

福子勢が攻め抜いてしまうのに対して、私は行きすぎず、引き際も自分で判断できる新参会員なんで、当たり障りなく丁度、いい感じだったんでしょうね。 
トランプ氏が大統領になり、ツイッターを使い始めた時に北枕機関の力が失効したように思います。 
それまで2ちゃんの延長、地底人の闇からの寝言ぐらいに見られていたTwitterが初めて日の目を見たんですね。
次々に、表世界の有名人達がTwitterで発信を始め、相撲界にモンゴル勢が参戦した時とか、規格規制で守られていた闇の世界ガラケー界にiPhoneやgalaxyが入って来たみたいな、光の洗礼を受けてしまったんです。
あの時、一気に旧来の地底勢力と北枕機関は淘汰されてしまいました。

で、T氏も来たんです、著作はいくつも読んだことあるんですが、お顔を拝見した事が有りませんでしたので、前にも書いた通り、その時は分かりませんでした。
後日、それもTwitterでの事なんですが、ある人物がフォローしていないにもかかわらず、T氏宅を訪問した写真を公開発信しているのがタイムラインに表示され、ああ!あの時のおっさんや!と気づいたんです。 
作品を読んでいるんで、イメージとして関西に住んでいると思っていましたが東京在住なんです。

論語に南容と公冶長という人物の記述があるんですが、確か南容は家柄も申し分ない貴族で孔子が自分の娘ではなく兄の娘を嫁にやり、公冶長は前科者だが、有能で素直な性格を気に入った孔子が自分の娘を嫁にやったという話。 
目上の兄に紹介するのは儀礼形式的にきちんとした男でなくてはならず、自分の娘には自分で評価できる見どころの有る男で自分で責任を取れるのなら婿にしてもいいという意味で解釈されているそうです。

その4人が来た事は分かっています、おそらくは営業地から10キロぐらい離れた広域拠点で行われた集会の後で、4人の内の誰か一人を私に会わせようと工作されていたんですが、全員が一緒に一台のバスかなんかで送迎されていたんで、(大企業の役員がアルファード移動しているイメージ。
後部に4人ゆったり座っている。)仕方なく全員が来てしまったんだと考えています。 
で、皆、ついでに買う事になる。
客として来ているんですが、皆、私に景気はどうかとか話かけてきているんです。
それしか話をしなかった議員は私に会わせたかった人物から除外する。
士業の人物もそれだけ聞いていたんで除外する。
エリート議員が一番いろいろ聞いてきたと記憶してるんですが、役職柄の行動だったと思う。
大物過ぎて私の人生とは遠い存在なんで、会わせても意味ないだろう。

会わせたい人物とはT氏だったでしょう。

(この人達は遥か高みで戦う存在ですが、工作に付き合って時間を取ってくれただけでも僅かなりとも恩義が生じるのではないでしょうか)

ここまでセッティングする力が有るのは、私の関係者の中では貴方だけでしょう。 
※貴方が私の書いたものを評価して、T氏に会わしてみようと企画した?

裕子女史の資質で、内部家庭汎的に見る事のない特殊な所は、父親である貴方の教育&躾に起因するものだと考えています。
裕子女史が事の相手である私ではなく、周りの同志達から注目を集めたいが為に行動している事を示していくつか例を書きました。
この対象の私ではなく周りへの体裁の為に工作したり行動したりする貴方一家の奇行がこのT氏会見工作に如実に現れているんです。

昔の少年漫画で天才野球少年が小学校の遠足でジャイアンツの練習を神宮球場に見に行くと、打撃練習の打球が少年目がけて飛んでくる。 
少年は野生の本能で素手でバシッとキャッチ。 
すぐ下にいた王さんかなんかが「坊主、それ投げ返してくれ」と言うと野生少年がド速球で王さんに返球、物凄い音で王さんのグラブを打ち抜く。 
王さん、痛みのあまり顔をゆがめるも、「サンキューボウイ」とベンチへ戻ってゆく。 
練習後にシャワー室で王さんが手を見ると球圧で青痣が出来ている。 
すわ、あの少年の野球資質は!! 王さんすぐに球団幹部に掛け合ってスカウトに小学校へ…
と言うようなアフリカンダンク的な話を読んだことがありますが、劇画の世界で通用しても現実には、その場で力量を示して、そこから階段を駆け上がってゆくなんて事はあり得ませんよね。

だから、普通に考えるとT氏を営業現場に寄越してくれたところでどうなるもんでもありませんよ。 

貴方は実家売却工作でコロナ禍とその後の不動産市況を考慮していましたよね。 その後に得た(私が流したんですが)1家長兄の人事情報を加味して、いったん完成した工作を企画し直してもいると思います。
かなり、臨機応変に時勢を鑑みて対応できる事が分かるんです。

貴方が、私の書いたものを評価してT氏一門へ推挙する工作を企画するのなら、まず横浜か神奈川のローカル芸術部と接触させているでしょう。
そこでものになりそうなのを厳密に審査してから、さらに広域の部門へ紹介してゆくと思う。

貴方がいきなりT氏本人を寄越したのは、結局の所、私が書いたものを読んで貴方が評価したのではなく、周りの同志勢と裕子女史が評価しているのを見て、直近の関係者である自分が何も後援していないという周りへの分の悪い体裁を取り繕わんが為に目立つ有名人を使っただけだと思うんです。

貴方はT氏という有名人を動員することで、自分はこんなにすごい人を北枕に会わせてやった、会内でこれ以上の後援などないだろうという事を周りに見せたかっただけなんです。

私に対する助力ではなく、貴方の周りの同志勢に対する体裁なんです。


と貴方を非難する感じになってしまっていますが、このT氏来訪工作は私に対して行われている工作全体からすると5%ぐらいでしかない些事なんです。
貴方的には、おそらくは私が普通にサラリーマンとして勤めていてくれることが理想的な形なのだから、不安定な商売や実家売却、交通事故救済など諸々の事、私の家族の事など、私の周りで頻発する煩わしい事件に対応するのに、全部は良い形の答えを出せるわけでもない。
私が真面目な勤め人なら、隅々までのきちんとした後援を受けられたのでしょうね。

ここで、何が言いたいかと言うと、裕子女史は来北して家庭を作るという本来の目的よりも、老年に入るという厳しい現実から目を背け、一時しのぎでしかない周りへの体裁を取り繕う事を優先しているという事。

貴方は、老境の身にこたえるほどの対応を強いてくる、次女裕子とその対象の私の二人が陥っている孤独死路線。 

それを次女裕子が自分で選んだ事としてかたずけるしかない苦汁を舐めるがごと父親の心境。 

自分が間に入ってやれば済む話なのは分かるが、それを家風家訓として体裁を保ってきたほど、苦手な行為でどうせならこのままで終わって欲しいと心の奥底では本音がささやいている事。

で、先に述べた公冶長ですが、前科者だったとされています。
近所の人が失踪してしまい、町を挙げての捜索が行われたんですが、見つかりません。 
そんな時、公冶長が野の鳥と話せると主張して、鳥に失踪者の行方を尋ねます。 
公冶長が鳥がここにいる言っているという場所に失踪者の死体がありました。
当然、公冶長が犯人だという事になり、公冶長は罪人にされました。
ここからが古代の不思議で、のちの裁判で鳥と会話できる事を公冶長が証明して見せたそうなんです。 
で、無罪放免。 
でも顔に入れ墨を入れられてしまったと言われています。
で、なんとなく有能で人柄が良かったらしく、孔子に気に入られて娘をめとったそうなんです。
現代の感覚で考えると、鳥と話せはしないんで、詐欺金融商品かなんかを売る時に実にさわやかな好青年でいて人を欺き、裏では悪鬼のような、とんだ詐話師だったと思えるんですが、孔子にとっては、百人はいたであろう弟子達と接しているんで全部わかっていたと思うんです、そういう悪知恵の働くやつこそ教化して有徳の人士として育てる意気込みだったのではないでしょうか。

私は南容か公冶長かと言えば、190%公冶長と分類されるタイプで貴方から見れば、公冶長並みの詐話師そのものと見えるのではないでしょうか?

私と貴方は直接の縁ではありませんが、次女裕子女史とは不思議と縁が有るでしょう。 

公冶長はそういうやつとして受け入れ、私もそういうやつとして認めるしかないのだと思います。


中学だったか高校だったかの授業で、いつの時代の話なのかは忘れましたが、(大正ぐらいか?)それまで和装で下着をつける習慣が無かった日本人に、その後下着をつけさせ普及させた衝撃事件について教師が話していたのを思い出しています。
どっかのデパート一階で火災が起き3階ぐらいの高さに女性たちが取り残されてしまった。 
下にマットなど敷いて消防団が女性たちに窓から飛び降りろと叫ぶも、誰も飛び降りない。 
なぜかと言うと下着をつけていないので飛び降りると女性自身の女性自身が丸見えになってしまう。 
それは乙女には耐え難い恥辱と焼け死ぬ事よりも恐れたからでした。
飛び降り助かった女性もいたそうですが、多くが犠牲となってしまい大騒動となったそうです。 
結果、下着を穿いていれば、百人乗っても大丈夫的な、色んな時でも大丈夫という宣伝文句が効用を成して、女性の下着が急速に普及していったとの事でした。(事実かどうかは知りません)

裕子女史が私に話しかけられない心理は、この焼け死んだ女性達の恥辱を恐れる心理と通底するものと考えています。
来北する恐怖と女性自身を晒される恥辱が奇妙にも等しく、恐怖と恥辱を永遠に受け続けると錯覚して、死んだ方がましだと思い込んでしまう。
冷静に考えれば、一瞬、女性自身を観衆に晒したとて、その時だけで終わる話だし、羞恥心の基準なんて経年劣化してゆくもんで、いいババアの歳になれば死すら厭わなかった、かつての乙女も全裸で居間を徘徊したりできるもんでしょう。 

若い時分に特有のものだと思うんですが、裕子女史はいまだに成長できずに28歳ぐらいの感覚でいるもんだから、珍奇行を繰り返しているんです。
来北したら、よほどのDV被害とか嫁いびりのような目に遭うと想像妊娠的な妄想に取りつかれているんでしょうが、私はもろに草食文章民でしょうよ…。 
上司から同僚、同志勢に至るまで、貴女の周りに同じ分類される人は一人もいないはずですよ。 
会って話さないと何も分からないという事です。 
同級生勢とか同僚勢とかから情報を集めて、私の狂暴評が一つでもありましたか? 
一つも無いでしょう。 
大体、もっさりしてておとなしいという評だと思いますよ、あとはいるかいないか分からないとか、どういうやつだったか記憶にないとか、そんな感じだと思いますよ。
老母についても、若い時に義父親戚達と狭い家に住んでいたんで、とても気苦労の多い人生を送っているし、若くして病気になっているんで小さくなって生きてきている。 
自分が辛い目に遭って来たから、人の痛みも分かるんですよ。 
貴女が何人のどこの誰を見て私や老母に投影しているのか分かりませんが、貴女の心配などは杞憂に過ぎないんです。

で、残念ながら裕子女史の現状を、この時の女性達になぞらえれば、既に焼け死んだ状態にあると言えるのではないでしょうか。

40歳以上の成婚率が一桁台、4人に一人が未婚で死んでゆくと言われている時代に、齢50を過ぎて、出産も見込めず跡取りを作れない老年、人に話しかけられないレベルのコミュ障では未来の展望など見込めようもないからです。 

無茶苦茶いわれとるがなと貴方などは思うでしょうが、大体、世間の風は冷たいもんですよね。
が、それは普通の男が相手の場合です。 
相手は特殊技能系な私なんで、運の巡りが少し違う事もあるのではないでしょうか?

裕子女史との馴れ初めがT沢に呼び出される事件で、その後に不思議な事が沢山あったんです。 

それも出産に関係するようなものが多かった。 
それで10年前から出産の加齢リスクを声高に訴えていたんです。 

結果がどういうものになるかは、分かりませんが、貴女なら貴女の貴方なら貴方の私も自分の信じるものを信じて歩みを止めないで行くしかないと思うんです。

裕子女史を救うには、彼女を転落させている問題を一つ一つ解決して、浮力を与えてあげないといけません。
裕子女史の場合は特に貴方の教育と躾が転落の原因となっている事が明らかなんで、貴方が貴方の言葉で軛から解放してあげないといけません。


独身50女の自分の年齢と同じ歳の女性が高校生の子供を持ち、それなりの対老後資産形成に成功している現実を直視する事が出来ずに無意味な虚構である、静太郎を翻弄して優位な立場でコントロールしているという同志勢に向けての体裁を保つことに執着している。
現実的な価値観では、その体裁に価値など無く0に等しい、パートと子育てを無理に両立させて、非常に大変で苦労していたりする女性の働きには、のちに巨大な価値が付いてくるにも関わらずに、それに気づかず裕子女史は愚行を繰り返している[裕子女史はそういう感覚が鈍く、細かい事は考えていないんです。]

異性に話しかけられないという嫁(い)き損ねた50女としては致命的な欠失の由来が貴方の教育と躾である事が判明しているにも関わらず、そこを改める事を躊躇い、非情にも娘の自己責任として終わらせようとしている。
ランボーとか小野田少尉が上官の命令でないと戦いをやめられなかったのを思い出してください。
[貴方の強いた軛が裕子女史を転落させているんです。]
貴方が裕子女史の軛を解かない限りは裕子女史は永遠に逃げ続けるんです。


裕子女史は若い頃は(陰気くさく後ろで薄ら笑いをしているという評だが)美人として知られていたんです。 
なんかがあって、話したことも無い私を指名しているんです。
貴方も婿候補を連れて来たでしょう。
それも断っている。 
周りの色恋話を大体蹴って35年間も嫌がらせを…、間違えました、35年間も私を相手にしているんです。 
貴方は自分の次女がそのくらいの分別もつかない無能だと思っているわけではないでしょう。
もう35年の不思議な関係ですよ。
裕子女史が2重規範を生きている事に気づいて[誰か私が何も伝えなくても私の気持ちを察して仲を取り持って欲しい。]という本心の叫びを聞いて力になってあげてください。




まずは、これから記す貴方一家特有の謎ルールの撤廃をして下さい。 

世間一般の基準を適応させない限り、間違いなく裕子女史はこのまま未婚で孤独死するでしょう。
貴方が後ろを向いて待っていた時の事と娘二人が同じ事をしていた事例を書きましたが、このように貴方の教育と躾を生きる規範として姉妹して忠実に実行しているんです。
N氏存命中の今から4,5年前ほどの時の事です。 
貴方の差し金だと思っていますが、N氏が2千人位の集団の地域に10人位いるのか?老人長に任命された後、立場上、私にも話す内容を選ぶようになってしまい、以前のあけすけに話をする関係ではなくなっていた事もあり、N氏の癌闘病を裕子女史に依頼された詐病だと思っていた私はN氏の家に、ほとんど行かなくなっていました。 
転院した時の見舞いと、たまに呼ばれるんで、その時だけ顔を出していたのと、会合のついで以外では会わなくなったんです。
それからN氏の他界やいろんな事があり、順番にどれが先だったかの記憶があいまいになってしまいました。 
貴方が仕組んだことなんでご自身で思い出しながら読んでください。

1.N氏宅にYK氏と二人呼ばれる。 

N氏とYK氏と二人して、裕子女史は行方すら分からない状態なんだから、普通は興信所や探偵に依頼して探してもらうべきなんじゃないのかと提案してくる。 
それはYK氏が言わされている。 
N氏は私と二人でいるときは裕子女史と会っている事を会ったとは言わないまでも、仄めかして伝えていたんでバツが悪かったんでしょう、YK氏の提案にしきりに頷いていた。 
私は裏でそれを聞いているんで、貴方一家に言わされているんだなと分かるんで、当たり障りのないように断ってそんなことをする必要はないと答えていました。
貴方と裕子女史がN氏宅を訪問して3人で会った事が複数回あるだろうし、裕子女史一人でなら、毎月1、2回は訪れていたでしょう?
その状態がN氏を挟んで4年が過ぎていた時の話です…。 
貴方は手の込んだ複雑な不動産売却工作を仕組むことが出来る人です。
だから聞きたいんです、あの時点で、それをやるやらせる意味がありましたか?
おそらくは、あの時、話に乗って探偵社に裕子女史の捜索を依頼したら、2通りの結果が出たと思っています。 2つ共に探偵社に手を回して工作して出た捏造報告。
一つは、どこにも情報が無く、行方知れずという報告を捏造され渡されて、私が途方に暮れて生活をしている時に、いつものように暗がりに亡霊のごと立っていて、私が驚くところを見る。 
そして緊張感が増しているだろうから、裕子女史と認識してそこで私が話しかけ、ついに対面が実現。
二つ目は、既に結婚して2児の母であるという捏造情報を掴ませる。 
(この場合でも裏でN氏に会っている事を知らされているんですが)
で、私が観念して裕子女史をあきらめると言わせようとしていた。 

