勉氏への書簡2022 (真最終章)・4

2020年7月、私は交通事故に遭い、瀕死の重傷を負っていました。
その年は7月の終わりまで気温が低く、肌寒いくらいの日が続いていました。 長袖のパーカを着ていたんです。 これが運が良かった。
雨天休業したものの、15時ごろに雨があがったんでカブで買い物へ出かけたんです。
環状2号線で新横浜方面へ走っていると、後ろの方から救急車のサイレンが聞こえてきました。
サイドミラーで後方確認すると40キロぐらいのスピードでびっしりと車の流れが出来ていたんですが、サイレンが聞こえた順に脇へ車を寄せて止まり始めているようでした。
3車線あり、右折レーンがある所は4車線になる幹線道路なんで、大体、左右に車が割れて、中央を救急車が通って来るイメージだと思いますが、救急車が蛇行運転しているらしく車の避け方がまちまちになり、20秒ぐらいしても赤色灯が見えてこなかった。
救急車がどこにいるのかその周りにいる走行車の多くが掴めていなかったんですね。
そして蛇行運転する救急車をサイドミラーで確認できた車から脇に寄せて止まり始めたんです。 蛇行運転を繰り返していた為、確認した車としてない車が混在した空間が出来てしまった。
私は救急車を見ていなかったが、左前の車がハザードランプを出して止まろうとしているのを見て、権田坂へ向かっていたんで、真ん中車線から右の車線へ移動しました。
それでも救急車を発見できていなかったが、前の車がハザードをだして止まったんで、私もその後ろに止まりました。
止まった瞬間、ブワッ!!という感じで後ろからデカイなんかで殴られたような衝撃と共に吹き飛ばされて、その後の記憶は消えていて、私を轢いた運転手と助手に体を伸ばしたまま、中央分離帯の芝の上に運ばれて寝かされたところから憶えています。
体中がしびれていて動けなくなっていました、口の中に小石のようなものがいくつかゴロゴロしていて血の味がしたんで、嗚呼、歯が折れたなと深い喪失感を感じていました。 
事故の直後はわけわからなくなっているんで、何を思ったか、歯の欠片を飲み込んでしまいましたね。 後で歯医者で見てもらうと一本だけちょこっと欠けているそうで、かなり大きな塊だと感じたが数ミリ程度のものだった。
救急車が来て、中で手順通りの質問をされるんですが、わけわからないなりにきちんと答えてしまって、前述の通りに厚着をしていたんで、外傷がやたら少なかったんです。
肘と膝にバイク事故でやりがちな擦り傷をつくり、マフラーかエンジンかに触れて小さなやけどをしていました。(両方、3年経った今も傷跡が消えませんね)
3人の隊員が質問したり、服を脱がしたりしているんですが、傷があまりにも小さいんで、私が打ち身と脳震盪で動けないのを理解できないらしく、「怪我はこれだけですか?」と舐めてかかってくる事態に。
まあ、ぐちゃぐちゃになった患者を毎日見ていれば、そんなもんかなと今は思いますが、その時はわけわからなくなっているなりに腹を立てて痛みを訴えました。
中型トラックに轢かれたんですが、かなり全面がへこんでいたのではないかと思います。 これくらいへこむ勢いで轢かれたらただでは済まんなと駆けつけた警官と救急隊員勢も通常営業へ戻り、病院へ搬送されました。

病院で大勢に担がれて、CTだかMRIだかの軽い方、多分CTを撮って急患の部屋に寝かされていました。
沢山、ベッドが並んでいて、4人運び込まれていました。
その隣のベットの旦那が倒れて奥さんも付き添って来ているんですが、医者に病状を説明する内容が、さっき家で血の混じった下痢をして、血を吐いてしまった、身体中に湿疹が出来ている、先週アフリカから帰国したというもので、嘘みたいな実話で、それエボラなんとかとか絶対ヤバイ奴やろ……とカーテン一枚を隔てて隣にいる夫妻の存在に恐れおののいていました。
まだ、頭を打ってわけわからない状態なんですが、エボラ夫妻からの脱出を決意、医師に呼ばれると車いすを断りふらつきながら診察室へ向かいました。
CTで診た限りは何ともないと言われ、トラックに轢かれてなんともないわけないでしょうと問うと、交通事故は運が影響する、車が半壊していても人は無傷だったり、車は少しへこんだ程度で中の運転手は血まみれで死んでいたりする。 轢かれてもうまい事跳ね飛ばされると大した事ない例が沢山あるんだという話をされました。
今日は入院して一日様子を見た方がいいと思うが、どうするか?と問われ、出かける時に体調悪そうだった老母に遠くまで来てもらう事になるのを思い、歩けそうなんで家に帰りますと言いました。

診察室の外で警官が待っていて、事情聴取みたいのをされました。
環2の轢かれた場所の車線数とかを思い出せなかったり、いろいろ混乱したままでいたんですが、救急車の件を轢いた運転手も言っていたとの事で、救急車をサイドミラー等で確認しようと注力していて、車線変更して止まった私のバイクを見ていなかったという事になった。
この場合でバイクが止まっていると過失割合は10対0になるから、今日の医療費や帰りのタクシー代等全額保険会社負担になるだろうと聞かされました。(バイクは無保険だったんです… その後、すぐに保険に入りました。 同志諸兄へ伝えたい原付でも必ず保険に入って下さい。 弁護士特約付きの奴。)(事故時、半帽型のヘルメットを被っていたんですが、見事に後ろの部分にぶつかった痕がありました。歯が欠けるくらいの衝撃があったのだからヘルメット無しだと死んでたんでしょうね。)

その後、いろいろあってから、私を轢いた運転手が所属区の隣の区組織の男子部員であるらしき事が分かってきました。
そう聞くと急にきな臭い感じがしてくるのではないでしょうか?
が、同志諸兄に朗報です。
500万人とか800万人とかの大所帯だと、私の珠算5段の頭脳で計算すると日本人の24人に一人は会員ということになる。
交通事故の相手が会員である事なんか、確率的に別に珍しい事でもなんでもないんですね。
私の事故の場合は、現場にいたものでしか分からない状況がありました。
私が轢かれた後で、主に原因となった後方からくる救急車が私が跳ね飛ばされるのを目撃したのか、隊員が下りてきて、ごめんごめん患者を乗せているから行かなくてはならない。すぐに別な救急車が来るからと言って去っていきました。 自分達の救急車の蛇行運転が原因だと自覚してたんです。
で、私が意識を取り戻した時に見た運転手の狼狽っぷりは演技では出来ないものでした。 

その日の裕子女史の行動が作為的なものではなく、偶発的に起きている事態である事を如実に物語っていたんです。
さらには裕子女史の○○波照射の意味を悟らされることになりました。

警察のバンでタクシー乗り場の有る駅前まで送ってもらいタクシーで家まで帰りました。うちは隘路の少し奥まった所にあるんで、幹線道路までで降りて400Mぐらい歩くんですが、全身が痛い、特に腰椎に神経に障る痛みを感じていて、足を引きずり引きずりゆっくり歩いて家に向かいました。
食欲が完全に無くなっていて、なんか栄養価の高いものを買ってそれだけでも食べるかと途中、目の前にあるコンビニに寄ったんですが、よれよれの歩き姿を恥じてなんとか普通に見えるようにしていました。
で、家は坂の途中にあるんで全身の痛みに堪えながらゆっくりと坂を上がりました。
私は20の時にデカイトレーラーに単車で轢かれた事が有ったんで事故の痛みが次の日に出てくる事を経験して知っていました。
この現在の痛みからして、明日は全身激痛に見舞われるだろうと思い、事故休業の連絡の為に車にある仕事の予定表と伝票を取ってから家に行く事にしました。
足元にしか目が行かない状態で歩いて、マンションの入り口手前で視線を上げると、どこかで見たことのある後ろ姿のふくよかな中年女性が私の前を歩いていたんです。 裕子女史が待っていたんですね。
その時は思考が定まらない状態なんでああなんか見たことある光景だなぐらいしか考えられないでいました。
そこから二人がどういう動きをしたのか記憶に無いんです。
私は地下駐に向かい、裕子女史はそのまま道なりに消えていった感じだと思う。
で、自宅へ消えたんではなく上の部屋か別棟の指示部屋に陣取り、瀕死の私へ向けて最強○○波を照射し始めるという、戦場で病院船を撃沈したりとか、捕虜を射殺するかのごと、ジュネーブ条約も真っ青の暴挙に出たんです。

別件で似たような事が有りました。
交通事故の前年の事だったかな? 何時かは忘れてしまいました。
のどが痛くなり、効くと噂の粉薬を飲んだら、私はなんかの強力なアレルギー持ちなんで、のどの粘膜が裂けて出血したんです。 ある朝にうがいをして吐き出すと血が混じっていた。
先祖数代が肺の病で死に続けているんで、私もとうとう霊山へ旅立つ時が来たかと、すぐさま老母へ報告、老母かかりつけの医院へとりあえず診察してもらいに行く事にしました。
次の日だったと思うんですが、3,4日あとだったか忘れました。
近所の医院へ行くと、私が一言も言っていないのに老医師が開口一番「血を吐いたんだって?」と聞いてくるんです。 なんというのかよく病院で診察の前に自分の病状等を書く書類ありますが、ここの医院のそれには病状を書く欄が無いのにです。
なんか裕子一派の手が回っているのか?と疑念を抱きつつ、まあいいやといろいろと聞かれた事を答えて行きました。
で、その間に後ろの古式ゆかしい昭和な布の医院ついたての向こうから、強くメンヘラの瘴気を感じるんです。 老医師も看護師も皆、会話をしていてもそっちに気が向かってしまっているんで分かるんです。
裕子女史が吐血して老母と話をしている録音を聞いて、裕子女史も前述の通りに亡父の肺がん死を知っているんで、私が本当に吐血したのか自分の目で確認しに来ていたんです。
普通はそこまで手を回せないんですが、それ系の役人なんでうまい事やってのけるんですね。
まあ、そういう時でも、その場で怪しいと思っても、昭和のついたてを蹴倒して捕まえるような事は出来ないわけで、裕子女史もそこは見越して来ているんです。
基本、私を心配して工作しているのがここで分かる。

裕子ジュネーブ条約を破る事件に戻りますが、静太郎吐血事件の時は仕事の出勤時間を調整して現場に駆けつけていたと思います。
件の時はカブのGPSがしばらく環2の真ん中に留まり、その後バイク屋へ移動しているのをログの点線の動きで監視係が掴んだんでしょうね。
で、警察かバイク屋に問い合わせる。 事故発覚。 病院も特定。
病院に問い合わせると帰宅すると言っているらしい事がわかる。
この間、裕子女史は車の中にいて携帯で各所と連絡を取り合った。
轢かれたのが16時ぐらいで、病院を出たのが20時を回っていたと記憶している。 基本、心配してくれているんで4,5時間は平たい胸を痛めていてくれたんでしょう。
それが、包帯ぐるぐる巻きの傷痍軍人のように松葉杖で帰って来るかと思えば、けだるそうにコンビニでスウィーツなどを購入しながら普通に歩いて帰ってきやがった……。 あの腐れ外道許せん!

裕子女史はそんなにひねくれた50女でもないんで、ウチすごく心配したのに許せないっちゃ!死ぬっちゃ!!と最強電撃をくらわしている心境だったのだと前向きに解釈しています。
キャリーが豚の血を浴びて、悪い覚醒をした感じ。 心の叫びが聞こえてくるような最強○○波照射をされました。
普通にその後250万ぐらいの後遺症と損害補償を受ける怪我の重症の病人が最強○○波を受ける痛みが想像できますか?
3,4日は寝込んで動けない所に一日中やられて悶絶していました。
5日目から、ホントに大怪我してるくさいなと気づいたんでしょう。
出力を下げて通常照射に切り替えました。 それでも照射しているという……。

事故が偶発的なものであった事は裕子女史の最強照射で分かるんです。

で、裕子女史が○○波を好んで使うのは、この2事件での照射行為の中に意味が見えてくると思うんです。
話かければいいだけの話で、普通は私にどういう病状なのか言葉で問えば済むんです。 でも気が弱くてそれが出来ない。
なんとか自分の怒りや不満や思いを私へ伝えたい。
そういう性質のものなんです。
さらには、取り巻きや、現場人員から疑念を訴えられることを防げる。
現場人員や取り巻き達も自分がターゲットにされるかもしれないことを常に恐怖している。 いじめに加わらないと、いじめられる側に立たされる論理と同じで、一部の幹部以外はいつ転落させられるか分からない不安定な精神状態に置かれていて(カポの項を参照)加害に参加させると服従度が高くなる。
服従している同志達は裕子女史が私に話しかけられないという恥辱暗部を肯定してしまい、指弾できなくなる。 
だから、全員が前述の異常な初期設定(最終章最後部)を受け入れて、そこから話を作り始める。
異常なストーリーを受け入れて、乗っかるんです。

あとは性癖ですね。 強いものでは無いが、若干サディスティックな性癖を持っているのだと考えています。
話かけられないという負い目から逃れるために、私を鞭打って、自分の負い目を糊塗する。 貴方の教育では加害をすると優越感を得られる(最終章最後部参照)というものなんで負い目の裂け目を加害の優越感で埋めているんでしょう。 加害で優越感を得るという部分は性欲で作動すると思う。

裕子女史の○○波照射への固執は性欲と私へのメッセージ、同志勢へ自分の恥部に触れるなという牽制威圧の3つから成り立っているんです。
1.性欲
2.私へ意思を伝える
3.同志勢へ自分の話かけられない恥部に触れるなという威圧牽制

こう書いても、今も照射され続けているんですが、この場合はどんどん事案を重ねて行って、読んだ同志勢たちの記憶から、私に分析された事を忘れさせようとしているんです。
基本、工作人員や取り巻き達は信心強盛で真面目な普通の市井の人間なんですが、信心のスイッチみたいなものが入ったままの状態にされている場合が多い。 
信心のスイッチとは上記の異常なストーリーを受け入れ乗っかると言うのと同じで、信心のストーリーを受け入れ服従するもの。
このスイッチが入っていると、思考方法に制約ができてしまい、完全な上位下達状態になる。
さらに過去の記憶を応用する力が減退してしまうんですね。
だから、毎年毎年決まった指示を同じようにこなしたり、ノルマを与えられても、疑念を抱かない。
今、照射させているのは、人員と当地勢の記憶の中の都合の悪いものへ、何度もいつもの加害を行わせて、上にどんどん新しい記憶を重ねさせ覆い隠すためにやらせているんです。
結構、なんでも良く分かってやっている、なかなかしたたかな50女なんですね。

事故直後の数日にホントに最強照射されたせいなのか、関係ないのか分かりませんが、2か月間重いものを持ち上げられなくなっていました。
なんかピキーンと神経に障る激痛が走り、動けなくなるんです。
地元の病院でMRIを撮ってもらうと、もともとあったヘルニアの気を事故で刺激して悪化させた可能性があるという曖昧な診断になった。
痛みの原因はよく分からなかったんですね。
が、事故の日から酒が全く飲めなくなっていたんです。
アルコールを分解できなくなったとでもいうように、飲むと次の日、激しい二日酔いに見舞われてしまうのです。(それまで毎日浴びるほど飲んでいた)
事故から、毎月3キロ体重が落ちて行き、事故前は86Kgあったものが、半年後には70Kgまで激減してしまいました。
明らかに何かがおかしくなってしまった。
何かを損傷していたんです。

リハビリに3か月通ったのかな? 忘れてしまいましたが、診察を受けるのに朝9時入りして、病院を出るのが午後2時過ぎになるという衝撃の病院事情を体験してホントに閉口していましたね。
腰椎を損傷したのと同じようなものなんで、リハビリの地獄を経験したんです。
よくスポーツ選手とかが事故や怪我で入院し、なんとか現役復帰を果たしたいと懸命にリハビリするのをTVとかで見ますよね。
補助器具に支えられながら、一歩一歩痛そうにして歩く、その復帰への執念を感じさせる姿は多くの人に感動を与えると思います。

私のリハビリも苦闘の連続でした。
ジャッキーチェンの若い時の映画ドランクモンキーとかスネークモンキーで、カンフーの師匠ソカシに命じられ、修業の為に逆さ吊りにされたジャッキーが頭の所に置いてある大きな甕から小さなぐい飲みで水を汲み、腹筋運動をして上部の足元に括りつけられている墓場の水入れみたいなのに移すというのを見たことがあると思います。
小さいぐい飲みで大きな甕から、水を汲みだすには何百回も腹筋運動をしなくてはならないので、映画のジャッキーはズルをして、ソカシの見ていないうちに、ぐい飲みではなく、大きな茶碗で水を汲み、最後は甕を持ち上げて甕から墓場の水入れに直接、水を注ぎ込む始末……。 ここが観客が大うけする場面なんでしょうね。
私のリハビリもこれに似て、ぐい飲みどころか、さらに小さいおちょこで水を汲みだすような、過酷なリハビリが始まりました。
忍者が跳躍力を養う方法は、高く伸びる植物の種を蒔き、その発芽から毎日植物を飛び越えるという訓練をする。
日々伸長する植物と共に忍者の跳躍力も向上する。
私も一歩一歩、おちょこ一杯から二杯へ、3日目には三杯に。
3歩進んでは、吐き気を催してしまい2歩下がる。
くじけてしまいそうになることも幾度もありました。
が、あきらめずに続けることで道が開かれるのだと思います。
おちょこから、ぐい飲みへ、そして普通サイズのグラスへと。
グラス一杯から、二杯への壁はとても厚く高くそびえ立っていました。
が、歯を食いしばって踏ん張りました。
最近、そんな懸命なリハビリのかいもあり、ワインならグラス二杯までなら飲めるようになりました。 壁を越えたんです。
まだまだ、現役時代の酒量には、ほど遠いですが、努力は必ず実を結ぶ。
そんな言葉を想う毎日です。

ここから、前章最終章の私の夢の実現へと話を戻したいと思います。


正月休みに入って4連続で勉書発信を妨害されている模様のTwitter発信をご覧ください。


残念ながら、3日連続で各種最強○○波照射され続け昏倒させられてしまいました。

また最強内破系照射されて発信妨害されている すぐ責任者ごと撤収させてください。 こいつ等、年末の人が嫌がる時に着任してボーナス的な評価を得ようとしているだけだろ そうなると全員が今やっている支援戦はどうなるのかという事だ。 こいつ等に支援戦での成果ノルマを与えて下さい。撤退させてから

まだやってやがるぞ 上と隣と指示部屋に一人づつ、3人来ているが、年末に献身的な姿勢を捏造しているだけの、やっている感をだし隊だから全員撤収させて、選〇支援の成果ノルマを与えて下さい。 楽な方に逃げさせんなよ。 自分の成果を捏造するために同志を貶めてニヤニヤしている一番唾棄すべき輩だ

お前等、選挙近しと言われているこの時に、他になんかやるべき事があると思ってんのかクズが

最強内破系照射に切り替わった。 文字消しもされている 貴女が来たか、現場人員へ連絡を入れたようだな。 貴女、3日連続、発信妨害してんだぞ、 貴女が自滅するのも間もなくだろう。 すぐに改心しないと

しかし、貴女が嗜虐性欲で発信妨害して、自分の首を絞めるのって、世の中に性犯罪が蔓延んし、犯罪を犯した人間が淘汰されてゆくのと、結局の所同じ事なんだと思うよ……。 貴女が一日も加害をやめられないのは、痴漢魔や強姦魔の多くが再犯して自滅してゆくのと同じだよ。 それでストレート破滅して、

貴女、おばあちゃんとかに霊山で一瞬くらいは再開したとしたら、なんて申し開きするつもりなんだ? 自分でやってて恥ずかしくなっては来ないのか?

もう一つ伝えたい事が有る。 おばあちゃん、私との話を聞いていると思いますが、貴女になんて言っていたんですか? 普通に貴女と同じ仕事をして生きてきたと聞いていますが、それなら可愛い孫娘に言っているのではないですかね? 貴女が、話しかけないといけないよと。

うるせぇぞ雑魚! まだ上と隣にアホが配置されて内破系照射もされている。 上は貴女くさいな…。 どのみち3日間発信妨害してんだから、何を私のせいにできるんだよメンヘラが!

今、前の記述を読んでいる所です。 内破系の出力上げてきたが、読むことも出来なくなり、昨日と同じ事になるよ。 私、貴女の為に一生懸命やってんだから、よく考えて行動しろよ。

なんかまた最強内破系照射に切り替わって、これでは読むことも書くことも出来ないだろう。 貴方にお願いします。 裕子女史は性欲で○○波加害を行っているんで、自分ではやめられないんです。 貴方が英断を下して前述の通りに全廃して下さい。 全国的にとは言わんから(それは来北してからの話)すぐに

うちの加害機材を撤去して下さい。 この正月休み以降も機材があるとなると、もう裕子女史の破滅は確定されるだろう。 そうなると私にも貴方にも彼女を救う事は出来なくなりますよ



貴女…。 今、老母が照射の激痛で悲鳴を上げていたぞ。 止めときゃ、幸福になれるのに、わざわざ、悪因を掴んで生き地獄を招くとは。 貴女、嗜虐性欲をコントロールして生きないと。

○○波の機材も私が撤廃しろといえば、意地になってさらに嫌がらせを増してくる。 貴女、先の事を考えて見なよ。 撤廃したら、私の言う要求に折れた事になり、敗北にあたり周りへの体裁が立たないと思ってんでしょうが、 違うでしょう? まず機材を置いている事がすでに基地外じみていて、周りから見る

と馬鹿な一家としか思われていないんですよ。 貴女、どこかうちの他に行く所があると周りに言っていないだろ。 周りは、自分の家族を性欲で攻撃して、自分の居場所を失っている害基地としか見ていない。

このまま行くと、貴女は居場所を失って勉氏の連れて来る同志の元へ後妻として嫁ぐ事になるが、それでいいなら、始めから私とは関係なく生きれば良かったのでは? まあ、うちに来るほうで書いて行きますが、私の要求に折れる事が体面を損なうのではなく、独身50女で、子供もいないで孤独死が予想される

境遇でいる事自体が、貴女一家的に体裁とか体面とかを損なっているのは明白だろ? たし算引き算とか出来ないのか、厳しい現実から逃げているのか、どっからどう見ても、独身孤独死50女である方が悲惨極まりない。 貴女、まだうちに来れば、回復の可能性は2割ぐらい残されているんですよ。 やけにならず

私の言う通りに動いてくれれば、上手いことやって見せますよ。
とりあえず、まだ家中に最強照射してるんで、楽して活動実績を捏造し隊は全員撤収させて下さい。
で選○支援の必須ノルマを与えて激戦地に送って下さい。


やたら○○波照射が激しくなって思考が定まらない。
貴方は自分の娘を自滅させるつもりなんですかね……。

なんとか書けそうなんで前章、最終章の私への支援についてに戻って書いてゆきます。

今まで貴方から便宜を図ってもらったり、会内著名人を送り込んでもらったり、外部著名人に会わせてもらったりしてきました。
が、前述の通り、内部著名人、例えばT氏についていえば、私はT氏の作品を読んではいたが顔を知らなかった。
T氏を見たことない会員が大半である事実をもって、この来訪工作が形だけの貴方の周りへの体裁で行われた工作であることの証明としたい。
仮にT氏とその場で気付いたとて徒弟制度でもない限りは誰であってもどうする事も出来ないであろうことも付け加えます。

さらには、内部で人材を育成するのに、下位役職から始めさせて、その後順々に階段を上がるように上の役職に就かせて経験を積ませて育てて行くという組織文化があるのを見ています。
〇員に立候補する人が大体、地域の男子部長を経験していたりする所にそれが見て取れると思う。
私がT氏の後継を目指すと言ったとしても、絵空事に過ぎないのは誰にでもわかる事でしょう。
組織文化に添って私を後継として育成するのなら、まず裕子女史と会わせてから、神奈川、横浜の文芸部に所属させるはずです。
そして、TI対象状態で内部の誰に会わせたとしても、私を同志としては認識しないでしょう。
T氏もなにも聞かされていないし、何だったんだあいつはぐらいで忘れ去って行ったと思います。
{組織文化に添って、私に立身の便宜を図るのなら、まずTI対象から外して、裕子女史と会わせてからでないと全てが無効となってしまうのです。}

これらで貴方が仕組んだ来訪工作や立身便宜工作は貴方の体裁を保つためだけに行われた事を証明できると思います。
が、人生万事塞翁が馬と言いますし、拙い小説や、稚拙な詩歌を武器に立ち上がったとしても、組織の傘の中で足掻き、超一流の作品をものしたいと望むも中途半端な場所で燻って終わってしまったと思います。 
超一流の作家って基本フリーか、大きな山塊の中にあっても単独屹立した存在だと思うんです。
工作歌人や同郷俳人の作品には組織文化圏内にある、特殊な傾向が見て取れるんです。 
なんと言うべきか、工作歌人と同郷俳人と○○本舗勢の3者の作風と、穂村弘と私のブックマークしている俳人と他芸能事務所の芸人の作風を別々のビーカーに入れて混ぜ煮合わせて出来た2つの塊。
その組織系の作風と外部平均的作風を比べると如実に現れてくる色がある。
こんな例えしか思いつきませんが、わかるわかると賛同してくれる人も多いと思います。
同郷俳人が組織特有の灰汁が抜けないと、あのまま殻を破れず終わるだろうと裕子女史が予想するのは、この事なんですね。

T氏の作品に組織臭みたいなものを感じないんですが、あれくらい独立した精神性を確立できていなければならないと思います。
稚拙な技量で戦い始めると、私のようなタイプは勝手に潰れてしまったと思います。
使える権利が限られているのでしょうから、文芸分野で権利を使い切ってしまわなかったのは、逆に幸運だと思っています。

貴方の来訪工作がご自分の体裁保持の為だけに行われているのを見た、その後の工作責任者たちも、自分のマネージメントする芸能人を売り出す為に来訪工作に動員したり、自分に権利をもたらすようにうまく工作を仕組んで来ていたと思います。
貴方がやって見せた事でそれを真似始めたという事なんですが、結局の所、私に便宜を図るとか支援するとかの意図はそもそも無い。
貴方はご自分の面子の為、彼らは自分の利益の為に私を支援する体で工作を行ったに過ぎない。
基本、同志勢でもTI対象であるうちは、私を支援する気持ちがあったとしても、二の足を踏むことになる。
わざわざ私を引き上げて、藪蛇の事態を招いたりするのは、危険極まりないやる価値の無い事案なんです。
が、ここでも、内部はもとより外部著名人も何かしらの受益があるから動員に応じているわけなんで、今までは私の支援にはなっていないが、これからなんかしら関わる機会が有るのなら、(裕子女史来北後、TI対象から外れている状態で)協力し合いお互いに支援し合えるのではないでしょうか。
普通は著名人と繋がりを作れないでしょう、細くて薄いものでも無いよりかあった方がいい。


実業家の来訪工作も10年前から行われてきました。
この工作も貴方の周りへの体裁だけの意味しかない事は前章最終章で書いた通りです。
オ○○事件という、オ○○社人事部幹部が組織の力を使って解雇したい社員へTI工作を行い、退職へ導いて行ったという事件なんですが、裁判になってしまい大問題となったのでしょう、その後、その手の工作は厳禁とされたとネットでは情報が出てきます。
この事件、大問題となったくらいなんで大企業の幹部は皆知っている事なんです。
TI工作がほんとに実在するのか?とかいう段階にはなく、一部の人間には常識として認知されている。
が、タブーとされている所が関わっている為、そのまたタブーとされて口に出来ない事象化している。 禁忌中の禁忌なんですね。
(ここでのタブーとは世界的なもの)
貴方の方が事件にも、企業内での諸事情も詳しいでしょうからこれ以上の説明はひかえます。