そこで敗北宣言したら、ターゲットロックオン状態を解除してもらえたんでしょうか? 
貴方に聞いてみたいな。

この企画は貴方が裕子女史にどうするんだと聞いても、何も具体的な返答をしないので、仕方なくこれを試してみたらいいんじゃないかと、裕子女史に聞いてから実行に移したものだったと想像しています。

なぜなら、裕子女史の本音は[誰か私が何も伝えなくても私の気持ちを察して仲を取り持って欲しい。]なんです。 

貴方は娘の二重規範を理解していないから、こういう企画をしてしまう。

貴方としては、私のような小物に対してはイニシアティブを握り、掌の上で転がしているような演出を周りに見せたかったのではないでしょうか?
つまるところ、貴方の周りへの体裁で行われたんです。

私が提案を断り話し合いが終わって、22時過ぎてYK氏も明日の仕事が早いとの事で散会となりました。

いつものように、隣室の居間にいるN夫人へ挨拶して帰ろうとするとN氏とYK氏はひどく狼狽して私の行く手を遮るのでした。

「もう明日のパート仕事があるから寝ている」と言うのです。

何十回も訪問していたんで、22時を回る事も複数回あったんですが、そう2人して必死に止める事など一度も無かったのです。
その時はおかしいなという違和感だけでしたが、帰路の車の中で気付きました。

ああ、裕子女史と勉氏が隣室にいて聞いていたんだなと…。

あの時の裕子女史は私が諦め始めたら、どう引き戻し、修正させようかとドキドキだったでしょうね…。

2.N氏が悪いステージに進行している癌だと分かり、転院を繰り返して治療していた時期の事。 
亡くなる7か月前ぐらいだったと記憶している、 今からだと4,5年前。 N氏は自宅に帰って通院治療していた。 

その時に、地域に4人位いるんだったか? 千人ぐらいの会員を取りまとめる役職の○○長とその下の○○長、あと家の主のN氏(老人長になっていた)とが集まる会合が開かれ、私が呼ばれて一人で、その3人と話をした日がありました。

その前の裕子父娘隣室待機事件から、隣にいるとガサツな私が普通に踏み込んでくる可能性がある事に気づいたのか、別宅で収音機材の音声を聞く形式に変えたのでしょう、隣室にはN夫人しかいませんでした。 

しかし、3人の私への応対が普通ではないものでした。
私は入会時、既に40過ぎていたので男子部を経ていないんですが、ネット情報などで見る、そういう場面の詰問形式の対話ではないんです。

特に落ち度のない者に対して、どう難癖付けていいのか模索しているというような、気の乗らない依頼を受けている事がありありなんです。

完全に勉氏と裕子女史が近くで聞いていて、2人から依頼されている事がわかるんです。

宗教や思想、政治などなど色んな組織が世の中にありますが、だいたい査問と称して、こういう対話を図るものです。
しかし、私に組織の方針と対立するような要素が皆無なのと、会則に反する行為も全くない。 
折伏も成功させている上に、会合にも可能な限り出てきている。 
さらに何の事やらわけわからん北枕機関の元締めと噂されている。 
輪をかけて謎の裕子一家から矛盾した謎の依頼がきているし、謎の立場にいるこいつにどう難癖付けていいものやら…という感じ。

結局、世間話と、もっと活動にやる気を出して臨むべきだというような感じの話をされました。 
私は会話の中で聞いたその場にいる各部長の受け持つ会員の人数を挙げて、千人会員がいれば、私よりも難事に遭って困っている人もいる事でしょうに、そんな中で時間を取っていただいて申し訳ありませんと謝したのでした。

これをセッティングできるのは私に関係する人の中では、貴方しかいないんで貴方の企画と分かります。 

で、この時は裕子女史には意見を聞いていないでしょう。 
裕子女史は狭い範囲の取り巻きに対する体裁しか考えられない50女なんで、組織の指揮系統や広範囲の同志に対する体裁を気にする場面を35年間見たことないからです。 

貴方がご自分の周りへの体裁を取り繕うためだけに設定した査問会だったと言えるのではないでしょうか?

貴方が娘裕子女史の悲惨なものしか予想されない未来への対処打開策という、父親として、一番重要であるべき事柄を完全無視して、自分の体面しか考えずに行った工作だったのではないでしょうか?


三島由紀夫の遺作豊饒の海のラストで何世にも渡る仏縁として描かれてきた男女2人なのだが、(よく覚えていないんですが、大体そんな話だった)男が出家している相手の女に会いにゆくと、何も知らない、会ったことも無いと答えるだけだったで、たしか終わったと記憶しています。
(昔読んだときはわけわからん長いだけの駄作だと思いましたが、50過ぎて孤独死街道上にいる今読むと分かる深い意味が織り込まれているやもしれません、ぜひ読んで見てください。)
探偵に裕子女史を探してもらうという話の時は、豊饒の海の男が感じた虚無感みたいなものを私に与えようとしていませんでしたか?

貴方と裕子女史に共通する[人]に対する異常な態度対応がここに現れているんです。
この[人]に対する態度という所の[人]には家族も含まれるんです。
例えば、勉氏なら[裕子姉妹]の2人にも世間一般から見て異常な対応で接する、裕子女史は[勉氏]に世間一般の基準に照らし合わせてみると異常な対応をするという事です。

まず、私に対応するにしても、自分は裏にいて一切表には出てこない、会わないで話を終わらせるという事は、普通に考えて世間一般にはあり得ませんよね? 

異常な事をしているという事です。

人間って、自分自身の行動の善悪を自分では測れなかったりするんで、貴方が考案してと言うか、その思考方法の源、創始者なんで、かえって見えない理解できないという事もあり得ますが、貴方は外部世間世俗の事象である不動産市況とか、民間企業の人事についても工作していますから、ここでいう世間一般の基準もよく理解しているはずなんです。

世俗の事象にも通じているのに、なぜ異常な形で幕引きをできると考えて実行してきたのか?

ここから耳に痛い所があるかもしれませんが、理不尽な言いがかりのようなものにはしません。 
実態に即した事を書いてゆきます。

私が貴方一家と35年間関わる中で、ずいぶんと理不尽な目に遭わされてきたからこそ分かるんですが、貴方にとって耳に痛い部分に触れないと、裕子女史は貴方の軛から解放されることはありません。

貴方がオリジナルで裕子女史はコピー、行動規範を貴方から複写している存在なんです。

貴方が世間一般の規範を受け入れて、裕子女史に伝えてくれないと破滅路線から逃れられないんです。

私が貴方の立場であったらどう行動するだろうかと考えてみます。
私は娘を持たない立場ですが、どうするかは齢50も過ぎるとだいたい決まってくるものと思います。
なんで、これは私に限らず、ごく一般の平均的な資質を持った娘を持つ父親がとるであろう行動も薄っすら反映していると思います。

まず、高校生の娘が、中学の同級生との仏縁を叫び始めて、地域の会合などでもそれを喧伝し始めてしまった。
貴方は私と裕子女史が10代の時は、基本、家族全員への嫌がらせ工作に徹してなんとか離れさせようとしていました。 
うちは地方公務員教員家庭なんで、特にクサして否定する要素がなく、私も非行に走るでもなく、その辺にいくらでもいるアホそうな子供でしかなかった。
なんであいつなんだと裕子女史に聞いても、だってなになにだもんと良く分からない返答をするばかり。 
それを女ごころの二重規範の建前であることを貴方は理解できていないんで、どす黒い鬱憤が増大してゆくばかり。
なんとかあいつはしょうもない奴なんだと裕子女史に見せて分らせたい。
で、嫌がらせ工作を企画、実行していた。

35年前の貴方には、家族全員がほんとに、いろいろ辛い思いをさせられましたが、なんとなく同情する所もあるんです。 
そういう工作を実行する力があれば、娘の幸福を思って使ってしまうだろうと。
自分の10代の娘が裕子女史のようなタイプのコミュ障で、当時の貴方のような立場にあるのであれば、誰でも貴方と同じような行動をとると思います。 

当時の貴方は普通の父親の行動をしていたんです。

普通の父親の心理を理解しているとも言い換える事が出来ると思います。 
さらには、10代の少女がいう仏縁なんかは10年後は幼い季節の淡い恋物語として笑いながら本人が語るぐらいのものと考えるのが普通の人生ですよね。 
貴方も、娘の若さゆえの過ちを傷がつかないように見守っていたのだと思います。
ただ貴方は工作を実行できる立場にあった。 
それでうちは災難に遭ってしまっただけだ。


20代に入ると、仕事をするでもなく、勉強するでもない私の愚鈍怠惰さが顕著に現れるようになり、いよいよ裕子女史も周りにいる精鋭同志達の方が条件が良い事に気づくだろうと考え待った。

最近、有料配信に加入して、ファイヤースティックをTVに繋げ昔面白かったドラマとかを見つけては見たりしているんです。 
常盤貴子と豊川悦郎の「愛していると言ってくれ」というドラマを放送当時に見て、脚本も素晴らしかったのと、その頃、国立から阿佐ヶ谷ら辺に住まわっていたので、たまに行く吉祥寺近辺の豊かな空気感がドラマの中でものすごく映し出されている気がして、機会が有ればまた見たいなとずっと考えていたのでした。
配信作品の中に愛して~があったんで、定額料金以上に支払わないで見れる良かったと喜んで30年近くぶりに再観しました。
そうすると、脚本は当時流行りの形式だがドラマ史に残る名シーン多発で確かに素晴らしい。 
が、私が記憶している豊饒な武蔵野の空気感はドラマの中に感じられなかったんです。 
往時武蔵野の空気感と優良な脚本がこのドラマの両輪であるかのように、私の頭の中で留まっていたので、2話までで見るのを止めてしまいました。

現実の愛して~よりも、記憶の中の愛して~の方が私の心に幸をもたらすように思ったからでした。

画像を介したものでも若い時の感性で感じた街の空気や公園の樹木の匂い、水面の輝きと今50の老年に差し掛かってみる、それらは一致することが無いのでしょうね。
道行く人も今はほとんど亡くなっているだろう昭和初期に生まれた人達だったはずです。 
歩く事一つにしろ、今を生きる人たちとは違ってくる。
それと、私がドラマを30年かけて記憶の中で熟成させて、美化していったんだと思うんです。
私、不揃いのリンゴ達というドラマも好きで、結構前にDVDを買って2年に1回くらいで見たりするんですが、これも素晴らしいドラマでいて、愛して~のような記憶と実物との相違が起きないんです。 
たまに見るからなんでしょうね。

で、裕子女史ですが、私と最初に会話らしき事をしたのが40前後の時なんで、20代前半の大田区に住んでいた時代は当時の盗聴監視技術と機材の質の低さからしても、ほとんど私を想像上で頭の中で美化して捉えていたと思うんです。

恋と言う字は下心、愛と言う字は真心、そろそろ子役は厳しい寺田心。
恋は盲目、愛は沈黙などと言いますが、20代の裕子女史を私から離れさせようとするのなら、会わせて美化した空想上の私を打ち壊させなければならなかったのではないでしょうか?

今に続く貴方の失敗の始まりは、この他人と接触して、新しい展開を求めるという手段を放棄した事なんだと思います。

ですが、貴方以外の20代前半の娘を持つ父親も、自分達も通過してきた、まだまだ若い時期なのを知っているのでしゃしゃり出てくるような事は無いと思います。 
この段階までは貴方は普通の父親と同じだったんです。
私が武蔵野放浪期を経て、大森に定住し始めてから、貴方が工作して高給クレーン操縦士の仕事やそこに落ち着きそうな仕事を斡旋しようとしたことは前述のとおりです。(勉書2か3を参照)
これは、裕子女史に乞われての事だったと思います。

で、貴方に聞いてみたいんです。 

おそらくは当時、裕子女史は貴方に、まだ自分は相手の私と話したことが無いと伝えてませんでしたか?

聞いていなかったのなら、仕方ないですが、仕事の斡旋工作を仕組むより先に裕子女史に私と会って話をさせるのが、普通の父親だと思うんです。

貴方的にはどうしても私は認められない存在で、会わせてかえって逆効果になって恋は盲目度が上がってしまう事を恐れていたとも考えられますが、一般の普通の父親なら若い時の色恋騒動なんか、一過性の病みたいなもんで、あとは施した躾と教育を信じ、運にまかせるしかないと見守るものだと思います。

人間て、いろいろ経験して、傷つきながら成長してゆくものですよね、凪の海は良き船員を生まないんです。
対話や感情のぶつかり合いを恐れて、逃げ続ける裕子女史を過保護にして肯定し続けた結果、独身50女にしてしまったのだと思います。

娘の心の平穏を守りたいという心理なのかもしれませんが、人間は必ず年老いて死んでゆく生き物です。 
貴方がいなくても平穏な心を生涯維持できるように導き、育てるのでなくては無責任なのではないでしょうか?

父親として20代前半の時に私と会わせないといけなかったと思います。


26ぐらいの時に大田区から横浜に戻ってきました。 
中区の長者町に何年か住んでいましたね。 
南品川あたりから京急線沿いに杉田ぐらいまでの臨海部は同一文化圏だと感じる事が有ります。 
東京で働く横浜市民には多くの同意を得られるのではと思います。 
大森と中区ではたいして違いが無い感覚で気楽に移り住んでいました。 
実はこの帰郷には裕子女史の存在が影響していたんです。 
ぶっちゃけた話、横浜に戻った方が会う可能性が高くなるという魂胆でいたんです。 
ほんと裕子女史とは宿縁と言うのか因縁というのか、不思議な関係なんです。
この頃の裕子女史は官舎みたいな所に住んでいたと聞いています。 
大森時代は結構な時間と距離を使って来ていたんです。
60分ぐらいかかるのかな。 
中区だと35分ぐらいに短縮されていたものと思います。 

私は裕子女史と遭遇する機会が増えて会うことになるだろうと期待していました。

この引っ越しの前か後かに裕子女史への内容なんですが、どこにいるのか分からないんで、実家の貴方宛てに手紙を出しましたね。 

これが初めての手紙だったと記憶しています。

もう忘れてしまったんですが、どこそこで待っているから来てくださいか電話して下さいと書いていたはずです。
その記載の日時にいつもの無言電話をかけてきていたんで、実家に送った手紙が裕子女史に届いたと分かりました。

この時が貴方が私と裕子女史の間に正式に介入した瞬間なんでしょう。

その後、裕子女史は、無言電話とピンポンダッシュなどを繰り返していたんで、その度に手紙を実家へ送りました。 
2回目からは裕子女史宛てにしてました、届くのが確認できたから。
27歳ぐらいの時だったから、今考えれば、あの頃に思い切って勉氏を実家に訪ねればよかったのかなぁーと思ったりしますが、まだまだ若い時分の話で(この当時の私は精神的な成長が7歳ぐらい遅れていた傾向がある。見た感じも7歳ぐらい若く見られていた。今は年相応な感じになっていますが)そんな勇気も無かったんですよね。

まあ、本人と話したことないのに、父親に会いにゆく奴もいないとは思いますが…。

追えば逃げる、逃げれば追ってくるという裕子女史の謎の性格に付き合いきれなくなり、あきらめて、たまたまパチンコ屋のドリンク売りをしていて、私にコーヒーをぶっかけてくるという衝撃事件を起こした中国人留学生と交際を始めたんです。

彼女については、3年前ぐらいに安価動員されているんで、貴方も知っている事でしょう。 
(頭のいい人だったから、留学生相手の不動産屋とかそんなのやってそうですね)

そんな感じの時に、裕子号泣ピンポンダッシュ事件(勉書3を参照)が起こりました。 
私と裕子女史の因縁の紐帯から変なものが伝わってきて、何ともいえない感情が沸き起こったのを記憶しています。 
悲しみのあまりになんか泣いたような。 
裕子女史の性格を見切った瞬間でもありました。


裕子女史は何かを失うとか、別れの瞬間とか、普通の女性なら抗議したり、叫んだりする場面でも、泣きながら逃げてゆく事しか出来ないんです。

同時期に父の入院している病院の駐車場で、裕子祖母のおばあさんが疾走する所を見たんです。
(勉書2を参照。あの方は貴方の母上なんでしょうか?)

あれは父が亡くなる数か月前です、貴方は父と会って話をしているでしょう。 
駐車場にはいたが、会ったのはおばあさんと裕子女史だけと言う可能性も有ります。 

しかし、父が私を一人呼んで回廊部で話をした時の、脅かされ口止めされたかの様になんとも明確には話せずにいる感じや、回りくどく禁忌には触れないように配慮しながら自分の経験を話して私を後押ししようとした親の真心からすると、死ぬ間際の60の男にそこまでの圧力をかけられるのは貴方しかいないと言えるんです。

裕子女史とおばあさんともう一人加えて裕子母氏が3人でかかっても女性では出来ない事だからです。

父が私に話した事や、言葉を濁すような感じから察するしかないのですが、貴方は裕子女史とおばあさんと一緒に父と会って、私の出した手紙を見せて、娘と近いうちに会わせることになるだろうと伝え、裕子女史の仕事と自分の仕事、一家の来歴を話していますよね。

死人に口なしとはよく言ったもんだと思います。 
今はいない、父やおばあさんは独身50女となった裕子女史と私の境遇をどう思うと貴方は思いますか?

父がその話をわざわざ病院内でも人気のない回廊部へ行って話したのも、今思えば録音を取られる可能性がある事を気づいていたからなのではなかったのか? 
いろいろマイナス工作もプラス工作も死ぬまで受けていたのではなかったのか? 
考えてしまう事があります。

裕子女史とのつながりで、ずいぶん親不孝をしてしまったのではないか?

貴方がどのような世界観、価値観を持ち、どんな信条に基づいて生きているのか私には分かりません。

ただ、うちの父もおばあさんも、貴方が私と裕子女史を引き合わせると信じていたはずです。 
二人とも約束が違うじゃないかと怒っているんじゃないですかね。

貴方と裕子女史が家族全体のそれでもない各自、自分の体裁の保持だけを求めて生きている場面を何度か書いてきましたが、この時の貴方の行動を考えると、現世が人間の全てであり、現世で隠ぺいできたのなら、誰も知ることが無く、初めから無かった事になるという世界観を持っている事。

概ね、周りもそんな感じで物事を捉えているから、躊躇なく一般の倫理規範に反する行為をやってのけるのだと思います。

しかし、貴方に問いたい。
自分の親や家族に約した事を、それを聞いた親や家族が霊山に旅立ったら無かった事にしていいのですか? 
貴方が巧く、自分が誓約する形でなく、裕子女史が自分で行動するだろうと責任を娘に託して話したかもしれません。 
しかし、裕子女史が貴方の軛の中に生きている状態でいて、何より貴方の娘なのだから、責任は貴方にあると思います。 

冥の照覧とは神妙なものだと思います。 責任から逃れることは出来ないと私は思います。

裕子女史は自分で私に話しかけたり、話しかけさせたりすることはできません。 

話しかけてくる可能性は0%ですよ…。 

ホントに出来ないという事を長く書いてきました。
貴方が私と会って話すしかないんです。


その義務を負う2つある理由の一つが、おばあさんと私の亡父への守るべき義理です。


裕子女史はおばあさんの影響を受けて、同じ仕事を選んだと聞いています。
可愛がっていた孫娘の今の状態をおばあさんが認めるわけがないと思います。

うちの亡父も貴方が会うだろうと言うから、私へ遺言めいて話をしたんです。 
自分は周りの反対であきらめたが、お前は自分の意志を通して生きて行けと言っていました。 
なんで会わせると言った話を反故にしたまま25年も経ってしまったのか?と思っている事でしょうね。

貴方も80歳を過ぎて、人生の幕引きなど、色々考える事が有るかもしれません。 


言葉の文章上で成立していない約束でも、果たさなくてはならない父親としての義務と先に旅立っているおばあさんと私の亡父への通さなくてはならない義理があると思います。




続き発信再開しようと思います。

勉氏が私と会わなければならない理由が2つあると書きましたが、一つは読んでのとおり、今は亡き縁者2人への義理。 
半分はもう伝えているんです。

もう一つは、私や力添えをしてくれた人々、仏法的な縁者への守らなくてはならない義理を書いてゆくことになります。

一つでも、充分に私に会いに来ていただく理由になると思っています。

私は会うと全然おとなしさ極まる男なんで警戒しないで、気楽に来てください。 

逆に、貴方に私が張り倒される可能性の方が傍から見ると高いでしょう。色々、書いてますが、私がそれを書かれたらやはり気分悪いと思います。
だから、黙って我慢するしかないと覚悟していますよ。

貴方が父と会ってから、半年もたたずに父は旅立ちました。

この時期の混乱した状況の責任を母が全て引き受けてくれました。

それについては勉書に書いているんで探してみて下さい。

80過ぎた貴方なら、私と兄弟が負うべき負担を母が病気の体で懸命に果たした事が分かると思います。 

昔は、この件を裕子女史が来北への懸念としていたようなので書いておきます。

父が亡くなり、中区の住処を引き払い、出身区の両親が住んでいた借家に住むことにしました。
さらに引っ越しからすぐに中国人留学生の彼女と別れる事になります。(勉書参照)
明らかに父と会っておきながら、一向に現れない裕子女史の人格にげんなりしすぎて、肯定することもできなくて、再びあきらめ始めるんです。

私に限らず若い時って、闇にひたすら進み続けているような女を避けますよね。

そんな感じがなんとなく表に出ているのか、裕子女史も同志医師と交際を始めたと聞いています。 
その5年後とかに同級生勢と飲んでいて、酒の席で仄めかして聞かされた話なんで確かな事は分かりませんが、(医師というのは私の想像です)私に話しかけるどころか、前に立つことも出来ない脆弱な性格の裕子女史が自分で進んで相手を見つけてくる事など考えられないんで、(それが出来るのなら私と話しているから)貴方が引き合わせたか、貴方が自分の影を感じさせずに工作して、周りから会わせるように仕向けたんだと思っています。
間違いないでしょう。


ここで発覚するのは、貴方は裕子女史に交際相手を会わせる事が出来ていたという事なんです。

貴方に問いたい。

大森時代にも、中区時代にも、父が他界する前にも後でも、もっと言えばその後の20年間のいつでも貴方がその気になれば、私は裕子女史と会えていたのではないですか? 
今でも同じ事で、明日にも貴方の意思次第で裕子女史は動くのではないですか?

今の裕子女史の焼け死んだ後とすら評されている境涯を考えると、私が貴方に対して一番納得のいかない事実なんです。

それが出来るのなら、裕子女史にそれなりの幸福を掴ませる事など容易い事だと思えるからです。


今の破綻した事態に陥らせてしまうくらいなら、20年前の私でもよかったのではないですか?


その頃は上大岡でバイトをして生活していました。遼寧女史と別れて半年後くらいだったと記憶しています。
裕子女史が母氏と二人でバイト先に来て、安価行為をしてきたんです。
(母氏を始めてみるんですがどう見ても似ているんで親子と分かる。貴方も見たことない人なんですが、やはり裕子女史は貴方にもよく似ているんで分かるんです。 が、その裕子女史をほとんど見たことないという衝撃の事実をお知らせしておきます。)
中学生の時から髪の伸びる呪いの日本人形みたいな長めな髪型で通してきているのを知っているんですが、その時は水玉の堕天使 草間彌生を彷彿とさせる節子ボブの短さにまで髪を切って現れたんです…。
漫画などで女性が髪を切るのは失恋を意味すると私の世代は共通認識を持っています。 
火垂るの墓の節子のようになっている裕子女史を見て、ああ誰かと付き合っていたが別れたんだなー、それを知らせに来たんだと思いました。
節子ヘアを見て、一般世間では普通はそうは考えないと思いますが、既に15年間、裕子一家を見てきているんで分かる所が有りました。
それを証拠に、しばらく途絶えていた無言電話が再開されたんです。

貴方の引き合わせた同志医師とは、ホントに短期間2~3か月しか持たなかったんです。 
おそらくは4,5回会った程度の話でしょう。

私も人の事は言えないわけわからん系の人間ですが、裕子女史も同等の問題を抱えて生きているのが、この辺で父親ならわかると思うんです。

生まれた時から、ずっと貴方に導いてもらわないとまっすぐ歩むことすら出来ない人だったんですよ。

しかし、映画とかドラマとかでもよくある設定で、父と娘が気質資質が似すぎていて、磁石の同極が反発しあうが如く、すれ違ってしまう。

貴方には裕子女史の一般世間の生存規範とかけ離れている異常性が、全く見えてはいないのでしょう。

似ている為に、互いを見て修正をかける事が出来なかったから、今の今まで愚かな自滅行為を繰り返す事になったのだと思うんです。

そもそもそんなに異常とまで、お前の如き阿呆泥ガメに言われる筋合いはないわ!と思われるかもしれません。

35年も話かける事も出来ずに、次の段階へ進むことを恐れるあまりに、一人の相手に固執し続け年老いる。 

実の娘の人生がいびつな形を取り始めているのにも関わらずに適切な対処をせずに放置し年老いさせる。

この2つだけ見ても世間一般の基準で見ると異常以外の何物でもないと思います。 

これ読んでいても裕子女史なんかは理解できていないと思いますよ。

周りから見ると後ろから集団の後を黙ってついてきて、いつも薄ら笑いをしている女などと陰湿評を獲得している裕子女史ですが、ある意味、昔、見た時の感じで林家パー子みたいにケラケラ笑って日々を生きて朗らかな精神状態なのかもしれませんね。 

案外、それが彼女の美点なのかもしれません。

しかし貴方は世俗の事情に通じているから、内心、「確かに言えてる」と理解すると信じます。

盛んに貴方が20年前に私と裕子女史を引き合わせなかった所を非難していますが、20年前の私ってモノホンのクズでしたからね…。

どこの父親でも、自分の娘の相手としては避けていたでしょう。
私が貴方の立場でも絶対に阻止していますね。 
だから20年前の貴方は父親として娘を尊い親心で正しく導いていたんです。
貴方が犯した過ちは裕子女史が30代後半に入ってから始まるんです。



途中で別な流れの話になってしまいますね。

今いろいろと忙しくしている時なんで勉書発信も滞りがちになっています。
更には勉氏へ直言すると良くないのではなどとも考えてしまったりとか…。

しかし、嫌がらせの感じからして、裕子女史が週5ぐらいでうちの上に来ている感があります。 

確かに、仕事も何もかもをひっくるめた中で、一番優先すべきは裕子女史の事なのだと分かっていたりもするんです。

が、いろいろ書いたり動いたりしているのだから、まともな人間なら、既に来北しているはずなんですよ。

裕子女史は自分では動けなくなっているんです。

だから、貴方の助力が必要です。 

で、貴方が助力するべき理由を半分書きましたが、まだ私と会う心境にはなりませんか?

最近は、新しい仕事関係でいろんな初めて知り合う人と話したりします。

バイクで走行中に変な嵐に遭った話(勉書8参照)を始めとして、この間はおばあさんと話していると私の誕生日とおばあさん夫婦の結婚記念日が同じ日(貴女は知っているでしょうが、あの日付に結婚する人いるのか?)だと聞かされ、ホントになんかの縁が有るんだなと思ったり、もっとすごいのは、数年前に車の運転で揉めた相手が仕事相手として現れたりしています。

こういう体験しまくっていると、人の人生はあらかじめ決められたものをなぞっているだけなのではないのか?とふと考えたりしていますよ。

そんな感じで続けて書いてゆくと、貴女は来北しないのなら一生しないでしょう。

来るのなら、明日にも来ることになるよ。

とりあえずは勉氏の助力が必要だと分かるんですが、その勉氏も間に入る入らないは既に決まっていると思います。
数年前まで仲を取り持ってくれようとしていたN氏が病没した事を思い出してください。 
なるようにしかならないのだと思います。

80超えたらまあ体も動かないし、いつ何があってもおかしくはありません。
思い立った時にすぐに動いていただけると裕子女史も私も助かる事になるでしょう。

新機軸開始により、ホントに忙しく、確定申告、車検、前職の道具類の始末、倉庫の解約、駐車場解約と現地の契約、現場の設営、許可申請2種、契約事、資金の準備、免許の更新などを全部一人で並行してこなしていたんで2か月間で休日なんか今日入れて2日だけだったという衝撃。

この間、前職の時のお客さんが来て、「休みなしでやっているのか」と聞いてくるんで、「私にそんな休みなしで働くようなイメージないでしょう」と答えて、それもそうだと笑いあう位な感じで生きている、その私が月に一日しか休まず働いていたんですよ…。
(その8正面作戦で戦って死ぬほど忙しい最中に詐欺会社からの電話攻勢を仕組み、間取りの変更を言ってくる貴女一家のガチな異常性よ…。こう言われると確かに無理やなと恥ずかしくなってくるでしょ?)

今、なんかの縁で新しい仕事を始めたのも前職では貴女が動けないからであり、貴女が関係ないのなら、琵琶湖のほとりに引っ越して、小さな店でもやりながら、毎日バス釣りをして老後をひっそりと送りたいです。

この間、墓の掃除へ行くと、20年間で初めてうちの墓石と周りの墓石との間にいくつもの蜘蛛の巣が張られていたんです。
墓苑の管理者も普通は蜘蛛の巣を払ってくれるから、20年間見たことが無かったんだと思うんです。
なぜ初めて蜘蛛の巣まみれになっていたのか?
貴方が工作して、手入れをしないようにしたとみています。
私が墓参りをすれば、蜘蛛の巣を払うだろうから来た事をそれで確認できる。
貴方としては、私に墓参をするくらいの余裕ができたと判断して次の動きを始める感じなんでしょうか?

で、先々週辺りの事、帰宅して玄関前で道路を振り返るとにうちの前の坂を高揚したオーラを発散させながら、かけあがってゆく中年女性を見かけました。 
60年代アメリカの若い女性みたいな装束でポニーテールにして髪をまとめているんです。

あれが裕子女史ではなかったか?

距離にして40m、間にマンションのオートロックの柵が一枚で、車道を隔てた反対側の歩道部をです。

夜22時前ぐらいの事で、薄暗くほとんど見えてない状態なんですが、あの高揚感で夜道を駆け上がってゆく異様さ不自然さで、そういうことをやらかすのは裕子女史しかいないと考えているだけなんです。

が、あれは裕子女史だったと思っています。

もう今からすると20年前にもなる昔の話ですが、当時、紆余曲折を経て杉田で商売を始めていました。 
夜遅くに帰って来るんで、帰りに近所のスーパーへ寄り、(当時は夜23時までどこも営業していた)夕飯と一緒に晩酌するために酒を買って帰る日々を送っていました。 
まだ二十代で安くまとめ買いして置いておくという思考すら出来ない若造だったんです。

若い頃って、思い返すとなんであんな事していたのかと思う事多いですよね。

その頃も裕子女史に手紙を送っていたが、来もしないし、連絡も無いんで、もういいだろうと度々忘れようとして繋がりが途切れている時期がありました。 

そんな時にスーパーに短大生の可愛い娘がレジのバイトとして働き始めたんです。 
初めて働き始めた日に同僚の学生バイト達が彼女を見て可愛いじゃんとひそひそ話をしているのを聞きました。 
そんな感じの娘だったので、あー、綺麗な娘が入ったなーとは思ったんですが、貴方一家は全く知らないのでしょうが私の好みのタイプは若い頃の中越典子のような感じなんで(私が陰気な男なんで可愛いい系で明るいものに惹かれるんでしょうね)全然系統が違い過ぎて特になんとも思わなかったんです。

毎日、酒を買って帰るんで、私の行く時間帯にバイトで入っている彼女のレジにも行く事が何度もありました。
が、しばらくすると彼女のレジじゃない所で清算すると異様なじっとりとした殺気を感じるようになったんです。 

彼女からの怒りが伝わってくるようになりました。

裕子女史はいてもいないようなもんなんで、なんとなく表と裏なら裏、光の映すものの作り出す影見たいな存在と化していて、どうしても目に見えるもの、手の届くものに親近感を覚えていったんです。

ここからが60年代アメリカ女性装束と関係してくる所なんですが、その頃、中学の同級生とそのスーパーでばったり会って飲みに行く約束をして何度か飲みに行きました。 
今、考えると駅とその同級生の家を結ぶ通勤路から、そのスーパーの場所はかなり逸れており、駅前の裕子マンションの隣の別の同級生の実家が経営している店で買って帰る方が順当な気がします。

彼も私と飲みに行くように貴方から依頼されて待たされていたのでしょう。

飲みに行くとやはり動員されていた茂太郎(5年ぐらい前に当地で倉庫のとこで座らされていたSです)も合流して3人で3回ぐらいいろんな居酒屋で飲んだ記憶があります。

20年前の話なんで時間の前後関係とかが、完全に混線してしまってそれが同時期だったのか、後なのか先なのかという重要な事が思い出せないでいます。 

しかし、実際あった事で覚えています。

飲みに行く度に色々聞かれるんです。 
聞き出すように依頼されていたからなんですね。
そういう情報収集活動を基に工作を仕組んでくるんですが、当時は勉氏が現役で活動していたんで勉氏が全部、仕切っていたものと思います。