私がTI対象とされている(一般のTIとはかなり違うものなのでしょうが)らしき事は、伝えられていないとしても分かるはずです。
来訪工作で動員された実業家は大企業の社長なんで社員にも会員が大勢いるだろうから、TI工作についても大体の事は知っているんです。
私の所に顔を出してくれと言われても、他の会員の所にも同じような依頼で訪れた事が有るんで、依頼が少しおかしい事に気づいているんです。
こいつは何かあると、思いつつやってくるわけです。
で、他の著名人と同じく一つ買うわけですね。
うちに来た、一番の資産家は複数買いしてましたね。 商売で成功している人は薄利なのが分かるんで避けるんですね。 その人を例にして話をしてゆきます。
2回来たのを憶えています。 近くに別荘地があるんで、そこにたまに来たりしていたんでしょう。 で、内部の社員から許可申請等の話を仄めかされ、別荘を訪れた時は寄ってくれと言われていたと思います。
T氏来訪工作と同じ場所のA所だったんで貴方が関わっている可能性が高い。
いろいろ端折って言うと、私がTI対象であることを、もろに気づいている感じでした。 気付いていなかったとしても、悪評を吹き込まれていて、関わり合いたくない感を醸し出していた。
この支援や便宜を図る方向へは絶対に行かない工作手法は貴方がT氏来訪工作でも使っているものです。
内部でも二の足を踏むTI対象者との接触は、外部の人間だと輪をかけて忌避するものです。 外部の著名人、社会的成功者だとなおさらの事。
始めから、支援に結びつかない、貴方が周りへ向けての体裁で仕組んでいる工作であることが証明できるんです。

貴方は文芸部での斡旋的なものも、商業的な支援に於いても、御自身の体裁の保持の為だけに工作を仕組んで来ているんです。

で、文句ばかりを言っていますが、私が裕子女史と来訪工作の前に会って関係が構築されていたのなら、かなりの強力な支援であったと思うんです。
T氏にしても文芸部に所属していれば、おそらくは顔を知っている状態になり、自分も神奈川の文芸部なんですぐらいの話ができただろうし、実業家氏にしても、TI対象から外れていれば、会話もできただろうし、重要な情報を得たりしていた可能性があります。
文芸部でも、内部商業勢でも、T氏や来訪実業家と話す機会はほぼ無いものと思います。
動機は支援ではなく、御自分の体裁だけのものなんですが、貴方と私の関係の中で生まれた機会ではなく、裕子女史と私の関係の副次的な場所から生まれた機会。
貴方がいなければ、一切、すれ違う事すらの無かった人々なんだと思います。(私自身の運勢で著名人と勝手にあったりすることが結構あったりしたんですが、貴方の来訪工作の方が大物だった)
だから、貴方のやり方に不満を持ったりしたことは無いんです。
ただ、どうせなら、工作の作り出す気流に上手く乗るべきでしょう。

勝敗は時の運と言いますが、時流に乗れたら一番いいのは誰にでもわかるんです。 
今般のコロナ騒動でも、公金で凄まじい補助金が出ると知っていた人間がPCRの民間検査場や医療用品の製造などで利益を得たり、多額の補助金を受けたりして時流に乗ったと言えるでしょう。
この人達は何故政府が補助金を出さなきゃならないかを政治に近い所から情報を得ていて、世界的な権力構造もある程度は理解して動いていたんでしょうね。
面白いのは飲食店に1600万(満額)、中小企業に多額の補助金を出したら、世論を政府の目論見通りに統一出来た事です。 
実はこの層の国民が世論全体を作り上げ左右していたという衝撃の事実が発覚したというか、それを分かっているからそこへ公金を注入したのでしょう。
私なんかはコロナ騒動で一銭も貰っていないで騒動も終息しそうな時勢です。
そういう所は人一倍トロくさい男なんですね……。
が、基本、普通の人はそんなもんだと思うんです。 トヨタが潰れかけていた所に朝鮮戦争が勃発して、米軍等から巨額受注を得て巨大企業へと発展していった話を書きました。
豊田家って、後継者を(今の社長か?)ロックフェラーとかロスチャイルド家とかそういう世界財閥家に子供の内にホームステイさせたとか聞いたことあるんで、情報とかを重要視していそうなんで、ホントに潰れかけていたのかどうかは知りませんが、戦争が起きる事を知っていたかどうかは別として、戦争で巨利を得て巨大化した事は事実だと思います。
トヨタは初めは紡績機織機の製造メーカーだったと思いますが、時勢を見て車を作り出した感じ。 時代に合わせた機械を作っている会社なんですね。
戦争勃発時も他の商売をしていたかもしれませんが、ほぼ自動車で利益を得たとの事。
もともとやっている商売に時勢のうねりが利益と共に流れ込んでくるんですね。 別に戦争が起きそうだから車を作り始めたわけでもなく、勝手に時勢の影響を良い形で受けただけなんでしょう。
PCR検査場業者なんかは能動的にうまく立ち回った賢い人達なんでしょう。
色んな利権の食らいついてゆく、たくましい商魂を感じますが、私ってそんな利発な人間ではありませんよね。
子供の頃、サッカーチームに所属して試合中、相手のスローイン時に、私は少年の頃から、ぼさっとしているアホの子供だったんで、スローイングのボールを思いっきりぶつけられて、その跳ね返りがラインを割って、また相手のスローインとなるという、悲しい状況にたびたび見舞われていました。
なんとなく思い出してしみじみ酒を飲みながら書いていますが、昔からどんくさい頭の悪そうな子供だったなと……。
そんな私がどんなことをすれば仕事になるのか?

何をやればいいのかというのは、何ができるのかという事なんだと思います。
私のしてきた仕事や商売を貴方と裕子女史は完全把握しているんで解説はしません。 なんだかんだ言って、貴方と裕子女史って私の全人生にすでに関わっている状態なんですよね……。
もう50なんで、(しかも亡父は享年60)今から新たな能力が身に付くわけでもなさそうな気がするんで、私はしがない売店と通販関係と今読んでいる程度の作文しか出来ない事が分かると思います。
飲食は長いですが売りやすいからやっているだけで、バイトとかフリマとかでなんでも売っていたんで小売り業ができるという事なんでしょう。
ホントの話、幼少期は赤福みたいなのの和菓子屋になりたかった。
通販は健康食品とか健康情報とかがなんか好きなんですが、亡父も色んな健康法を実践していたんで血筋みたいなものなんでしょうね。
亡父は健康マニアだった努力のかいもなく、60で霊山へ旅立ちましたが、そういう体の根幹が脆いのを本能的に感じるからこそ、食べ物とか薬とか自然療法に興味を持っていたんだと今は思うんです。
商売もしていた事は貴方もご存じの通りです。 健康食品を売りたかったが資金がないんで、資金を作りたいと挑戦していました。
当時は、ほんとは発酵食品と青汁をやりたかったんです。
最近は乳酸菌入り青汁という商品がありますが、初めて見た時、これだよ俺がやりたかったのはと心の中で叫んで、思わずひと箱買ってしまいましたよ。
が、飲んで見るとなんか違うんですよね、粉末ではしっくりこない。
この辺に商機があるような気がしますよ。
今は、新聞折込とか、雑誌広告の時代が終わり、ネット広告とTVCMだけらしいんで昔よりも始めやすくなっているんじゃないでしょうか、知らんけど。
今の仕事よりも前に通販関係で働いて、商売もしているんで、3つしかない私の出来る仕事の2つ目はこれなんですね。

最後は文業。 それもぶっちゃけレベルの低いものでしょう。
ただ、貴方一家の喧伝した範囲内だけでは流布されるに至っていたんで、まったく価値の無いものではないでしょう。
その過程で、政治的な対立に巻き込まれたりした事もマグロ解体ショー的な飾り付きの俎上に上げる作品を書けるはずだという期待感を生んだ。
なんか小説とか軽く書いて、それなりの詩文を残しそうなイメージがあったんでしょう。
対抗勢力のリクルーターが来ていた事もその証明となると思います。
対抗勢も鍛えれば使えると判断したんでしょう。

高校生の時にゴリラーマンという漫画が好きで毎週楽しみにしていたんですが、後で作者が連載時20だったらしいことを知って驚愕しましたね。
ゴリラーマンは後半絵柄が変わってだんだん面白くなくなってしまい最後の方は読まなくなりました。
最近、某書店でゴリラーマン40という続きの物語の漫画を発見して、読んだんですが、登場人物が懐かしく感慨深かったです。
その初代ゴリラーマンの面白かった頃に、当時、美人女子大生作家として売り出されていた椎名桜子という女の子のカロリーメイトだったかポカリスエットだかの広告看板へ、ゴリラーマンが空き缶を投げる場面があったんです。
高校生の私は椎名桜子ファンだったんで、なんでこんなかわいい子に空き缶を投げつける場面を描いたんだろうとずっと疑問が残っていました。
その頃、ネット検索なんてものは全く無い時代なんで、何の事やらわけわからん感じだったんですね。
後年、あの人は今、みたいなTV番組を見ていて桜子嬢の映像を眼にする事が有り、懐かしいのと、そういやあのゴリラーマンの場面は何だったんだろうと思い出して検索してみたんです。
桜子嬢は数年の露出と小説を一冊書いただけで芸能作家活動を引退していて、原因として小説を発表する前に美人女子大生天才作家として売り出されていた事が発覚し反感を買ってしまっていたという事が分かりました。
ワニが死ぬ話で映画とグッズの発売のタイムラインの出来すぎた話感が反感を買ったのと同じパターンですね。
そんな裏事情を知っているのはその当時は芸能出版関係者だけだろうから、高校生の日常を描くゴリラーマンの作者が事件を知って青春時代の漠然とした権力や大人たちへの抵抗を表わす為に挿入したのではなかったのかと思いましたね。
で、本題に入りますが、作家や詩人も芸能人と同じで文学的才能だけで世に出てくる人と、商業興行的に売り出される人の2種類がいるんだという事です。
小説家でも、つまらん小説がなんでこんなに売れるんだろうとか、詩人を名乗っていながら、作品を一つも見たことないなとか疑問が湧いてくる作家は作品とか才能とか以前に、色んな力関係で、その人そのものを売り出されている場合が多いのだと思います。
私への文芸関係工作は15年前はその売り出し新人枠にいれてやろうか?という罠の中に置かれた餌だったと思います。
結局、裕子女史と会わない事にはその枠には入れないわけなんで機会を逃したんですね。
簡単に言えば50の今からだと使える売り出し文句が尽きてしまっているんで、売り出すのは不可能な事になっている。
10年前の入会時ならもしかしたら、かろうじて可能性があったかもしれませんよね。
今、あるやつの9割は10年前に書いたもので、10年前に出そろっていたんです。
T氏来訪工作はあれ5年前ぐらいでしたっけ?工作歌人の一件は先月ですよ……。
文芸関係の工作が今も継続されているという事。

これはもう7年ぐらい前だったと記憶しています。
M所で営業していると、お客さんがそこに落ちていたと一冊の本を渡してくるんです。
見るとどう見ても、新しい買ってからここに直行してきた感じの綺麗さなんで、そんなもん落ちているか!と訴えてやる!という勢いで言ってやりたいのを抑えて、忙しかったのか、落とし物の担当者に渡しておきますよと答えて本を受け取りました。
その前年に芥川賞を受賞した、又吉直樹の火花という小説でした。
T氏来訪工作の流れと一緒に工作されていて、盛んに文芸関係の工作を体験していたんで、読めと言う事なんだろうと思いましたね。

埃まみれに

結局、なんか興味を持てず、8年間読まずに紙魚の巣になっているわけですが、今度こそ読んでみたいです。
本をもらい受けた、数日後、N氏の家に行きこんなことがあったと火花の話をしたんです。
すると全く知らない工作だったらしく、斜め上を見たまましばらく黙っていて、そういう事があったなら、すぐに読むべきなんじゃないのかと言ってましたね。
この頃の工作もN氏は企画にも関わっていなくて、貴方が依頼した人物が実行していたのが分かります。
で、又吉氏の話になり、今、芥川賞の威光で信用がついて仕事が増えてるみたいですよというと、学会員にも小説家が沢山いて皆成功しているんだとN氏は応じました。
私が、小説を書いて文芸家のステータスで信用を得て、健康食品を売れたらいいなと言うと、N氏は即答して、「それはいい考えだね、でも北枕君は全部中途半端じゃん、最後まで完結させないで途中で終わらせちゃうから、信用がつくつかないの所まで行ってないんだよ、最後まで書かないとダメだよ」と言うんです。
当時、水晶玉の面白いものを手に入れたんで、それを高値で売る方法ないかなと考え、宣伝文を小説風に買いて公開してみたら面白いかもなと軽く書いて、途中でやめていたものがあったんです。
それの事を言っているんだと分かりましたが、既に○○波で危害を加えられている時期だったんで、嫌がらせで体調が悪く長い話を書けるような状態ではないと答えたと思います。
もう赤裸々に語るという状態では無くなっていて、歯に何かものが挟まったような言い方しかできなくなっていたんです。 録音も始まっていたでしょう。
私はN氏のいう事に対して詩文を多く書いていたんで、全部を完結させていないわけでもないだろうと、反発したんですね。
そこで話が終わったと記憶しています。

話をまとめると、永遠の師匠は○○先生として、折伏された身近な直近の師匠はN氏だった私には、文芸家の信用で健康食品を売ることはいい考えだと言う答えは、N氏の声色さえ鮮やかに蘇ってくる記憶に残る出来事だったんです。
水晶の宣伝小説みたいなものはもうやりたくないんで、宣伝を秘めた小説や詩文は絶対に書かないと決めています。
こう言うのを書いている人が売っているという事を商売の全面に出したいと考えています。
例えば、中上健次と有名私大理系学部の教授が青汁をそれぞれ売っているとする。
その場合、どちらを買うでしょうか?
中上氏は作風とかが癖がありすぎて、小説を読んだとしても青汁の信用を高めるような効果が全く見込めない。
けれども、文芸家の実績があると言うだけで、曲がった事をしないだろうと言う信用が生まれると思うんです。
売れ方は半々ぐらいに分かれると思うんですね、商売っ気を出さないイメージの作文家の信用は有名私大の教授に匹敵すると思います。
良さそうな例えを思いつきましたトビーフーパーとゾンビのロメロ監督が共同経営で売る青汁とハーバード大学教授が売る青汁のどちらを買うか?
これこそ、半々か微妙に教授の方が多いくらいの結果が出ると思う。
何を書いているかとか、何を撮っているかとは別の次元で、芸術に関わる人への信用が存在すると思うんです。


{発酵青汁を売るには、詩文と小説を書いているという文芸家の信用が必要不可欠なんです。}


機関紙や広報誌で、商売をしていて、こんな功徳で大成功したという体験談が掲載されていますよね。
こう言う素晴らしい土地を紹介されたとか、こんな優れた人材が社員として来てくれたとか、全国的な販路を得たり、公共事業の入札に成功したり、昔からのお客さんが先代から今までずっと利用してくれているとか様々な成功を見てきました。
私が信心を深めていったとしても、来訪工作でも書いた通り、裕子女史と会ってTI対象から外れていないと功徳は起きないでしょう。
とりあえずは全て、裕子女史が来てからの話です。

裕子女史が来てからでないと、全ては無効となってしまうんで、来訪工作とかも意味ないでしょう。 (来ないなら青汁企画自体を破棄します)
内部の同業者との接点や、健康食品業界経験者や宣伝や管理を出来る人と繋がりが出来る事が望ましい。 ネットに限定して始めれば資金はそれほどかからないでしょう。 知らんけど。
あと十年とすら言われている私自身の寿命を自社製品の効用で、さらに二十年をめざして延ばしたい。 私の境遇が最高の宣伝文句でしょう。
あまたの健康法を実践した健康マニアの努力のかいもなく、60で身罷り年金を一銭も貰わなかった父の仇を討たんと、自ら開発した発酵食品と乳酸菌青汁で天意すら動かし85まで生きた男伝説。


まず陳勝・呉広の乱のWikipediaを貼りますんでお読みください。

始皇37年(紀元前210年)10月、始皇帝が崩御すると、その末子である胡亥が兄の扶蘇を謀殺して即位した。

二世元年(紀元前209年)7月、陳勝と呉広は辺境守備のため、半ば強制的に徴兵された農民900名と共に、漁陽へと向かっていた。しかしその道中、蘄県大沢郷(現在の安徽省宿州市埇橋区)にさしかかったところで大雨に遭って道が水没し、期日までに漁陽へとたどり着く事が不可能になる。秦の法ではいかなる理由があろうとも期日までに到着しなければ斬首である。期日までに着けない、そう判断した時点で陳勝と呉広は反乱を決意し、将尉たちを殺そうと画策する。

2人は事が成就するか占うため易者を訪ねた。彼らの心中を察した易者は、「事業は成功するが、貴方達自身についての占いの結果は『鬼』と出た」[1] と言った。それを聞いた陳勝らは「占いを成就させるには鬼神の力を借りるのが良い」と解釈して喜び[2]、「鬼神を仮託して人々を威服させよう」と画策する。まず「陳勝王」と朱書きした布切れを魚の腹に入れておいた。何も知らない兵卒は魚を料理しようとしてその布切れを発見し、ひどく気味悪がった。さらに、呉広が宿営の近くにある祠に潜伏し、夜中に狐火を焚き、「大楚興らん、陳勝が王たらん」と狐の鳴き声を真似て叫んだ。兵卒たちはこれを聴いて以来、陳勝を見ては恐れ、噂をしあうのだった。

計画の下準備を終えた二人は、ついに決行にうつる。引率の将尉二人が酒に酔ったところを見澄まして呉広が彼らの面前に歩み寄り、聞こえよがしに「俺は逃げる」と繰り返した。酒に酔った将尉は激怒し、呉広を鞭で打ち据える。何時の間にか周囲に兵卒たちが寄ってきて、将尉への反感を募らせていった。将尉の剣が抜け落ちた。呉広は即座に剣を拾いあげ、将尉の一人を斬り殺した。すぐさま陳勝が加勢し、もう一人を殺す。

それから、陳勝は兵卒たちを召集して演説した。

「俺たちは大雨に降られ、最早期日には間に合わない。期日への遅れは問答無用で斬首だ。仮に殺されないとしても、労役で死ぬのは10人中6・7人であり、労役で死なずとも帰途で死ぬかもしれない。どうせ死ぬのならば、名を残して死ぬべきだ。もとより、人間に王侯将相の種族の別があろうか」。

兵卒たちはこれを聴き、一斉に同意を示した(大沢郷起義)。

この時に民衆の支持を集めるために陳勝は扶蘇、呉広は項燕を名乗った。始皇帝の長子にして悲劇の皇太子である扶蘇と旧の英雄である項燕は庶民に人気があり、多くはその死を知らずまた信じていなかった。二人はそれを利用した。

彼らはまず大沢郷を占領、それから諸県を攻略し、を取るころには兵車600乗・騎兵1000余・兵卒数万の大勢力になっていた。陳を攻めた時、郡守・県令は既に逃亡しており、副官が抗戦したがあっという間に陥落した。陳に入城した陳勝はここを本拠とし、即位して王となり、国号を張楚と定めた。


さらに劉邦の大蛇を斬る逸話をどこかの女の子が書いたブログからコピーしました。
これ史書にも載っている話なんで、誰が書いてもほぼ同じ内容になるから面倒なんで拝借。
びっくりなのは陳勝呉広とまさに同じ時代の同じ時期の話なんです。

劉邦は沛の亭長として人夫を集め、咸陽に向かう仕事を任されました。しかしあっさり失敗し、咸陽に向かう途中で逃げ出します。逃げている最中も劉邦は酒を飲んでいました。道の先を行き、安全かどうかを確かめていた男が、酔っ払った劉邦の下にやってきて報告しました。
「この先大蛇がおり、道を塞いでいます。引き返しましょう」
しかし劉邦は酔っ払っていました。
「この俺様が行くのだ。何を恐れることがあるか」
そうして前進し、持っていた剣で蛇を斬り殺しました。
蛇の体を二つに斬ったことから真ん中に道が開きます。
一行はその道を進んでいきました。
一行の最後を歩いていた男が道を通る時、一人の老婆が泣いていることに気づきました。
男が老婆に「どうして泣いているのか」と聞くと、「私の子供がたった今殺されたから泣いているのです」と老婆は答えました。
「なぜ殺されたのか」と男が尋ねると、老婆はさらに答えます。
「私の子供は白帝の子で、蛇に化けてここで寝ていました。しかし今赤帝の子が通って私の子供を殺しました。だから泣くのです」
男は老婆の言葉を信じず、嘘を言っているのだと思い鞭で打とうとしましたが、老婆は消えてしまいました。
白帝とは秦が祀っている神でした。
その白帝の子を斬ったのだから劉邦は赤帝の子ということになりました。
その後も役目に失敗した劉邦は逃げ回ります。
しかし劉邦は強い気を放っており、当時秦の皇帝に君臨していた始皇帝も劉邦の発する気を感じ、鎮める儀式を何度も行いました。
さらに逃げ隠れしている劉邦の下に、妻である呂雉も頻繁に訪ねてきました。
「どうして俺のいる場所がいつも分かるのだ?」と劉邦が妻に尋ねると、呂雉は、
「あなたのいるところには上の方にいつも雲気があります。それを目指していけばいつでもあなたのことを探せるのです」と答えました。


陳勝と呉広も劉邦一派も似たような小細工をしている事が読み取れると思います。
桶狭間の戦いの出陣の前に織田信長が熱田神宮に将兵と参拝した時の話はよく知られています。
熱田神宮に到着した信長は家臣に「この戦いは多勢に無勢、苦しい戦いとなる。熱田大神の力を借りてぜひ勝利したい」との願文を作らせ、神前にぬかずき、集まった兵約300騎の前で願文を読み上げ、戦勝を祈願した。
すると、吉兆が現れる。神殿の奥深くから鎧の触れ合う音が聞こえ、一羽の白鷺が飛び立った。信長は「これぞ熱田の神が我々を護り、勝利に導く印だ」と兵を激励する。兵らの士気が高まり、熱田神宮を出るころには2,000もの兵が集まっていたと言われる。

陳勝と呉広、劉邦、信長と組織指導者たちが揃って、義を見てせざるは勇無きなりの項で解説した「鬼」という祭祀信仰迷信とが入り混じった、宗教組織が信仰を獲得する為にやりそうな手法と似たような事をやって支持を得ようとしているんですね。

なんでこういう歴史の話を貼っているのか?
のちに貴方に会った時に、こういう事例があるからこうしてみたいという提案の序文みたいなものです。
お会いして、もっと色んな面白い話が有るんで話したいですね。

現業商売については、凡愚な私の3つしかない、出来る仕事の一つなんで、せっかく色んなお金を投入してここまでやって来てもいるから、続けさせて欲しいです。
なんかの勤めに切り替える方へ、前職末期には安価行為で誘導されていた気がしましたが、最近は低迷続きで、廃業へ導かれているような気がしていますよ。
理想は今のまま店は続けていて、別部門としてネットで青汁を売り出せるという形ですね。

あそこを続けるには今のままでは不可能な経営状態。
赤字垂れ流しで、続ける意味がない。
前述の通り、勉書発信を終えてから、ふた月ぐらい様子を見て、退去を不動産屋さんと大家さんへ伝えるつもりです。
その後はまた契約社員みたいなので働きながら、横浜市内で気長に場所を探していこうと思います。

続けるなら、もう一年経ってしまって前職時代のツテは失われてしまった感がありますが、当初の目標通りに、前職時代の地域へ販路を広げて、前の業者をかち合わない日へ移動させ、制裁用の口実を用意しないでプラス支援に集中させるしかないでしょう。

商売関係は裕子女史が来ない事には、何も始まらないし、動かない案件ですよね。
裕子女史が来るか来ないかにすべてが左右されるでしょう。
来ないのに通販商売を始動しても、梯子を外された形になり全てが徒労に終ってしまう。
だから、現業商売から手を広げる事はしません。
環境の変化を待つしか方法がないんです。 




裕子来北を実現させる為に、何故貴方が私に会いに来ないといけないのかをついに書き始めます。


今、裕子女史の境遇はかなり深刻な所まで転落している状態だという事は、貴方も同意すると思います。
普通にやっていては、おそらくもう好転させることは出来ないと考えています。
日々、転落の度合いは深まってゆく、急いで対処しないと取り返しのつかない事になります。
ある程度の資産を築ければ、大抵の事はお金で補填できる。
迫りくる不幸と災いに対抗するには資産を築く方向を目指すしか道が無いと考えています。
裕子女史は前述の通りに、私が死ぬまで、今のままの状態でTI対象として嫌がらせを続けて、死んだら後は抜け殻のような無意味な人生を送るのでもいいと考えているでしょう。
しかし、本人はそれで良くても、貴方と母氏、姉氏、そして裕子女史を可愛がっていたおばあさんはそれでいいのか?
そんな人を貶める為に一生を捧げるなんて、ただの負け犬で阿呆そのものだと誰でも思う事です。
貴方も今のままの状態を維持して一生を終えるのは愚かな事だと考えているから、御自分の体裁の為と裕子女史に頼まれたからではあるが、来訪工作や便宜斡旋支援工作を繰り返して来たと思います。

Twitter発信でも書いていますが、私の希望を受け入れて動かされた形になるのが周りへの体裁を損なうと貴方も裕子女史も考えているようですが、それ以前に娘の裕子女史が50の歳で独身で相手に話しかけられず、嫌がらせ加害を繰り返している現状に甘んじている事がすでに体裁なんか粉砕してしまうくらいの恥部だと思います。
こういう転落した場所から、体裁を考える意味がないと思うんです。
今、気にしている周りの目は過去と未来を無視した、現在だけを見ているから気になるんです。
過去、数百人の同志勢が関わっていたでしょう、その人たちは普通の幸福を掴み取っていて、まだ話もしていない現状を恥じて、貴方一家としてはもう接触出来ないんじゃないでしょうか?
が、過去の関係者も場合によっては力を借りるべきです。↓場合によってはの例
(こうして勉氏宛てに発信していますが、お元気でおられるのか確証がありません。もし病床にあったりするのなら、会ってくれと言っても無理な話。そういう時に限り、A野女史やS所で動員されていたBBMT女史やYMO女史、茂太郎氏などの同級生勢に仲立ちしてもらって下さい。御健在であるのなら貴方が必ず会ってください。36年間動かせない話を血縁以外の他人が動かすのは難しいから。)
現在の境遇に囚われてしまうと、周りの目が気になって来るのだと思います。
体裁ばかりを取り繕う事に懸命になってしまうと、一歩も先に進めなくなる。 今、その状態ですよね。
もう転落しているのは転落しているんだから、どんなに見栄張っても痛々しいだけ。
貴方一家が35年前に50で独身の女性同志をどう見ていたか分かりませんが、貴方一家が見ていたと同じように裕子女史は周りの同志達から見られている。
その周りの目に対して、言い訳がましい行為をしても恥の上塗りですよ。
未来への失地回復の戦いを考える方が正しいでしょう。
どう、すれば人並みの幸福を掴み取ることが出来るのかに想いを集中して下さい。

36年間実現できなかった事ではありますが、前述のとおりにまず、私と裕子女史が会ってからでないと、TI対象者という立場に置かれているので、どんなに難しい支援工作をしても、全く無意味に水泡に帰してしまうんです。工作動員される側が、TI対象者と関わると自分に危険が及ぶと考えるので接触を絶対に避けるからです。
これから先を考えるには、裕子女史が私と会うのか会わないのか来北するのかしないのかが決まらないと、絵に描いた餅というか捕らぬ狸の皮算用みたいな感じの無意味な事になってしまう。

裕子女史が私の経済状態や仕事に条件を付けて来北を拒む言い訳の一つとしていると思いますが、それも50にして思春期の少女のような精神を持つ裕子女史のいう事なんで、嘘と偽装、偽りの条件を出しているに過ぎないんです。
よく考えてみてください。
私はほんとろくな勤め仕事をしてこなかったでしょう? 契約社員やら、胡散臭い会社の見習い社員やらばかりで、後はバイトと自営業で暮らして来ていますよね。
経済状況や仕事を裕子女史が本当に重視しているのなら、20年前に私に見切りをつけて、他の男と所帯を持って、今頃子供が大学3年生ですよ。