杉田で商売をしていた頃は、その時もラジオをなんとなく流したままで営業していました。

それとは別な話、この話はもっと最近の事で、少し前、と言っても6年ぐらい前になるのかな前職の時にラジオで、全く無名のお笑い芸人と、なんかこう、がらっぱちというか変に威勢のいい若い女性アナウンサーの2人でやっている昼の番組をよく聞いていたんです。

ある時、ゲストが亡くなったおばあちゃんとの思い出話をするんですが、それを聞いた無名のお笑い芸人がラジオの向こうで号泣し始めたんです。

俺、おばあちゃん子だったからと繰り返し上役かなんかに弁明しているんですが、がらっぱちのアナウンサーやゲストはそれをみて爆笑し続けていたんです。 

世の中には変な奴がおるんやなと。

後日、YK氏の仕事で午前中働いた後で、午後も仕事があるんでついでにやって行かないかと言われたんですが、丁度、帰りの道筋の場所でその番組の公開放送があるそうだから、この後、見に行こうと思っていますと断って、氏と別れて行ったんです。

会場に着くと既に番組終盤に差し掛かっていました。

声だけしか知らなかった芸人とアナウンサーを見てとてもびっくりしました。 
芸人はそのまま期待を裏切らない売れない芸人系なんですが、がらっぱちのちんちくりんの田舎娘の画像をいつも想像していた女性アナウンサーがやたら百貨店美容部員風の美人なこと美人な事。

世の中、実際見ないと分からない事ってあるもんだなと思いましたよ。

で、スタッフに私の来場の連絡が行っているような妙な雰囲気を感じていました。

その後、しばらくして美人アナウンサーは番組を降板することになります。

ネットで調べると富豪との既婚者だったが、未婚女性として芸能活動していたのを問題視されたとかなんとか。 
面白いのは芸人の方も芸風を変えてそれまで貧乏母子家庭キャラで売っていたのを一転させ、子沢山の子煩悩キャラに変容させ始めたんです。

美人アナウンサーについて、驚きがあったんで検索したりして、声から想像するのとは全然違って美人だったと周りの何人かに話しをしました。 

前職期に売り出し前の歌手とか、発信で作品名を書くとそれに出演している俳優が寄越されたりとかいろいろありましたが、それもそうだし、この美人アナ更迭事件も北枕機関の副作用だったと思うんです。
芸人は友好的な人物もしくは家族が内部の人物として取り立てられたという事です。


で、杉田での商売期の話に戻りますが、ある時にスーパーのバイト短大生の父親らしき人物(あまりに似ているんですぐにわかる。残留孤児だったらDNA鑑定不要な感じ)が来ていろいろ話を聞き出そうとした日がありました。 
商売的に怪しいんで悪いスジとつながっているんじゃないかという事を父氏は懸念していたんです。 

ある例えをして、そんなことは無いと答えていました。 父親が見に来たと私は思いました。

そのすぐ後にラジオ(公開放送のと同局)を聞いていると恋愛相談みたいのが突如始まったんです。 

普通の音楽番組の中で。

一年ぐらい、男の相手がなんの返答もしてくれずに、どうしていいのか困っているという女性の相談でした。 

なんとなく父親が来たことと結び付けて考えてしまい、なんとかしなくてはならないと思い始めたんです。

同じ時期の帰りにいつものようにスーパーへ寄り、車を停めると入口の所に非常に晴れやかな笑顔で高揚したフォースを放ちながら、一人のメンヘラ女が、いや30ぐらいの女性がカウガールというのか、ああいった帽子に短い上着と短いスカートで長いブーツを履き、今でいうとイエローハットの宣伝風の恰好をした女が、なんか私へ見せるように軽くポーズをとっているんです。

それが裕子女史でした。

若い頃は目がぱっちりとして可愛い娘だったんで、体型は完全な凹凸の無い寸胴型だが幼い娘に綺麗な服を着せて見ているような、ほほえましい空気感が流れていたのを覚えているんです。

が、なぜか降りて行って、裕子女史と話をしようという気にはならずに去ってしまいましたね。 

裕子女史的にも、全部が工作で仕組んでいるから、スーパーの短大生の前で話しかけては来ないと読んでいたものと思います。

裕子女史は私を前にすると大森のレジに並んだ時なんか手を震わせて暗い表情を見せていたくらいで、あんなに晴れやかな顔をできないんです。

なんで、わざわざあの恰好を見せに来たのか後で考えていました。

自分の大好きな服だけど、もう30代になったから着る事は無いだろう。
だけど、あの泥ガメにはこの服を着ている姿を見ておいてもらいたい。
この裕子女史の心理の推測は現場でもすぐに思いついたものでした。



※ここからは駿先生の「風立ちぬ」を見て荒井由実の「ひこうき雲」を流しながら読まれたい。

白いー坂道がー
空までー続いているー
誰もかれもが
気付かないー
死ぬのがー若すぎたよー
ゆらゆら陽炎がー
なんでー死んじゃったのよー
空にー
舞あがーるー
空にー憧れてー
空にー飛んでいくー
あの子の瞳は
ひこうき雲ー♪

(私の記憶の中の歌詞)

と言っても、アニメ映画を言われてすぐ観るようなタマでもないので、少し「裕子30歳カウガール衣装を着る事件」から離れます。

慶長5年9月15日に、東軍徳川勢10万と西軍三成&豊臣遺臣団8万が関ケ原で激突した。

西軍首脳には、西軍崩壊のきっかけとなった、小早川秀秋の裏切りがある程度予想されていたらしく、山上の小早川勢と本陣石田三成勢との間に三成の盟友大谷吉継の軍勢が配置されていたそうです。

吉継は三成に企てを打ち明けられた時に「あなたには人望が無いから諸将がついてこんやろ、数の上で劣勢となり必ず負けるからやめといたほうがええで」と言ったそうです。

結局、西軍で参戦し、敗れて自刃したとされています。

なんで負けると自分で言っていた戦いに参戦したのか?
吉継の画像検索すると大体、顔を布で覆って白頭巾を被った絵が出てきます。 
信長の野望でも、さながらイカのようになっていますね。

若くして○○に罹り、体の各部が○○で皮膚が○○した症状を見せていたそうなんです。 
それを隠すために布で顔を覆った画像にされているんです。

関ケ原の戦いの時には、○○が進行して歩行困難で輿に乗って担いでもらって移動していたそうなんです。 
もう先は長く無いと自分でも思っていた事でしょう。 
なんとなく自暴自棄のやけっぱちになっていたというのも吉継参戦の真相の少なくない部分としてあるような気もします。
が、子供も家臣達も後に残してゆくのに、そう単純な話で負け組に与するもんなのか?

秀吉の催した茶会での吉継と三成、秀吉の話が伝えられています。

茶道はよくこの形で残ったな思わせる、一つの茶碗でのお茶の飲みまわしがルール(よく知らない)。 
点てられたお茶を順番に飲んで、隣の人に回してゆくんですが、吉継が茶を飲んでいると○○が進行して具合悪かったんでしょうね、○○○○〇茶碗に顔から〇を落としてしまったらしいんです。
それを見た、一同ドン引きして、そんなん飲めるわけないやん…。

とんでもなく緊迫した空気が流れだしました。

ここで、大体、歴史漫画なんかだと三成が一声、「吉継、何をしているんだ早く茶碗を回せ」と自分の失態に呆然自失している吉継から茶碗を奪って○○○○〇〇お茶を一気に飲み干すんです。

○○がそれ飲むと○○するのかしないのか、勝手に検索してください。

吉継の面目を守り、友をいたわり義理を貫いた、素晴らしい逸話。

吉継は三成に真の友情を感じて、友の為に死地へ飛び込んだという事。

ですが、この話、○○〇〇茶を飲んだのは秀吉のバージョンも伝えられているそうで、そこで秀吉に恩義を感じて西軍に加わったという説もあるんです。
秀吉の天下統一後の行動を見ると、どうも○○○○茶を飲みほしてまで配下を守るとは思えないんで、やはり三成バージョンの方がしっくりくるんです。

どうせなら、○○が三成で飲むのが秀吉なら可愛がっている子飼いの配下を守るためにやるかもしれないが、吉継は土豪勢力とかそんな感じな気がする(勝手に検索されたい)んで、秀吉はそこまでやらないはずだ。

で、もっと調べるとさらに一周回ってしまい、この話自体が後世の創作だとの事です。

でも、こういう逸話が創作されるだけの友人関係が吉継と三成の間にはあったから、後世の人がこんなんでええやろと話を捏造したんだと思うんです。

関ケ原の敗戦の後、大谷家がどうなったかはこれから私も検索しますが、まあ大体殺され改易され、嫁は出家させられ、とかでしょう。

吉継は三成との関係において、義を貫いて死んだんです。


事細かくは書きませんが、貴方はうちの家族を絡めとっていつでも命運を左右できるような所に置いたり、私の○○についても、○○○○を握って私が裕子一家から○○しないように、いくつもの○○を行っていますよね。

しかし、その工作に屈して離れてゆかないのではありませんよ。

吉継が○○で死にかけていたから、やけになって三成についたのではないのと同じ事なんです。

人を動かすのは、金や圧力だけではないんです。

私だって、貴方も知っている通りに、はるかに小さいながらも○○○○として存在している勢力から、○○を受けたりしていたじゃないですか。

たまに○○○○で造反して、〇○○に○○込む人がいるでしょう。

私はH市時代はそれへ、現地同志勢に誘導されていたぐらい道が出来ていたんです。

なぜ○○しなかったのか?

その前に、裕子女史に対して、義理を感じる事がいろいろあったからです。

裕子30歳カウガール装束を着る事件もその一つでした。

わざわざ、短大生やその父親やラジオ局まで動員して工作しておいて、帰結したのが自分の大好きだった服を着ている所を私に見せたかったというわけわからなさ…。

でも、何というのかいじましい←×と言えばいいのか、裕子女史の性格とかが悪いものではないと分かる瞬間だったんです。

裕子女史が服を着ている所を見せたかったのが私だったというのも重要でしたね。 
こっちから離反なんかできようもないんです。


「風立ちぬ」観ましたか?
80過ぎた貴方がnoteを自分のパソコンとかで見ているとは思えないので、7月ぐらいには裕子女史からこの話も読ましてもらえるのではないかと予想しています。

映画の中でヒロインが結核で死にかけて、突如、主人公の前から消えてしまうんですが、それを妹かなんかが、あの人は自分の美しい姿だけを残して(病気で消耗する姿を見せずに)去ったんだと言う場面がたしかあったと記憶しています。 
DVDを借りて見た時、その場面のヒロインの心境と裕子30歳カウガール装束を着る事件の時の裕子女史の心がダブって見えたりしました。
こんな感じで裕子女史はいたのかな?と

いじましいといじらしいを間違えてましたんで、書き換えました。
どっちだったかな?とは思ったんですが、あんまり調べたりしないで堅苦しくならずに気楽に読めるようにした方がいいなと考えてますんでこういう事もありますわな。
いじましいとは度量が狭く、細かなことにこだわってせこせこしているさまだそうで、いじらしいとは、その人から見て 弱者だと思う人が物事を懸命に努める姿を見て、胸を打たれることとの事。
裕子女史を自分より弱者とは思ってませんが、50過ぎても私に話かけられない弱すぎる性格とかいつも後ろで薄ら笑いをしている陰気な女とすら評される彼女が自分の好きな服を見てもらいたいと工作を仕掛けてくる懸命さに心打たれるところがありました。 

いじらしいと思ったんです。

話しかければいいだけなんだが、異常な人格からそれが出来ずに一生懸命、謎の行動に移る…。
で、○○波を照射されて苦しんだり、嫌がらせされて悩んだりしていても、この裕子30歳カウガール装束を着る事件で、裕子女史の心と肉体のずっと奥底に存在する、素の彼女を見て知っているんです。

だから心底、憎悪するような事にはならない。
やはりなんか因縁のある間柄なんですね。


スーパーのレジの娘の話に戻ります。

大江健三郎氏の作品で静かな生活という小説があります。
20年前ぐらいに、暇を持て余した若き日の私が金沢区立図書館で大江氏自作を語るという本を5時間かけて読破している所をバイクに仕込んだGPSで追跡してきた裕子女史が見に来ているんで、私がかなりの大江ファンである事を確認できると思います。

勉書3かどこかで存命する教えを乞いたい日本人3傑として○○先生と石原慎太郎氏、大江氏の名を挙げているのも貴方は覚えていると思います。

心から敬服する偉大な作家なんです。

これを書くと敬愛する氏の生活を乱してしまうかもしれないと恐れてなかなか書くことが出来なかったんですが、そもそも誰も読んでないからそんな影響力はないし、あっても裕子女史のグループと内部知識層が阻止し氏を守るはずだから。

静かな生活を検索すると文学愛好家のブログとかでは、障害を持った兄ヒカル氏と妹との心のふれあいと魂の再生の物語である的に語られている事が多いんですが、私なんかからすると、巧みに色を塗り替え、器を入れ替え、話をボヤ化してあるが、思いっきり工作隊との激しい戦いを描いた物語として読めるものなんです。
(大江氏の家族関係とかを検索してください、理解が早くなる)

もう一回読めば、詳しく解説出来るでしょうが、それをやって裕子女史が来北してくるかと言えば逆に遠ざかってしまうだけでしょうから、やりません。

大江氏夫妻がアメリカにしばらく滞在することになり、ヒカル氏と妹が留守を預かる事になる。 
いろいろやっている内にスイミングスクールで大江氏と因縁のある若い男が2人に接近してくる。 
妹は警戒しているが、何かと面倒を見てくれる若い男と微妙に親密になってくる。 
ある時、妹は若い男に押し倒されて犯されそうになってしまう。 
が、ヒカル氏が乱入して若い男を張り倒して妹を救う。 
大江夫妻帰国して大団円。
それらしいところをピックアップするとこんな話です。

大江氏の作品は文章的には村上春樹が調子をトレースしていると言われているほど読みやすいんですが、物語が回りくどく冗長が過ぎて、とっつきずらく、多くの人は初期短編集に感銘を受けて、続けて長編を手に取るも、なんかめんどくさいな…とそこで忌み嫌い始めるというのが相場と言われています。

私も全作品中の8割くらいしか読んでいません。 
その8割でも長編は、ほぼ同じ事象を主題としているんで、読んでて素晴らしいのは素晴らしいが食傷気味にそれ以上はもうええやろとなっています。

大江氏自作を語るを5時間読破したのは、白戸三平カムイ伝1の主人公正助のモデルとなった東北の農民一揆指導者を大江氏もある作品で登場させていたので、カムイ伝との関係をどう語っているのか知りたかったんです。

結局、その一揆指導者は伝説の勇者みたいなもんで、大江氏と白戸氏だけでなく多くの作家が扱っている素材だったらしく、一言も関係には触れていませんでしたね。


で、大江氏のいくつかの作品に巨大教団Sとして登場する団体があります。


裕子30歳カウガール装束で現る事件の時に、なぜメンヘラは… いや裕子女史はいつも陰気に薄ら笑いしているとすら評されているのに晴れやかな笑顔でポーズをとることが出来たのか?

その後、父親も見に来たし、色々あったんで、一度、レジの娘に話しかけた事が有りました。

その応対の態度たるや…。 
もうなんかに脅されて私と関わるとひどい目に遭わされるという恐怖心が漲っていたんです。

「いやー関わってこないでー」という感じで走り去られたんですが、そういう対応されたの、いろんな人がいましたが彼女一人だけですね。

それから時が流れ、数年前の前職の時に、主婦となり、もう40過ぎただろう、その短大生が営業地へ、やってきたんです。

旦那と子供も一緒に来ましたね。 
たしかマスクをしていた記憶があるんで、コロナ禍が始まった頃だったのかな。
独特の目元をしているんで、分かりました。

そして、20年前の一連の出来事も工作されたものだったと確信したものです。

この20年後の来訪が旦那と一緒だったという事がどういう意味か、なんでも知り尽くした貴方ならすぐピンとくると思います。
(というか貴方が仕組んだのか。)

彼女は福子勢であった事と、旦那が結婚前から会員である可能性も有る。


小説静かな生活の若い男が妹に近づく任務を受けた工作員だと言いたいのだと思われるでしょうが、さにあらず、あの小説は全体をぼやかしてある作品なんで、そう単純に読むものでもない。

神話とかでヤマタノオロチが実は地方豪族を表していてとか、因幡の白兎の話を朝鮮半島から渡海する貴族の遭った難を表すとかと同じように、あんな話を読み解く感じで行かないとならないと思うんです。

大江氏が外国からの提案に乗って仕事をして、国内の勢力から反発を受け、盛んに失墜工作を受けたが、ヒカル氏の存在が氏の仕事を守った。
そんな感じなのかもしれませんね。

もしくは、物語そのままに、娘に近づく工作員がいたのかも。

そういう場合は、その工作人員は何をよりどころにして人生の一部を工作に捧げるのでしょうか?

それほど昔の事でもないんですが、だいぶ昔の事のように思う一地域の回教徒による闘争で、どういうものなのか知らずにいますが中東風の音楽が流れる映像の中で、爆弾を満載したトラックに自爆要員が一人乗っていて、同志達が称える中に目標へ向けてトラックを走らせ始める。

トラックが遠く豆粒のようになった頃、轟音と共にキノコ雲が沸き上がり殉教を悟らされる事になる。 
同志たちは神を称える言葉を口々に時の声を挙げている。 

独特の意匠のロゴが現れ映像は終わる。

工作要員も、半分はこの殉教者の心的傾向と近いものを持って、工作を使命として臨むのだと思います。

何せ工作要員は若い奴が多いから、どうでもいい他人の事より、楽しい事して遊んでいたいのが本音の所だと思うんです。

じゃあ、遊んでいればいいじゃないかと考えますが、世の中そんなに甘くなく、色々面倒見てもらって今があるという事を絶えず認識させられて生きている。 

これは私なんかも、同じ事が言えて面倒見てもらったという認識があるから、貴方一家への恩義を感じて造反しない。 

でも工作任務にも大小難易強弱があるだろうに、一生を捧げるような工作に突き進むだけのメンタリティを持たせるものは何なのか?

19世紀末に自動車が普及し始めると、タイヤの原料となる天然ゴムの需要が増大した。
そこからベルギー王レオポルド二世のアフリカの私領コンゴ自由国では、残虐な収奪が始められたそうです。
ゴムや材木の生産で住民達は奴隷として徴用され異常に苛烈なノルマが与えられ、それをこなせないと拷問にかけられたり、家族に危害を加えられたそうです。
次第に残虐行為がエスカレートして、ノルマをこなせなかったり、反抗すると射殺されるようになりました。 
銃弾が貴重な状況なので、管理官が処刑や反乱の制圧で使った証拠として死体から手首を切り落として役所に提出し残弾数と照合するようになります。

達成の難しいノルマに対して、未達の言い訳として制裁を加えた証拠の手首を提出すれば許されるようになり、管理官が進んで住民の手首を切り落とし始めました。 
切り落とされた手首のつまった大きな籠が山積みになったそうです。

奇妙な事にしばらくすると奴隷として働かされている住民達が自ら進んで、手首を切り落として提出し始めたそうです。

異常に過酷な労働とノルマ、拷問に喘ぐよりも手首を切り落として、短い安寧を得ようとしたんです。

人間というのは面白い選択をする生き物で、提示された無限の労務を回避するために、片腕を自分で切り落としかねない存在なんです。

より過酷な任務や生活が予想されると、一時だけといえども華やいだ事象や人生をかけた工作に突き進む方が良いと考える。

コンゴ自由国は残酷な収奪を見かねたジャーナリスト達の告発で、王の私領から議会へ所有権を譲渡され、狂った収奪は沈静化していったそうです。

名のある対象や、ある条件でふるいにかけられ選ばれて舞台に乗せられている一般人相手に対する工作は難強大の使命として高い位置に置かれているでしょう。

では、それ以外の市井の名もなき隣人に対する工作、工作と言ってもただの嫌がらせと言い換えてもいいかもしれませんね、易弱小のそれに従事する人員は何をよりどころとしているのか?

ユダヤ人を収容したナチ強制収容所では、ユダヤ人の中からナチ党に協力的な囚人を抜擢し看守のような役割のカポという役職を与えた。

普通の囚人よりも衣食住で優遇され、同胞たちを監督する立場を与えられた。
カポに選ばれる人間は犯罪者や粗暴な者が多く、同胞の囚人を虐げナチの手先となって働いた。 
シンドラーのリストを見ていると安っぽい制服を着せられたカポが出てきますね。 
如才ないというか、抜け目ないというのかそんなに悪人として描かれていない気がしますが、同胞を殺したりする悪い奴もいたそうです。

戦後まで生き残った収容者が語った、ナチ収容所を生き延びる条件は職工技術を習得している、カポと同郷で親しい、SSに利益をもたらす才能や身体能力を持っている事だそうで、普通の人は初めから殺すつもりで収容していた。
アンネフランクの父が収容所を生き延びたのはカポのブロック長と親しかったからだと言われています。 
カポもユダヤ人の囚人であるので、SSの意に添わない行為をしたり、命令に背いたりすると、普通の囚人に落とされ殺される立場に戻されてしまったそうです。 
アンネフランクの父の知人のカポも収容所で死んでいるようです。

ナチズムの嵐が吹き荒れてユダヤ人600万人が犠牲になって、ようやく戦争が終わり、生き残り解放された人々は上記の生存条件を満たしていたのでしょう、カポに便宜を図ってもらって生き延びる事が出来た人たちも多かったので、悪辣な人間としては記録されなかったのかもしれません。

ナチ勢が敗北して迫る連合国軍から逃げる為、収容所を撤退する時に(大体ドイツ国外に在った)カポ達はどうなったのか?

多くは撤退する時に他の囚人と一緒に殺されてしまいました。

生き残っても同胞から憎まれる立場であったのでカポだったと公言する奴もいなかったのではないでしょうか?

工作任務とカポ、全然関係ないやん、と思われるかもしれませんが、微妙に一般工作人員の立ち位置と共通点が見いだせるんです。

まず農民から被差別民を創出するのと同じ手法で普通の囚人達から選ばれて特権を与える。 

被支配層の分断を謀るんです。

工作員は組織の内側で生きている事を強く認識させられて、ターゲットを敵と刷り込まれる。
カポは衣食住を一般囚人よりも厚遇される。 
農民は被差別民を虐げる暗い権利を与えられた。
実態は被差別民よりも農民の方が多くの搾取を受ける。 
カポもSSの意に従わなければ囚人に戻され殺される。 
カポがカポ同士で団結するのと組織の連帯、異体同心の状態は非常に似通っている。
で、一番似ている所は、その人の生活に合わせて強弱難易大小の任務が必ず与えられるという事です。
ハニートラップ的な工作を使命とさせられる人もいれば、細かいいやがらせをさせられ続ける人もいる。 
志を支払う役の人もいれば、慈善事業に従事する人もいる。 
ハニトラ工作員は容姿や身体能力の秀でたところを使命に捧げる。 
嫌がらせだけする人は他の同志の悪因を自ら引き受けそれを使命とする。 善行をする人はそのまま労働で得た糧を施したり、与えたりした行為が返ってきて受益する。


が、工作対象者にしてみれば、物凄く迷惑な話で皆こう思うんです。
静かな生活をさせて欲しい。  
        「静かな生活」がしたいと。



ここにきて、また結石激痛誘発○○波を照射されて、立っている事が出来なくされています。 
先月4回休業させられたんですが、また続くんですかね…。
裕子女史のなんとか逃げたいという深層心理が、それをさせるのだと思います。 
丁度いいんで裕子女史の心的傾向について書いてゆきたいと思います。 
貴方には親子で似すぎていて、灯台下暗し的に見えない部分なのだと思いますよ。

かなり前もう20年ぐらい前の昔の話なんですが、某所の工場地帯を走る道路沿いに2軒のラーメン屋さんがありました。 
2軒は百メートルも離れていないすぐ近くに有ったんですが、その場所は住宅地からかなり離れていて、トラックの運転手とかしか立ち寄らなそうな場所でした。 
1軒でもやって行けるのかという誰の目に見ても不自然な光景だったんです。
その頃はパソコンで検索したりしていたんで(その後、その時のパソコンが壊れてから8年ぐらいネットに触れなかった)調べてみると、1軒の店主はもう1軒の店で働いていたが、ひどく仲たがいして独立してすぐそばに店を出したと書いてありました。 
その発信を読んだのが2ちゃんねるなんでほんとかどうかは分かりませんが、独立した方が同志勢だったと書いてありました。 
元からあった店を本店。 
同志勢が後から出した店を同志店とする。

その諍いの正確な顛末がどういうものであったのかは、ソースが2ちゃんねるだし、当時、まだ何も貴方や裕子一党について何も知らなかったのでこの事について興味がなかったんで断片的であやふやな情報しかありません。

その次に2軒の話題を目にしたのが、週刊誌で飲食業評論家が書いた記事でした。 

今、(20年前)ラーメンブームでこってり濃厚スープとかがもてはやされているが、自分の世代の知っているラーメンとは違う。 
自分が昔、たまたま立ち寄って啜った○○の店を思い出す。 
工場地帯に一軒だけあって、店内が薄暗くて客も自分以外に誰もいない。 親父は一言二言の応対しかせずになんかの作業をしている。 
外には木枯らしが鳴っている。 
そんな中で鶏のガラからとった、透明な済んだスープと飾り気のない素朴な麺を啜る。 
ラーメンとはそういう食べ物だったはずだ。 
今のから騒ぎには何か違和感を感じざるを得ない。 

そんな内容の記事でした。 要するに本店を宣伝する記事だったんです。
その時は既に同志店が横に開店していたので、本店の側についたわけなんです。
この評論家がどういう背景のある人なのか知りませんが、内部か影響下にあったのなら同門抗争が勃発していたわけです。
別な背景を持っていたのなら、おのおのの所属団体の代理戦争が起きたという事なんでしょうか?

この記事を週刊誌で見てから、その評論家の仕事を見なくなりました。
干されてしまったようでした。
細々とラジオやBSの番組に出ていたようですが、活動量は壊滅的になった。
さらに何年か後に、訃報を目にしました。

で、本店と同志店が現在どうなっているかと言うと両方とも廃業しています。 
完全に飲食ではない別業種の店になってますね。
(それも今は潰れたかな)
記事が出てから、どれくらい後に閉店したのか、詳しい事は分かりませんが、たしか5,6年後の事だったと思います。
諍いが勃発してからあっと言う間に2軒とも潰れてしまったんです。
本店と同志店のどちらが先に倒れたのか、経営難とか店主の病気とか、どういう状況で潰れたのか情報が無いのですが、おそらくは代理戦争の決着がついてから間もなく支援の甲斐なく両店とも潰れてしまったんです。

新しい仕事を始めるにあたって、県内各地へ、買い物や手続きに出かける事になりました。 
某所で、ある店に入り、探していた品が見つかったんで店主に値段を問うと、なんかやたらふっかけてくるんです。
別な店で値段を調べてからにしようと、もう一つ探している物があったので、続けて店内を物色していました。 
その店は2つの並びの家屋を別々の入り口で出入りする形式のようなんで、「隣も見ていいですか?」と店主に問うと「いいんじゃないもう開いているみたいだから」と他人事のように言いました。 
意味が分からないんで、どういうことかとさらに聞くと「隣はうちの店ではない。隣の店主は元はうちで働いていた奴なんだが、独立して真隣で同じ商売を始めたんだ…。」と暗い表情で言うんです。
隣へ行くと、確かに全く同業種を開業しているんです。
その時、一台の車が2軒の前の道路に止まりました。
さっきいた元店の店主が車から下りてきた客に向かって会釈をしました。 前から何度も来店していた客のようでした。
しかし、客は元店店主の会釈を無視して独立店へ入ってゆき独立店主に笑顔を見せているんです。 
その時の元店店主の暗澹たる表情たるや…。
あ……と私はよく似た光景を思い出しました。 

あのラーメン屋2軒です。

まあ、ほぼ間違いなく独立店主が同志勢で、元店主が別団体に所属していたんでしょう。
一月後に再訪した時には、(結局、そこが一番安かったので再訪)元店主は店を閉めてしまっていました。
ここから急激に話が展開してゆきます。 
準備が長引き2か月かかったんで、もう一度その2軒の前を通る機会が有ったんです。
独立店も安さ爆発してるか見てみようと車を停めると、なんと独立店も店を閉めているんです。 
張り紙も何もなく、どういう事なのかわかりませんが、2か月後の先週に3たび前を通った時も閉まっていたんで、やはり閉店しているようなんです。

この2案件でいろいろ考えてみる時間がありました。

ラーメン屋抗争もおそらくは同志店が勝利し、初めに倒れたのは本店の方だったのではなかったか?
後案件の2軒も先に元店主が潰れているが、同志店との戦いに敗れた結果にしか見えなかった。
ラーメン同志店主は見たことも無い人ですが、後案件の独立店主は通り一遍の接客ですが話をしたことがありました。 
あの人が同志勢と仮定して、積極的な活動家であったかどうか?
色んな人を見てそれを基に判断すると、バリ活と呼ばれるタイプには全く当てはまらない、指示されて嫌がらせをしに喜んでゆくぐらいの軽い人員にしか見えなかった。

2案件の同志勢は通り一遍の付き合い程度の活動しかしていないくせに、隣人で親方、恩人と世間では見られる人を貶め打倒する事を願いはしなかったか?
その結果、2案件の同志勢は両方共に元居た店に続くようにして閉店している。
これは本人達が周りに目指すと宣言した勝利目標を達成したからなのではなかったのか?
両人共に、元親方と元上役を倒すと宣言したのではなかったのか?

裕子女史は福子として生まれ、各段階で組織の一役を担ってきました。
現在は主に職業グループでの活動をしているのでしょう。
A野女史も1年半前にもなっていますが年末の忙しいであろう頃に私の帰りに安価動員されていたので、A野女史が裕子女史と同業であることからもそれを裏付ける出来事だと思います。

ここで一つの懸念が浮かび上がってくるんです。
貴方が様々な工作を手掛けているのを見てきたんで、貴方の功績は疑いのないものと思います。 
しかし、貴方の次女である裕子女史は、公布で、そして組織に対してどのような貢献をしてきたのでしょうか?
私にとっては運命の女、恐怖のマイメロディとも呼べる人なんで貢献度が高いほど喜ばしいのは間違いない。

その私が前述のラーメン屋2軒に類する事案の結末を目撃した上で考えてしまうのは、普通の活動をしてきただけの同志が様々な工作を行い、過分に組織の力を後ろ盾として生活するのは同志ラーメン屋のような結末を引き込んでしまう危険があるのではではないかという事です。

この辺を貴方から裕子女史に警告してあげてください。

新規始動2か月目の6月から赤字垂れ流し状態に陥らされ、7月半ばの今また赤字展開が始まったので書いておきますが、この発信はほとんどだれも見てないから、あまりいらん事を気にしないでください。 
勉氏を非難する形になるんで、出来る限り希釈して薄めていきたいという気持ちが一度に矢を数十本掴んで放つような発信につながっています。 
団体全体を対象にしていそうでいて、私が見ているのは貴方だけなんです。 

貴方に向かってだけ書いています。

で、裕子女史ですが、20年前に中学の同級生勢と飲みに行って会員である奴に聞いた所、中学生の時に私を相手とすると周りに宣言していたというような事を仄めかしていました。
(勉書発信のどこかに飲みに行った模様を書いてあります)

貴方一家は裕子女史が中二の時に出身区に引越してきましたよね。
その引っ越して来て初登校の日に不思議な縁が有った事も50になってまで造反できない理由の一つなんで、ぜひ、どっかに書いているんで読んで見てください。 
書いて無ければ裕子女史が読んだのを憶えているはずだから聞いてください。

貴方がどんな職業についていたのか全く情報が無いのですが、中3の卒業間際に「青学教師静太郎を無能呼ばわりする事件」を演出している事を確認しているんで、地域でそれなりの内部の役職にいたことは想像に難くない所です。

その頃、何度か不思議な経験をしています。 
近くのスーパーの上階にゲームセンターがあって、家族で買い物に出かけると私は一人でそこで人が遊んでいるのを見ている事が有りました。
(ほんとに鈍くさいトロい子供で自分で金を払ってやっても瞬殺されてしまうので、見ている方が楽しかった)

ある時、いつものように人がプレイしているのを後ろで見ていると、出身区では良く知られた不良グループ4人組が遠巻きに私を見て何か話合っているんです。 
ゲームを見ているんですが、なんか不穏な空気を察知して振り向くと眼があって、ああ、あいつら悪さをすると聞いたことあるなと思ったんですが、ファンタジーゾーンというのを見ていてプレイヤーが手練れで、かなりの大ボスまでたどり着いていて、今のようにYouTubeとか無い時代で、二度と見れないすごい場面に居合わしていたのでそのまま見ていたんです。 
そうするとボスに手下2人が私を指さしてどう見てもやっちまいましょうよと提案しているのが分かりました。 
そんな最中、4人の内、一人はワルサーの姫という感じのヤンキー娘でボスの情婦のようなオーラを漂わして座っているんですが、その娘からの物凄い熱い視線を感じるんです。

5分くらい瞬きもせずに見つめられていたんです。 
で、得心したというように緊張したものを解いて、情婦がそうするようにボスにひそひそ耳打ちしたんです。

手下2人が、また、しばいたりましょうよと言ったのでしょう。
それに応えてボスが言うのが聞こえました。
「あいつはいいんだよ」
これが中3半ばの時の事だったと記憶しています。

その後日、同級生が目の周りに漫画みたいな丸い青タンを作って登校してきて、その不良グループにやられたと言っていました。

この一件は私のモテモテ伝説の披露かと言えば、さにあらず、モテモテであった事は50年の人生で一瞬も無い。 
ワルサーの姫が内部子弟で出身区内の情報伝達網に流れていた私の情報を知っていて、本人確認が取れたんで情夫のボスに注進した事例と見ています。 で、おそらくボスも内部子弟で2人とも我々と同学年です。
この事から中学在学中に既に私を相手と宣言していた事になります。


その悪サーの姫の一件とほぼ同時期に、今度は在学中の中学で同様の危機に見舞われることになるんです。
私なんかからすると、小学校から一緒に上がって来ているんで、特に服装がヤンキー漫画化している外は変わりなく見えるんでしたが、中学から悪くなってゆく奴っていましたよね。 
各中学で漫画の中の話みたいに徒党を組んで中学間抗争が起こったりするんです。 
私と裕子女史の出身校では、学区内の大半が割と高額な住宅地だったんで悪い奴があまり生まれない土地と言われていました。 
校舎のガラスが割れた事は無く、ヤンキー漫画のような茶髪金髪なんか一人すらもいなかったと記憶しています。 

勉氏が出身区に引っ越してきたのも、娘たちの為に環境の良さを求めたからなのでは? 