別な理由があって35年間相手が私であり続け、来北出来なかったんです。
いくつかそれらしい逃げ続けた理由を挙げられますが、基本、性的な嗜好に関するものです。 嗜虐的な性癖性欲を前述部で挙げていますが、その他にも裕子女史に当てはまるものが2つあります。
あとは、生来の精神の脆弱性ですね。 気が弱いんです。 それを貴方が…、いや誰かが分かってあげてくれたなら、人並みの幸福なんか容易に手にしていたはずなんです……。 
前編に書いたとおりに、裕子女史の本音は誰かに私との間に入って仲を取り持って欲しいというものなんです。

・私を支援してくれという娘の頼み
・TI対象と関わり合いたくないという工作動員される人々の思惑
・来北を恐れ、かつ来北願望を持つ裕子女史の心の相克
・私をなんとなく気に入らないという貴方の父親としての心理
・利権を生み出す私への工作を企画実行する責任者勢の思惑
・娘の相手を父親が支援していなければならないという周りへの体裁
・10年も高圧的に命令してきた裕子一家へのわだかまりから、裕子女史を破滅へ導いて意趣返ししてやろうと言う邪な想念
・私の人を見ても認識が遅れる人認知版ディスレクシア(ディスレクシア読字障害とは、文字の読み書き学習に困難を抱える障がいのこと。)のような欠陥。

色んな関係者達の想いが、それぞれを相殺、打ち消し合って膠着状態を生んでいる。

・私を支援してくれという娘の頼み
これがTI対象から外さないで支援をしても無意味だったという奴で35年間続けられて、現状がマイナス50万という。 35年ですよ…。
プラスでもマイナスでも、普通のサラリーマンの給与で考えると最低でも1千万は残しているはずでしょう。
貴方が私の所へ、裕子女史を嫁がせるつもりなら、すぐに私に会いに来て仲立ちをしてください。 TI対象から外さないと支援をしているふりになっている。 
そういう考えがないのなら、すぐに誰かいい相手を連れてきて、強引に結婚させるべきですよ。
私はそれで裕子女史が幸せなら文句はありません。 そういう時もTI対象から外してください。 人の人生を不幸に陥れていい権利なんか誰にも無いと思います。

・TI対象と関わり合いたくないという工作動員される人々の思惑
これは私が逆の立場だったら同じように思うはずだから、当然の判断です。
TI対象から外して工作動員しない貴方の失態です。
工作動員は支援をするふりの為に行われることになり、動員される側にしてみれば、なんなんだこの茶番はという感じでいた事でしょう。
袖振り合うも他生の縁、昔茶番動員に応じてくれた人達ともなんかの縁。
どこかで再び会う機会でもあればいいですね。
企業家勢は通販商売の相談に乗ってもらいたいですよ。
実業家勢と利益折半で共同経営というのも一つの形ですね。
そういう形にすると、人脈を得られるし、相手は別な形で受益も出来る事にして。

とりあえず、裕子女史と会うまで、商売での支援以外は無意味であることを長く書いてきました。
無限に使用していい権利では無いと言うのが定説です。
無意味な支援するふりだけの工作、体裁を取り繕うためだけの工作、私を支援する体でいて実行責任者に益を集める為の工作等は全部中止して下さい。
無駄な事に貴重な権利を使うべきでは無い。

・来北を恐れ、かつ来北願望を持つ裕子女史の心の相克
彼女が高校時代に自販機とか門柱の陰から顔を半分覗かせて私を見つめているのを見ているんで、基本気が弱いのを知っています。
貴方も父親として良く分かっていると思います。

Twitterで見つけたものを貼っておきます。
前編にも書いていますが、女性特有の二重規範というものがありますよね。
貴方一家は女性3人と男は貴方一人で暮らしていたわけですから、理解しているものと思います。
彼女の本音は誰か仲立ちをして欲しいというものなんです。
貴方が、その辺を理解してあげていれば、50まで独身で人に○○波を照射して嗜虐性癖などと後ろ指をさされる事もなく、普通の幸福な人生を送っていたのではないでしょうか。
大昔に裕子女史にコンビニで待つと手紙を出して向かう道中で母氏と貴方とすれ違った時があった事を憶えているでしょうか?
あの時の貴方の母氏に対する高圧的な言い方からして、貴方が強い父権を強いている家庭だったと推測しています。
母氏と姉氏は女性としての観点が男とは別にあると貴方に直言出来なかったんだと思うんですね。
先日、有料配信DTVでカセットテープダイアリーというイギリスに暮らす、パキスタン人移民家族のミュージカル映画を観ました。
ほんとに完全な2流B級映画なんですが、2流には2流のすばらしさがあって、かなり感動したものです。
パキスタン人の移民が差別に苦しみながらも、懸命に生きる姿が突如ミュージカルシーンで踊りが始まったりしながら活写されているB級の中の傑作です。
その主人公の父親が保守的で厳格な父親で中世の父権、絶対的な家父長制みたいなものを振りかざしているんです。
なんか、貴方の若い頃はこんな感じだったのではなかったか?と思いながら見てましたね。 なんか身につまされる部分があるかもしれませんよ。
ぜひ、御夫婦で鑑賞してみて下さい。 ぜひというか必ずご覧ください。DVDでは多分売ってないんで、サブスクに加入するしかないです。
もう80の御歳となれば、かなり丸く穏やかになられているのではないかと思っています。
裕子女史が二重規範で貴方に伝えている事の裏に、全く逆の貴方に私との仲を取り持って欲しいという本音がある事を悟って下さい。

・私をなんとなく気に入らないという貴方の父親としての心理
これは基本父親は娘の相手を良くは思わないものなのではないでしょうか。
さらには私の場合、14の時からずっと貴方に観察されて来たでしょう。
どこかで、貴方が私に接触してきたことがあったのかもしれませんね。
その時に、どうしてもこいつはダメだろうぐらいの対応を私がやらかしている可能性も有りますね……。
学歴も職歴も、貴方が娘に斡旋出来る同志勢に比べたら話にならないお粗末なもので間違いない。
同志医師をスカウターで見たら46000ぐらいとして、次に私を見たら3とかの数値が出てしまい、貴方が白目をむいて倒れるシーンが目に浮かびますよ。 ひ、一桁やろうがむん!と下関当たりの方言で叫びつつ。

10年前の入会前に、ア〇ウェイ勢に裕子女史との仲立ちをしてもらおうと、何度も飲みに行ったり、渋谷の本部に首領のセミナーを受講しに行ったりしていたんです。
あのセミナーの時、首領は来る予定では無かったのに急遽、講師として登壇したんです。 組織の中にア〇ウェイ会員が大勢いるんで、依頼が来て仕方なしに動員に応じたんですね。
あの人、物凄い富豪だそうで、貴方でないと動かせなかったと思います。
後日、由比ガ浜の海のそばのハンバーガー屋で首領の別荘の管理をしているという幹部と会わせてもらったんですが、もろに監視人員が隣に来て話を聞いていましたね。
あの頃は完全マークしていて私の会う人とかを貴方は全て掴んでいたでしょう。
重複して同級生勢にも当たっていたんで、それも把握しているはずです。
同級生勢が今何をしているかとか酒の席で盛んに話題にしていましたよね。
もうその時40前で皆一度は結婚しているんですが、内部同級生勢の離婚している率の高さを聞いていると思います。
たまたま出身区、そのまた地元の私の同級生勢だけの話の可能性も有りますが、30%ぐらいは離婚している計算でした。
(なので会員全般に当てはめる事は出来ない。)
彼女が貴方の紹介した同志医師を断って、私を相手にしているという事は、本音は私でいいという事だった。
前項の彼女の二重規範を理解できていない状態に貴方があったとしても、40の時点で彼女の内部同級生達がバタバタと離婚しているのを貴方は知っていたでしょう?
周りの目を気にしようが、周りの30パーが離婚してんだから、なに体裁を損なうことがあるんですか?
今のように娘を破綻の底に転落させるのなら、あの時点でダメもとでうちに嫁がせる工作をして結婚させるべきだったと思いますよ。
今もそうですが、貴方自身の事ではなく、裕子女史の人生なんです。
貴方が私を毛嫌いしていたとしても、裕子女史の本音は私でいいから、35年間離れずにいるんですよ。
貴方の本音ではなく、裕子女史の本音を汲み上げて、破綻を防いでください。

・利権を生み出す私への工作を企画実行する責任者勢の思惑
これは責任者勢も人事で定期的に入れ替わるんで、貴方の意向次第。
TI対象から外れれば、加害貶め工作を受けなくなり、純粋な支援に切り替わります。
責任者勢の思惑ではなく、裕子女史が来北して私がTI対象指定が外れれば何の問題も無い。
現在の話ですが、バイクの駐輪場の件で半年前位から、わざわざ10年間なにも問題なく止めていたバイクを突如、管理会社会員社員と当地勢を使って止められないように工作し始めている事は前述の通りです。
これ、一見、当棟の会員が適当にバイクが止められていて見苦しいとクレームを入れて、管理会社会員社員が応じた体を装っていますが、10年間、貴方一家からの工作依頼を実行してきた当棟会員がここにきて血迷って私を攻撃するわけが無いでしょう。 管理会社の会員社員もさらに上司に会員社員がいるのだろうから、攻撃に加担するわけもない。
要するに裕子女史がうちへ来るのを恐れて、まずは会ったことも無い老母との軋轢を喧伝し、その次に私がここを出るように仕向ける為にバイクを置けないように工作しているんです。
もうこの勉書発信終えたらそういう逃げ口上捏造している段階ではなくなるんで、すぐに攻撃工作を中止して下さい。
まあ、今のままでいいのが一番だが、金払えと言うなら払いましょう。
裕子女史、またやらかして自分の首絞めましたよ……。

さらに最近は公的賃料補助付き老人用アパートのチラシを投函したりしてますね。 どこにでも投函されとるやろと思いそうですが、10年で初めてですから意味がある。
自分がここに来るパターンと老母がそういったところに入るパターンを想定しているんですね。
前述のとおり、裕子女史が来北するのなら、私がここを出る事になります。
老母を住み慣れた所から動かすわけにも行かないでしょう。
兄弟も人見氏からの情報の通り、猫を4,5匹飼っているんで十年は老母と同居出来ない。 こちらに来れないんですね。
私がそばにいるしかないんで、このすぐそば、数分に安いアパートを探します。 車とバイクは今のまま置いとけばいいようにしておけば便利ですね。
貴女、金あるなら隣か上を買い取って住めば一番いいですね。
この辺、駅に近いから、要リフォームだが値段が下がらないみたいです。
損では無いと思いますよ。
H市のD氏はマンションの隣の部屋を買い取って、建物の強度低下等を無視して勝手に壁を取り払い2つの物件を会わせて巨大な一つの物件にしてしまったという強者でしたが、うちも隣を買い取って壁を壊さずとも、ベランダ側を行き来できるようにしちゃうのが豪気でいいですね。

・娘の相手を父親が支援していなければならないという周りへの体裁
この幻想から目を覚ましてください。
周りへの体裁は現状で、既に完全に失墜しているんです。
面目丸つぶれになっている。
娘の本音を理解せずに、50の歳まで年老いさせているという事が、娘を持つ父親としては失敗と同義だと思います。
現時点での敗北を認めて、的確な対抗処置を施して、裕子女史が、人並みの幸福を手に入れられるように反転して戦うしかないんです。
支援なら支援でも、上記のようにTI対象から外さないと意味ないんで、すぐに裕子女史との仲立ちをしてください。 
その後、人材や機会の支援を得られれば、奇跡の成功があるかもしれません。

・10年も高圧的に命令してきた裕子一家へのわだかまりから、裕子女史を破滅へ導いて意趣返ししてやろうと言う邪な想念
これはあると言えばある、無いと言えばない。
TI工作をさせる事自体が、衆属の劣情を煽って、支配体制を強化する意味がある。 その流れの中にいるとどうしても余波を受けてしまう。
なんの加害指示も受けないで、煽られていない状態なら普通の人達ですよね。
N氏は社会の縮図と表現してましたけど、その通りだと思う、裁判官から死刑囚まで大富豪から極貧に喘いでいる会員までいる。
わざわざ仕返しを目論むような会員はいない。
ただ、付け入る隙だらけの50女がTI工作を依頼してくるんで、プラスに対してマイナスを企画するついでに、友人として裕子女史に伝えなくてはならない真心の言葉を軽い意趣返しで伝えないというのはあるだろう。
貴方が裕子女史にそういう世事の裏の部分を教えてください。

・私の人を見ても認識が遅れる人認知版ディスレクシア(ディスレクシア読字障害とは、文字の読み書き学習に困難を抱える障がいのこと。)のような欠陥。
これは私的には認めたくはありませんが、若干あるかもしれませんね。
軽度のものは認めます。 認めないと話が進まなそうなんで。
来訪著名人は全員その場で気付いたことありませんし、分からないとおかしいであろう同級生勢をその場で認識できませんからね……。
裕子女史は35年話しかけられないレベルの気の弱さですが、それってかなり深刻な心の病的なものと言えるのではないでしょうか?
その病的なものですら、よくある話で裕子女史レベルの気の弱さは世界にいくらでもいますよね。
で、軽度の認知障害を持つ私を相手にしている。
それで、35年間、会う事も話す事もほぼ無い異常な関係が生じている。
こう考えると辻褄が会いますしね。
私にそういう欠陥がある事をふまえて行動してほしいんです。
今まで裕子女史は私のその欠陥を証明するために来訪工作を仕組んできましたが、それを証明してどうするつもりなのかといつも思ってきました。
裕子女史の気の弱いのも世界レベルのものですが、いくらでもそのレベルの気の弱い人間はいる。
私がその欠陥があったとしても、そのレベルの欠陥を持つ人間もいくらでも掃いて捨てるほどいるんですよ。
相手の欠陥を挙げつらった所で何の意味があるのでしょうか?
それをどういう風にして、乗り越えて成果を生み出させるかが問題なんです。
今までのように後ろを向いていたり、遠くを通り過ぎたりしても気づきすらしないの何度も経験して分かると思います。
そもそも、外部の普通の人って、そういう行動しませんよ。
面と向かって、話をするんです。
これは貴方にも当てはめる事が出来るんです。
数年前にうちの前で後ろ向いて腕組んでいたのが貴方なら、裕子女史と同じ事をして、同じ過ちを犯している。私も50で貴方も80過ぎて、もう先に残された人生は長くはありません。
見栄とか意地とかをもう忘れて、笑顔で応対できるようにしたい。
貴方もそんな境地にいてくれるとうれしいです。



裕子女史は独身のまま50の歳になってしまい、若さを失い子供も望めない境遇にいます。
しかも、性欲を満たすために私や家族に危害を加えて憂さ晴らしをしているという、人間性のどん底にまで堕ちている。
この様を見たら、裕子女史がおばあちゃんを見て自分も同じ職業に就いたと子供部会合で発表した、私も遠目に見たことあるあのおばあちゃんはどう思うのでしょうか?
なんであんなに素直で優しい子だった裕子がこんな悪道に墜ちてしまったのかと嘆き悲しむでしょうね。

この転落に対して、両親である貴方と母氏は責任を負うべきなのでしょうか?

安倍元総理を暗殺した山上容疑者も40過ぎた歳との事ですが、凶行に至らしめる原因を作ったのが、母親である事は明白とする世論が出来ている。
だから洗脳商法に対する法律を作ろうとしている。
しかし、成人し40過ぎた大の男が起こした事件の責任を母親が取る必要もなく、全然表に出てきませんよね。
40すぎだと、平均的には子供が中高校生で、ローンで家を建てている歳。
法的に、どんな凶悪事件を起こしても成人後は親に責任は及ばないのだし、母親に人生をめちゃくちゃにされた事は事実だが、成人後20年間生活を立て直せなかったのは山上氏本人の責任と世間は見るからなんでしょう。

つい最近に80代の両親を引きこもりの未婚の60歳の息子が絞殺した事件がありました。 両親がトイレの介護を息子に頼んだところ、アニメを見ている所を邪魔されたと60歳の息子が激怒し犯行に及んだとの事。
どういう家族構成なのか知りませんが、60まで息子を引きこもらせた両親の息子との関係が失敗と言えそうですよね。
どこか狂った息子で、手に負えなかったのかもしれませんが、何か手を打たなければならなかったのでしょう。
成人後でも子供を導く事の失敗に対しては両親にも天からの咎が及ぶ例のように思います。

裕子女史はと言えば、公務員で退職まで10余年を残しているとはいえ、過酷な仕事を耐え抜いて全く非の打ちどころの無い立派な人生を歩んで来ている。
35年も一人を相手にしたり、過酷な仕事に耐え抜いたり、忍耐力みたいなもんは半端ないすごい女です。
根性が据わっていて、目が据わっている50女なんですね。
なんで私に話しかけられないのか不思議でしょうがない……。
山上氏や60の引きこもり老人等の惰弱もやしとは人間の格が違うんですね。
ただ、問題は未婚のままで老齢に差し掛かっていて、貴方が何か手を打たないと孤独死するのが確実な事でしょう。
このままの状態で生きてゆくのなら、働くことも生きる事も無意味なのではないでしょうか? 人に嫌がらせをするために働き、生活するなんて、そんんな人間いる意味ないでしょ。
存在意義の危機とすら言えそうな状況なんです。

どちらかと言えば私の方が山上氏や60の引きこもり老人と同じ問題を抱えていると言っても間違いではない。
その問題というのが裕子女史との関係とTI工作なんですが……。

論語の有名な所を再び

子路篇13-18
「葉公 孔子に語げて曰く、吾が党に直躬なる者有り。其の父 羊をぬすみて、子 之を証せり、と。孔子曰く、吾が党の直なる者は、是に異なり。父は子の為に隠し、子は父の為に隠す。直は其の中に在り、と」

 【現代語訳】葉殿は孔先生にこう弁じられた。「私の郷里の中に、それはもうまっすぐな者がおりましての。父親が羊を盗みましたとき、その子の父が盗んだに相違ありませぬと証言しましたわい」と。孔先生はおっしゃられた。「わが郷里のまっすぐな者は、それと違いまする。(仮に盗みがあったとしますと)父は子の悪事を隠し、子は父の悪事を隠します。(まっすぐ)(直)の真の意味はそこに在ります」と(加地伸行訳)

孝の実践では親の犯罪を隠し、法律よりも親子の情を大切にするべきだぐらいの意味だと思います。
情を法よりも優先しろという強烈な話なんですね。
この思想を政治に持ち込むと、容易に腐敗の温床と化してしまい、いろいろ厄介な連中だったんでしょう。
この考え方が焚書坑儒の弾圧につながって行ったとされています。


貴方に裕子女史の今の境遇に対する責任があるのか無いのか?

法的責任は当然全く無い。 

道義的責任は有る。 主に貴方の施した軛に従ったために彼女は今の状態まで転落している。 その責任を取るのは貴方です。

私は裕子女史から一方的に○○〇カーされてきただけだから、裕子女史の転落に責任を負わないでいいのか?

誤導したのは勉氏で、裕子女史を突き落としたのは私なんですね……。
そういう事で私に65パーの責任があります。

昔から、真面目で気の弱い娘だった。
裕子女史の自己責任として片付けられる話しでは無い。
私と貴方の失敗で、そうするしか無かったのです。
責任は私と貴方にあります。


10年前、40を前にして、いよいよ出産可能年齢の終わりが見え始め、このままではまともな人生を歩めなくなるなと考えて、25年間均衡を保って付かず離れずにいるわけ分からない関係に終止符を打つ為、同級生勢に裕子女史との仲を取り持ってもらおうと接触し始めました。
近所の中学の同級生からア〇ウェイ勢に渡って仲介を頼んで行きました。
それが前述の渋谷本部首領動員事件などにつながって行きました。
昨年末、同社が期限付き営業停止に処された事がニュースになりましたが、安倍氏暗殺事件と時期が連動しているから、あれ○○機関同士でやりあっているという事なんじゃないでしょうかね。 一矢報いたという。
我々には関係ないんでどうでもいいですね、同級生勢に仲立ちを頼むのに飲みに行くんですが、先に手を回されてしまい、知らぬ存ぜぬ対応ばかりでどうにもならなくされていました。
居酒屋へ行けば、必ず監視人員がついてくるんです。
今はなんとなくですが工作人員の役職がわかるような気がしています。 その査定力で目利き判断すると年齢とか風貌からして地域の上位役職者が多かったと思う。
裕子女史では動かせない人達だったんです。
裕子女史が依頼できる会員はもんじゃ焼き屋で監視に来たA野女史と壮年の2人組と20代30代男女人員で、上位役職者とはフインキも服装も全然違う。
この事から当時は貴方が私に対する工作を取り仕切っていたと思っています。
貴方は私が金と時間を使って、仲介者を作ろうと奮闘しているのを、ことごとく邪魔して潰していたわけなんです。
裕子女史は前述の通り(前編参照)内部同級生勢に注目されたいだけの女なんで、私が同級生勢に接触すると自分の所に連絡が来て、私への対応をどうすればいいのか打診されたりするのに、快感を覚えて、大歓喜に打ち震えていた事でしょう。
貴方はどういうつもりで当時、私の動きに対して対処していたんでしょうか?
完全に潰しにかかっていましたよね。
私の動きを封じてしまったら、その後どうなるのかぐらいは想定していたと信じたいですが、10年後に結局、破綻した現在があります。
今、想像するには娘裕子女史と一緒に地元同志勢から注目を浴びていると錯覚して喜んでいたのか、私の動きを封じて自分の息のかかった同志医師と裕子女史を会わせる算段でもしていたか、そんな所だったのでは?

この頃は30代で貴方一家的には、まだそれほどの危機感を持っていなかったとも言えますが、世間一般にはもう充分に焦ってしかるべき年齢なんですね。
女性芸能人とかが35,6ぐらいで駆け込むように結婚してゆくのは、世間一般の判断でギリギリ結婚生活も出産育児も普通に行える限界だと認識されているからだと思います。

40手前で無為無策ならぬ妨害為無策だったという失態としか言いようのない行為に及んでいた。

ここで、世間一般の普通の結婚出産の概念・人生観とは、著しくかけ離れた異常な観念を貴方と裕子女史父娘が持っている事を指摘したい。

この入会直前期の貴方と裕子女史と私の3人の内、誰が正しい事をしていたのか考えて下さい。
裕子女史は何も考えていないのと同然、感情に思考が左右されてしまうメンヘラ女なんで、先の事にまでは考えが及ばない。 呆けてていい年齢ではないんで間違った生き方をしていた。

私は当然の事をして、先に進もうとするも貴方父娘の妨害工作を受け、目論見は頓挫していた。 やろうとしている事は正しい事だったでしょう。

貴方は私の所に裕子女史が嫁に行くなんてのは言語道断で、私の能力値をスカウターで見て泡を吹いて倒れて以来、絶対阻止するつもりでいた。
そこまでは百歩譲って父親として正しい行為だった。
私よりも条件の良い男なんか、出身区内だけでもゴロゴロしてますからね……。
娘を想う、父親の立場として間違った行為ではないと思うんです。
が、貴方は私の妨害をして、潰しておきながら、あの時、同志医師と裕子女史を見合いさせてないでしょう。
私の代わりを連れてきてあわせていたら、貴方の行為を正しいと思えますが、それをしなかったら全部が間違いと断じられる。
貴方は10年前にやるべきことを為さずに怠ったと言えます。
10年前に私の行動を妨害しておきながら、裕子女史に結婚相手を連れてこなかった。
この点について、貴方にこの時点で果たすべき責任が生まれたと思いませんか?