すごく面白い話が有って、そういう地域では素行の悪い生徒のグループが不良化するのと、(これは繁華街の学校などで不良となる一般的なタイプ)もう一つ学業に秀でていて内部の会合などで子供たちのリーダー的な会員子弟が結成するグループが力を持ち始めたりするんです。

素行の悪い生徒グループと内部リーダー団と争いが起きるかと言えば、そんな事はなく、不良生徒も会員子弟が多いんで、会合に出席していたりしてリーダー団の指示を受ける事があり、力関係はリーダー団の方が上となるからです。 

勉書発信の古いものに出てくるNO.2氏が、この典型的なリーダー団員でしょう。 
Facebookを前に見たら、どっかいい高校からW大へ、そっからアメリカの商社かなんかに進んでいましたね。 

で、数年前に若すぎるんで多分よく似た人員で本人ではないと思うんですが、安価行為に使われていました。 

この中学の時の話もその影響で書いています。 
50になって中学生の時の話は記憶も薄れているし、なかなかしないと思うんですが、裕子女史には人とのふれあいが少なかったせいで、中学の時のNO.2から私へ、そして同志医師、そこからまた私ときて、35年経ってしまっていて引き出しから男の思い出を取り出そうとすると、いきなり中学のNo.2氏が飛び出してきてしまったのだと想像しています。 

私の人生なんか、都内で極貧に喘いでいた時の方が物話として非常に面白いんですが、彼女の感覚に合わせて中学時代の思い出を書いてみたいんです。

高校の時に裕子女史とNO.2氏が交際していたという話を件の飲みに行った時に同級生から聞いています。 

話しかけられないくらい気の弱い裕子女史が進んで交際しにゆくことも無いだろうから、勉氏が裏で工作してしばらく付き合っていたんでしょう。

貴方は、父親として末の娘に内部エリートの交際相手をと、願ったのでしょう。

中3になり、近所の生徒が閑静な住宅地産不良グループに漫画の展開よろしく、体育館の裏に連れていかれてリンチに遭ったという噂が流れていました。

ある日、終業となり上階の教室から同級生と連れ立って下駄箱のある1階へ降りると普段は閑散と3,4人、多くても10人ぐらいしか人のいない1階に、なんかのイベントでも待っているかのような大人数の生徒が群れているんです。 
3年生の35%ぐらいはいましたね。

特に気にも留めずに靴を履き替えて近所の同級生と外に出ようとすると、ある同級生が駆け寄って来て「北枕!○○達が、お前の事ぶっ飛ばすって言っているぞ!」と言うんです。 
「なんで?」と問い返したんだったか忘れましたが「生意気だからだって、そっちでまってるぞ」と正面入り口を指さしました。 
脇に体育館へ抜ける通用口が有るんで、そこから逃げろと教えてくれていたんです。 
この同級生は会員子弟ではないんですね。 
部活の会員子弟の友人から情報を得て伝えに来たんです。

私は高校に入るまで漫画雑誌をほとんど読まなかった特異な家庭環境に育ってきていたんで、自分の置かれている状況の意味が全く分かっていなかったんでした。 

わけわからないまま正面口から、外に出るとその○○一党3人が待っていて、ふざけた感じで軽く掴みかかって来たんです。 
中学生の時は背が高い方だったので(その後の飲酒と喫煙で高校時には全く伸びなかった)易々とは倒せないだろうと思ったのか股間の急所を掴もうとされました。

が、私はヤンキー漫画を一度も読んだことのない浮世離れしたフォースを漂わしているんで、なんか肩透かしを食らったんでしょう、そのまま高校はどこ行くのかとかの世間話をする方になし崩しに流れて行って、シメてやるという話は有耶無耶になってしまいました。

この3人はリーダー格がおそらく内部家庭で本人は子供部非活あとの二人は外部だったと思います。 

沢山いた生徒の群れは、会員子弟全員とその友人なのだと思っています。
会員子弟と取り巻きだけで35%に達していた、実態はもの凄い組織の強い地域なんですね。

ワルサーの姫事件と同時期の話なんで当然、裕子女史も群衆の中にいて私の命運の行く末を固唾を飲んで見守っていました。

全員が私がどうなるか見せられるために帰宅させてもらえずに集められていたんです。

が、メンヘラに…、いや裕子女史に固唾を飲んで見守られていたのは、私ではなく私を〆てやると行動を起こした3人組の内部子弟のリーダー格だったのです。

自分が相手と宣言した泥ガメをしばき倒すのか?

地域の知る人ぞ知る事で、メンヘラには、長門の狂犬・勉氏という父親がいる。  
そんなダースベイダー的な家族背景を持つメンヘラの意向に楯突いてつつがなく生きてゆけるのか? 
見せられている全員がそう考えていたんです。
結果、やはりリーダー格はヒヨってしまい何もできなかったのです。

この中3の裕子宣言から、我が家の家族に対するあらゆる工作が始まりました。 

今日は5連続赤字にされて、次の仕事を考えないといけなくなってしまい、なかなか落ち着かない状況なんですが、貴方の怒りの念のようなものが届いても来るんです。
余計な回想シーンを長ったらしく書くんじゃねーよ泥ガメが!という…。

なんか裕子女史の誕生日が近いとかありそうですね、せめて1歳でも若いうちに何とかしてやりたいという親心ですかね。

私が貴方の立場なら相手に会いに行っています。 

10年前に。

発信の続きなんか待たなくていいと思いますよ。

でも、父親だから性格的に裕子女史に似ているというか、ほぼ同じなんだと思います。
これからは余計な事は書かないで早めに全部終わらせます。

なんで、この中学3年生の時の誰も憶えていないような話をし始めるのか?
実はこの事件に裕子女史一家の世界観と行動規範みたいなものが集約されて映し出されているからなんです。

どういう事や、泥ガメが!という貴方の声が聞こえてきそうですが、まず、「静太郎14シメられかける事件」が起きる前に中3時の裕子女史は地域組織の子供部内で私を相手とする宣言をしました。 

私は大人になってから中高の同級生と再会するとたいていどういう人間だったか覚えられていない位、目立たない存在感の薄い子供だったんです。 

その子供が生意気だと言われるほど目立ったのはどういう理由なのか?

会員子弟の不良グループリーダー格が裕子宣言を直に聞いたか、人づてに聞いたかして私に反感を覚えたという事なんです。

裕子女史は子供の頃は人々の後ろにいて、いつも口数少なく薄ら笑いを浮かべている女という、陰湿な女(イメージとしてはだいぶふくよかな後ろで薄ら笑いする綾波レイみたいなもん)と思われていましたが、南果歩と麻生祐未を足したような可愛い美少女でもあったんです。


つまりは〇ルサーの姫だったんです。


貴方が同時期に「静太郎青学教師に無能呼ばわりされる事件」を仕組んで教師に言わせたのが「おまえの良い所が分からない、内申書に書かなきゃならないから困っている」なんです。

その時、卒業間際で変な50音順で席についていて、周りを会員子弟で固められていました。 

そこまで考えて工作してたんですね。

隣の奴に教師が聞いているその場で「そんなこと言っていいのか?」と聞くと、福子勢にありがちなニヤニヤ笑いをしてましたよ。 
(あの教師は軽く教え子を売ったわけですが、その後どんな職業人生送ったんでしょうね…)
全部仕組まれていたという事なんですが、これが当時の貴方が私に言いたい言葉だったと思うんです。

地域の会員男子子弟は皆、裕子宣言を聞いて、似たような思いを持っていたんだと思うんです。
「なんで、あいつなんだ?」と。

高校に入ってからの事ですが、当時住んでいた祖父の家には離れの建物があり、祖父の他界後、権利関係が未だまとまっておらずに母屋から離れに私と父が移り住んだ時がありました。 荷物を母屋の外に出して道路から見ると引っ越しの準備をしているように見える感じになっていました。

高校時代の裕子女史は、うちの前までしょっちゅう偵察に来て門柱の陰から顔を半分覗かせて覗いていたりという少女らしい事をしていたんで、遠くに引っ越すのか心配していたのでしょう、離れに荷物を運びこんで住み始めたある夜に植込みの陰でタバコを吸っていると、植込みが邪魔で姿は良く見えないんですが、一人はたしか私と新体操部のチームメイトで私の吐いた鮭を掃除したT方だったと記憶しています、裕子女史と2人でうちの前の道を歩きながら話合っているんです。

「良かったね、引っ越すんじゃなくて。でもなんであいつなの?」とT方が裕子女史に勉氏や周りの同級生勢の全員が聞きたかった事を聞くんです。

「だって夢に出てくるんだもん」と言っているのが聞こえましたね。

溺れている子供を川に飛び込んで救ったとか、道路の横断に難渋している老婆を背負ってあげたとかの徳性に満ちた人格を知ったとか、スポーツや勉学に秀でた場面を目撃して能力に惚れ込んだとか、実体の伴うものではなく、なんとなく惹かれた、なんか夢に出てきたとかの曖昧な想像の上に少女特有の直感で建てられた砂上の楼閣的なものだったんです。

なんであいつなのか?という問いの答えは「なんとなく」それだけだったんです。

前述の通りに私にはいろいろ不思議な事が起きていました。
その「なんとなく」にプラスするところの「不思議な経験」もおそらくあるのだと思います。 
それは貴方しか娘から聞き出せないのではないでしょうか? 
あるのならぜひ聞いてみて下さい。 

夢に出てきた程度の話だったら、これまでの35年間でいつでもひっくり返す事ができたと思うんです。
貴方は娘になぜ北枕なのかと問いもしていないと思っています。
普通の父親は娘に理由を問いただすと思います。
貴方は理由を知らないでしょう? 
それで別の相手を連れてきてもメンヘラに拒まれる結果に終わっているのだと思います。
早急に裕子女史と会ってなぜなのか理由を聞いてください。
それが35年かけただけの重みを持つものなら、すぐに私と裕子女史の間に入って私に会いに来てください。 
彼女は気が弱すぎて私の前には立ち止まることすら出来ません。 

貴方の力添えが必要なんです。

下らない理由なら、一喝して説き伏せ独身同志医師と会わせてやってください。 
奥さんが亡くなったとか、学究至上で一人でいるとか、運が悪いとか不器用なだけで性格のいい人、沢山いると思いますよ。


話を「中3静太郎同級生にシメられかける事件」に戻します。
内部子弟の不良リーダーに率いられる愚連隊に私がしばかれてしまいそうなのをハラハラドキドキと見守っていたのではなく、内部子弟が自分の宣言した相手に手を出すのかどうかを固唾を飲んで見守っていたという事。

親子だから似ているんでしょうね、貴方と娘の裕子女史に共通して言えるのが内部組織の同志達からの視線を何よりも気にする特異性なんです。
このシメられかける事件の時点では、私は裕子女史の事を知らない状態なんです。 
名前だけは、T沢に呼ばれる事件で聞いていて、あとは裕子マンションの前で一度すれ違った事が有りましたが、名前と人物が一致していませんでした。 
彼女と始めて認識したのは、さらに後の卒業式でしたね、ああ、あの娘が裕子さんかとすごい遠目に見たんです。
(この事を内部同級生と飲みに行って裕子女史とよく似た幼馴染の娘を知っていて、その幼馴染の娘の成長した姿だと思って見ていたと話したら、まあ説明しにくいんでメンヘラに聞いてください。その幼馴染の娘を動員してきましたね。あの子の家は親子3代カトリックなんでどうやって動員したのか聞きたいですね。芸能人とか著名人を動員するのと同じ手法なんだろうな…。)
シメられかける事件の時は張本人である私を何故か蚊帳の外に置いて、裕子女史と貴方が工作していたんです。


ここでついにトゥルーマンショーの衆人環視状態を[キャリー化]と呼びますと高らかに宣言し、あれは何だったんだ、忘れたのかなどと揶揄され続けた、かなり前に記した部分とついにつながってきます。

私のキャリー化を説明すると、前述の各工作時に裕子女史が私を通して、自分を見て欲しい、自分が注目されたいという欲望を持っている事が見えてくると思います。 と書いている。

この内部子弟愚連隊にしばかれるのが私でなく、同学年の内部エリートNO.2氏であったらどうなっていたか考えてみました。 
裕子女史がNO.2氏を自分の相手と宣言し、血迷って内部子弟の不良リーダーをけしかけ体育館の裏に連れ込んでどつきまわすように工作すると仮定します。
NO.2氏は親もそれなりの内部及び外部社会での役職にいたと考えています。 学業に秀でていたというだけではリーダー団員として選出されないからです。
第一関門として子供部で上役としているNO.2氏に対して、愚連隊リーダーが手をだせないという内部独特の心理的な障害が出てくるでしょう。

子供部は子供部で嫌がらせ工作にも動員されているんで、それを知っている愚連隊内部子弟は自分がターゲットにされる事を恐れて手を出せない。 

H市時代、その筋の幹部らしき老人が目の前にデカイベンツを乗り付けて、呼び止められ、書く事の表現には気をつけろよ、でも応援してるぜ的な事を言って肩を叩いて去って行った事を書いたの覚えているでしょうか?

あれも内部の力関係、ヒエラルキー構造の足枷が引き起こした事例だと考えています。 
あれは指示されたのではなく、あの老人も同志勢で、私の書いたものを読んで、どうしても一言言ってやりたくて独断で行動したのだと思います。 
内部上役から接触するなとの命令が出ていたが、抗議でなく、いろいろ私がやられていると聞いて励ましてくれたんでしょうね。
そんなフインキでしたよ。
あの人ぐらいの歳や立場になっても内部の力関係の壁をなかなか越えられないのです。 
最低限の裏の見えない接触しかできなかったという事です。

中学生の愚連隊としては、その後ターゲットにされて、抜け忍が古巣の忍者団につけ狙われるような人生を送るのは想像するだけで震え上がってしまうでしょう。
さらに観客の同学年の35%を占める内部子弟勢とその取り巻きたちも、同様にNO.2氏は子供部で上役なんで、愚連隊内部子弟が血迷ってNO.2氏を連れてゆこうとしたら、数十人総出で止めにかかっていた事でしょうね。
後で親や地区の上役から厳しく咎められる事を恐れて。

NO.2氏が工作対象であったのなら、同志子弟はほぼ全員帰ったか、起きる結果を読んでしまい、ありきたりのシナリオの結末まで分かりきっている三文芝居を強制的に見させられているという激しい反発を生んでいたでしょう。


で、実際は私が工作対象として芝居の幕が上がった。
裕子女史も内部子弟全員も、もしかしたら私がシメられてしまうんじゃないかとハラハラドキドキして見守っていたんです。
不良内部子弟はあまり賢くはない、やらかしかねない子供と見られていたんで、丁半博打に大金を張ったような緊張。
昔のパチンコで確変突入した時の射幸心が最大級に満たされたのと似たような感じかな。

私がどうなるのかは誰にも分からなかったんで(内部不良も馬鹿ではないんで皆内心おおよその結末は見えていたが)、物凄い高揚感と変な期待感に全員包まれていた。


裕子女史が欲しかったのはこの内部同志子弟との一体感と自分の相手が内部子弟達に注目されているという代ミュン気質を充足させる事だった。


パチンコ台の照明の点滅とか効果音や音楽、特に不規則に落ちる球の動きを眼で追っていると、催眠術師がろうそくの火を被験者に見せて催眠状態に導入するのと同じ効果があるそうですが、そういう揺らぎに同期させるだけでなく、被験者が迎合して高揚感とか期待感を持つ事も催眠状態にするには必要だそうで、その状態で大当たりを得ると悪いクスリを打ったような快感がある。 
だから、際限なくやめられずにつぎ込んでしまうそうなんです。

SF商法とか催眠商法とか言われる対象に変な術をかけて羽毛布団とか健康食品とかを買わせる商売がありますが、あれも集団催眠をかけて、判断能力を奪い、粗悪品を高値で売りつける同様の手法です。

パチンコパチスロが他のギャンブルと一線を画す要素が台の照明や効果音などによる催眠誘導なんです。 
パチンコ玉の落ちる所を見せられないパチスロの島だけ照明を薄暗くしている事に気づくと思いますが、照明と音だけで催眠効果を得ようとすると、ああするほかにないからだそうです。

昔、大手家電メーカーがパチンコ台の原価を試算して販売に参入できるか検討したそうですが、パチンコ台メーカーって催眠導入技法を熟知してないと成り立たない上に、裏世界のSF商法などと通じる胡散臭さを嗅ぎ取って取りやめになったとなんかの本で読んだ事が有ります。

裕子女史の場合は私の周りを薄暗くして観衆である同志子弟達との間に情報の断絶を起こし組織の影を見せないように工作しておき、私をキャリー化する。
(トゥルーマンショーを見てからお読みください)

そうした上で、様々な工作を仕掛け私が危機に陥ったり、反対に喜んだりする様を内部子弟達と一緒に観覧し、ある種の全能感と同志達との異体同心感を共有する。

裕子女史はミイラ取りがミイラになる的に、キャリー化されたキャリーである私がトゥルーマンショーにおける島の外へも(内部と外部で言う外部)出入りして生きているにもかかわらず、プロデューサーエドハリスの役目にいる裕子女史自身が島の中だけに世界があると信じ、島の中(組織内部の人間関係)だけを気にして生きているんです。

承認欲求を求めるのは内部同志勢だけで外部の人間にはそれを求めない。

内部の同志達に賞賛される事だけが最大の快感をもたらし、承認欲求を満たすことが出来る状態になってしまっている。

普段の仕事や生活で外部の人間とふれあいが有るが、パチンコ催眠で射幸心の中枢を麻薬で犯されているギャンブル狂がパチンコ台からしか同種同等の快楽を得られなくなっているのと同じで、外部の人間からの賞賛は自分の家にパチンコ台を買っておいて遊ぶのと同じく、味気なく物足りないものとなっている。
パチンコホールの催眠狂騒状態でないと面白くなく興奮しない。

外部同級生たちを留め置く工作をしていない事から、裕子女史の特殊な個性を証明できると思います。

外部の財界や政界、芸能界といった、普通の俗人の持つ承認欲求の対象ではなく、限定された小さな地域のしかも内部同志勢という特殊な相手だけに認められたいという性質を持っているんです。

地元組織の内部同志勢人間関係の中で認められないと面白くないのです。

内部同志勢の見守る中でキャリー化された私と保護者としての裕子女史が二人してスポットライトを浴びていて、私が危機に陥ったりするのを固唾を飲んで見ている状態が最も快感をもたらすのです。

この事でいまだに中学の同級生同志を動員してくる理由を説明できるでしょう。 
未だに出身区内の中学の学区内に住んで、区の組織内だけで活動しているからなのでしょう。

大体、同級生を私の元に寄越して、私が同級生と気づかないという事をその同級生と随行者に見せたいという動機で工作を仕組むのです。

誰の目にも明らかに異常な事で、普通に考えれば裕子女史本人が私の前に来ればいいだけの話で、わざわざ同級生に頼んで動員をかける必要はありませんよね。

そこから、裕子女史が得たいのが同級生同志と所属地域の同志からの関心であり、私からどう思われようとも意に介さずどうでもいい事なのが分かるんです。

普通の女性は、まず相手の男の関心を惹きたいと考え、仲介工作にあたる工作人員からの評価など気にしませんよね。

さらには裕子女史の各種工作を仕組む動機と意図が私と会い来北することではない事も分かるんです。
これはもう35年間を通じて初めからそうだったんですが、裕子女史はよく同級生を動員して私の元へ寄越してくるんです。
そこまでしたら、普通の人間なら話かけてもらい、自分の意志を伝えてもらいますよね。 
そういう話、世間にはゴロゴロ、星の数ほどありますし。
なのに裕子女史は間に仲立ちしてくれる人を作っているのに、仲を取り持ってくれるようには頼まないんです。

まあ20代30代ぐらいならまだ羞恥心が勝ってという事も考えられますが、40過ぎたらもう女性としては尻に火がついている状態で、普通の人間で人並みの幸福を手にしたいのなら、なりふり構わず突き進んでゆくと思います。
実は初めから来北を強くは想定していないのではないでしょうか?

この沢山の同級生を動員しておきながら仲を取り持ってもらわなかったという事実からも、内部同級生や狭い地域の同志勢からの関心と注目を集めたいだけという裕子女史の特殊な心理構造を証明できると考えます。

「中3静太郎同級生にシメられかける事件」は私が裕子女史を知らない時点で起きた事で典型的な私のキャリー化なんです。

裕子女史自身が私に接触してくる以外の行動の全ては私をだしにして周りの同志勢からの関心を得たいだけなのです。

そして、50になった今ではもう来北は裕子女史の中ではあきらめているんです。
こうなったからには一分一秒でも長く、私をだしに使って同志達からの注目を集め、その快感に浸っていたい。
その先に私との決別や死が想像されるが、考えるだけで辛いんで考えないようにしている。
孤独死が確定しつつあるものの、ヤク中が死ぬまで薬を求めるのと同様に注目を集める快楽を貪り続けている。


これを書いた次の日に杉田時代、H市時代を含めた15年間で最低の業績で、最大級の大損害を受けました。

裕子女史としては自分が気が弱くて私に話しかけられないという弱点と、代ミュン気質がある事を周りの同志達に知られるのが辛いのでしょう。

私としては彼女を悲しませたくはないのですが、この事実を貴方にも知ってもらわないと彼女はこのままの距離を保って、このまま年老いて、私を破滅させたあと、一人孤独死するつもりでいます。

その死を彼女はとても意味のある人生の終焉と捉えている事でしょうが、現実には笑止千万、失笑されるだけの無意味な人生ですよね。

貴方に自分の娘を説き諭していただきたい。
正常な道に乗せてあげてください。


その大損害を受けた日の夜のTwitter発信を転載しておきます。

などと言っていますが、今日の帰り道、車まで数分歩くんですが嫌がらせと飛びもの寄越していたんです。 ここまで見ているんだけど、裕子一派から損害を与えてくれと言われているんだーという叫びを聞きましたよ…。 現地勢は業の深い貴女にいわれるままに実行していただけだろう。 また貴女が他人に私の恨みを向かわせようとして仕組んだのだろう。 もちろん現地勢への恨みなどないし、首謀者だが貴女を憎むわけにもいかないだろう。 貴女、勉書発信の自分から話しかければいいだけという所を皆に知られるのを恐れてやらかしているでしょ? もういい年だから、出来ないなら出来ないでかっこつける必要もないよ。 今更、人に弱みを見せたとて、損したり奪われたりするものなんて、たかが知れてるでしょ。 片意地張らずに、昔風に言えば、てへぺろと素直に自然な気持ちで生きてゆくべきです。 第一、貴女、その自分から話しかけられない系の気の弱さを墓場まで持って行っても誰も貴女のその我慢みたいなもんを見てもいないし、覚えていてもくれませんよ。 自分の家族の我慢や奮闘しか人間てみていないんです。 不都合な所があるなら、Twitterもnoteも周りにアカウントの情報を流さなきゃいいだろ。 今日なんかは、終業間際に親子連れが椅子をいたずらして帰ったんだけど、あれって、Twitterの発信を責任者に集められた場で聞かされたか読んで腹を立てたからやらかしたんだと思う まあこの状況をキャリー化と呼んでいるんですが(笑う所として設定してます)noteの有料化とかTwitterの鍵かけとかではなくアカウントを教えなければいいんですよ。 でも代ミュンで私の事で快感を得ているから無理か…。
いろいろな事があったし、もう人生の大半を貴女一家と関わらされている。 まずありきたりの言い方で、60億人いる人間のなかから一つの組み合わせが出来るのは奇跡みたいなもんでしょう。 それだけでも縁があるのに不思議な事が有りましたからね。 貴女が奇跡を起こすのではないかと信じたいですね



トゥルーマンショー見ましたかね? 550円配信で今見れるから、アマゾンプライムでも見れそうですよ、是非見てください。

裕子女史がなぜ私を選んだのかはなんとなくでしたが、なんとなくではない部分もあったのです。

内部の同志ではなく、外部の別な世界にいる男でなければいけなかったのだと思っています。

子供の頃から勤行唱題を続け、気弱で後ろで薄ら笑いをしている陰湿な性格なのに子供部で率先して動かなければならない役割を与えられ続けた。

心の奥底ではつらい思いをしていたんじゃないかと思ったりしています。

本能的に娘は父親とタイプの違う男に惹かれるそうで、父親の体臭に嫌悪感を抱き、遺伝子的に父親と遠い男の体臭には魅力を感じたりする仕組みがあったりするそうです。

満員の会場で母氏に抱かれた幼い裕子姉妹が割れんばかりの歓声と手拍子の中で扇の舞を披露する勉氏を見上げている。 
たまにそんな裕子女史の原風景を垣間見るような気がするんです。 

特に貴方は後ろを向いて腕を組んでいる。
裕子女史は話かけられずに後ろを向いて私の前を歩いている姿を見た時とかに。 

なんか貴方が裕子女史にとっては法律みたいな感じなんじゃないかと思います。

私には全く別世界の外国人みたいな感じをうけたのかもしれませんね。

ライトを浴びて扇の舞を舞うのではない、日陰で年中昼寝し続けているような。


で、この後35年間、話しかけるでもなく、接触してくるでもなく、潰しにかかるのでもなく、特段、引き立てて支援してくれるでもない不思議な関係が続いてゆくのですが、中学生時や高校生の時の私の対応に合わせて変化していったわけではなく、中2で私を見て裕子宣言をし、勉氏がそれを知った、一番初めから一切の変化変更も無く同じ距離と明度の関係が続いている事が分かるんです。

「中3静太郎同級生にシメられかける事件」の時は私が裕子女史の事を知らなかった時点の出来事です、その時から内部子弟を全員集めて、その同志勢へ向けて14歳の少女が自分の力を示す、示威行為のような工作を仕組んでいたんです。

始めは私でなくとも外部の子弟であれば、内部子弟全員への示威行為が完成するんで誰でもよかったような気がしますが、私が選ばれたわけが有るのだと思っています。 
その辺は貴方が本人へ聞いてください。

解り易い所だけを述べれば、私が存在感が異様に薄いながらも特殊なフォースでも放っているのか別な意味で目立つ存在だったとも言えると思うんです。 
大人になったらどうなってゆくのか?どう成長してゆくのか?こういう泥ガメはまともに生きて行けるのか?

この悪目立ち感を何に例えれば適当か?

去年だったか、S部所で営業していると作業服を着たなんかわけわからん男が仕事帰りにやって来て缶酎ハイを飲みながら話かけてくるんです。
どことなく私と同じ出来そこなったオーラを漂わしていて不思議な感覚を伴って印象に残ったんです。 
なんか大昔にこの感覚を持った事が有ったなと。

後日、もう一回来て話しかけてきたんで、思い出そうとするんですが思い出せない。
でも確かにどこかで会っているなと。

彼が去った後で昔記憶した感覚とさっきまでいた男の放つものとがようやく一致したんです。

私と裕子女史共に同級生のTだったんです。

子供の頃からあんな感じで、予想を裏切らないこうなるだろうと思われていた通りの大人になっていたんです。

S部署には他にも女ばかり3人が送り込まれているんで間違いありませんでした。

基本、中学の同級生を忘れているんですが裕子女史の取り巻きが未だに中学の人脈でしかないという状態なんで、(だから中学の話題ばかりにしています。)たまに卒業アルバムを見て覚えるようにしていたんで女同志3人は後で分かったんです。
(しかし、あの3人も50になって中学の同級生から動員がかかるとは同級生として情けないやらなんとやらな感じなんでしょうね…。)

しかし、Tはと言うと、ものすごく目立たない男でいて、私とは別種族に属していて目立たない同志で交流があったという事もなく、一度も話した事がありませんでした。

本来思い出せないはずが特殊な感覚で一致し、Tだと思い出したんです。

なんというのか、綺麗な庭園の錦鯉が群れ泳ぐ中に、夜店の小さいミドリガメが混じって泳いでいるのを見た時に感じる感覚と言うのか、一日署長に三谷幸喜が来てしまった時に感じる、警官としていそうだけど、いたら嫌だなと思う感覚、ニュース番組にビートの後釜として登板してくる三谷幸喜を見た時や一度も面白くなかった脚本をNHKが大河ドラマ化した時に思うNHK料金を返してくれという思い、脚本は最悪だけどニュース番組で話させると案外面白いなという驚き、で、まとめるとミドリガメの違和感。

Tは高めの住宅地に有る中学校には異質な男だったんです。
あの学校の卒業生で仕事帰りに缶酎ハイを空けながら帰っている奴、少ないと思う。

私の子供の頃は、(今もそうなんでしょうが)Tのそれとは反転させたものだが、色違いなだけでTと共通する異質なオーラを漂わせていたんだと思います。

私の持っていた異質なオーラとは、なんとなく浮世離れしたというのか、ベルセルクの中盤にファルネーゼ嬢と従者が率いるなんとか騎士団という貴族の子弟達で構成される軍隊がでてくるんですが、主人公ガッツがそれと戦って言うんです。
なんておめでたい奴らなんだと。(勝手に読んで確認してください) 
あんな感じのわけ分からない甘ちゃんの異質感を持っていたと思うんです。 

Tも子供の頃からダメ系の異質感を持っていて、こいつはこうなるだろうという予感みたいなものを同志子弟達全員が共有していたんです。
Tはその通りの道を辿って、50になった。

美しい庭園の澄んだ水をたたえた池に群れ泳ぐ、色鮮やかな錦鯉から目をそらして別なものに視線を向けさせるには、特殊な異質感を持ったものでなくてはならなかった。 
つまりはチープな存在でいて「なんで!!」というような場違いの浮いた存在、500円玉大のミドリガメの圧倒的な異質感を持ってしか成しえなかった。 
なんであいつはここにチョコチョコと泳いでいるんだと。

子供の時の裕子女史から見た私は外部の人間であるという条件を満たしていて、特に秀でた所も無い無能だが、たった一つ裕子女史の嗜好と性癖と欲求を満たす要素を持っていたんです。
これは裕子女史が生きる上に必要不可欠でいて、その後、人生を破綻させるに至るものだった。

子供の頃から薄かった存在感とは違う、不思議な波長の何かを放っていたのだと思います。 
Tも子供の頃からダメ系の波動を持っていた。
そういう子供たまにいますよね。

その波動みたいなもんは、裕子女史のような後ろで薄ら笑いをしている陰気で気の弱い娘の言葉でも容易に発信拡散できる特殊なもので、私だけが持つ特殊な能力みたいに感じ取れたのではないでしょうか。

それは作文であったり、詩作であったりと拡散しやすい形で表に出てくるんで、人と話をするのが苦手な位の裕子女史でも扱いやすかったのも重要な要素だった。

そして何よりも裕子女史を喜ばせたのは、私の放つ波長に最も喰いつきが良い集団が裕子女史が何よりも承認されたいと渇望している地域組織内部勢だったことです。

ブラックバス用のワームに芋虫みたいに太くて4センチぐらいの短い形の奴が有るんですが、上に木が生えていたり茂みが有ったりする水面にポチャンと落とすと2秒でバスが喰いついてきたりします。 
他の魚に芋虫ワームがそこまでチャオチュール的な蠱惑的な魅力を発揮すると聞いたことが無いんで、バス限定の喰いつきのいい疑似餌なんです。
私の放つフォースはこれに似て、内部同志勢に物凄く作用して喰いつきがいいものなのだと思います。
今でも、子供から大人まで経緯を知らない内部人士に物凄く興味を持たれる時がありますね。
外部世界では全く興味を持たれないので、そう言えるんです。

今まで、芸能人とか著名な外部人士を色々送り込んできているでしょう、その人達って送り込まれたその日ですら私に興味無かったはずです。
調べると分かりますよ。

この間も、閉店してからわざわざ扉を叩いて呼び出す女の子がいて、もう終わりだよと出てみると、小柄なケバイが可愛らしい女の子が立っていてもう終わりですかと尋ねてくるんです。
電気も消えてるし、どう見ても終わりだろとは思いましたが丁寧に答えると、そそくさと去ってゆきました。
で、声を何かで聞いたことがあるなと作業しながら考えていました。
ああ、あのタレントの女の子か!と30分後に気づきました。 
テレビで見て想定した背丈よりも65%ぐらいの小柄さなんで全く分かりませんでした。
なんであの子が動員されたのか分かりませんが、うちでテレビを見ている時にネットでアンチ勢に○○○○と罵倒されているのを見ていたんで、それにつられて私も○○○○呼ばわりしていた事が有ったなと…。
もしくはカウガール装束のCMに出ていたような記憶があるんで勉書発信のカウガールの記述に対応させているのか?
もしくはそれをふまえてそっくりさんを探して来たのか?