果たすべき責務義務が生じる。
果たすべき事は、父親として娘の人生を立て直し、軌道に乗せて回復させてやる事で間違いないでしょう。
40前のこの一件について貴方は私の仲介者を作る働きを謎の私怨で潰した事と裕子女史の結婚相手を連れてこなかった事の2つについて生じた果たすべき責務をまっとうする必要があると思います。
10年後の今でも当時の正解をそのまま実行すれば果たせると思います。

私の所に嫁がせる気が有るのなら、裕子女史から話しかけてくる事も私から話かけさせる事も永久に無いのは明白なんで、貴方が私に話しかけるしかない。
上記のように、私に軽度の認知障害みたいなものがあると想定して(私的にはそんなもん無いと思っています。)後ろ向いていたり、暗闇に立っていたり、遠くに居たりとメンヘラ50裕子女史がするようなものではなくすぐ目の前にもの言いたげに立っていれば、こちらから話しかけます。(親子で似たような事をする可能性が高いので書いておきます。)
まあ、80過ぎて、子供の世代の私みたいな感じの男に話しかけずらいという事も無いと思います、基本話しかけてくるものと思っています。

どうしても私みたいな能力値が低すぎてスカウターが誤作動起こしそうなアホの元へは大事な嫁(い)き損ねた50の娘はやらんというなら、すぐに嫁に先立たれた同志医師と見合いさせてください。
いい人いると思いますよ。 子供がいるとなおいい。 
資力がある分だけ、私となんかよりも裕子女史が幸福に生きられるかもしれません。


上記部の貴方の失態としている数々の工作が本当に貴方が仕切って行われていたのか、昔、考えて見たことがありました。
貴方が仕組んだんじゃなく、別人が裕子女史に頼まれてやっていたのなら、責任も何もなく、私が言いがかりを付けている事になってしまう。

今日、新年2日目の営業はあの場所では良いと言える感じで終わったんです。
ラジオを聞いていたんですが、小田原で○○車とバイクが接触し、バイクの男性が重傷を負った事を伝えていました。
重傷程度の事故をいちいち伝えないだろうと、またなんか工作の匂いを嗅いだんです。
帰り道でどうも車でつけられている感じがしていました。
高速に乗りSAでトイレに入って、車の方へ向かうと、さっきまでいなかった隣に止められた車の前に男が立っていて、犬か赤ちゃんを抱いてあやしているのが見えました。
暗くて人か犬か分からないんですが、私が頻繁に工作を受ける幼児連れ工作か小型犬部隊工作である事は分かりました。
幼児連れ工作は子供のいない夫婦や独身者に劣等感を植え付ける為に仕組む工作で一般的なもの。
小型犬工作は、パグとかシーズーとかポメラニアン等の小型犬が小玉の三連星みたく私の前を通り過ぎるように仕組む工作。 これは裕子女史が自分の飼っているジョッピーを私の深層心理へ植え付ける為に行っているものと考えている。 私へ向けて限定的な特殊工作。
まあどちらかでしたね。
いつもの事なんで、慣れ過ぎていて最近はどうとも思わなくなっているんで、すぐに車に乗り、走り出しました。
高速を降りて、前回、イニシャルDを観ていた時にランエボ工作をされた場所の先で、その漫画の86レビンが前を横切りました。
今、86は500万はするらしく、年に1,2回見るぐらいの車なんです。
でも、まあ偶然やろと先を急ぎ、交差点の信号で止まっていると、○○車のサイレンが聞こえてくるんです。
丁度反対側から来ているんで、信号が青になっても先に進まないで留まっていました。 
○○車はウィンカーを左に出して進んでくるんですが、それを覆して私の車を目がけて走って来て掠めるように通り過ぎました。
ま、まあ偶然やろうがもんと走ると、いつもバイク見せびらかし工作や学生部隊が待機させられているコンビニでエイプハンガーな珍車バイクが2台止められて浜省勢が立っているんです。
うちの前には安価人員が寒風に一人立ちたり安価勢と言わんばかりに待機させられているのを見て、ああ、半分は安価工作だったのか……と気づきました。
この現地勢をも動員しての大規模な工作は、当地勢だけでなく、出身区と所属区と当地区勢も含めた広範囲へ指示が出されている。
裕子女史が単独で動員できるのは区一つの中のそのまた一つの部に限られる。
裕子女史が依頼しても上位役職者は動かないんですね。
赤ちゃん&小型犬工作は裕子女史が血迷って依頼しているものでしょう。(もしくはなんか出産の可能性を担保していて、それを知らせている可能性であって欲しいですね……)
86と○○車と浜省勢はそれぞれ勉書発信の記述に対応している事が分かる。 勉書発信を読んでいるという事なんですが、自分で書いておいて2回しか読み返した事ないレベルの長さなんで、いちいち対応させるほど読み込んでいるのは裕子女史しか地球上にいない事になる。
工作責任者は地方選の直前ともあり忙しい、メンヘラの痴情のもつれに付き合っている暇がない。
裕子女史が貴方に頼んで口をきいてもらい、貴方の威光で責任者勢が裕子女史の依頼を受けている。


10年前の貴方に責任が生じる工作の数々の時は、実行部隊を誰が仕切っていたのか?
同級生勢の中に男子部長とか工作部長とかになっている奴がいたのか?
当地で3年だか4年前だか(つい最近の事ですね)に、うちの前にいつもの嫌がらせ駐車工作に動員されている作業車が止められていて、遠くから読めるくらいの大きさの字で中学の同級生勢の名前が書いてあったんです。
彼とは全く繋がりの無い縁遠い感じでしたが、50音順では私の次か、その次ぐらいの並びになるんです。
前編で書いた青学教師静太郎を無能呼ばわりする事件の工作時に私の周りを同志子弟で取り囲む為に使われていた男なんですね。
同級生勢との飲みの席でNO.2氏と同じくW大を出たという話を聞いた気がします。
会内エリート子弟グループの一員だったわけです。
その後、30ぐらいの時にスーパーの駐車場で私が止めようとすると、邪魔して自分の車を止めニヤニヤしているという嫌がらせ工作に動員されていました。
ここで、初めて会員であった事を知ったんですが、会員同級生勢の中で実際に嫌がらせと分かるように仕掛けてきた初めての奴なんで、男子部で上位役職に就いていた可能性がありますね。
会員である同級生は大体判明しているんですが、今、思い返すと嫌がらせを嫌がらせと分かるように仕掛けてきたのは4回だけ。
・上記のW氏が駐車妨害してきた時
・高校の帰りにバスから降りると話したことも無いE氏という同級生がなんかを叫んでいた。
・重太郎氏が安価動員されて倉庫の手前で座らされているが安価リングだった。
・コロナ禍時にQ氏という、私の風俗行き阻止工作に動員された奴が、たまたまあった時にハブり調で応対してきてすぐ去った。 その後、その顛末を発信すると私の仕事に帰りに安価動員させられていた。
このくらいなんで、大したことでも無いんですが、ここから指示する人間の存在が見えてくるんです。

W氏30時の駐車妨害は、G駅前で売店をしていた時の事なんです。 この頃は既に裕子マンションからは引っ越してはいたが、まだ貴方が現役でわたし関係の工作の指示を直接出していたのではないでしょうか?
私は男子部を経験していないんで良く分からないんですが、入会時、所属区の部長が出身区に移って議員になる所を見ています。 38くらいと聞いた記憶があるんで、30だとまだ使われる側にいるはず、W氏はやらされているだけなんですね。
貴方の私への工作は、間に裕子女史の依頼→貴方→工作X氏→W氏という命令伝達経路を辿っている事が分かるんです。
で、W氏、ここ5年ぐらいの間の同級生工作には関わっているでしょう。
全部、裕子女史の依頼通りに実行しているだけだと分かります。
なぜなら40も半ばになり、社会で揉まれて、結婚して子供も高校生という大の男が中学の同級生を使って安価工作を企画しないからです。
中学の同級生が企画の全面に出てくるのは、バイト経験なしで特殊な公務員になり、恋愛経験も乏しい独身女の発想でしかないからです。
裕子女史の浅はかな人間性が見える時、仮想身内(仮想嫁として)として、赤面するぐらいに恥ずかしく思う時があるんです。
貴女、50の歳で中学の同級生しか、工作の仕掛けとして思いつかないの、どんだけ世界が狭いんだよ……。
最近飼いだした瓶入りエビか!!(¥2500)

E氏は今何をしているのか情報が全くないんで、挙げてはいますが会員であったかも定かでない。

重太郎氏は貴方や貴女は知らないんでしょうが、うちに幼稚園ぐらいの時の彼が来て遊んでいる写真があります。 普通に幼馴染みたいなものなんですね。
STI車工作や何度も飲みに行っている事を勉書2ぐらいに長く書いてあるはずなんで探して見てください。
最後に見たのは5年くらい前の倉庫アンカリング行為で、最後に話したのは出身区に彼がまだ住んでいた時分の15年前。
ただ、近所の幼馴染みたいなものという事で風の噂で消息を知らされる。
結婚後、実家を出たが市内に住んでいる。 娘が生まれた。 同じところに勤めている。そんな情報しかないんですが、5年前はW氏と同じく貴女の依頼→貴方→工作X氏→重太郎氏という伝達経路で指示を受けている。
休日の午前中に動員されていたんで、大変だったでしょうね。
幼馴染なんだから、話かけろと依頼すれば彼は普通に話しかけてくるんです。 あの時もただ裕子女史が私の認知障害を周りに証明したくてやらせているわけなんです。
こういう感じで無駄に時間と労力を浪費し続けているんですけれど、貴方が細かくチェックして取捨厳選して工作の許可を与え、的確な指示をするようにしていれば、10年前に重太郎が私と裕子女史の仲を取り持っていたでしょうね。
昔は気のいい男だったが、人生山あり谷ありいろいろあるでしょう。
15年の月日が経っている。 
この間も安価行為に徹していたし、貴女が改心して話かけろと依頼しない限りどうにもならない。
やはり、貴方が病床に伏せているのでないのなら、貴方が会いに来てください。 
貴方が倒れたら母氏、母氏が倒れたら姉氏、姉氏が倒れたら姉婿、姉婿氏が倒れたらよもぎ嬢、ヨモギ嬢がダメなら、初めて赤の他人が仲立ち候補に挙がるものです。 
その時の筆頭に上がるのが重太郎氏だと思う。
異性だと貴女は話を付けずらいんでしょうから、S所に来た2人の女性部同級生でもいいんじゃないでしょうか、今マスク時代で分かりにくいから話しかけてくれれば一番いいですね。
私は確かにぼさっとしている男なんで同級生勢でも話しかけられるのを待っていると、ヘタを打つことになる。 それは重太郎でも同じ事。 基本周りの事をあまり見ていない不思議老年なんです。

裕子女史がどこかで我に返り、臆病風を払拭してくれる事を毎日、祈ってはいますが、その祈りも通じず早10年。
やはり性癖を前面に出して○○波で危害を加えて性欲を満たしていたり、自分の弱い性格を棚に上げて、私の足りない資質をあげつらって貶める為だけに工作を仕組んでいたりすると、正しい行いではないので、裕子女史が自分で自分を何段も低い場所へ貶めてしまい、私や家族の祈りも届かないのでしょう。
冬が必ず春となる事を信じてやってきましたが、初めから冬しか季節の無い国に住んでいる人間には春の訪れは無いのだと最近痛感させられています。
裕子女史と貴方を季節の移り変わりの有る場所まで、導かなくてはいくら祈っても徒労に終るのです。
裕子女史が私に話しかけるという普通世界の当然の接触手段を放棄している事を前提に話を進めていますが、裕子女史を異常異常とわめきたてても何一つ事態が好転する事は無いでしょうし、もう36年も裕子女史を見てきているから、三つ子の魂百までで、突如、超内向的な性格が、外向的に変わるという事は死ぬまでないと思って仕方なしに異常な話に乗っかっているだけなんです。 
これも、貴方という、普通世界の常識をわきまえて働き生きてきた父親が裕子女史にそれはおかしいんだと諭していてくれれば、娘の人生を破綻させることは無かったと思いますよ。

・コロナ禍時にQ氏という、私の風俗行き阻止工作に動員された奴が、たまたまあった時にハブり調で応対してきてすぐ去った。 その後、その顛末を発信すると私の仕事に帰りに安価動員させられていた。

Q氏が会員と分かったのは、前々前職の営業車でぐるぐるまわる会社の仕事帰りの電車で話しかけられた時だったと記憶しています。
話しかけるように工作X氏に指示されて待っていたんですね。
重太郎氏もQ氏もT方女史も中学の新体操部の部員だったんです。
だから、話しかけ接触係に選ばれているわけなんですが、一度しばき倒してやった記憶があるんで全然仲がいいという事は無い人間なんですね。
なんか組織系らしき○○社で働いてから、独立して仕事をしていると言っていましたね。 前々前職が厳しくなくていいという話を私がすると話の流れを忘れましたが、たまに収入を補うために引っ越しのバイトを紹介してやると言われて別れたんです。
後日、実際に電話をかけてきてバイトを紹介してくれましたね。
実は前々前職は経営者一族揃って会員の会社だった事を後で知りました。
どうも女性社員がよそよそしいなとは思っていたんですが、裕子女史が手を回していたんですね。
Q氏が話に来たのは、私の収入を知った裕子女史が自分の半分以下じゃないのこの泥ガメが!と休みにバイトでもしろと寄越しているんですね。
○○〇という業務自体が組織系の関係案件が30パーぐらいありそうな気がするんで動員に応じると、組織関係から仕事を斡旋してもらえるんで、仕方なしに来ていたんでしょう。 もしくは進んで志願していたか……。
前編で記したスーパーレジ女子大生事件の後は、私の仕事場にいる女性とかに警戒して、手を回して絶対近づけないように工作するようになったんです。
すごい話でしょう、ここまでやる50女って、よくラブコメ漫画とかで、浮気をしたら殺すわよという話が有りますが、裕子女史の場合、殺すわよというのが大げさに言っているのでなく、ホントに殺す気でいそうな所がマジ基地ですよね……。 トラックに轢かれた2時間後に最強○○波照射してくる50女ですよ、やりかねないでしょう?
だから、いろいろ気を使って生きてはいるんです。

次にQ氏と会ったのが伊勢佐木町を歩いていた時だったな、私は26,7の時に長者町の富士見中学の前に住んでいた事が有って、前述した黄金町街娼地帯を蒼き衣をまとい裕子疾走する事件など、伊勢佐木町近辺では風俗店などへ行きそうなイメージが裕子女史の中で醸成されていたんでしょう。
あの辺行くと必ず尾行がついていましたね。(最近は無くなった)
静太郎アレルギーで皮膚が斑になる事件もその一例で、私が斑で伊勢佐木郵便本局で座り込んでいると、すぐにN氏から電話がかかって来て、大丈夫か?と問われましたね……。 監視人員につけられていて、あのアホなんか死にそうですと報告が裕子女史に行き、N氏に電話をかけてもらったという事なんです。
その時、既に私も入会していたと記憶してますが、工作X氏から仕事をもらっている会員勢の中から選ばれ、近くに住んでいるQ氏に連絡が行き動員されていた。
目の前を歩いていたんで、声をかけると、どこに行くのか?と聞かれ有隣堂と答えたのか、風俗地帯の入り口から逸れると、去っていきましたね。

で、3年前に隣駅のテリー伊藤のカラアゲ屋に行列が出来ていたんで、何事かと私が観察しているとたまたまQ氏と愛人が列に並んでいたんです。
伊勢佐木町事件がそのまた3年くらい前の話なんで、会計の間際にいたんで終わったら話しかけようと見ていると、私を見つけたのかコロナ時代にしてマスクをしていなかったのに急にそそくさとマスクを着けてそっぽを向き始めたんです。
これは裕子一派から何か聞いていて逃げようとしてるなと、逆に話かけると半分無視みたいな変な空気感を醸し出していましたね。
なんか情報があるかと率直に聞きましたが、変な間を作ってそそくさと去って行きました。
基本、受益目的で私に関わってくる奴は楽して利権にありつけないと分かるとこういう対応をしてくるんです。
今も監視任やら安価リング任やらに志願してくる輩がいるでしょうが、そういう利権目当ての人間よりも、志を支払ってくれる同志やそれを設定する責任者に受益させるようにしていかないと、商売なんかすぐダメになってしまうと思います。 今、ダメになってしまっているのを見ると分かると思います。
その日にTwitterでQ氏が半分無視してきたぞと発信すると、次の日の仕事帰りにうちのそばで背丈と風貌が似ている男を手配して安価工作をされました。(暗いのと遠いんで本人かは不明)
(この私がTwitterで発信した人物と似た人間を安価動員するという工作をよく使われます。初めに本人を寄越し、その後にそっくりさんを寄越して対象者の私に混乱を起こさせようとする手法。これはどこでも使われる一般的な工作だと思う。)

Q氏のこの時の行動は、偶然ばったり会ってしまったために狼狽顕著なあまり様々なものが現れていたんです。
実はこの事件は重要な事態を示唆するもので、ここで勉氏から追討の宣旨が出されている事を始めて悟ったのです。
追討の宣旨と言っても、その前の2年前、勉氏主導の査問偽装事件に始まる、組織活動からの流刑処分みたいなもので、査問中でいろいろな嫌疑のかけられている会員として一部の縦線に近しい役職者以外は接触しないようにお触れが出ていたと思います。

追討の宣旨事案については後述します。

この工作動員される同級生勢の動きで、裕子女史の依頼に貴方が動き、横浜の工作X氏(この工作X氏は数代入れ替わっている。総数35年で10人。私の入会後は3人ぐらいか)に工作依頼をする、そして工作X氏が各工作の適任者を選抜して動員しているのが見えてくる。
追討の宣旨は裕子女史はそういう政治的な事を考えるタイプではないでしょうし、工作X氏は実家売却工作等に見るように切れ者揃いの優れた幹部会員なんで、いちいち縁の遠い私を潰そうと画策するほど暇でもアホでもない。
私に関する工作の方向性や組織内の政治的な立ち位置は全部貴方が決めている事が分かります。
貴方が10年前から指示してやらせていた事なのでしょう。
そうなると果たすべき責務義務が生じる。
果たすべき事は、父親として娘の人生を立て直し、軌道に乗せて回復させてやる事で間違いないでしょう。
40前のこの一件について貴方は私の仲介者を作る働きを謎の私怨で潰した事と裕子女史の結婚相手を連れてこなかった事の2つについて生じた果たすべき責務をまっとうする必要があると思います。
10年後の今でも当時の正解をそのまま実行すれば果たせると思います。

10年前の一件も貴方にも果たすべき重い責任がある。

貴方が主導していると分かり始めた10年前から、一言貴方に伝えたいことがありました。
私が裕子女史の不幸を望んで行動していたのではない事は10年前から明らかでしたよね。
金も根気もない泥ガメと見て相手として問題があるから排除してきたと言えば理屈が通りそうですが、貴方はその後も裕子女史に見合いをさせたりと代わりを見つけようとした形跡が無い。
これは父親としての義務の放棄と同じ事だと思うんです。
それでいて裕子女史が幸福に生きられる道を懸命に作り上げようとしている地球上で唯一の男だった私の妨害をして、それを正しい行いだったと思っていますか?



ここから、入会後の私と貴方の失態について書いてゆきます。

前編の冒頭にここでつながるんで、ずっと読み返していたんですが、内破系最強照射されて、読むのにも難儀して大変な思いをさせられました。
貴方は遠方に居るから、裕子女史が指示しているんでしょうが、○○波の機材の撤去願いを書いたの一月前の事です……。
貴方の心にはどんなに文章を重ねても何一つ届かないのでしょうかね……。
おばあさんとうちの父への義理とか、裕子女史に対する父親としての責任とか沢山書き連ねてきましたが、無意味徒労に帰するのか。
でも、書き終えないと、動けないという事もあると信じて続けて行きます。

10年前に裕子女史との仲介者を作ろうと私が尽力奔走していたが、貴方が妨害した事で潰されてしまった所まで書きました。
そこから前編冒頭のN氏と出会う場面につながるんです。

N氏と会ってからの入会修業時代の話は前編後編と勉書1・2・3に詳しく書いてあると思うんで割愛させていただきます。

N氏と初めて会って折伏され、たしか3か月後には既に入会していましたね。
入会途絶期間にもかかわらず、貴方の後押しで入会出来たんで、N氏やYK氏なども間もなく私と裕子女史は会う事になるだろうという明るい意欲が顔に出ているような感じがしていました。
入会当初は鎌倉女史とフリマ荒らしをするくらいしか仕事が無く、YK氏の仕事をバイトで手伝ったりしていたんです。
その後、前述の通りに、初信の功徳で仕事の道具が手に入り前職を自営で始めたんです。
私は予想外に生真面目な所があり、朝7時に家を出て、夜22時まで営業して帰宅するのは23時半、そこから家でまた仕事という、他の業者ならやらないだろうブラック企業社員と同じ仕事の形態を律儀に守って仕事をしてしまって、気力も体力もすぐに限界が来てしまいました。
寝る時間すら乏しいものでしたね。 帰りの車を途中でコンビニの駐車場に入れてよく一時間ぐらい仮眠して帰っていました。
そういう頑張りはGPS監視で貴方一家に伝わっていたんでしょうかね?
仕事を生真面目にやっている時分は、ほんとに過酷で大変でしたが支援も手厚くされていたんで、300万ぐらいのものですが借金も1年半ぐらいで返済できました。
その返済出来た事を同志勢に報告してから、○○波照射での休業と業績低迷始まります。
借金も無くなり、仕事も順調となると裕子女史が私と会わないわけにはいかなくなったんですね、しかし、新しい人生への変化を恐れ始めてしまい、貴方に頼んで、○○波攻撃を強めて休業させ、支援も激減させたんです。
会わなくていい口実を捏造し始めたんです。
稼ぎも悪い、休みばかり多い怠惰なダメ男感を演出して来北しなくてよい状態を作り上げるのです。

この話はその転落工作が始まる少し前の事だったと記憶しています。
仕事が大変で会合とかも出るのが難しくなっていたんですが、貴方の働きかけもあった事でしょう、H氏やN氏などの協力で週末でなく普段日に会合を開いてもらったりしていて、毎月出席していました。 N氏と一緒に会合に行き、帰りにN氏夫人も交えて、お茶を飲みながらいろいろな話をしていました。 夫人は当時パートの仕事をしていたんで在宅でなくN氏と二人の時は裕子女史の事も当然話題になるんですが、T所で裕子女史が来ても巨大マスクで分からなかった事件などの後でN氏と貴方一家との交渉も難航しているらしく、「いつも真剣に彼女を見つけられるように気持ちを張りつめていなくてはならないよ」とか、石虎将軍の話などを例えにしたり、真剣白刃取りだって、ほんとに斬られる緊迫感があるから取れるんだ、北枕君は今真剣に彼女を想い続けていないから、来てもわからないんだろなどと、会うたびに説教される事が続いていましたね。
そんなN氏もYK氏もその当時は私から裕子女史に会いにゆく事を勧めて来ませんでした。 新生活への恐怖で逃げたい一心の裕子女史がそれは勧めないでくれと依頼していたのでしょう。
が、私としては、当然の流れとして、貴女の為に入会までしているんだから逃げ隠れしないでいいんじゃない?という理由でN氏に裕子女史の仕事場の前で待つ日時を伝え(入会時から貴方一家とN氏が裏で会っている事を前提に話をしていたんです。後はTwitterで発信してましたね)待って見る事にしたんです。


上記部を発信した次の日の朝、最強内破系照射されて久しぶりに昏倒させられ休業してしまいました。
周りに知られたくない事実が含まれているのでしょうね……。
前章最終章ではこの手の危害を加えられて休業している事への不満発信が35%を占めてしまって読みにくく内容が掴みにくくなってしまっています。
その反省からTwitterでの発信を挿入するのはひかえます。


一回、2回、3回と仕事場の前まで行って待ちましたが、人っ子一人安価勢も来ておらず、(たしか飛びものが寄越されてたかな?忘れました)N氏が裕子女史に伝えてくれてないんじゃないかと疑ったぐらいでしたね。
この頃は月に3,4回はN氏宅を訪れていたんで、また裕子女史いませんでしたよと報告すると、ああそうぐらいに答えるんですが、なんとなく予想外だったというような反応をするんです。
おそらく、N氏が裕子女史を呼んで会うべきだという話をしてくれていたんでしょう。
彼女も踏ん切りがつかないんだろう、どんな事でもタイミングが合わないとうまくいかないのと同じで来るまで待つしかないよと言ってから、話を切り替えました。
私は来ないのは話が違うじゃないですかぐらいに暗に伝えて、N氏は話はしたけど、彼女はああいう感じで気が弱いから、タイミングがあるんだよと暗に答えたんです。
N氏が裕子女史と会っているという事には触れてはいけないルールが出来上がってしまい、明示せずに暗に匂わせるように話をしていました。
私もそういうもんかもなと思い、裕子女史が話せる状態になる時を待とうと思ったんです。

そうして、たしか3回目か4回目に待った日に最終章で書いたXデーがやって来たんです。
失敗の話なんで、私は辛い記憶を忘れてゆくタイプらしく、薄れてしまっているんですが、車で行ったんで、たぶん雨が軽く降っていたと記憶している。
裕子女史の職場は敷地の奥の奥にあるんで長い私道を走った先にあるんです。
道が曲がりくねっているんで先が見通せず、車が職場の建物の前に来るまで視界が開けないんです。
その日、視界が開ける場所までくると、一人の50女が後ろを向きながら妙な動きで敷地の外へ向かって歩いてきました。
その時でも既に顔を見るのが3年ぶりぐらいだったんで、背格好は裕子女史に似ているな、しかし顔が見れないと確認出来へんわと車を減速させながら注視していたんです。
その50女の背後に見える物凄い闘気(北斗の拳とかで漢達の発する湯気や煙みたいに描かれるもの)に気づいて、この女、尋常ではないなとこれが裕子女史だったらどうしようと怖気づいていましたね。
ホントに闘気が見えるか見えないかは貴方次第です。
しかし、動きにもう激しい怒りがにじみ出ていたんでしょうね。
物凄く怒り狂っている事が分かりました。
減速していても20キロぐらいは出ているんで、すれ違う時間は3秒くらいのものなんです。
尋常でない50女が一瞬こちらを向いたんです。
紛れも無い、裕子女史だったんです。
目が怒りに燃えて、怖かったですね……。
裕子女史に会った事がある人ばかりが読んでいると思いますが、普通に美人は美人なんですね。 
今は美しさも衰えて久しい歳ですが、10年前は若き日の麻生祐未型のパン生地にふくらし粉をたっぷり入れて焼きあがった感じと言えば適当な感じの綺麗な女性だったんです。
だから、本人であることは間違いなかったんです。
そのまま私の車は建物の前へ行き、裕子女史は敷地外へ向かって行きました。
本人確認は取れたんですが、あの激怒している状態のメンヘラ50女とまともな話が出来るのか?と生まれてからあまり使われてこなかった計算機能をフル回転させて考えていました。
私道は400メーターくらいあるんで、すぐに引き返せば捕まえられる。
しかし、私の乏しい女性との交際経験上、あのくらい激怒している50女には、何言っても聞き入れないし通じないという答えが出ていました。

ここで私は失敗したんですね。
4回待って、所要期間一月半、N氏に暗に頼んですぐに出てきた。
同じようにN氏を仲介とすれば、また次のチャンスがすぐ来るだろうと判断してしまったんです。
心が平静な状態の裕子女史に会った方が、明らかにいいだろうとスキップする事に決めてしまったんです。

その選択が今の惨状を招いているんです。
しかも、そのときの裕子女史の激怒の原因は、私がN氏に暗に頼んだ裕子女史への催促だったのでしょうね。
N氏が裕子女史を呼んで、私にするように説教めいて話をしたことがあったのだと予想します。
N氏はうちの老母と同い年だったんで、普通に親の世代なんで、おかしくは無いんですが、裕子女史は深層に逃げたいという願望を抱えているんで、私と会えと言う第3者からの高圧的な提案に反感を持ったのだと今は思っています。
この機会を逃すと、N氏も裕子女史もこの方法には二度と乗らなくなってしまう最後の機会だった。

実際、この後二度と現れなくなりました。 
前編に裕子女史の近しい男女部長が次に待った時にアンカリングしていた事を書いていますが、そこにつながります。
この激怒裕子スキップ事件のあと、重ねて3回か4回同じように待ったんですが、安価人員がいるか、飛びものが寄越されるかで対応されました。

裕子女史のああいう感じは、もののけ姫のしし神さまだったか、かもしかの精みたいな、あれのイメージですよ。
もののけ姫見ると、あの時の事がトラウマになり、かもしかと猛る裕子女史がダブって動悸がするようになりましたよ……。

この時はお互いに歩み寄っている状態での私の完全な失敗です。
裕子女史は若い時は何度か私の前に来て話しかけられるのを待っていた事が有りました。(貴方は裕子女史に聞いてください、他人は関係ない)
それらも含めて、全部が裕子女史なりに精一杯の勇気を振り絞って行動に移して来た一大決心事だったでしょう。
話かけられないレベルの裕子女史がそこまでやっているんだから私や周りが受け止めるのがスジだったんですね。
私もわけわからんアホみたいな男なんで、ダメだったんです。
あの時、機会を逃しましたね。 
チャンスの神には前髪だけ生えていて、走って来る、それを待ち構えて髪を掴んで捕まえられなければ、過ぎ去った後では、掴む事が出来ないという話が有りますが、あれホントの話だと痛感させられています。
あの時、車を停めていなければならなかった。
通り過ぎてから思案しだした時点で負けていたんだと思います。
裕子女史がどんなに怒り狂っていようとも、結局、交際したらその怒りに何度も遭遇するわけだから、次の機会に逃げてはいけなかった。
何より、一度、お互いをよく知る事が出来れば、その後離れて行く事も出来たし、共に生きる道も見えてきたはずだから。

闘気・左の男は青の馬上の男からは赤の闘気が出ている画

実は4歳ぐらいの時に、不思議な夢だったのか現実だったのか分からない、今の状況を暗示するような経験をしているんです。
これは裕子女史にだけ伝える話なんで、会わなければ墓場に持ってゆきます。


激怒裕子スキップ事件後、4回ほど同じように待ちましたが、N氏との会話の中で待っても来ないらしいことが察せられたんで仕事場の前で待つことはやめました。
職場は役所なんで入ろうと思えば入れなくもないんですが、実は35年間に捜索凸入を40回はしています。 
40回中、一回だけ後ろ姿を見ましたね、話す状況ではなくどうにもなりませんでしたが、40分の1って少なすぎると思うでしょう? 
仕事中に突然私が現れて話しかけるという事態を一番嫌がっているようで、そのためにバイクと車にGPSを仕掛けて、私が職場に近づくと逃げられる体制を構築しているんです。
仕事場に私が接近すると連絡が行くようになっている。
(一度、同僚のおばはんに頼んで、潜入してもらい裕子女史に話しかけてもらいましたが、トラブルと見た女部長に首を絞められて外に追い出されたと言ってましたね)
職場の人間関係に変な波風をたてられると迷惑で、それも激怒の理由なんだろうと捜索凸入もやめました。
そうして一歩引いた形になると、裕子女史からの注文がN氏から伝言されるようになったんです。
それが顔色が悪いとか性欲が強すぎるとかの前編に書いたもの。
追われると逃げたくなる、逃げられると追いたくなる、やさしくされると切なくなってくるんですね。


N氏的にも私が裕子女史の仕事場まで行って待つという方法は、ああいう気の弱い人間には動揺を誘うだけで永遠に出てはこれまいと判断したんでしょうね。
で、裕子女史と会って北枕にはどうして欲しいのかと問うていたのではないでしょうか?
その話し合いが5回は行われ、内1回か2回は貴方も同席しているでしょう。
その席で、貴方主導で提案されたのが、私が折伏を成功させるという条件だったと考えています。
裕子女史は折伏どころか、私に話しかけられないぐらいのコミュ障なんで、そんな自分が出来もしない事を提案するわけもない。(私を折伏した事になっているやもしれませんが、いまだに話もしたことないのにそんなもん成功したで通るのか?)
10年間、中からどういう活動をしているのか見てきましたが、未入会の配偶者を入会させたとか、家族を入会させたという形が大部分で外部の友人を折伏したという話をほとんど聞いたことがない。(これは得〇数の減少を見ると如実に現れているんで証明できる。)
N氏は私を折伏した時、丁度70の歳だったが、N氏自身、自分が私以外の人を折伏した話をしていなかったんです。(忠さんに折伏された話は何度も聞かされたが。娘の都議だか区議だかがどこにいるのか教えて欲しかった) 難しいのも重々承知なんで自分から私に勧めるような事はしないはずなんです。

{N氏が伝言的に言わされることになりましたが、私への折伏のすすめは貴方が言い出した事だと思います。}


折伏する相手にはK氏が選ばれることになります。
そのK氏折伏事件についてはTwitterで詳しく書いていて勉書2にありましたんで、それを転載して話してゆきます。


キッズリターン


50年前、K氏とN氏は上大岡で同じアパートの住人だった。 
歳も近くN氏も、貴女も知っている通りの人当たりの軽さ、いや、良さ。
K氏は若い頃からチンピラぽいやんちゃな感じでうまが合ったのでしょう。毎週日曜の休みの日には近くのデニーズでコーヒー一杯で何時間も馬鹿話ばかりをしていたそうです。
20代の若い頃の悪友みたいなもんなんでしょうね。
キッズリターンというビートの撮った映画見た事あるでしょうか?
高校生達が成人映画館へ入るのに学生服を背広っぽくして、ちょび髭をマジックで書いて社長と社員に扮し鑑賞券売り場の中年女性を騙そうとするシーンがあるんですが、あれ見るとK・N両氏の若かりし日が連想されて私はひとり苦笑するんです。
K氏は湘南の地主的な実家を飛び出していが、お母さんがやんちゃな長男(K氏)をいつも心配していたそうです。
何かの拍子にまとまった借財を作ってしまったK氏。
デニーズでN氏にある策を持ちかけます。
N氏に借金の相手を演じてもらいK氏と一緒に実家へ行き母親から金を引き出すのを手伝ってほしいと頼んだのです。
人当たりの軽い、いや良いN氏はそれを快諾。
二人でK氏の実家へ金をせびりに行ったそうです。
N氏はK氏に金を貸している社長を見事に演じてK氏のお母さん何百万かN氏へ息子が迷惑をかけましたと謝罪して渡したそうです。

裕子女史…。 二人とも、K氏は見ただけかもしれませんが、N氏は結構良く知っている部類の人だと思います。
あのふたりが20代の頃にそんな芝居を仕組んで、中年女性を騙せると思いますか?
今、中年女性(裕子四十〇歳)となった貴女は、あのふたりが若い頃に同じ芝居したとして、騙されそうですか?
騙されませんね…。
その時のK氏お母さんの気持ちを思うと私の心は張り裂けんばかりに痛むのです。
自分の産んだ長男が、人当たりの軽い、いや良い同年輩の東北弁の男を連れてきて、この人から金を借りてすぐに返済しろと脅されている。
こうして実家まで連れてこられてしまった…。
というが、東北弁の男は脅すどころかにこにこしている。

どうみても息子が頼んで連れてきているようにしか見えない…。
だが、息子の顔には本当に金に困ってい相が出ている。
きっと、お金を渡せば息子は立ち上がる事が出来るんだ。
ここはだまされたふりして、お金をあげよう…。
がんばるんやでKよ…。
こんな感じだったのではないのでしょうか?

その頃もうN氏の所のお母さんも既にN氏と一緒に住んでいたそうですよ。暇だったら聞いてみな、昔のK氏の事を。

その30年後に私のバイト先の隣で、K氏は働いていてよく話すようになり、バイトをやめる時にいろいろ人脈を紹介してもらい商売を始めたんです。 
同じ会社の下請けみたいなもんだったのですが、いろいろ世話してもらったんです。
この時代の後半に鎌倉女史も、この会社の下請けとして参加し始めていました。
K氏とは17、8年前からの付き合いですね。
鎌倉女史も旦那さんが生きている時からで10年前から知っている人なんです。
その会社を辞めてからは年数回ぐらい本牧のK宅を訪ねるような感じでいました。
F市のD氏は鎌倉女史の昔からの知り合いで鎌倉女史から紹介してもらったんです。
で、貴女がダメ筋に依頼してしまったので、あそこでの商売は不発に終わりましたが、あの頃D氏を動かして〇大の仕事を私に譲るように頼んでいたでしょう?
あれも不思議な事が有って話が流れたんですが、その話聞くとマカ不思議な感じで運命ってあるんだなと思うと思いますよ。

F市の商売をたたもうとしている時は、もう今と同様の集団〇〇〇〇特級対象状態で色んな政党は来るわ、競合宗教団体は勧誘に来るわ、ヤクザの親分格も送り込まれて無限連鎖講的な組織も入り乱れて大変な状況になっていましたね。
あれも私の優れた文才ゆえの事だったのでしょう…。
(遠くを見つめながらつぶやく静太郎氏)
で、貴女も憶えている事と思います。
何より裕子女史が30代後半になっているし、タイミング悪く母の病気の手術が迫っていたんですね。
スマッシュブラザーズみたいな状態から立て直しを迫られていたんです。

その頃になると、再びネットにつながるようになり、事態を把握できるようになったんです。
だから大体の事は経験しているから自分の体験と照会していって知っていたんです。
K氏は、当時かなり顔が広くて、知人のつてで仕事をしていたりしていたんです。
その顔の広さで会員の偉い人を知っているだろうと思い紹介してくれと頼んで出て来たのがN氏でした。
人と人の繋がりというのは面白いもんで、どっかで誰かと結びついてゆき人生が形作られて行くのがわかります。
会員の偉い人を探したんですが、N氏は偉くは無かったが善人だった。
だから、私の今がある。
解決は出来なかったが、貴女がのちにうちへ来るのならN氏の功績なんです。
貴女、あの人への感謝を忘れてはいけませんよ。
貴女を墓参りに連れて行きたいですよ。
結果的に勉氏が私の周りで一番の有力者だったということなんでしょう。
N氏以外に勉氏に善意の忠言をする人がいなかったから解る事なのです。
余計なとばっちりはごめんだとでもいうように……。



特別攻撃隊 散華するメンヘラ達

内部で爆弾を抱いての体当たり特別攻撃部隊結成される!
飛行機に片道だけのガソリンを積んでの自爆攻撃隊。
嫁(い)き遅れた中年女性と男に酷い仕打ちで捨てられた悲しき女たちで結成されたメンヘラ部隊だ。
過酷な訓練を経てついに作戦決行、帰るところなき離陸の日が来ていた。

海に出て木枯帰るところなし… 
隊員たちは各々の恨みをぶつける男(敵艦)を必ず撃沈すると誓いあっている。
一人一沈を合言葉に袖を噛み噛み泣き濡れた苦しい訓練の日々を回想する者もいた。
出陣式の隊列の中央に際立ってメンヘラのオーラを発散させている中年女が立っている。
一番の古参兵(高齢)という理由だけで隊長に選ばれていた裕子女史だった。
裕子は隊員達が自分の沈める敵艦(男)の詳細を半ば嬉々として語り合う中でも、裕子が自爆する相手については語る事が無かった。
「後ろで薄ら笑いをする女」とインディアン調のあだ名で呼ばれた。
隊員たちは裕子の敵艦はきっと余程の機密性すらある超巨大空母の類なのだろうと噂し合っていた。
裕子はいつも行動を明らかにはせず、相手に察してもらうまで繰り返す系のメンヘラだっただけなのだが、終に周りは誰もそのことに気づくことが無かった。

攻撃機の全てに火が入り、飛行場を轟音が包みこんでいた。
搭乗員達が円を作り右手を中央で重ね合わせ中学バレー部的に掛け声をかけ一斉にかがみこみ、次の瞬間、全員の右手は空高く掲げられたのだ。
隊長の裕子が何かを叫んだが、エンジン音にかき消されて皆聴こえないらしく一斉に耳に手を当て聴こえないとジェスチャーをしている。
裕子はいい、いいと手を横に振り飛行機を指さし乗ろうと身振りで返した。
裕子の人生は幼少期より、いつも声が小さすぎて誰にも届くことが無かった。
いつも誰にも意志を伝えられた事が無かったのだ。
だから最後の日にも伝える事をあきらめるのだった。
皆が搭乗して、裕子が副長のメンヘラマキへ敬礼をすると、それを見ていた隊員達がお互いに敬礼を交わしていた。
ついに出撃の時が来ていた。
隊員達の胸には敵艦を撃沈するという闘志よりも、父母の名を叫び、残される家族を思うものが多かったと言われている。
加害への暗い欲望よりも、ここまで育ててくれた家族への愛のほうが最後にはまさってしまったのだろう。
一人の命を捨てて敵を屠るこの作戦は隊員達の心を救い満たす事が無かった。
素直に別な男へ乗り換え新しい人生を迎えれば良かったと今になって後悔する者が多くいた。
執念と悪意の化合は己の死として隊員達の目前に迫っているのだった。
整列して帽子を振りメンヘラ裕子隊全機が飛び立つのを見送ると、基地隊員達は普通戦闘機部隊を迎える準備にすぐさま移るのだった

それはまるで次の書類へ手を移す区役所職員の様に…

メンヘラ裕子隊、ついに眼下海原に黒い点の様に浮かぶ敵機動部隊を発見! 大物空母も3隻は確認できた。
訓練時から決められた戦術で隊長の裕子が最初に突入し、ついで2番機メンヘラマキ機、3番機と続くことが決められていた。
全機、裕子の突入を固唾を飲んで見守っていたのである。
自爆攻撃の戦果はメンヘラ度の薄い幸村薄美隊員が一機帰還し基地へ報告する。
薄美は3年後に予定されている次回攻撃への参加が許可されていた。
薄美は愛情を餌に男に騙され無限連鎖講的な販売法で自然派洗剤を70年分買わされ多額の借金をさせられた上に風俗へと沈められていた。
部屋に積まれた自然派洗剤の山を見る都度、男への殺意を増殖、育んでいた。
薄美にとって裕子は心から尊敬する強い女、いつも薄ら笑いで皆を黙って見ている憧れの隊長だった。
薄美機の前を裕子機が飛んでいるのだった。
裕子機は機体を左右に振り全機へ別れの挨拶をした。
薄美は声に出して叫んでいた、聞こえるはずは無かった。
「隊長、ご武運を!」
裕子機は遥下方の敵機動部隊へ向けて、矢のように急降下してゆく。
しかし、すぐに全機の上に?マークが浮かび上がった。
機動部隊群とは少しそれた、海原へと裕子機が向かっている事に気づいたからだった。
薄美は思っていたあの海の下に巨大潜水艦が潜んでいるに違いない。
「さすが隊長だ伊達に歳だけ取って年老いている訳ではなかった… インディアンネーム後ろで薄ら笑いをする女… 生涯貴女の事は忘れません、リスペクト。」
全機全隊員が薄美と同じ様に考えた事だろう。
それを証拠に?マークが次第に消えて行った。
裕子機が海水を撥ね退けて海面下の敵を沈めることが出来るか。
そこに焦点が移っていた。
薄美は目を凝らしていた。裕子機の突き進む先に何か小さい点、おそらく小さい小さいボートのようなものが見えたのだ。
全機その点、いやボートに気づいたらしく!マークが次々に浮かんでゆく。薄美はつぶやいた。

「隊長…まさか…」

裕子機の機影は遠く下方に粒の様に見えさらに小さい粒へ向けて突入してゆく。
薄美は戦果報告の為、機首を下げ旋回しながら双眼鏡で覗いて見る。

小さい点は拡大され、一隻の白いスワンボートが見えた。
何故か大海洋の大海戦場にスワンボートが紛れ込みペダルを一生懸命に漕ぐ静太郎が乗っていた。

全機、全メンヘラ隊員達が怒号とも絶叫ともつかない叫びをあげていた。
薄美も叫んでいた「スワンボートは報告出来ないぞー」
裕子機は音も無く、スワンボートへと吸い込まれるように突入し海へと消えて行った。
数秒後、海面が白く裂けて爆発が起こった。
それきりだった。

全機、裕子の最後を見た。
次の瞬間、新喜劇風に全機ずっこけて機体を揺らしていた。
メンヘラマキは号泣しながら海に出来た白い輪をみていた。
次に突入するはずだった、メンヘラマキ機はしばらく水平飛行を続け、全機に信号を送った。
「たたかいはおわった。かえりのねんりょうがない。ついてこい」

薄美機は折り返すガソリンを積んでいて基地へと帰還した。

メンヘラマキと隊員達がその後どうなったのか知る者は無かった。

薄美が裕子隊の戦果を過大に捏造したので裕子らはメンヘラ軍神として祀られた。
薄美の次の出撃を待つことなく、戦争は終わり薄美は除隊後、良き人と巡り会い一男一女をもおけて蒲田のはずれに住み87歳まで生きた。

                  了


裕子四十八歳心中未遂


私が文章をまとまった形式をもって書き始めたのは、車谷長吉氏の赤目四十八滝心中未遂という小説を読んでからだったと記憶しています。
あれ読んだ時に舌打ちして歯噛みして悔しい感情が沸き起こったのを憶えています。
「これは俺が書くべき話だ」と。
赤目~を読んでから、長吉氏のエッセイ集なども暇にまかせて図書館で大体読んだのものです。
ある本に長吉氏が俳句を詠んだら、付き合いのある俳家に盗作だと訴えられたという話が書いてありました。
猫がこたつに入って来る情景を詠んだものでした。
私はそれをみて、俳句めいたものを詠みはじめたのです。
もろにその訴訟問題作をさらにパクって「鍋囲み猫もちょこんと座りおり」こんなんだったと思いますが作ったものでした。
短歌も同時期に始めたのですが、それも長吉氏が同郷の大家塚本邦雄氏の歌から題名を付けた塩匙の壺という短編集を出していたからでした。
邦雄氏の短歌をネットで見るようになり、見よう見まねで詠んでいました。
その当時、深夜2時過ぎに藤沢から横浜まで片道25キロを仕事帰りに車で移動していました。
物凄く眠いんですね、で、何か文字数を考えて文を組み立てていると事故防止に丁度良かったんです。
でも何度か死にかけていましたよ。
短編集かなんかで長吉氏が書いていた話を思い出しています。
友人が精神病院に入院してしまい長吉氏が見舞いに行くと、友人は広い浴場で釣竿を持って浴槽に釣り糸を垂れている。
もちろん針もついていなければ魚もいない。
長吉氏はおかしくなってしまった友人を気遣い、平静を装って話しかける。「どう今日は釣れるか?」
友人は病人らしくボンヤリしていたのが、話しかけられたとたん、目を見開いて「釣れるわけないだろ」と激して言ったそうです。
心を病んだ知識人が世界に扉を閉ざしていたのを、長吉氏という友人の来訪により扉をこじ開けられ狂っていない部分の友人が姿を見せてしまったという事らしいんですが、今でもこうして憶えている位、印象に残っています。

裕子女史は現実世界に扉を閉ざしてしまっている。
私の存在は薄すぎるぐらいのものだが、関わっている時間だけは長い。
人生の大半を覆い尽くす大きさだと思います。
私にも裕子女史の扉の奥底の裕子を引き出すことが出来るのではないのか?
いつもそれを考えてやみません。

長吉氏が亡くなる数年前にTVで自身も心を病んでしまったと告白し、手を洗っても洗ってもやめられないと話しているのを見たことが有りました。
赤目~は普通に読めば純文学に分類される本ですが、なぜか直木賞を受賞しました。
その賞金で谷中とか千駄木とかあの辺に家を買って、詩人の奥さんをもらい住んでいたそうです。
ネットで調べると丸のままのイカを喉に詰まらせて窒息死したとの事。
素晴らしい作品を残した、面白い人がいなくなったと悲しく思いました。(長吉氏の死を知ったのは死後5年後ぐらいで、その間興味が薄れていましたが)


N氏宅にヤングK氏と一緒にこいと呼ばれ、誰かを折伏しないと裕子女史には近づけない。 
だから、誰かいい候補はいないか?と言う話になり、N氏と私の頭にはK氏が浮かんだのも当然の事。
K氏が私をN氏に引き合わせたのだし、共に15年、45年の付き合いがありました。
N氏も話をそこに誘導して行くので、私はその時「K氏は私をN氏に合わせた恩人だしK氏を折伏するのも仏縁といえるだろう。あの人を折伏しますよ」と宣言しました。
そこから、裕子一家のK氏への折伏根回し工作が始まったんです。
どんどん押して行けと言われK宅へゆくと
「なんか頭から腰まで痛くてしょうがない」
隣の住人が挨拶しなくなった、上の階の奴がなんか騒音を立てるとしおれて言うんです。
私は深く溜息をついていました。
そうして本当の信仰心を得られるはずはない…。

赤目~の主な舞台は赤目滝のある和歌山だかどこかではなく兵庫県の尼崎で、滝は最後に逃避行へゆくとこなんです。
物語の時代の尼崎は貧しい労働者が集まっている土地だったそうで、横浜でいえば品のいいバージョンの寿町みたいな描き方をされていましたね。
作中、貧民街のアパートでもつ焼きの串刺しのバイトを主人公がやるんですが、隣は売春婦の営業連れ込み部屋となっています。
串刺しの仕事をしていると薄い壁の向こうから客と女の動きが見てとる様に解るくらいに聞こえてきます。
女は文盲で身寄りもなく、身をひさぐほかに道のないどん底の境遇にいます。
そのアパートの住人と関係者は一刻館並に個性的な面々が揃っており刺青の彫り師や在日朝鮮人の美人とやくざのその兄とか日本の60年前の貧民街によくある住人構成。
(※ネタバレ注意~その美人がヤクザの兄の借金のかたに風俗へ売られる事になり主人公と赤目滝へ逃避行するが最後に兄の為に自ら身を落す)
この時代はどこでも貧しく大変だったのでしょう、日本のいたるところで似たような話が描けるような気がします。

N氏は山形の農家から集団就職で東京に来て葛飾区辺りで工場勤めをしていたと話していましたね。
そこで忠さんだか長さんという職場の先輩に熱心に折伏され、強引に会合に連れて行かれ大勢から熱く熱く説き伏せられ、入ると言うまで会合が終わる様子もないしもうやるしかなく… 
いや、同志たちの公布にかける燃えるような魂に触れN氏もすぐに信心に目覚めて戦いに加わったといいます。
N氏が亡くなる3年前に聞いたんですが、そのちゅうさん、もう80過ぎているんですが存命で、たまには遊びにこいと電話がかかって来ると言っていましたね。
昔は折伏する人の所へ数人で行って、嫌がって柱にしがみつく手の指を一本一本柱からはがして会合へ担いで参加させたものだと、全国の草創期を戦った老人などが懐かしく語るのをたまに見ます。
K氏の折伏工作の過激さも、それが、時代と共に進化していった様相の一つに過ぎないのかもしれません。
N氏宅へ行くと一枚の写真があります。
組織機関誌をコピーしたもんなんですが、体育館みたいなとこで床に小さい座卓を置き胡坐をかいて演説する●●先生。
そのすぐ前から奥まで整然と当時の男子部同志達が座って講義を聞いている写真。
その前から3列目にカメラマンの方を明らかに見ている笑顔の若き日のN氏。
なんであの人はカメラに微笑んでいたのか…。 
それはどうでもいいとしてほんの少し前までは組織も小さく、影響力も無かった集団が今日の姿までに上昇した。
その原動力となったのはあの写真に見て取れる指導者●●先生とN氏ら同志達との距離の近さ。
異体同心を実現させたのは指導者が共に戦ったからこそなのだと思います。

K氏は自分に起こっている事を薄々気づいていたのかどうか解りませんでしたが、すぐに入会を快諾しました。
私もN氏にどういう事をすればいいのか聞きながら御書を持っていきK氏に講義めいたものをしに行ったり、N氏もK氏を自宅へ呼んで説明と講義を繰り返していました。
入会式の日取りも決まり仏壇を私が買ってK氏にプレゼントしました。
それを運び込んだ日にいつものよう馬鹿話をしていると、一番安い部類の品でしたが数万はする仏壇なので、K氏も感謝の気持ちが口を緩めさせたのか若い頃の組織との思い出話を始めたのです。

話は私がN氏宅へはじめて訪れた頃にさかのぼります。
この間Kさんに紹介してもらったNさんに会って来ましたよと報告がてらにK宅を訪れたんです。
K氏はアパートの2階に住んでいて、1階の元ヤク中のおっさんと仲が良いのを知っていました。
彼は薬で脳を損傷状態との事。
いつもサッシ戸を開けてボンヤリ寝転んでいたので、階段の横からK氏は今日居ますかと毎回話しかけていました。
いつもは言葉すくな短かに単語いくつかで返してくるんですが、その日は私を見てなんか口ごもっているんです。
もう一回居るかと聞くとうなずいて、もう答えないぞと言わんばかりに寝転んでしまいました。
これはK氏と喧嘩でもしたのかなと思いつつ階段を上がって、K宅のベルを鳴らしました。
不承不承という感じのごそごそという音と共にいつもより痩せ衰えて見えるK氏が出てきて「おー、どうぞ」と招き入れてくれました。
K宅の部屋には広さに似合わない本牧のケーヨーD2で購入した29型ぐらいのでかいTVがあり、いつも大音量で見ていたんです。
その日はかしゃかしゃと草原を過ぎ行くそよ風の様な低音量が聞こえてきます。
ベットを見るとガラケーの小さな画面がTVを映し出していました。
「!?」
部屋の一番大きな壁を背に置いてあった29型TVはと目線を上げると、無い…。
すっぽりとTVのあった空間に瘴気が漂っているんです。
TVどうしたんですか?とK氏に問うと「欲しいって言う奴がいたから、あげちまったよ。今は携帯で見れるから便利だよな」と言いました。

K氏とN氏は上大岡のアパートで知り合い友人となって、どちらが先にそのアパートを出て行ったのかは聞いた事がありません。
違う所に住むようになって長く合わない期間が会ったそうです。
十年に一回ぐらいたまに連絡取って、K氏がN夫婦に会いに行ったと言っていましたね。
それでまた10年程連絡もしないで連絡先も紛失したころの事。
K氏は日ノ出町のJRAウィンズの通りで仕事をしていたそうです。
歩道に立ってG1レースに人生を燃やす人の群れを眺めていると、一人の同年輩の男が馬券に異様に目を近づけて熱心に眺めていたそうです。
2人の間は4フィート半。(おしゃれな感じで表現)
馬券の男が、ふとK氏の視線を感じたのか視線をあげる。
その馬券の男がN氏で有ると気付くまで2秒半。
二人同時に声を挙げる。
それが互いに老いた2人の十年ぶりの再会でした。

K氏入会後、間もなくN氏とK氏は仲違いしてしまいます。
K氏にとっては40年前の二人で実家に金をねだりに行っていた頃と同じ様な感覚でいたのだと思います。
でもN氏には奥さんはもとより子も孫もいて、当時のN氏とは違った立場に立っていたんです。
K氏にはそれらの背負っている存在が無かった。
入会も諸事、条件がより有利になる肩書みたいなものと捉えていたのだと思います。
N氏はK氏と表向きは連絡を取らなくなりましたが、私や地区人達が間に入っているだけで、実際はN氏がよろずK氏関連の端緒を形作り動いていました。
私は組織について右も左も判らない状態なんでどうする事も出来なかったんです。

ある時、K氏が仕事をすっぽかして現場に来なかったと電話をもらいました。(共通の知り合いの所で働き始めていた)
17年間、K氏が仕事を無断で欠勤したという事を聞いた事が無かったんで、すぐに電話しましたが一日中連絡が取れない。
とうとう霊山へ…と思い次の日、すぐに本牧のアパートへ向かいました。
1階の薬中のおっちゃんも珍しく不在で何が起こっているのか見当もつかない。
K宅の呼び鈴を何度鳴らしても反応が無い…。
ドアの上に電気のメーターがあるんですが円盤見たいのが回っている。
冷蔵庫で消費して回っているだけなのか。
電気点けっぱなしだったらおそらく自然死しているに違いない…。
郵便受けに耳をあてて、中の音を探ってみる。
が、安普請すぎて複数の部屋の音が小さく聞こえる。
心なしか死臭めいた匂いがする様な気がしてきた。(薬中のおっちゃんの部屋はいつも異臭を放っていた)
心の清廉さ際立っていた私の頭の中でK氏死亡説が増大していきました。
このアパートは隣に大家さんが住んでいてこの一帯の地主で石油王が乗る様な車が車庫に置いてあるとK氏から聞いていました。
K氏の亡骸を発見せねばと鍵を開け部屋に一緒に入ってもらおうと大家邸の呼び鈴を鳴らしました。
すぐに老女の声で応対され、私はK氏の知り合いで、K氏が仕事を休んでいる事と、電話にも出ない、80近い老人だから何かあったかもしれない確認してくれないかと話しました。 
かなり深刻な案件だと思うんですが、毎度どうも、いつもの事だと言わんばかりの口調で即答されました。
アパートの前で待っていてくれと。
その日はK氏の死を悼むかのような曇天。
天も涙を流しそうだなとK氏の部屋の窓と空を見上げていました。
突如、影が私の前に現れると同時に小柄な半グレというかチョイわるな男に胸ぐらを掴まれて持ち上げられました。
私は晴天の霹靂、いや曇天の半グレ、呆気にとられていました。
「この野郎、何の用だ!」
一応話を聞いてくれるんだと心を落ち着かせて口を開いた途端
「何の用だって言ってんだよ、この野郎!」
また私が話そうとするとより一層胸ぐらを掴んだ手を強く握り
「何・か・用か・この野郎」とゆっくり恫喝されるんです。
そうしているうちに若い女が大家邸から出てきて、半グレに何か耳打ちするんです。(娘と思いましたが、後で聞くとそうではないらしい…)
女が来て何か自分が勘違いしているらしいことを気付き始めたらしく、掴んだ手を放して口調を改めてまた言うんです。
「で、何の用だ」と。
半グレは私が金融屋の取り立て要員だと思っていたんですね。
取り立て員って、竹内力の手下ヤスとか牛島金融のチンピラとホストくずれみたいな感じの風貌が一般の認識。
私は、縁故入所の使えない村役場職員とか鮪を獲れない所をTV番組にされる鮪漁師みたいなオーラを漂わせている男です。
取り立て人員要素は皆無に等しい。
半グレは頻繁にK宅を訪れる取り立て屋に煩わされて怒り心頭だったのでしょう。
K氏を訪ねてくる男は皆金融屋に見えていたんでしょうね。
29型TVも、賭博のみやの負けた借金の形として奪われていたんです。

K氏自然死事件は私の誤認、K氏が取り立てから身をかわすために失踪していたと言う事で解決されました。
が、K氏を取り巻く諸問題はより一層、色濃く私や関係者へと影を落とし始めるのでした。


赤目~の作品中で主人公の住むアパートの隣の部屋の売春婦は客を連れ込んで自室で体を売って生活しています。
主人公が串刺しをしていると、薄い壁越しに隣で客を取り、少しの会話ののち行為に及び始めるのが聞こえてきます。
女は客に抱かれている最中に何か呪文の様なものをぶつぶつと念じているのが聴こえます。
赤目~は映画化もされていて借りてきて見た事あるんですが、その呪文を山手線の駅名を順につぶやいている事に差し替えられていました。
変えざるを得ない事情がある事が解ります。
実際はどうだか知りませんが、赤目の時代背景は昭和40年代前半の様に私は読んでいました。
敗戦時、子供だと20代半。 戦争未亡人や成人してると40代半。
作中の主人公の仕事先のもつ焼き屋の女主人はパンパン米兵相手の売春婦だった過去がある設定だったと記憶しています。
隣室の女はN氏やK氏と同じ世代の設定なんです。
何かのっぴきならない理由で教育も受けられず、都会の貧民街へ流れてきて身をひさぐしか生きる道が無くなってしまっている極限の境遇。