まあ私への興味が内部同志勢限定である事を証明できるんで本人なり、そっくりさんなりに聞いてみて下さい。

本人だった場合は謝罪しときます。皆さんの思っているよりも小柄ですごく可愛い娘です。 
ネット弁慶のクズ共につられて○○○○などと言ってしまい申し訳ありませんでした。 
昔からですがこれからも応援しています。


で、彼女にとって、裕子宣言の相手である私を通して自分が内部勢に注目されている状態は大歓喜の中の大歓喜なのだと思います。

この快感を裕子女史に、もたらす事が出来たのは私だけだった、NO.2氏では不可能でしたし、同志医師でもできなかったんです。

彼らは私よりも賢く経済的にも安定して社会的な地位も遥かに高い、しかし彼らには創作する能力もなく、私のようなギャンブル中枢を刺激するような起伏の幅の激しい上昇も下降ももたらさない。

普通の分野の滑らかな塔の上階にいて、一歩一歩階段を上がるだけなのです。
かたや私は、産業貿易センタービルに飛行機が突入して黒煙を吹いているような塔の上にいて、観衆が双眼鏡で覗くと釣り具の手入れをしていて「なんでやねん!」となにをしとんねんあのアホはと、悪目立ちして同志勢には注目を集めている男だった。


裕子女史は軽く代理ミュンヒハウゼン症候群の気があるから、普通の男では自分に注目を集められなくて欲望を満たせない。

簡単に貶める事ができて尚且つ地元同志達からの注目と関心を惹くことが出来る男。

すなわち私。
だから35年間、私だったのです。


Twitter発信をご覧ください。

7月31日日曜日
8月の休みを決めたんで、2022勉書発信を読み返してみました。
新起動が始めるころから、忙しすぎて話のつながりがなく、途切れ途切れになってしまっていて読みにくくなっていますね。
ここからお盆までに完結させますのでお盆に横浜に来て読んでいただき、お盆明けすぐに仕事を始めていますんで、店でもいいし、帰りに待っていてもいいし、前みたいに行きにいてくれてもかまいません。
(私は貴方の顔を見たことないので、注意していただきたい。裕子女史はまあ話かけられない人ですが、貴方の場合は話しかけていただけると助かります)
いろんな線が進行してきて、今、ようやく交差する時だと思います。
裕子女史は書いた通り、もう来北するつもりはないと思っています。
自滅するつもりでいるんで、あらゆる妨害をしてくると思いますそれを止めていただきたい。宜しくお願い致します。

8月3日水曜日
{裕子女史は福子として生まれ、各段階で組織の一役を担ってきました。
現在は主に職業グループでの活動をしているのでしょう。
A野女史も1年半前にもなってい~~~~中略~~~~同志ラーメン屋のような結末を引き込んでしまう危険があるのではではないかという事です。
この辺を貴方から裕子女史に警告してあげてください。}
上記のこの部分を昨日書いたら今日はまた超赤字垂れ流しの大損害を受けました。
あらゆる分野の商工業同志業者がいて生活している事を知っていますんで、仕事関係の支援についての記述として裕子女史が不満を持ったわけではない。
嫌がらせ工作の多用に対しての揺り戻しというのかマイナス効果が現れるという部分が自分に降りかかってくると思い、動揺し不満に思って、大損害を与える依頼をしたものと見ています。
そういうのを図星を突かれたと言うんではないでしょうか?
裕子女史自身でも、内心心配しているからかかる暴挙に出たのだと思います。
現に今日の勉書発信は著しく停滞させられている。
貴女の分不相応な嫌がらせ工作は、すぐにげんしょうとしてでてきているんです。
気を付けないと。 
プラスに工作すると貴女にもプラスで返ってくるんですよ。 勝利し成功した同志達を見てください。 近しい人からマイナス工作を受けている人なんか一人もいませんよ。

8月4日木曜日
朝7時に最強○○波照射をされて、部屋の中が電子レンジの中の状態に…。
吐き気と頭痛とめまいで起き上がれなくされてしまい。
昏倒させられました。
この電子レンジ状態にされるのは2年に一回ぐらいの周期で前からありました。 
大体、前日に裕子の核心の逆鱗に触れた発信をしていると翌朝やらかすんです。
7月31日から8月3日の記述に裕子女史が最も恐れている記述があるという事なんです。

長いのでまとめると
裕子女史は私を貶める事で周りの同志達から関心を惹き、それに付随連動する形で自分にも注目を集める事で承認欲求を満たしているんです。
その私を貶める工作行為の過程で運を使い果たし、最終的に2軒のラーメン屋が辿ったような破滅を引き込んでしまうのではないのか?という事。
今まで35年も貶め工作を(支援工作もあったが貶めの方が上回っている)してきたんで、来北してしまうと同時に帳尻を合わせて清算する必要があるかもしれないという恐怖心が生まれている。

裕子女史は自分を運尽の破滅から守ってくれている要素を2つ考えている。

今、35年の堆積に押しつぶされないでいるのは、来北せずに嫌がらせ工作を続けている状態でいるからなのではという裕子女史自身の予想(来北したら一気に清算させられる恐れ)。

鉄道会社が過疎既存路線を赤字でも廃線できないのとかに似て、様々な利害がからんでくるんで走っている物を途中で止める事は難しい。

しかし、止めると決めてしまうと社員は解雇され、物も土地も売り払われる。
破綻が始まるんです。

裕子女史はこれに似た、破綻が到来するのではないかと恐れて、○○波で昏倒させたり、赤字垂れ流し状態にしたりして私を貶めるマッチポンプで35年間危機を演出しているんで加害工作を止められなくなっているんです。

来北したら裕子女史に破滅が押し寄せるという妄想を払拭してあげて欲しいんです。

私の場合は裕子女史がやっているの知っているんで、2軒のラーメン屋のような事にはならないんです。

私はいろいろやられても、通り一遍の文句と反応しかしてませんよね。

私が裕子女史のやらかしを許容しているから(しかたなしにですが)マイナスカウントされない。

続く裕子女史の内部同志からの関心を集めたい欲求についても、来北して注目が失われるわけでもない。

そもそも、政治的な場所や文学的な立ち位置、飲む打つ買うの放蕩愚人として一遍に同時にではなく、バラバラに喧伝していたでしょう。
それが出来るのなら来北後もなんかで関心を惹き続ける事が可能だとおもいますよ。
今の方が「いつまでも同じガムを噛み続けて、もう味が抜けてんじゃないの?、来北を機に新しくてもっと面白い味のガムを手にいれようぜ」くらいにいわれる35億の境遇ですよ。

35年も同じマッチポンプ貶めやり続けて、何が面白いのか貴方から娘に問うてください。

今、漫画アニメメジャー第二シーズン19,20話 吾郎VSマニュアル野球の回を見ていたんですが、この裕子女史が繰り返す狡いマッチポンプ貶めに思う事と通じるものがあったんでぜひ見てください。

吾郎の夢の島軍と正規維新軍との練習試合の話なんですが、海堂のマニュアル野球を繰り返す薬師丸に吾郎が切れて掴みかかり言うんです。

説明すると長くなる、見てもらった方が早いんで割愛させていただきます。gyaoで無料で観れるんでご覧下さい。

勝負を避けて狡い、ちまちましたマニュアル野球をして面白いのか。
人並みの幸福を掴む戦いから逃げて、たいして注目もされてないのに、ちまちま狭い地域の同志勢にだけ気を使って、事もあろうに私と家族に35年間狡いマイナス工作を繰り返している。

そんな野球して面白いのか?
そんな人生を孤独死で終えて何が勝利なのか?

来北しても難が押し寄せる事はありません。注目されなくなることもありません。逆に外部にも注目が広がってゆく可能性の方が高い。

もう一つは、勉氏の威光がいまだに残っており、それでマイナス要素が雪崩を打って押し寄せてくる破綻から守られていると思っている。(だから狭い地域の同志勢から認められたい。さらに地元組織から離れられないで住み続けている)
50の今でも裕子女史は貴方の保護下にある娘として、貴方を頼りにして生きているんです。
貴方としても、このままの状態で裕子女史を残して、旅立つ事は出来ないと思います。 
解決して裕子女史に安全な道を示してください。

8月5日金曜日
なんか来週には貴方が横浜入りしそうな感じがしています。
なるだけ早く勉書発信を終わらせますが、今半分ぐらいなんで、終わるのを待たずに会いに来ていただきたい。
損害赤字垂れ流しだと、貴方が来る前につぶれてしまいます。
お盆辺りに注意しているんでよろしくお願いします。
後ろ向いてたり、遠くにいたりするとだめですね、あと安価部隊を増員して分身の術みたいにするのもやめてください。

8月6日土曜日
昨日のTwitterの発信も転載しておきます。[ ]
[今日は帰宅してからずっと○○波を照射されてんですが、(いつもそう)隣と上に男子〇が来ていて声が聞こえる。(安普請だから) しばらく新起動依頼無かった動き。 という事は勉氏来浜の予想は的中してそうですね。
しかし、一日潰して仕事に行って金払ってくるんじゃ、気力が失せるでしょ。]
[35年間、来なかったから過度に期待はしていません。 裕子女史の取り巻きも、おそらくはまた10年くらいこのままで、私か裕子女史が病気になり、私ならそのまま霊山へ導かれ、裕子女史ならそこでついに私が呼ばれて最初で最後の対話が実現するだろうぐらいな感じかな。 ただいろんな人が関わったから] [亡父や貴方のおばあさん、N氏や同志達。 だから出来る事はやって、奇跡を祈るばかりです。 で、今大損害赤字垂れ流しにするのって、現地勢への体裁含みの感じがしています。 勉書発信の進行は関係ないと思います。 裕子女史もそうなんですが、同志勢への体裁を第一に事を運ぶと最終的に越えられない壁] [にぶち当たってなし崩しで終わると予想します。 周りの同志勢よりも裕子女史と私を優先するべき時ですよ。 娘の人生がかかっているのだから、裕子女史の心の状態を把握して逃げようとするのを止めてください。 貴方、一度私と立場を逆にした場合を想像してみて下さい。 間に裕子女史の人生がかかってい] [るから、会おうとするんであって、普通に考えるといきなり首絞められそう気がしてますよ…。 ここまで無茶苦茶発信しちゃうと出来たら会いたくないでしょう? 相手の身になって考えてみるのも重要なのではないでしょうか? 貴方が裕子女史を救うために来てくれることを信じます。]

朝出かける時、80ぐらいの老人が安価動員されてました。
紛らわしくなり、それが良くないと伝えているんです。
裕子女史も先週同じ事やらかしてました。 50位の寸胴体型の中年女性を後ろを向いて立たせていました。
ホントによく似た親子でいて、貴方を見て裕子女史が真似をしているのが明白となる出来事ですね…。
貴方は、私と裕子女史を会わせない方が今でもいいと思ってやっているのでしょうが、それならそれで今でも裕子女史に誰か見合い相手でも会わせたりしているんですか?
そういう動きの気配を全く感じませんけど、この事が貴方が私に会わなくてはならない理由の2つ目につながっています。

いよいよ後編の始まりです。


代ミュン資料は裕子女史がそれだというわけではなく、ある事件がきっかけでその傾向を持たざるを得なくなったと説明するための軽い参考資料としてWikipediaをコピーしたものです。 

資料
代理ミュンヒハウゼン症候群(だいりミュンヒハウゼンしょうこうぐん、: Münchausen syndrome by proxy MSbP、MSP)とは傷害の対象が自分自身ではなく、熱心に看病する自己が周囲から『頑張っている』『大変な介護者』という同情や称賛が集っている状態が心地良いと感じ、虚偽報告・薬物等を用いた薬理操作・隠れた虐待行為で他者を病気・怪我させる精神疾患医療乱用虐待である。

看護師などケアの役割を担う女性に多く見られ、多くの場合は傷害対象は幼い自らの子や要介護者であるため、児童虐待高齢者虐待障害者虐待で逮捕された際に発覚もされる。適切な介入がなされなければ再発率はほぼ100%。狙われた者の致死率は最大で30%にも上り、関係の再統合は難しいのが現実である。しかしながら傷害行為自体は患者の目的ではなく、手段として傷害行為に及び自分に周囲の関心を引き寄せることで、自らの精神的満足を他者から得ようとしているものである。患者への傷害を目的として行っているわけではないとはいえ、行為が反復・継続し、重篤な傷害・死亡の危険がある。
1970年代から1980年代にかけて、テキサス州准看護師であるジェニーン・ジョーンズは、自身が担当する乳幼児60人あまりを殺害した疑いがあるが(うち3件で起訴)、その背景には代理ミュンヒハウゼン症候群があった可能性も指摘されている。

症例は子を持つ母親にも多く見られ、その傷付ける対象の多くは自分の子であり、子に対する親心の操作であったり、懸命または健気な子育てを演じて他人に見せることによって周囲の同情をひき、自己満足することも挙げられる。

1996年、オハイオ州で、フロリダ州の母親が児童虐待の容疑で逮捕された。難病と闘う8歳の少女と、けなげな母親として、しばしばマスメディアに登場していたが、実は、娘に毒物を飲ませたり、バクテリアを点滴のチューブに入れたりしていた。その少女、ジュリー・グレゴリーは、200回の入院、40回以上の手術を受けて、内臓の一部を摘出されていた。逮捕後、母親には判決が下り、出所後も女児に接近禁止令が下され、手紙のやり取りだけで会っていない。女児はこの一連の出来事を書いた書籍を発表し、代理ミュンヒハウゼン症候群から子供たちを守るためのライターとなった。

2015年、重度の身体および知的障害、様々な慢性疾患を持つ娘の母親であるディーディー・ブランチャードが、自宅で刺殺されているのが発見された。娘の姿も消えており、誘拐の可能性も考えられたが、捜査の末に娘と彼女の恋人が母親を殺害した犯人として逮捕された。娘は母親から虐待を受けており、健康体であるにもかかわらず、障害者かつ重病人のふりをすることを幼少の頃から強制されていた。母親は、代理ミュンヒハウゼン症候群の可能性が疑われた。

日本の厚生労働省の平成20年度の統計によれば、日本では2008年4月から2009年3月までの間に心中以外で虐待死した児童67人中4.5 %にあたる3人がMSbPにより死亡している。

1998年、福岡県久留米市で、1歳半の女児が20代前半の母親から抗てんかん剤を飲まされた。嘔吐下痢痙攣(けいれん)などの症状で入院するが、1週間ほどで回復し退院。ところが1ヶ月後に救急車で病院に運び込まれた。女児は意識障害を起こしていて揺さぶっても目を開けず、発作が起きるという母親の訴えで、抗てんかん剤を少量投与すると、いきなり血中濃度が高まり、中毒状態に陥った。同じ薬を大量に飲まされていた可能性が高かった。病院が調べると、母親が自分の神経痛で、二つの病院からその薬を処方されていた事が判明。女児は他に、水を1日2リットル以上も飲まされていて、水中毒による低ナトリウム血症を起こしていた。担当の医師は「『うちの子、難しい病気なんでしょう』と繰り返し聞いてくる。よくいる心配性なお母さんという感じだった。

2008年12月、京都大学医学部附属病院の病室内で、当時1歳の五女につながった点滴に注射器で腐敗した飲み物を混入させて殺害しようとしたとして、母親が殺人未遂容疑で逮捕された。五女は11月に岐阜県内の病院を受診後、京都大学に転院した。検査の結果通常は検出されない、4種の細菌が血液中から、有機化合物のような物質が尿から検出され、病院側は病室内の録画を開始した。そこに母親の不審な挙動が映っており逮捕へ至った。捜査が進み三女、四女にも同様のことをしたとして再逮捕されるも、殺意や死亡との因果関係がはっきりせず、傷害と傷害致死で起訴された。精神鑑定の結果本記事の疾患であると診断され、懲役10年の判決が下った。




















































































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