その辛くて仕方がない、心も崩壊寸前に置かれた体を売る行為中に唱える言葉とはなんだったのか…。

女が一筋の光を掴む様に何とか救われたい、ここから這い上がりたいと唱えた言葉は何なのか。


K氏自然死疑惑事件の後、私はN氏の所へ行き事件の事を話したんです。
N氏は私と会ってから、次々と病気になるなと冗談めかしてよく言っていましたが、実際に5か所の病院へ見舞いに行きましたね。
この時も戸塚か磯子の汐見台の病院に入院していて見舞いに行ったのです。誰もいない待合室へ行って2人だけで話をして窓から凄い鮮烈な色の夕焼けを見たのを憶えているので汐見台だったのかもしれませんね。
K氏の事件の事を聞くと、「自分とKとの仲違いの原因もそれだ。あいつは自分の持っている金でやりくりできなきゃしょうがないよ」と言っていました。
私が「Nさんも知っているとおり、あの人が(K氏)人並みに信仰心を維持してゆくとは想像できないな。どうすればいいんですかね?」と問うと
N氏は昔近くに住んでいた同志の話をし始めるんです。
今はハワイに住んでいて、現地組織に属している。
十年前くらいに子供と孫を連れて日本に観光旅行に来たんだが、上大岡のN氏の店を旅行中の一週間ずっとホテル代わりにして泊まっていったんだ。
孫なんか英語しか話せないし…。 
別にかまわないんだけど、何しろ1週間連続で宿代わりにするとは思わなかったよ。
子や孫も現地の組織に属している福子。
その同志とは女の人。
お婆さんになっているんだけど、一緒に唱題し終わったあとでしみじみと言うんだ。
若い頃は半信半疑、毎日唱題しててもどこか地に付いていなくて、現実感が無かった。
でも、この歳になってやっと心からのお題目を上げられるようになったと。
そのお婆さん、二十歳ぐらいの時に入会。
50年お題目をあげ続けて、幸福を手にした今、やっと心から祈る事ができるようになったと吐露したんだそうです。
その話につづけてN氏は語るんです。
一眼の亀の話をしてくれました。
(コピペするのは容易だが長くなる。各自検索されたい)
正法に出会えたことが奇跡。
正法に帰依するのも奇跡。
退転は当然させないが、金の面倒を見るのは会則に反している。
K氏も心からお題目を上げる日が来るから、心配しないでいい。

N氏の寝間着姿を、その3年後亡くなるまで頻繁に見るようになるんですが、この日は窓から夕陽が望まれ、N氏の姿が影で浮かび上がっていて強く印象に残っています。

入会から1年後、K氏の公営住宅入居が決まった。
6畳に置いてある一人住まいの荷物なんで、業者を頼まなくても出来そうな気がしたので、私が運んであげると申し出たが、マル秘資金から出せるから手伝わないでも大丈夫だと言っていました。
最後に部屋の掃除をするからその後に転居先まで車で送ってくれないかと頼まれたので、引っ越しの日に本牧のアパートに迎えに行きました。
指定時間前についたが、K氏は既に掃除を終えて、階段に座って1階のヤク中のおっちゃんと談笑していました。
ヤク中氏は見た感じはヤクザそのもので、パンチパーマがきっちりかけられた筋ものヘア、服はいつも黒のシャツと黒のズボンに安手の皮を編んであるベルトで締め上げていました。
いつも同じ格好していたので、あれ系統数着しかなかったのではないかと今は思っています。
若い頃はその世界で生きていたという、名残りが焦点の定まらない世界不覚状態の今でも見える人でした。
K氏の人物像をどういえばいいのか…。
一言でいえば、物凄いたちの悪いバージョンのフーテンの寅さん。
ヤク中を佐藤が次郎とすれば、K氏はまさに寅さんの方だったんです。
この日もヤク中に自分は良い所へ行くんだと言わんばかりに退去演出したのではなかったのか…。
それでも、長く上下で一緒に住んでいたので、別離の悲しみの空気感みたいのが、2人の老人間に流れていました。
電話してくれ、遊びにこいよ、俺も連絡するぜと畳み掛けるように言ってK氏は車に乗ります。
車を出していいかと私が聞くと「おう、いいよ」
シートベルトを締めてもうヤク中氏の事は振り返らないのです。
バックミラーにぽっんと階段に腰かけているヤク中氏が見えました。
私は思っていました。
ヤク中氏はK氏の金と女、そして賭博と酒が、ごった煮になっている負の世界の半身みたいな存在だったな、離れるとK氏の前に白鳩が高原のペンションの可憐な花の蜜を吸っている光の世界の新しい半身が現れ負世界の影を払拭するのではないか。
もう元には戻らない方がいいだろうと。

細い道からやや広い道へ出て南へ走っていた。
K氏は左手の中華料理屋を指さして言いました。
「あそこ、俺何度か食べに行ってるんだけど、最近親父の姿をみねぇなぁ。店も閉まってるだろほら!あのおやじ死んじまったんじゃないかと俺思ってんだよ」

「へぇー、で、あそこ美味しかったんですか?」
と聞きながら私は本牧の大通りへとハンドルを切りました。

N氏はK氏の公営住宅入居に前後して次々と体から病気が見つかって行きました。
結局、K氏は入居した時に本牧よりも近くに転居したと言う事でN夫妻の元を私と2人で訪ねたのを最後に亡くなるまで会わなかったと記憶しています。
二人でお通夜に行ったのが、K氏とN氏が再会の時だった。

N氏が某総合病院から●●区の某がん専門病院へ転院したと聞いて見舞いに行きました。
会うと以外に元気そうで、いつもの様にひょこひょこと足取りも軽く待合室へ向かい2人で話しました。
そこで、小細胞がんが見つかった事を聞きました。
私の父も小細胞がんで亡くなっていました。
小細胞というぐらいなんで細かくて手術で取ることが出来ず、放射線と薬物治療を行う事になります。
N氏は小細胞がんの脅威を語るわけではなく、この病院の場所が自宅から遠すぎて、うちのお母ちゃんが大変なんだとしきりにぼやくんです。
そんな話をしている時に私は階段の方を向いて待合室の椅子に座っていたので、階段を駆け下りる裕子女史を見たんです。
N氏からは見えないんですが、私が「あっ」と言って立ち上がろうとすると、N氏はまあまあとなだめるようなそぶりをして座るように示しました。
これは要するに全部裕子一家の書いた脚本をN氏もその出演者として企画実行されている話の可能性が有るなと感づいたんです。
(実際はN氏は2年後癌で他界するので演技ではなかった)
N氏に「今、裕子女史っぽい中年女が階段を駆け下りて行きましたよ」と言うと「ほぉー」とゆっくり階段の方を見て話し始めるんです。
「北枕君、地球はどんな形してる?」「丸ですね」「丸い地球の上を追っかけこして捕まえられる?」こういう児戯に例えて話す事がN氏はよくありました。
私は毎回めんどくさいなと思いつつも裕子家との間を取り持ってくれようとしているN氏に真面目に付き合っていたんです。
「丸くて同じスピードだと永遠に捕まりませんね」
「でも地球には山も谷も海も川もあるんだ君が得意な場所で●●さん(裕子女史)がのろのろしている時に捕まえればいいんだよ」
私は思っていました。 能書きはそれでいいけど裕子女史はもう四十〇歳の中年女なんだから、もう長い脚本をぽかんと口を開けて見ている場合ではないんだよと。
私は父が同じ小細胞がんだったとN氏に話をして、薬物と放射線の治療だから、神の手みたいな凄腕外科医の出番は無いと思うし、自宅近くの前の病院に戻っても良いと思いますよと話をしました。
その時も無くなる一週間前に会って話した時も言っていた米倉涼子が医者を演じているドラマの話(私は見た事無い)をして「あんな広末涼子みたいな医者がいて”私が治します!”なんて言ってくれたらいいのにね」と米倉を広末と間違えるN氏の冗談を憶えています。

続きはあす
ヤク中、星になる。K氏闇にまた堕ちるの2本です
みんな楽しみにしてね♡

それを言った後で私が「広末じゃなくて、米倉ですよ」と突っ込みをいれるのを今か今かとしばらく黙って待っているんです。
亡くなる前に会った時も同じ様に待っていましたね。
そんなおちゃめな老人でした。

癌発覚の半年前ぐらいにN氏は前述の支●壮〇長に昇進していました。
2代目●●会長は組織を構成する戦中世代を意識して各グループの長を部隊長となずけたそうです。その後、改称されるのですが概ね前段を踏襲していて地区●長は軍曹、その下は伍長と曹長に該当。支●長、〇本部長は中尉少尉で中隊長。大尉、少佐が本●長で大隊長。地域のトップは大佐、少将で師団長みたいな感じでしょうか、N氏は給食係の大尉みたいなもんになったのです。
癌発覚時にはもう組織の命令系統に完全に組み込まれて、それ以前のおおらかさは失われていきました。
大尉の位では勉氏の力に及ばなかったんです。
私もそれを悟って、頻繁に遊びに行っていた緊密な時代が終わり、N氏の元を訪ねる事が無くなっていきました。

赤目~をこれを書くに当りもう一回読んでみようと(多くの人が読むので企業名を伏せ字にします)B●●k●ffで単行本を2百円で購入していたので、収納ケースの奥の奥からひっぱりだして、いろいろ確認してみました。
ぜんぜん違うやないかい…。
10年以上前に読んだものとはいえあまりにも誤認詐述が多すぎた。
隣の売春部屋は複数人の共同営業部屋だし、40代の女がそこを使っている。
私の書いていた事が整合性を保てなくなり、意味が通らなくなる。
如何に、そこへこじつけてやろうかと言う、自分の浅はかさを恥じ入るばかりです。
ぱらぱらと読んでいくと、最後にどっかの駅で主人公とヒロインの女が別れてゆく所が描かれ、その章は終わります。
次のページから主人公がその後、東京へ戻りサラリーマンなどをしていて10年後に、尼崎の女やなんかと出会ったアパートを訪ねるシーンが短く描かれます。
それで全物語の終りとなるんですが、私が昔読んだ時はもっと長く描かれていたと記憶しているんです。
長吉氏の他の作品はこういった場面転換見たいのがほとんどなく、話が自然に進行してゆく形式ばかりで、この作品の最後は長吉氏の書いた物にしては不自然極まりない印象があったからでした。
逆に言うとここに感銘を受けていたのでしょう。

因縁の地にて「私は闇の中に立っていた。」で終わる物語に。


N氏を訪ねてゆく事がなくなるにつけ、K氏と会う事も同じだけ少なくなってゆきました。
私にとっては二人とも先輩であり友人だったので、そうなってゆきました。
K氏を公営住宅入居1年後くらいに訪ねました。
その間にも短い時間数度訪れていましたが長く話す事は無かったのです。
前来た時には入会時の記念写真や資料を壁にでかく貼ってあったのに全部はがしてあり、私がダイソーで買った総額千二百円のしきみの造花も消えていて仏壇の間が殺風景な印象を受けました。
「あの造花どうしたんですか?」と聞くと
「ああ、もう捨ててやったよ。写真とかは取ってあるけど」
まあこの人の事だから地区の人に、N氏にした様にいらん事を頼んで断られたのを逆切れでもしているのだろうと思いました。


法華経の行者は信心に退転無く身に詐親(さしん)無く、一切法華経に其の身を任せて金言の如く修行せば、慥(たし)かに後生は申すに及ばず、今生も息災延命にして勝妙の大果報を得(う)、広宣流布大願をも成就す可きなり

倩(つらつら)世間の体を観ずれば、人皆口には此の経を信じ、手には経巻をにぎるといへども、経の心にそむく間、悪道を間、免れ難し。譬(たと)えば人に皆五臓あり。一臓も損ずれば其の臓より病出(い)で来て余の臓を破り、終に命を失うが如し

一生はゆめ(夢)の上、明日をご(期)せず。いかなる乞食(こつじき)にはなるとも、法華経にきずをつけ給うべからず。

此の経をききうくる人は多し。まことに聞き受くる如くに大難来れども憶持不忘(おくじふもう)の人は希(まれ)なるなり。受くるはやすく持(たも)つはかたし。さる間、成仏は持つにあり。

相構え相構えて、強盛の大信力を致して南無妙法蓮華経・臨終正念と祈念し給へ。生死一大事の血脈此れより外に全く求むことなかれ。

金を吐くようにしてお題目を唱え続け、身の回りを金色に染め上げて見せなければ何一つK氏に利する事など起きないのでした。
私が出来る事はK氏の幸福を祈り、そしてK氏自身が祈り始める事を強く勧めるしかなかったのです。

N氏が言っていたようにK氏が心の底から祈る日は本当に来るのか?
2度目の奇跡として再び正法と巡り会う、不思議な強運の持ち主なんだから、その日もいつかは来るだろうとボンヤリと考えるのです。

「そういや、本牧のアパートの1階に住んでたあのおやじ(薬中氏)憶えてんだろ。あいつ、あのアパートを出て、日ノ出町のすぐそばに引っ越したんだよ。」
薬中氏は半グレが画策した迷惑住人追い出し計画によって、移転費用でも出してもらったのか、引っ越していたのです。
「へーあの人元気でやってんですか?」
「いや、一回訪ねて行った時は元気だったんだけど、この間、行ったら空き室になってんだよ。ほら、空家になるとドアノブに良くかかっているビニールに入った電気料金の冊子あんだろ、あれがかかっていたから、居なくなったのは間違いない。俺、あいつ死んじまったんじゃないかと思ってんだよ」K氏らしくも無く、寂しげに言うのです。
私は思っていました。 ヤク中氏亡くなられたのかな。
しかし、K氏もやっぱり元の世界へ内心戻りたいのではないだろうか?負の重力みたいなものに引き寄せられるんだろう…。


K氏がいくつかの路線を乗り継いで、日ノ出町に降り立った所を想像していた。
駅前の街道を一本それると、細い路地に古いアパートが密集している地域が在って薬ちゅう氏はそこに本牧から転居していた。
K氏は蛾次郎と寅次郎の関係であっても手土産を忘れなかった。
駅前のコンビニに入りで団子とおーいお茶を2本買った。
正午の繁華街に昼食を求めて歩く人の群れが、K氏とすれ違い消えてゆきました。
K氏は通常の世界の流れとは逆に進むしかなかったのでした。

アパートの前に立つとドアノブに空き室のビニール冊子がかけられている。

幾度も呼び鈴を鳴らしてみるが薬ちゅう氏が出てくることはなかった。
1階は裏が狭い物干し場になっていて、サッシのガラス戸になっている。
本牧時代の薬ちゅう氏はいつも同じ戸を開け広げて寝転んでいるのが常だった。
K氏はカーテンの無いガラス戸を覗きこみ、がらんとした何もない暗い部屋を見る。
K氏は闇の中に立っていた。
                   了


なんか余計な話も転載してんじゃないのか言われそうですが、メンヘラ攻撃隊の話も、裕子女史が私を不幸にしたところで物笑いの種になるだけだという現実を描いているんで重要なものと考えています。
自分で書いたんでしょうが、完全に忘れているんで、不覚にも笑ってしまいましたよ。 私って、やっぱ才能のある人なんですね。


K氏折伏事件について、書いてゆこうとしたら、また裕子女史の異常な逃げる理由の捏造が始まっているようなんで、書いときます。
これはいろいろ厄介な部分を含んでいるんで貴方と貴女にだけ分かるように軽く書いてゆきます。
おそらくやらかしているんでしょうから、大体読み取るでしょう。

今朝、起きると老母が躁状態で様子がおかしくされていたんです。
この人体ハッキングとも呼べる、電波とか電磁波で対象の思考を乗っ取り、意のままに動かすという技術は見たものにしか分からない事なんで、現実に存在するか、しないかはあなた次第です。
某所のお客さんが完全な躁状態で目がどこかおかしい色を出していて猥褻な言葉を道行く女性に話しかけ続けているのを見て、完全にイカレとるなと認識した一月後に同じ人が来たが、ごく普通で全然まともだったという事がありましたね。その後なじみの客となっていた。
そういう人を見た後である日にN氏宅を訪れると、N氏の様子がぼーっとしてしまっていて、眼の焦点が合っていない日がありました。
完全に普通のN氏では無いんです。
これはあのお客さんと同じなんかの工作の一環くさいなと、N氏に今日はなんかおかしいですよとは指摘せずに噛み合わない会話を続けたんです。
40分ぐらいで普通に戻りましたね。
薬物か○○波でのコントロールと見ましたが、両方くさいですね。
3人とも薬を服用しているし、○○波で外部から作用できる状態を薬で作っている可能性が高い。
で、躁状態の老母はおもむろにTVを付けて、普通なら絶対に見ない真面目な「子供を作らない生き方を選ぶ夫婦が増えている」という謎の番組を見始めるんです。
こんな番組を老母が見るわけがありませんから、やはりなにかコントロールされているんですね。
で、会話が噛み合わないんです。
前にも同じような状態でいる老母を見ています。
その時は、裕子女史に当てはまる条件について、私に唐突に聞いてきて、そういうの気にするんじゃない?というんです。
なんか上で裕子女史が老母を操っているように見えたんで、「逆にそういうのを気にしないの分っているから私だったんだろ?」というと黙ってしまい20分後に普通の老母に戻りました。
今日のは「子供を作らない生き方を選ぶ夫婦が増えている」という番組を私に鑑賞させ、私の心に作用させようとしていたのではないでしょうか?

なんか雲をつかむような話になって来て、なんとも話ずらいんですが、TI対象になると、そんな事日常茶飯事ですからね…。
私の場合、同志国会議員とかが動員されているから、まあやりかねないというのはあるんで話を進めますが、貴女、先の事はあまり深く考えないで進んで行って下さい。
TVとかラジオとかを動かす力があるのなら、日常の困難なんか、軽く収める事が出来ますよ。
貴女は力の使い方を完全に間違えているんです。
貴女の新生活への恐怖心が困難が訪れるという予想を捏造していて、それを大掛かりな工作仕掛けで私へ説明したり、知らせたりすることに巨大な力を使ってしまっている。
そんなもん、それこそ話せばいいだけじゃん、ばかじゃねーのそのものですよ。
貴女、今自分が立っている場所を見回してください。
貴女は何も持っていないし、一人で孤独にぽっんとしているだけなのが分かりますか?
話を先に進ませないと、貴女はそのままそこで死んでゆくことになります。
子供がどうとか、犬をどうするかとか、老母との関係はとか、そんなものなりゆきにまかせればいいでしょ?
子供が出来る歳ではないから、それはなんか孤独死対策を考えて行くしかないし、犬なんか、うちはウサギ、リス、モルモット、ウズラ、ニワトリ、犬、猫、あらゆる魚類を飼っていたから、その場所が犬を飼育可なのかの問題だけですよ、老母は貴女よりも苦労してきているから、会ったら会ったでうまくいくんですよ。
しかし、すごい一家と縁があったもんだと思いますね。
明らかに貴女のいつもの逃走癖の発露にしか見えない、しょうもない工作に許可を与えてしまうんですから、まいりましたね。

貴女が今、逃げ口上を捏造する為に使っている力を金銭に換算すると1億ぐらいになる。 その1億を無駄で浪費しているんです。
その1億を子供なら科学の力で貴女が産むとか、親族から養子をもらうとか、犬なら家自体買えるから家買えばいいし、老母には手厚く孝行して最高の施設にでも入れてあげられるでしょう。
力を換金する方法の一つが商売なんです。
逃げ口上の捏造と説明という無駄な事に力を使わないでください。
先の事を考えて、勝利を掴むためにその力を使って下さい。


裕子54歳心中未遂でK氏の折伏にN氏が主に動いていた事を書いています。
あれを書いたの19年だから3年半前でN氏は既に亡くなっている時なんです。

K氏の折伏に際して何度もN宅でN氏がK氏に御書講義みたいなものをしていました。
私は遠くで仕事してましたね。
N夫人も若い時からの知り合いなんでパートが休みの時は3人わきあいあいとにぎやかにやっていた事でしょう。
私は、まだ入会1年経ったか経たないかぐらいの事で、何をしてよいものやら見当もつかない状態でした。
N氏が全部お膳立てしてくれていて、私は言われた通りにしていただけだったんです。
それでも、仕事が前述の通りに過酷な上に時間がなく疲れ切っていたんですが、N氏の指導の通りに懸命にこなしていました。
本当にいろんな面で大変な時でしたね。
N氏は自分が折伏した話をしなかったと書きましたが、折伏にも色んな形があり、一から十まで全部一人でやる人もいるだろうし、入会しそうな人を地区に連れて来るだけで、後は婦人部勢が全部やってくれたという事を折伏した数20人だか30人だかの所属区区〇が言っていたのを憶えています。
その人の性格で、やり方が千差万別してくるのだと思います。
N氏の性格上、強引に人を会合に連れてくるような形はしなかったと思うんで、やんわり連れて来てあとは同志達とグループで行動していたのではなかったか? 
私の入会時も狭地域のN氏と懇意の幹部勢が会合に来て、古めかしい折伏要綱本を持って私が何か質問をした場合に備えていましたね。
グループを作って折伏に当たるんです。
さらに手柄を主張するタイプでもない。 私の入会も裕子女史と手柄を折半している可能性もあるくらいです。(私は裕子女史と話した事もないんですがどこをどうすれば折半されるのか?)
だから、過去の折伏成功ばなしはしなかったのだと思います。

度度の御所領をかへして今又所領給はらせ給うと云云、此れ程の不思議は候はず此れ偏に陰徳あれば陽報ありとは此れなり。

陰徳を積もうとする人だった。

で、K氏の折伏もN氏がほぼ全部仕切っていたんですが、手柄は私のものとなった。
全部を私に与えたのは、初めて会った時に私が裕子女史と会うために来たという事を言っているんで、折伏して、信心の親の立場として私の願いを叶えるために尽力してくれたんです。
貴方が折伏の成功を私と裕子女史を会わせる条件としたんで、私利私欲を入れずに、私との約束を守ろうとしていたんですね。

ここで重要なのは、貴方と裕子女史父娘が私の折伏成就を条件として出してきている事をN氏が事前に私に伝えている事です。

N氏と私の間では、前述のように明示しないが、暗に仄めかすような話し方で貴方一家の伝言を伝えていました。
暗示させると言っても、仕事着が汚いとか顔色が悪いとか性欲が強すぎるとか、若い娘の方がいいんじゃないの?とかってN氏が第三者の意見として私に伝えてくる限り、伝言の主は貴方一家の誰かしかいないんですけども…。
それを聞いているんで、私は時間も無く仕事も過酷だが、その中で乾いた雑巾から滴りの一滴を絞り出すようにして、K氏折伏の時間を捻出して行きました。
この大変過酷な時間が一過性のものであることを信じて走り抜けるしかなかったからです。

転載したK氏折伏物語にK氏にTI手法が使われていた事を書いています。
この時、私はTI手法でK氏がやられ始めた事をN氏に伝えに行ったんです。
N氏は知らない事であったようでしたね。
折伏対象にTI手法を使用する事例を知ってわいるが、K氏に使用することを聞いていなかったというような感じ。
その後、N氏が実行部隊に話をして、TI手法を軟化させたものと思いました。
私に対するものもK氏に対するものもTI手法の使用許可を出していたのが、貴方一家である事が分かりますね。
裕子女史の○○波使用の意味は前述の通りの3つなので、K氏に対する○○波の使用許可は3つに当てはまらない。
K氏は裕子女史にとっては、どっかのおっさんに過ぎずどうでもいい存在だった。
つまりは貴方が使用許可を出していた事が分かります。
TI手法の使用も貴方が指示していて、それをひっくるめた私の折伏成功という条件も貴方が提示した事なのが見えてくるんです。
貴方も私の折伏を支援してたんですね。

で、K氏は最短で入会することになりました。

この時期に「K氏折伏成功事件」と「激怒裕子スキップ事件」と「裕子巨大マスクで初めての会話事件」と「借金返済からの○○波激化低迷開始事件」の一大転換期を予感させる4大事件が相次いで勃発する事になります。

この4大事件の前後関係が記憶から消えてしまっていて、どうしても思い出せないんですね。
結構、記憶力は優れているはずなんですが、トラウマになったり過酷すぎて思い出したくない時期なんでしょう。
「裕子巨大マスクで初めての会話事件」
「激怒裕子スキップ事件」
「K氏折伏成功事件」
「借金返済からの○○波激化低迷開始事件」
たしか、この並びで起きていたと記憶しています。

裕子女史が一大決心をして、T所の仕事中に会いに来る事にしたが、なんか心細いんで顔の半分を覆う、コロナ禍でも見かけないレベルの巨大なマスクを着用してしまい、全く私に気づいてもらえなかった。
それを貴方に報告したが、マスクの事は伏せて、いつものように私を腐す方向で会話を成り立たせてしまい、最後には裕子女史が逆切れして私が全部悪い事に帰結した。
その後、N氏に呼ばれ裕子女史がN宅を訪れると、私が待っているのに来ないと不満を言っている事を伝えられる。
ついでに、貴方とN氏は同世代にもかかわらず、貴方は裕子女史に同調し私に責任を擦り付けてくれたのに、N氏は説教めいて、今行かないともう貴女は歳が歳だよぐらいに言われ、不愉快になる。
その不愉快が、メンヘラの坩堝に投げ込まれ、禍々しい憎悪が生まれてしまう。
それが、「激怒裕子スキップ事件」時に裕子女史の体の周りに闘気を発生させて、周囲の人々を畏怖させていた。
で、私もスキップ事件を犯してしまう。
そして、職場に来られるのは困るという逃げ口上を言い出して、凸訪系や待つ予告系を封じた。

その後すぐ貴方と裕子女史で家族会議を開いて、なんか周りへの体裁が立つ条件を私に与えて戦わせようという事になった。
それが、ほぼ誰も実行していない折伏を成功させるという条件だった。

裕子女史自身が折伏なんか試みた事もないのに、人に成功条件として提示すること自体が思い上がりも甚だしい破廉恥な行為ではあったが、貴方は娘の意見を汲んでやるしかなかった。
で、一応は貴方流のやり方で私のK氏折伏を支援することにした。
それで、TI手法が用いられることとなる。


この4大事件時を考える上で、前提として必ず入れないといけないのが、私と裕子女史の年齢なんです。(同級生なんで同じ年齢)
この時、41から42歳なんですね。
国が沢山のデータから導き出して、異論が出た事の無い、出産支援期限年齢が切れるまさにその時だったんです。

事実上の最初で最後の一大決戦とも呼べる事態が、K氏折伏だった。

この事を理解していたんで、私も懸命になって努力していたし、私と会ったその日から高齢リスクを聞かされていたN氏も、私利私欲を排してすべての手柄を私に集めさせて折伏の指導をしていたんです。
金もいくら使ったかな? 憶えてませんが借金苦の私には大きな額だったはずです。
時間も無いものを無理くり作っていましたね。

そういった出産可能域から外れる事態を裕子女史はN氏から聞いて理解してはいたんでしょうが、逃げたい一心の裕子女史は隠蔽して、もみ消してしまい貴方には伝えていなかったのではないでしょうか?
娘から聞かされずとも、未婚高齢の娘がいたらご自分で調べるべきではあったと思います。
K氏折伏成功から2年ほどした後で、N氏にいつものように暗示して言われたのが、貴方が裕子女史に人並みの幸福な人生を送らせたいと言っているという事なんです。

それを聞いた時に私が思ったのが、ああ勉氏はK氏折伏の時が裕子女史が人並みの幸福を掴む最後の機会とは認識していなかったんだなというものでした。
私とN氏にとっては最終決戦であった戦いが、貴方にとっては、ただのいつもの体裁保持目的だけの些事に過ぎなかった事を知りました。


上記のK氏折伏を無意味として終わらされた事に対して書き始めたレイテ海戦のTwitter発信を転載しておきます。
途中で、○○波の影響で趣旨が変わってしまっていますが、今読めばK氏折伏と最終決戦にかけて書いているのが分かるものです。
3回に分けて発信しており区切り線までが1。

帝国海軍の終焉

北枕 静太郎 @kitamakura44 2020年9月28日
せして、自分の落ち着く場所を破壊し、落ち着いた後の集団内の資産を失わせている。
貴女が、取り巻きや心無い同志勢への体裁を私や家族の健康や利益よりも愚かにも重視して生きているからこういう窮地に立って居るんです。
いい加減、周りの奴等が貴女の事を心配してるとか、良い方へ導いてくれているという幻想を捨てて下さい。
考えても見なよ。
50近い中年女がそこへ嫁ぐだろうと見える相手に〇波とか嫌がらせをしていたら、貴女ならその中年女になんてアドバイスすればよい方向へ導けると思いますか?
一般には嫌がらせすると禍根を残すし、プラスになる事は一つもないから、すぐやめて親交を深めろと、嫌がらせするのは相手が中年女の理想とかけ離れているからだ、もう時間がないから教化はあきらめろと勧め、その中年女の希望に見合った同志を探して見合いでもさせるのが本当の善人の行動ではないでしょうか?
今、貴女の周りにいる人間の中で、誰か見合い相手を連れてきた人いますか?
勉氏なんか実娘の事だからやってなければ、おかしい位の話ですが、35年間を振り返れば一時期、医師と交際していたという話を聞いていますが、それも1年にも満たなかったそうですね。
残りの34年は私が対象として登録されていたわけです。
周りもそんだけの時間を費やしてるのだからと、見合い相手の紹介なんて、藪蛇もいいとこなんで一人もいなかったでしょう?
そうなると、嫌がらせを止めて親善外交推進勢の出番となるわけですが、それも一人もいなかったでしょう?
同志の中に、貴女を救うに必要な当然あるべき善性を発揮する人間が一人すら出てこなかったのは、私の不徳の致す所であり、貴女の蒙昧っぷりの酷さ、勉氏の組織内での高圧っぷりが生んだ軋轢と言った感じのもんが原因でしょう。

私はやっかまれ、貴女はそそのかされ、勉氏は恨まれていたんです。

今般の実家案件の決着を私や老母にとっての受益とするのか?
朝も書きましたが、一番長生きな可能性を持っているのは裕子女史です。
これを見るだけでも私や老母の受益とカウントするのはやめてほしい。
現実を見て下さい。
亡父は享年60です。
貴女一家、病院で父に面会してるでしょ?
父はそれを約束通り、私に話はしませんでしたが、自分は若い頃躊躇った事があるけど、お前は自分の好きなようにするべきだと言ってましたよ。
あの頃を思い出してみて下さい。
私は父にくりそつでしょう?
眠剤が効き始めて正確な事は調べる意欲も思い出す事も出来そうにありませんが、勉氏が実家案件も手掛けていたと思います。
既に引退している御歳なんで企画段階だけの相談役みたいな関わり方とみてますが、この35年間に確かに勉氏から世話になったという事実があります。

太平洋戦争末期に、たしかレイテ沖海戦(あまりに広範囲の海戦でいくつかの地域に分けて各各名称がついている)フィリピンの海でレイテ島に上陸しようとするアメリカ軍とそれに一撃を加えようとする日本海軍との大海戦が有りました。
日本海軍はミッドウェイ海戦であらかたの空母とベテラン搭乗員を、その次のマリアナ沖海戦で航空戦力の大半を失い、航空戦力が主体となった戦争で既に形骸化して死に体状態。
航空機主体となる前に建造した戦艦群が無意味に残されていたそうです。
マリアナ沖海戦辺りから使われ始めたと読んだ記憶が有りますが、アメリカ軍の新兵器にVT信管というのが、なかなか強烈で発射された弾丸が電波反射みたいなもんの原理で対象物の近くに来ると爆発して散弾を放つ仕組みを持っていて、適当に撃ってもガンガン日本軍機を撃ち落してしまったそうです。
この兵器はドイツ軍には使われずに対日本軍にだけ使用されたそうです。
理由はドイツ軍が不発弾や残骸を拾うと、すぐに同じものを作る技術を持っているが、日本は作る工業力も技術も無いからとの事。(海戦が多く、不発弾を回収されにくいからとも)
思いっきり舐められてたんですね。
アメリカとの工業力や文化的な格差でよく例えに使われるのが、黒沢明の姿三四郎と風と共に去りぬがほぼ同時代の作品だという話。
両方見ると知米勢が戦争に反対していた訳もよく解ると言われています。
スリランカ軍と北センチネル軍の戦いみたいな様相を呈していた。

で、無駄に沢山、残存している戦艦群をどう運用すればよいのか?
もう新たに空母や航空機群を作る資源も力も無い、動かす燃料も尽きかけている。敗北は覆す事の出来ない現実になっている。
当時の軍人って、優秀な人間が集められているエリート集団で国の最高の知性と言ってもおかしくは無い感じ。
さらに海軍は色々な機器類を使いこなして艦船を動かして戦うので、精神とか根性とかで突進する勇猛さを求められる陸軍よりも理知的な能力を求められる。
現実を冷静に見ることが出来る人達だったと言われています。
開戦の時に定めた、アメリカ軍に出来るだけ大きな打撃を与えて講和を結べるように戦う路線の継続。
山本五十六は開戦して2年ぐらいは大暴れして見せるけども、それ以後はアカンと思いまっせと言っていたそうです。
2年ぐらいの内に大勝利して講和に持ち込むしかないの意。
敗北は決定事項だが、より日本に有利な条件を引き出そう。
こんな感じで残りの艦船を全投入した大作戦が練られた。

その頃、島伝いに攻略するのを止めて飛び石で戦略的要衝を押さえて行く方針に転換していていたアメリカ軍の次の攻略目標がフィリピンだとする情報が次々に入って来ていた。
で、日本海軍はフィリピンで一大決戦を挑もうと決定したのでした。
大和とか武蔵とか(この2艦は同型のやつ同じ大きさ)全部投入する。


ここで勉氏に伝えたい。
武蔵の戦いっぷりを…。
それだけのためにこれを書いてるんですね…。


作戦の内容はフィリピンのルソン島だかミンダナオ島だか、でかい島のマニラ湾だかなんかに上陸しようとしている揚陸艦艇の大軍とその掩護の複数空母艦隊がいる。
そこに日本軍も東西南北から複数の艦隊を囮として向かわせて米空母艦隊をマニラ湾から引き離し揚陸艦艇隊の護衛戦力を失わせる。
米空母艦隊を巧く引き離せたら、大和と武蔵をはじめとする攻撃艦隊をマニラ湾に突入させ、米揚陸艦艇隊を殲滅する。

この大海戦で始めて神風特別攻撃隊が組織され自殺攻撃が始まった。

捷一号作戦、たしかこの字だと思ったが、薬が回りすぎてわけわからなくなりました。
戦闘が始まって日本軍の意図通りに展開してゆきました。
日本の暗号は解読され情報が筒抜けになっていました。
米空母艦隊は既に日本軍に空母も飛行機もほとんどないのを知っていたので、舐めはじめていたんですね。
暗号を解読されていた事は知らなかったらしいですが、航空機の援護の無い舟など、意味が無いと言う認識が両軍の将官に行き渡っていたので、それを逆手に取って、囮艦隊に残りの空母を混ぜていたんです。
慢心した各米空母艦隊の指揮官は手柄を挙げようと発見した日本の囮艦隊に飛びついたんです。
銀英伝のビッテンフェルトと言ったか猪突猛進型の提督のモデルと言われてるハルゼー提督の艦隊が重要な位置に居たが、囮艦隊に釣られて護衛任務から離れてしまいます。
揚陸艦艇隊は護衛が居なくなってしまいます。
そんなキャラが実在していたんですね。

日本はまんまと作戦成功したんです。

作戦通りに栗田健男提督が指揮する突入部隊はマニラ湾へ進んでいました。米護衛艦隊を引き離したとはいえ、ほんとにもぬけの殻にするほど王者アメリカ軍はアホではないので、凄まじい航空攻撃を受けていました。
囮に釣られた護衛艦隊指揮官達も残された護衛戦力だけで突入部隊を殲滅できると考えていたが、大和や武蔵なんかの文字通りの超ド級(この表現はドレッドノート級の戦艦から来ているらしい)艦はなかなか丈夫で爆弾何発も受けても沈まずにいました。
武蔵が栗田艦隊に居たのか記憶が曖昧で申し訳ありませんが、たしか栗田艦隊だったと思う。
健闘むなしく沈没してしまいます。

話を本題に移します

これから本題かよボケ!とか〇ね!などの暖かい想念が今遠くからはやてのごとく飛んできています。
お前ら皆〇われろ、ボンクラ!

勉氏に世話になったと恩義を感じているのは、この戦艦武蔵的な事。
あの人が来たのは、勉氏の計らいだったと信じています。
もう、10年以上前の事ですが、中学の同級生kとシゲと飲みに行った時の事。
kが実家を貸してるから生活出来てんだろ的な話をしてくるんです。その時はそう思われてんだと考えただけでしたが、後で考えると、ああ地元内部でそう思われてんだなと気付くんです。
実際の所、勉氏の計らいで生活出来ていたと言うのも間違いではありませんでした。
だから勉氏と裕子女史には恩義を感じているんです。
あれは無から有を生じる事案です。
今般の実家案件は1から1に転換させたものです、それに対してマイナス部分を附け加えるのは間違いです。
しかも、前述した通り、最後に持って行くのは裕子女史の可能性が濃厚です。
もうわけわからなくなってきたんでこの辺で終わりにしときます。

私的には面白いと思うんだがまあいいや。
続きは栗田艦隊の反転で検索されたい


数週間後に続きを発信している。 ここから2章へ

レイテ沖海戦の続き
マニラ湾ではなく、wikiみたらレイテ湾だそうです。
島もレイテ島ですね。
栗田艦隊はレイテ湾に近づいたものの、北方に敵艦隊が居るとの入電を受け、その敵艦隊と戦うとしてレイテ湾に突入せずに北方に反転して戦線離脱した。
囮の小沢艦隊の残存空母が全滅して日本海軍は壊滅した。

終戦後、栗田提督については、様々な取材やアメリカ軍側からの聴取が行われていて、この反転についての発言が沢山残されています。

2日ぐらい寝ず休まず、激しい攻撃を受けながらレイテ湾を目指していて疲労困憊状態だったので、判断能力が減退していた。
が、あの戦場あの戦況下では正しい判断だった。

北に敵空母艦隊がいるとの電報が入った。
レイテ湾まで激しい航空攻撃の中でたどり着けるか疑問が有った。
目の前の敵艦隊と戦う事にした。

こんな感じの事を語ったそうです。
栗田艦隊の参謀たちも戦後に取材を受けています。
皆死なずに生き残ったんですね。
大体、似たような事を語っているのが印象的。
栗田反転のWikiで昨日見たこの談話が一番核心を突いている様な気がしますね、古村啓蔵少将は怒りをあらわにして「あの戦争中栗田さんのとった行動というのはね、あれは部下に無駄な死をあたえまいとする情からきているのですよ。 情の厚いひとですからね。 レイテなんて、あれは一種の"特攻"ですからね。 栗田さんほどの人を殺すためには、GF(聯合艦隊)もそれ相応の挨拶があってしかるべきですよ。 長官自身(当時は豊田副武大将)が乗って突っ込めゃいいんだよ。 自分が戦死したら、かわりの者がいないだろうというかも知れんが、冗談じゃない。 かわりくらいいくらでもいるよ。」と語っている。

栗田提督臆病だった説
これは当時の軍人ではありえない。
栗田氏大戦中、数々の戦場で戦ってきている。
知り合いに自衛官が居たが死地に行けと命ぜられれば勇んで赴くだろう感じが有りましたよ。
現代でもそんなもんなんだから当時の現場指揮官に臆病な性格が存在しえない。

部下に無駄な死をあたえまいとする情からきている説
捷1号作戦中に旗艦の重巡を沈められ、大和に乗り換えているんですが、反転して残存した大和はのちに沖縄に片道分の燃料を積んで特攻する。
米軍の航空攻撃を受けて沈没。
大和艦隊の死者4000名 艦船数隻
米軍の死者13名 航空機13機

無駄死にの定義が定かではありませんが、戦争中なんで大体、敵に損害を与えられない戦死を無駄死にと呼んでいると思われます。
大和乗員が捷一号作戦から、ほぼ変わっていない事を考えると反転せずに突入して戦死していれば、作戦全体の損害相対数に繰り込まれて、壮大な戦いの伝説と化していたのやも。
部下に無駄な死をあたえまいとする情からきている説は捷一号作戦で生き残った大和乗員の大半が、のちに特攻作戦で無駄な死を与えられている事から成り立たない。
が、これを高級将校に限定して考えると皆、戦後まで生き残って証言を残してるんですね。
当時の軍人軍部を現代の組織になぞらえると何にあたるのか?
警察、自衛隊、海上保安庁とかが思いつきますが、今一つパンチが足りない。幼年学校から、思想を叩きこまれ続けて育成される感が希薄だから。
新興宗教系の学校と防衛大学と自衛隊の高校見たいのを足して行き6年ぐらい教育すると、ようやく当時の軍人ができあがるのではないでしょうか。
現人神の天皇陛下が統治する神国。
自分たちは天皇の赤子で国と陛下の為に命を捧げるのは最高の名誉。
そんな感じで叩きこまれた感があって、自分達が戦死するのはもとより、一般の兵が国や軍の為に死ぬのは当然のこと。
将校は優秀な人間を集めた秘密結社のメンバーで戦いに敗れたとしても、戦後、国の再建に必要な人間だと自認していて、無駄な死などあり得ない。
けれどもお前ら一般民はいくらでも生まれてくる雑草みたいなもんだ、肉襖、肉弾、肉●器肉布●として黙って死んで来い。
そんな選民思想めいたものを持っていたと思います。
だから部下と言ったら軍学校を出た、将校だけを指していた。

古村啓蔵少将や栗田提督に限らず、高級将校全体が「義は山嶽より重く死は鴻毛より軽しと心得よ」と共通認識を持っていた。
栗田氏、当時にしては情の厚い部下思いな部類の軍人だったのではないでしょうか。


捷一号続
そもそもレイテ湾にたどり着けなかった説
栗田艦隊とは別に規模の小さい2艦隊がレイテ湾突入を命ぜられていたそうです。
大和、武蔵をはじめとする陣容からして栗田艦隊が本命で外の突入艦隊はそれも囮であったと言われています。
その2艦隊はレイテ湾からはるか遠くで全滅したそうです。
栗田艦隊も多くの研究者がレイテ湾には辿り着けなかったと予想しています。
だから2日間凄まじい航空攻撃を寝ずに受け続け自艦隊の位置を知っている栗田提督と参謀がこのまま行っても何も戦果を得られずに全滅するだろうと予測し、近くに発見されたと電報を受けた敵艦隊と戦って損害を与えた方が正しい選択だったともいえるのではないでしょうか。
栗田艦隊の武蔵は航空機をいくらか撃ち落した僅かな戦果を挙げただけで、数千名の乗員と共に撃沈されていたんです。
まだ動けるうちに敵艦隊と一戦交えるほうが無駄な死ではないと言えると思います。
本土に帰還した栗田提督は反転を咎められるではなく、軍学校の校長に任命されました。
処罰処分ではなく、栄転したんです。

ここで話を本題に戻したいと思います。
○ねばいいのに、〇われろぼけなどの厚い怨念の飛来を感じていますが、お前らが〇われろ、ボンクラ!

武蔵の沈没について考えると、物凄い月日が流れた事を実感するんです。
貴女は良く知らないと思うんで勉氏に聞いてみな。
小学生だった子が30近い年になっていて、結婚して親元を離れ、お婆さんやなんかも亡くなられているそうです。
勉氏にお聞きしたい。なぜ7年前の私の入会時とK氏入会時に話をまとめられなかったのかと…。
7年前なら何の問題も無く、人並み以上の幸福を裕子女史は手にする事が出来たんですよ。
貴方、引退して孫娘ももう高校生でしょう。
連れて歩くような事も無いのではないですか?
今こそ、父親としての務めを果たして下さい。
裕子女史につべこべ言わさずに、うちにくるのが一番いいが、それをあーだこーだと難癖つけている様であれば強引に医師同志の所へ嫁がせるのが父親の義務だとしか思えませんよ。
なぜ何もしないのか。
いま介入せずして、80すぎた老境の貴方は、いつ娘を人並みの幸福へ導けるのか?
まだ、かすかに希望が残されてるからすぐに決着させるべきですよ。
うちへ来るのなら、負荷の歴史は帳消しです。
無条件で大歓迎。
大切にされ幸せになりますよ。
どう行動するのか、無駄に残っている戦艦群をどう運用すれば一番効果的なのかという捷一号作戦みたいな、最終決戦を迎えてるんです。
空母以外の艦船を残しても無意味なのと似て、私なんかは裕子女史の組織内での体面や35年壮大な数が交代している工作勢への配慮は、裕子女史が壊滅状態になってしまえば無意味だと考えています。
何故ならそこから人並みの幸福へ裕子女史を引きあげてやる事など誰にも出来なくなるからです。
全滅覚悟で一筋の光明を求めてレイテ湾へ向かうしかないんです。

と言うわけで今日いた奴等はうち関係からは永久追放して下さい。
別なことやればいいだけの話。


補足すると、栗田提督の軍事学校校長就任を栄転と書いてますが、栗田氏は海軍なんで海軍兵学校の校長になります。
では、同時期の大戦末期に陸軍士官学校の校長に任命されたのは誰なのか?
これがびっくりのインパール作戦で有名な牟田口廉也中将だそうです。
牟田口氏の士官学校校長就任は2度目との事で、戦争でなく、そっちに向いていたとも言われている。
この2人が同じ役職に就いているという事は、ある意味あいを持って就任させていると見るべきでしょう。
共に同胞の万骨枯る敗軍の将と疑惑の大反転の将である事から、リストラ部屋に配属されるサラリーマンめいて、ほぼ敗北確定している滅びゆく帝国の軍事学校の校長に見せしめの見せ物として配属されているのではなかったのか?
まあ、やらかすとただでは済まされないという事ですね。

このレイテ沖海戦の発信は2020年9月の発信。
もうコロナ禍が始まっていた頃ですかね?
貴方が仕掛けてきた実家売却話が発端で書いている事が分かると思います。
戦艦武蔵が暗示する人物が実在していたんですね。
符丁で話をしているが、勉氏と工作X氏だけには分かる仕組みになっている。
この戦艦武蔵の符丁と同じような感じでN氏とは貴方一家について会話していました。


で、ここに書いている事が今も当時も私が貴方に伝えたいことなのです。↓


武蔵の沈没について考えると、物凄い月日が流れた事を実感するんです。
貴女は良く知らないと思うんで勉氏に聞いてみな。
小学生だった子が30近い年になっていて、結婚して親元を離れ、お婆さんやなんかも亡くなられているそうです。
勉氏にお聞きしたい。なぜ7年前の私の入会時とK氏入会時に話をまとめられなかったのかと…。
7年前なら何の問題も無く、人並み以上の幸福を裕子女史は手にする事が出来たんですよ。
貴方、引退して孫娘ももう高校生でしょう。
連れて歩くような事も無いのではないですか?
今こそ、父親としての務めを果たして下さい。
裕子女史につべこべ言わさずに、うちにくるのが一番いいが、それをあーだこーだと難癖つけている様であれば強引に医師同志の所へ嫁がせるのが父親の義務だとしか思えませんよ。
なぜ何もしないのか。
いま介入せずして、80すぎた老境の貴方は、いつ娘を人並みの幸福へ導けるのか?
まだ、かすかに希望が残されてるからすぐに決着させるべきですよ。

うちへ来るのなら、負荷の歴史は帳消しです。
無条件で大歓迎。
大切にされ幸せになりますよ。
どう行動するのか、無駄に残っている戦艦群をどう運用すれば一番効果的なのかという捷一号作戦みたいな、最終決戦を迎えてるんです。
空母以外の艦船を残しても無意味なのと似て、私なんかは裕子女史の組織内での体面や35年壮大な数が交代している工作勢への配慮は、裕子女史が壊滅状態になってしまえば無意味だと考えています。
何故ならそこから人並みの幸福へ裕子女史を引きあげてやる事など誰にも出来なくなるからです。
全滅覚悟で一筋の光明を求めてレイテ湾へ向かうしかないんです。



K氏折伏はすんなりと成就しました。

N氏も私も、ほとんど折伏なんか行われていない時代に、勉氏の提示した条件を完遂して、ここまでやったんだから、もう申し分なく裕子女史受け入れ態勢を整えただろうという意見で一致していました。 
2人で、もろにそういう風に話をしていたんです。
あとは待つしかないよとN氏は言っていましたね。
仕事も順調で、大変でしたが収入になっていたんで懸命に働いていたんです。
丁度良く借金を完済し終えたんで、周りの同志勢に会合などで返済し終えたことを報告したんです。


ここが、私が収入もまともで、借金も無く、会合にも出ていて、折伏も成功させた、一番裕子女史来北受け入れ態勢を整えた瞬間だったんです。


ここから、○○波の照射の出力&時間規制が無くなり、仕事の業績が4、5割減になったんです。
それまでは、出力も今を強とすると高くても中出力だった、昏倒させられる事は無かったんです。 寝る前にyoutubeを見ていて、眠り系で眠らされ、朝までつけっぱなし流れっぱなしとかの毎日だったんですが、仕事に行かせる為に眠らせる形だった。 支援の一環だったんです。
これ以降、出力は制限を失い、激痛で昏倒させられ休業するしかなくなるようになりました。 運転できなくされるようになり、眠らせるのではなく眠れなくする波長を使われ始めたんです。 
嫌がらせと加害が始まった。

仕事の業績も半減してゆきました。 
周りに文句を言いに行くと、持ち直して行きましたが、加害○○波で休業させられてしまい一日単位の業績が回復しても、営業日数が少なくなってしまい経済的に困窮し始めるんです。

サーカスとかで、2人組対2人組空中ブランコを舞台の空中で乗り移る演技って見たことあるでしょうか?
左側からは裕子女史に足を掴まれた勉氏が、右側からはN氏に足を掴まれた私が振り子のような動きで接近している。
丁度良い所でN氏は私の足を放して、私は宙を飛んで勉氏に手と手で捕まえられて左側の跳躍台に移る演目。
この2組が空中で最も接近したのがK氏折伏成功時として、その最接近時に裕子女史が35年話しかけられないという世界最高レベルのコミュ障臆病風を吹かせ始めたんですね。
勉氏にN氏が私を放り投げても、捕まえないでくれと懇願したんでしょう。
勉氏は私を取り上げることなく、私はそのまま舞台へ落下してゆくことになったんです。
三島由紀夫の短編にサーカスといったかな?
そういう感じの話が有って、最後、頚椎を折って死んだ。で終わった気がするんです。
それ思い出して書いていますが、貴方は読んでみて下さい。

梯子を外されるという表現がありますが、まさにそのままの状態で私は梯子を外されてしまったんです。

貴方が裕子女史の言う何に影響されて、梯子を外したのか分かりませんが、その後、この時以上の接近を演出できずに今に至っている事も、もちろんですが、この時が加齢リスクをかなり避けられた最初で最後のチャンスだったんです。

誰の目から見ても、この時が最後のチャンスだった。
貴方一家の目を除いて……。

レイテ海戦の話は武蔵案件での貴方への恩義と、戦艦を決戦から逃げさせても、時代は航空機が主体で無用の長物と化してしまうだけなのだから、決戦中に消費するべきというのと同じで、初めから人並みの子供のいる幸福な人生を訴えて私は動いていたんだから、41,2の時点で時代が変わってしまう事が分かっていた。
その後は残された戦艦みたいな意味になってしまうのだから、決戦に全投入するべきだった。 
貴方はそういう価値観、観念を知っているべきだった。
栗田提督も貴方も、決戦で現存戦力の価値が一変する事を薄々気付いていたはずなのに、別な思念で最適解を外したんです。

レイテ海戦の話の中でも書いていますが、貴方が「梯子を外される事件」時に、すぐに誰か別の男を連れて来て見合いでもさせていれば、道理は通るでしょうね。
私なんか大したもんでもないんだから、悪い虫が娘に近づいて来たから、難しいとされている折伏の成功を条件として出したら、勝手に仲間と徒党を組んで成功させたけど、だからなんだ悪い虫には変わらないだろ位に突っぱねてもしかたない。
だが、代わりの男と見合いをさせたわけでもなく、私をTI対象から外して解放しもしなかったですよね。

裕子女史の問題なのだから、貴方には父親として責任があるでしょう。
娘の年齢から生じる諸問題に対して、世間一般の父親並みの正解を把握して娘を導かなくてはならなかったと思います。

42の娘に対して、私やN氏が懸命に努力して作り上げた受け入れ場所を壊してはならなかった。
この後、N氏には壮年部長へ推挙して報いたつもりなのでしょう。
N氏は亡くなる一月前に病院に私を呼んで言ってましたよ。
「癌になってしまって、この先どうなるか分からない。北枕君と約束したから、何とか会わせてやりたいんだが」と。(録音されていると思いますよ)
あの時、心を鬼にしてなんとか、死ぬ前になんとか一度結び付けてくれと頼んだ方が良かったんですかね。
まあ、その時までも半分、仮病だと思ってましたから、病気と闘う事に専念して下さいと答えてました。
N氏的にも失敗してしまったと認識していた事が分かるんです。
それにこの件で貴方には私に対しての責任は無いのでしょうか?
どう考えているのか分かりませんが。

裕子女史が何言っても、メンヘラ女の二重規範なんだから、(これについては裕子女史の本音として前述)うまく諭して来北を促すべきだったでしょう。
裕子女史がうちに来ていれば、その後の著名人来訪工作も変わらずに行われていたのなら、全然意味合いが違っていたでしょう。
私は違う仕事をしていただろうし、何かで一財産築いて名も売れていたかもしれませんよ。

この時に機会を失った事で現在の惨憺たる境遇を招いているんです。

1.年齢的最終決戦で時勢を理解せずに裕子女史を逃げさせた事。
2.その後、裕子女史に見合いさせずに今まで転落させた事。
この2つについて貴方には父親として責任があります。
すぐに私に会いに来て責任を取って下さい。


梯子を外された私と、貴方一家との交渉に失敗したN氏にとっては、この最終決戦後の戦いは、あまり意味をなさない消化試合的なものと捉えるしかなくなってゆきました。

年齢的に裕子女史が来北をしたとしても非常に厳しい現実が待っているのが容易に予想されたし、何よりも一番の功績である折伏を成功させても叶えられなかった来北を、その後どうすれば叶えられるのか誰にも分からない状態になった。

梯子を外される事件後にも、N氏から貴方と裕子女史の伝言を聞きましたが、顔色が悪い、制服が汚い、性欲が強すぎる、若い子の方が好きなんでしょなどと言った血迷ったメンヘラの戯言にしか受け止められず、途方に暮れてしまうばかりでした。

事件後に伝えられる、どんな条件も折伏の成功を上回る手柄になるとは思えなかったんです。
折伏の成功で叶えられなかった来北が、それよりも低次元の条件をクリアして手柄を立てたとて、叶えられるとは到底思えなかった。

が、やけになっても始まらないんで、その後も会合などには欠かさず出席して、伝えられる伝言の条件をクリアするようにしてゆきました。

N氏も貴方一家と交渉する事が少なくなって行ったのではなかったでしょうか?
呼ばれる事も少なくなって、2人で話す時に、裕子女史の話題も口にしなくなって行きました。
が、裏では一応はなんかの働きかけをしていたでしょう?
ある時、「〇〇さんの事は時機を待つしかないよ」と言っていましたから。

今日の営業での事なんですが、ダウン症の男の子が一人で来店しましたね。
そういう工作を昔から、何度も受けているんで今日のも工作だったと思います。
TVで高島千里のダウン症の姉とおもろい老父との温泉旅行の番組などをこの間見ていて、ダウン症にもいろいろなタイプがあるんだなと思いましたよ。
来店した男の子もかなりしっかりしていたんで、工作関係なく買いに来た可能性もありますね。
が、まあ工作だろう。

まだ出産する気でいて、加齢リスクを暗示させているか、私がどう対応するかを見てみるという企画なんだと推測しています。

この手の工作を昔、所属区の会館の中でも仕掛けられたことがありましたね。 N氏がまだ生きていた時分だったかな? 忘れましたが。
副区長とかも動員されていたんで、裕子女史だけではなく、貴方が企画していたと考えています。
○○先生の男子部対抗野球大会代打事件の副区長と言えば貴方も思い出すかと思います。

入会当初の事だったと思いますが、N氏と御本尊に書かれている諸天善神の中にキリスト教の神が加えられる可能性があったか否かで2人で話をしたことがあったんです。
私が、鎌倉時代にキリスト教が中国である程度まで広まっていたのなら書き加えられていたかもしれないと言うと、N氏には珍しく気色ばんで、キリストというのは人間性を拡大させただけのものだが、御本尊は宇宙の真理を意味するから、全く意味するところが違う、加えられる事は無かっただろうと答えた事が有りました。
別な時には、謗法払いについて、捨てたり焼いたりするのではなく、返還させるべきだ、他宗の信仰対象を焼く奴は、時と所変われば御本尊を焼くことになるのでは?と言うと、その考え方は身延系に近すぎる、禅天魔、真言亡国だったかの一節の話をして法華経にだけ帰依しなくてはならない的な事を言われた事もありましたね。

福子勢はそういった考えを持たないように育てられているのでしょう。
私は40歳で入会しているんで、40までに作り上げられた観念が当然残っているんでしょう。

今日の工作とか会館で仕掛けられた工作は、私にとっては禁忌を犯しているんです。
人倫に背いている。 仏教的に言えば業、カルマを受ける悪行だと思います。
貴方一家がそれを企画することに嫌悪感を覚えるんです。
やめた方がいいですよ。

で、何が言いたいかと言えば、貴方一家の世界宗教系では禁忌とされるであろう事を平気で犯す倫理基準とか、35年も話しかけられないという娘の奇行を肯定するという、「何故そこだけやたら寛容なんだ!」と叫びたくなるような異常性、そして何より、なんで50の独身女の境遇にいる自分の事は棚に上げて、私の人間性チェック的な事をして、二回り年若い同志勢達と観察するような破廉恥な事をできるのか……。

N氏が他宗についてどのような認識でいたのかについて書きましたが、信心強盛な会員と呼んで間違いない感じでしたよね。
梯子を外される事件の後、上記のようなどうにも手の打ちようの無い、消化試合の空虚な時間が長く続いていました。
私も○○波照射の激化で休業連発が常態化してしまい、経済状態が悪化してにっちもさっちもどっちにもいかなくなっていました。

ここで、貴方が動いたんでしょう。
「N氏壮年長就任事件」
「静太郎B長就任スキップ事件」
「勉氏への謝罪を強要される事件」
この3つが順番は忘れましたが、たしかこの順で勃発したんです。

N氏が胆石かなんかで入院して退院した後だったような記憶があります。
もう6,7年前の事なんでよく覚えてないんですね。
ある日仕事の帰りに、車でN氏宅に寄った事が有りました。
用事を済ませて車までN氏が見送りについて来て言うんです。
今度、壮年長の辞令が出る事になったと。
嬉しそうにしてるんで、おめでとうございますと言うとありがとうとニコニコして答えてましたね。
今まで無かった壮年長という役職が全国一斉に作られて、N氏は支部の壮年長になったんです。
後日、辞令の紙が届いたら、YK氏と私と2人をわざわざ呼んで見せてましたからね……。 その頃、YK氏も地区部長になって一年経ったぐらいだったか?
副役職から正役職に変わって、信心強盛なN氏にとってはうれしかったんだと思います。
その時は、世話になっているN氏が喜んでいるのを見て、私もうれしくなっていましたね…。
後に奈落の底に突き落とされる事も知らずに…。

生前最後の時代を近くで見ていたんで言える事なんですが、N氏の昇進に貴方の推挙があった事は間違いないと思います。
店で心の病気の会員達の相談に乗っていた事以外は普通の活動をしている所を見ただけでしたし、副支部長になってからの功績と言えば私を折伏した事ぐらいだったと思いますし。
外にN氏の昇進を推薦する可能性があるのは、裕子女史とYK氏ぐらいです。
共にそういう立場に無かった。
出来るのは、貴方だけなんです。

私から見ると貴方は娘の二重規範を理解できていない位の感覚の鈍さを持っています。
N氏を壮年長に推挙したのも、信心強盛な壮年会員の心理の変容を予期できなかったから犯した失敗だったんです。

壮年長になったすぐの頃にN宅に遊びに行って、壮年長の試験みたいのがあるんですかと聞くと、試験は無いけど区の幹部達と面接質疑応答があったと言ってましたね。
もうその会話の口調からして、副支部長時代のN氏とは全然違ってしまっていたんです。
なんか、よそよそしく、以前の親しみの情を失ったかのような。
前のN氏なら、区幹部勢の人となりを揶揄しながら、おもしろおかしく、しかも、かなり盛って話しをしていたはずなのに、なに脚色するでもなく、あるがままならいざ知らず、秘匿事項が有って言えないんだという風を装って斜に構えた話し方をしているんです。
役職効果とでも呼べそうなものが、効果覿面にN氏の人柄を変えてしまった。
裕子女史の事を試しにふってみると、それも秘匿事項になっているらしく、ありきたりの反応しかしなくなってしまったんです。
区幹部との面談でいろいろ誓約させられたと言ってましたが、貴方が区幹部に裕子女史の事も秘匿事項として扱うようにとN氏に伝えさせたのではなかったのか?
私のその日の帰り道は、暗澹たる気持ちでいましたね、N氏が仲立ちをやめてしまった……。
これから、どうしようかと。

その後、何度か会合の帰りに話をしたんですが、役職効果は揺ぎ無く、おもろい老人だったのが、普通の老人の振る舞いを心掛けるようになってしまいました。
が、録音を避けていたんでしょう、家の外や車の外で2人で歩いていたりするときは、以前のおもろい老人に戻っている時があったんで、貴方一家に聴かれている事を意識しての役職者然とした振る舞いでもあったと思います。

N氏の壮年長就任から数か月後だったと記憶していますが、外で2人で話している時に今、私をB長にする話を進めていると言うんです。

誰がそれを言い出したのか聞くと、口を濁すんで、裕子女史と勉氏でしょ?とさらに問うと話をそらし始めるんです。

裕子女史と勉氏が工作を始めているんでしょうが、K氏折伏の時と同じで、やらせるだけやらせただけで終わらせるに決まってんじゃないですか。
K氏折伏の時の事忘れたんですか?と言うと

N氏、黙って斜め上を見て困った顔をしていましたね。
い、言えてる… それもそうだなといわんばかりな感じで。

その時は既に低迷が始まり、○○波休業も出始めていた頃なんで、一番条件が整っていたK氏折伏借金完済収入普通時に「梯子を外される事件」で返されたのに、今、裕子一家の出してくる条件を満たそうとしても、まず「再び梯子を外される事件」となって終わるのが容易に想像出来ました。
実際、そうなっていたでしょうね。
ただ、勉氏が周りへの体裁の為に自分の力の及ぶところで、T氏来訪工作と同様の私を支援したふりをしようとしていたにすぎないんです。

N氏が黙っているんで、私はK氏折伏の時の苦労話をいろいろしたんです。
その時、K氏はN氏と同じ地域の公営住宅に当選して引っ越して来ていましたが、仲たがいしてN氏と全く会わなくなっていました。
ここで、Twitter転載K氏折伏物語部分へつながるんです。

あれだけNさんにもさんざん協力してもらって、折伏成功させて、K氏の引っ越しまで全部関わって話をまとめたのに結局、商売は低迷させられ、○○波で嫌がらせされる結果になっていると話をしたんです。

「必ず同じ事されて終わるから、順番を変えてください。 まず裕子女史と会って、その後でB長になる話が出るようにしてください。」
こう言って、その日は別れたんです。

その一月後ぐらいだったか、同中にN氏に呼ばれて、私の車で行き、帰りにN宅前で、またB長になる話を始めたんです。
が、なんか盗聴されている事をもろに意識した感じで話始めていたんです。
それを感じて私も話を合わせて答えていましたね。
今のB長はどうなるのかとか、○○行為の動員を断れなくなるからやらないとかいろいろ言いましたが、「梯子を外される事件」の話はしませんでしたね。
裏でN氏が私が頼んだ通りに裕子女史に会ってから考える形にするように働きかけてくれているのだろうと思ったからでした。

同月の地区会合に出席すると、B長は地区幹事になり、隣地区から来た人がB長になっていて、遠くから婦人部の応援部隊めいた人が来るようになっていました。
私の語った、梯子を外される事件の因縁と裕子女史と会ってからにしてくれという願いをその時はN氏から貴方に伝えられていなかったのでしょうね。

が、その会合後は、私のB長話は取り上げられる事が無くなったので、やはりN氏が貴方一家に私が裕子女史と会ってからでないとダメだと言っているという事を後から伝えてくれたのだと思います。
しかし、丁度、この一件を境に胆石、肺病痕、肺がん、小細胞癌と立て続けに健康の坂を転がり落ちて行く事になり、5つの病院を転院し入退院を繰り返す事になるN氏だったが、私が見舞いに行くたびに、ドクターXという私は見たことのないドラマの話をして、「あのドラマの広末涼子みたいに私は失敗しませんと言ってくれる医者がいてくれたらいいのにね」と同じ事を言い、私が広末涼子じゃなくて米倉涼子ですよと突っ込みを入れるのを待っているような所があった、おちゃめな老人が貴方に私の意向を伝えたは伝えたが、どこか曲がって伝わってしまったのだと思います。

B長の話が収まってから数か月後だったと記憶しています。
退院中のN氏に呼ばれて、N宅を訪問すると近くのスーパーまでバイクで乗せて行ってくれというので、遊歩道をN氏を乗せて走り、バイクが通れない段差の所で降りて歩いている時に、いつもの暗示するような言い方で言うんです、「北枕君が向こうに不義理をしたという事になって、すごく怒っている。 会ったら素直に謝った方がいいだろうね」と。

「勉氏への謝罪を強要される事件」が始まったのでした。
N氏が向こうと言ったかは忘れましたが、勉氏を暗示させている事は今までもそういう符丁を使って勉氏の事を話していたんで分かりました。
不義理と言われても、どの不義理の事を言ってんだ??
昔から数えて行けば数限りなく勉氏の仕事の斡旋や機会を蹴ったり、突然退職などを繰り返してきているんで、どの不義理の事を言っているのかホントに分からなかったんですね。
しかし、再びバイクで走れる道へ出て走り出すと、その場の空気でN氏にどの不義理の事を怒っているのか?と聞けずに終わったんです。

さらにT氏等一行の来訪工作もほぼ同時期に行われていた事も判別を難しくしていました。 
今考えると、B長の話とT氏来訪工作の勉氏が仕組んだ機会をどちらも逃した事が激怒の真相だったと考えています。


が、これらの貴方の一方的な働きかけや怒りは、全部が裕子女史が私と35年も話を出来ずにいるという異常な関係を肯定した上で成り立っている虚構なんです。
裕子女史が私と面と向かって立つ事すら出来ないという奇怪な環境を肯定する事は一番初めのボタンを穴4つぐらいかけ間違えて、服を着ているようなものだと思います。
傍から見ると、どえらい歪んだ服の着方をして、全くおかしい所なんかないと話を平然としているのと同じ。
T氏来訪工作にしたって、先に裕子女史と会っていれば工作の成果結果は全く違うものになっていたはずと前述しています。
B長工作も先に裕子女史と会っていれば、普通になっていたかもしれないし、私のような立場に置かれるとB長になった地区が出身区であるか所属区であるか当地区であるか場所もわかりませんよね?
しかも、N氏は貴方に会ったら、素直に謝ったほうがいいぞと言っていましたが、その後、貴方に会う事は無く6年経っています。
N氏も霊山に旅立ちました。
そもそも、初めから私と会う気など無いのに謝罪要求していた事になるのではないのでしょうか?

この貴方の行動にK氏折伏成功&梯子を外される事件と共通する、根底に流れる裕子女史の異常性への忖度が見えてくるんです。

貴方が裕子女史に私へ話かけられない事を指摘すると物凄い怒りで返してくるんで、次第に指摘できなくなって行った。 
実際、東北地震の後でドラレコに録音されていた会話には貴方が裕子女史に自分から話しかけた方がいいんじゃないのか?と諭す所が残されていましたね。
貴方が常識を残して生活していながら、裕子女史の反発を恐れて腫れ物に触るように接している事が分かります。
さらには、私も裕子女史の発する闘気を見て、激怒裕子スキップ事件を起こしているので、貴方が娘の勘気を被るのを避ける気持ちが良く分かるところなんです。
確かに、ああいう怒りの表情を見せる50女となると寝首を掻かれて殺されそう……、いや、二時間ぐらい罵声を浴びせられそうですよね。

あと、貴方的には長女姉氏夫婦が公私共に申し分なくうまくいっていて、孫娘のよもぎ嬢も組織系大学に入学するとかしないとかの歳まで大きくなっているんで、わざわざ、癇癪持ちのメンヘラ次女との間に諍いを起こす事も無いと考えている。
裕子女史と諍いをおこすと、家族の関係がぎくしゃくして盆と正月と集まった時に父親としての体面を保てなくなってしまう。
裕子女史に頼まれた事に対して、工作等の力添えをしてやり、父親としてのやるべきことをきちんとしているという体裁を整えてきた。

しかし、それは今現在から過去の貴方自身の体裁を考えて行動しているだけだと思うんです。
未来の年老いた裕子女史を貴方と母氏の両親が霊山へ旅立ったあとに、どうさせるつもりなのでしょうか?
35年も私に話しかけられない心の病気な上に、歩いているだけなのに蒲田のヤンキー娘の怒りを呼び覚まし、しばかれてしまうレベルの特異体質ですよ……。
頼りにしているだろう組織も、衰退が予定されていて、私や裕子女史のベビーブーマー世代を最後に若年層が加速度的に激減している事が盛んに言われています。
未活若手会員に組織活動させるだけの魅力と受益を時代に合わせて用意出来なかった事で参加させることに失敗し、若手活動家の精神的な疲弊を招き、非活化させてしまっている。
貴方の世代は会員数年齢グラフがひし形のような形で収まっていて、ベビーブーマー世代に支えられていますが、我々裕子世代は独楽のような形になり頭でっかちに老年層が若年層にのしかかる状態で、一人の若者が3人の老人裕子世代を支える事になる。
組織を社会の縮図と前述していますが、日本の年齢グラフをそのまま使えるくらい類似しているそうです。
同時に今ある組織力も、20年後は同じだけ発揮させることは出来なくなるはずです。
裕子女史が70過ぎた頃には、頼りにしていたものが出て来なくなる。
今から、孤独死対策と並んで、人並みの福利厚生を受けられるように資産なりなんなりの手を的確に打って行かないと、大変な事になりますね。

4つボタンの穴を掛け違えて、歪んだ着方をしている服のボタンを一回全部外して、同じ位置のボタンと穴で掛けなおしてやらないといけませんよ。

35年も話をせずに姿も見せずにいる事を肯定してはいけないでしょう。

裕子女史的には、周りの同志勢しか見えていないから、周りからその異常性を指弾する声が挙がらなければ、現実逃避を続けてしまうんです。
周りの同志勢が異常と分かっているのに何も言わないのは、貴方が圧力を加えて口を封じているからに過ぎないんです。
貴方の威光が消えた後に裕子女史は一気に過酷な現実に晒されてしまう事になります。
まさに裸の王様状態でいたのが今まで。
貴方という後ろ盾を失った時に、大勢に囲まれて裸であることを、友人と思っていた同志に指摘されて傷心する事になるでしょう。
独身で子供もいない、体力も衰えてきている老境を突然突きつけられる事になるんです。

いろいろ貴方の過ちを指摘していますが、かなり図星な感じの部分が多いのではないでしょうか?

35年間貴方父娘を見てきていますが、貴方の行動はご自分の体裁体面の保持を基本としていると思います。

私に対する来訪工作等の各種支援工作も前述の通りに、次女の相手を父親が支援していないのは体裁を損なう、だからしているフリでしかない支援工作が多くなって、さらに裕子女史の代ミュンマッチポンプ技での○○波照射と休業にお墨付きを与えてしまうんで転落を食止められない。

上記のように、裕子女史の異常性を分かっているのに修正してやらないのは、家族の間でのご自分の立場を損なう可能性があるからでしょう。

で、裕子女史の孤独死を防ぐために、多くの同志達が奔走したにも関わらず、「梯子を外される事件」を起こしたも、長女夫妻とよもぎ嬢がかなりの幸福を掴み取っていたからだと考えています。
既に係累が成功した系譜を築き上げているので、その慢心から人の心理を見る目が曇り裕子女史の弱気を汲み上げてしまい、逃げる事を後押ししてしまった。

私や協力してくれた同志達の家庭に対して、責任を持たない所も貴方がご自分の体裁のみを見ている事が現れていると思います。
まず、貴方はうちの亡父と会ってますよね。
おばあさんも亡父と会っているのでしょう。
前後編で書いている事ですが、私は自分の家族と私自身も孤独死から救わなければいけないから、裕子女史に早期に会うために努力してきたんです。
40前の同級生仲介者化工作も、N氏に会い組織に入会したのも、その後、懸命に働いたのも、K氏折伏成功させたのも、その為だった。
高齢リスクをぎりぎり避けられる時期に合わせて奔走してきたのが、それぞれの歳と照らし合わせてみれば良く分かると思います。
始めから、同級生勢やN氏にも加齢リスクを話して来ているんでその証明となるでしょう。

前編後編で書きましたが、貴方はうちの亡父とおばあさんに義理は無いのですか?
転生系の教えなんでありえないんでしょうが、もし霊山で二人と再会するような事になったら、うちの亡父には、いかにもすぐ会わせるかのように面会していると思いますけど、そこから25年は約束を守らなかった事になる。
裕子女史は、おばあさんの影響で今の仕事をしていると聞いています。
可愛がっていた孫娘をどうしてここまで転落させたのか、おばあさんは間違いなく怒るでしょうね。
しかも、裕子女史を50の歳まで追いやっている。
貴方はどう申し開きするんですか?

現実を見れば、今はもう奇跡でも起きない限りはひっくり返せない敗北した後の底の底にいる状態だと思います。
この状態になるまで、御自分で私に会いに来ることも無く、加害もやめさせない事が貴方が自身の体裁のみを考えている証拠です。

私が貴方の立場だったら、間違いなく10年前に会いに来てます。
世間の父親も同じだと思いますよ。

私としては亡父に申し訳ない気持ちでいますよ。
私も霊山で亡父と会ったら、いろいろ頑張って奔走した模様を話して、許しを乞う事になるでしょうね。

貴方はこのまま、私や協力同志達の戦いを無にして、さらに義理もないがしろにしている事になるし、父親として体裁が保てると思いますか?


B長スキップ事件の後、私が好意の支援を無にしたという事にして、謝罪強要事件が起き、貴方的には体裁を保てたと考えたと思います。

しかし、裕子女史的には立っている場所が1ミリも動いていないんで、不満を露わにしていたことでしょう。
普通の世界の観点から言えば、自分から話しかけるか、私に話かけさせるかすればいいだけなんですが、貴方が娘との軋轢を避けてしまうのと、周りの同志勢の口を圧力をかけて封じてしまう為に、裕子女史は裸の王様状態から抜け出せないのです。
とばっちりを恐れて誰も指摘して言わない、裕子女史は素っ裸で徘徊しているにもかかわらずに……。

ここから、裕子女史が自分の領域展開でN氏と私を工作にかけて行く事になりました。
全部話すと物凄く長いんで、貴方は勉書発信を一度全部12345前編後編最終章、本章と読んで見てください。
基本、割愛させていただきます。

前述の通りに、N氏の病状は転がり落ちるように悪化してゆきました。
5つの病院を転院し、各病院で新しい病気が見つかるという状態になったんです。
裕子女史はその方面の役人なんで、私が各病院へ面会に行くたびに必ず工作を仕掛けてきましたね……。
その労力を勇気に変えれば、自分を救っていたのに……。

今思えば、裕子女史が私に決定的なチャンスを与えてくれていた時がありました。 今思えばですけどね。
N氏は所属区と隣接する行政区にある3病院へ、入退院を繰り返す事になりました。
二つの病院だけ遠くにあったんです。
一つは新横浜の最先端の癌検診が出来るという検査専門の病院。
もう一つが少し離れていて、裕子女史の勤める役所の隣の病院だったんです。
ここで、「N氏、丸い地球で追うとどうなる質疑・裕子病院の階段を駆け下りる事件」が起きていたんです。
今考えると、裕子女史が、N氏に自分の勤め先の近くの病院に入院してくれと頼んだんだと思います。
そんなわけないやろと傍から見ると思うのでしょうが、そのくらいの工作は軽度のもので、もっと強烈な工作を平気で繰り出してくる一家なんです。


上記の次の日、休業させられた上にまだ、○○波で昏倒させられているんで、2023年1月26日のTwitter発信を転載。

貴女、それ続けていると、話が先に進まないんだよ。 意地になってんだろうけども、貴女が若い時に50のおばはんが自分の相手一家に嫌がらせしているの見たら、どう思うか考えてみな。 害基地か恥の上塗り以外の何物でもないと見るはずだ。 貴女は今、そう見られているんですよ。 どうせ開き直るなら、その方向を、うちに来て人並み以上の幸福を掴める方で開き直るようにしなよ。 勝てば官軍、終わり良ければ総て良しなんだから、今、貴女をそそのかして馬鹿にしている奴らを見返してやれよ


裕子女史的には、N氏が近くに入院しているとN氏に呼び出してもらい私が見舞いに来る日時が前もって分かるんで、35年間話しかけられないギャラクシーレベルのコミュ障にしても、私と会うメンタル的なコンディションを整えて迎え撃つつもりであったのかもしれません。
裕子階段を駆け下りる事件の時は、なんか気分が高揚したフォースを発散させていたんで、前向きな計画が有る事が分かりました。

しかし、事件の時は入院してから既に1週間ほど経っていた時だったんです。
病室に入り私が椅子に座るなり、開口一番、お母ちゃんがこの病院が遠すぎて来るのに大変なんだと言いだしていました。
あの言い方からして録音していなかったんでしょうね。
裕子女史も仕事場が近すぎて、変な工作を仕掛けずらかったのだと思います。
転院前の病院はN氏宅よりバスで15分ほどの近さ、所属区の基幹施設で職員も内部の顔見知りが多かった。 N夫人が病院の隣の商業施設でパートをしていたのも看病に最適だと思えました。
裕子女史の職場の隣の病院はN宅からバスで駅へ、電車乗り換え一回して、そこから送迎バスに乗るという僻地にあった。
既に看病するのに無理が出てきていたんでしょう。
N夫人も70過ぎた老体に鞭うってパートと看病を両立させていたが、N氏的に見るに見かねて、問題の元である私に大変な事になっていると伝えてきたんですね。

K氏折伏物語より転載 
{N氏は小細胞がんの脅威を語るわけではなく、この病院の場所が自宅から遠すぎて、うちのお母ちゃんが大変なんだとしきりにぼやくんです。
そんな話をしている時に私は階段の方を向いて待合室の椅子に座っていたので、階段を駆け下りる裕子女史を見たんです。
N氏からは見えないんですが、私が「あっ」と言って立ち上がろうとすると、N氏はまあまあとなだめるようなそぶりをして座るように示しました。
これは要するに全部裕子一家の書いた脚本をN氏もその出演者として企画実行されている話の可能性が有るなと感づいたんです。
(実際はN氏は2年後癌で他界するので演技ではなかった)
N氏に「今、裕子女史っぽい中年女が階段を駆け下りて行きましたよ」と言うと「ほぉー」とゆっくり階段の方を見て話し始めるんです。
「北枕君、地球はどんな形してる?」「丸ですね」「丸い地球の上を追っかけこして捕まえられる?」こういう児戯に例えて話す事がN氏はよくありました。
私は毎回めんどくさいなと思いつつも裕子家との間を取り持ってくれようとしているN氏に真面目に付き合っていたんです。
「丸くて同じスピードだと永遠に捕まりませんね」
「でも地球には山も谷も海も川もあるんだ君が得意な場所で●●さん(裕子女史)がのろのろしている時に捕まえればいいんだよ」
私は思っていました。 能書きはそれでいいけど裕子女史はもう四十〇歳の中年女なんだから、もう長い脚本をぽかんと口を開けて見ている場合ではないんだよと。
私は父が同じ小細胞がんだったとN氏に話をして、薬物と放射線の治療だから、神の手みたいな凄腕外科医の出番は無いと思うし、自宅近くの前の病院に戻っても良いと思いますよと話をしました。
その時も無くなる一週間前に会って話した時も言っていた米倉涼子が医者を演じているドラマの話(私は見た事無い)をして「あんな広末涼子みたいな医者がいて”私が治します!”なんて言ってくれたらいいのにね」と米倉を広末と間違えるN氏の冗談を憶えています。}


結局、すぐに元の病院に戻りましたね……。
しかし、元の病院へ戻ると裕子女史の北枕迎撃計画が実行できなくなる。
さらには、裕子階段を駆け下りる事件時に私が後を追おうとするのを押しとどめ諫めている。

なんで、もう少し転院しないで、裕子女史の計画を実行させてやらなかったのか? 
この頃は入院したら一度は必ず見舞いに行っていました。
裕子階段を駆け下りる事件の時が丁度初めて面会に行った時だったんです。その外には、呼ばれたら会いにゆくぐらいの付き合いに変わってしまっていましたが、入会以来、裕子女史関係で重要と思われるときには必ず呼び出されていました。
入院を続けて、すぐに呼べば、私は必ず見舞いに行っていたはずなんです。

要するに、N氏は裕子女史が私と会う気が無い事を見抜いていたんですね。
北枕迎撃計画も、周りの取り巻き勢への示威と体裁保持でしかないと見ていたんでしょう。
もう体調も悪化する一方で、明らかな茶番に付き合う余裕が無くなっていたのだと思います。

裕子女史のやる事は今日、2023年1月26日の時点のTwitter発信の転載を読んでもらえば分かる通りに、50過ぎても30代の時と同じ過ちを続けている。

もう、意地になってしまっているんですね。
私や家族を攻撃していれば、あのBBA狂ってやがんな……と周りがドン引きして恐れおののき自分の意向に従ってくれる。
腫れ物に触るように接してくれるんで、年齢の事とか将来老後的な展望とかに触れてこないし、快適な内部人間関係でいられる。
このまま続けていても破滅が待っている事は分かっている。
だが、どうしても勇気が出ないから、逃げたい一心で攻撃を続けてしまう。
現実逃避の麻薬中毒とまさに同じ事なのだが、叱ってやる義務がある両親が寝首を掻かれる恐れから自らの娘であるにも関わらず意見出来ない。
その状態を今日の今日まで続けているんです。

今、勉書1を見てたらN氏が亡くなったの2018年の11月でしたね、もう4年も経つのか……。
裕子階段を駆け下りる事件はN氏の亡くなる半年以上前でしたが、まあ大体5年前ですかね、今も血迷った事してるのだから、当時も当然周りへの体裁だけで工作を計画していて、それを片足を棺桶に突っ込んで仙人のような達観した境地に居たN氏が看破していたという事。

勉氏への書簡2023へ続く






















































































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