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「自由」が「分断」を生む時代

例の、中居正広氏に端を発するフジテレビジョンの問題。
更新日現在、第三者委員会が動き始めているようですが…無関係の周囲は、相変わらず勝手なことを言ってるみたいで。誹謗中傷も止まることはありません。
同様に、これ以外のありとあらゆることでも、気がつけば、同様のことが必ず起きます。何故なのでしょうか?


「自由な言論空間」って…

ネットは、最早「自由な言論空間」とは言い難い。

と言う人がいます。確かに、そうかもしれません…いや、ネットに限らない。人間社会全体に言えるのではないでしょうか。

日本国憲法第二十一条
1.
集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する。
2.検閲は、これをしてはならない。通信の秘密は、これを侵してはならない。

そもそも「自由」というものを勘違いし、日本国憲法に明記されている「言論の自由」を、自己流に拡大解釈しすぎている人が、それだけ多いということなのでしょう。

今に始まったことではない

こういう本が出版されていることでお分かりの通り、携帯電話やインターネットのない時代から、こうした「分断」は続いていたのです。

人間は、元々、良くも悪くも「自身の気に入らないもの」「納得いかないもの」を、徹底的に「排除」しようとする生き物ではないかと思います。それは、昔から今に至るまで、あらゆる手段を使って行われています。「いじめ」「差別」「村八分」「学校の校則」…意図せず敵対対象になってしまった個人や団体は、インターネットのない時代から、反論の機会すら与えられず抹消されようとしていた、または、されていたではありませんか。

つまり、この世に生きる誰もが「自身が敵対視する相手に対して言論抹殺を行ってもよい」というのを潜在意識として持ち、「自身の主張が100%正しい」と思い込み、「我が主張を第三者に無理強いさせたい」だけなのではと…。これが改善されることなく、いままでずっと続けられているのです。

知らず知らずのうちに…

…と、こうして記す私も、結局は、知らず知らずのうちに、そういう意識になってしまっていないかと。そういう意識は、持っておいたほうがいい…。
つまり、「この世に生きる誰もが」としたのは、こういうことなのです。

こんな世の中を変えたいと思うのならば、まず「自身の考え方は100%間違いである」ということを前提にした考え方にシフトし、品のある行動をしたいものです。そう思います。

如何なる争い・憎しみも必ず「分断」を生む

そんな中、ある大企業の不祥事で、そこの元社員の人が「会社全体の異質文化により自身も被害に…」などと、インターネット動画投稿サイトのコンテンツで、ある著名人と対談した際に、そのことを暴露した、ということがあったようです。
しかし、その発言内容は、本当なのでしょうか?私は、その話については疑いを持っています。

そもそも、その人は、過去に差別的な発言を公の場で行い、その結果、社会的制裁を受けたということがありました。また、この人の、今回の暴露のやり方にも違和感があります。
まず、その人が動画投稿サイトでの対談企画で話した内容が、仮に本当であるのならば、もっと早い段階で、正式なやり方に則って告発できたはずです。
ところが、この方は、会社を辞められて既に何年も経っています。その間、今まで何も話さないまま放置した挙句、会社に不祥事が起きたことをいいことに、ここぞとばかりに「告発」…それこそ、やり方が陰湿ではないかと思うのです。しかも、本人に直接言わず、他人に「告げ口」するかのように。

もっと問題なのは、その人が、その発言の根拠となるものを出していないこと。「社員だった当時から毎日、日記をつけている。自分が会社にいた頃の社員だったら分かるはず」みたいなことを言っているようですが、ならば、そこまでの重要証言であれば、普通なら、公にしないとしても、その日記を然るべき所に提出した上で、それなりのことはしますよね。しかも、それ以外に根拠となるものも、まったく出されていませんから、尚更です。

その人の、今回の発言に「信憑性がない」としたのは、これが理由です。従って、動画投稿サイトのコンテンツの対談企画で、その人が発言した内容について、私は一切信用できませんし、また、簡単に信用してはいけないと考えます。それ以前に、今更「どっちが悪い」とかなんとか言って…子供の喧嘩じゃあるまいし。だいたい、品がない。

ちなみに、名指しされた、その人にとっては先輩にあたる元アナウンサーは、相手を立てつつ、話の内容を真っ向から否定しています。しかし、その人は、その反論に噛みつく始末…

これこそ「分断」ではないかと。こうなれば、最早、会社の不祥事など関係ありません。余計に話をややこしいものにし、騒ぎを大きくしているだけでしかないのです。その話が事実だったとしても、話が盛られている可能性も否定できません。そうやることで、自身の心を満たしたいだけだとするならば、こんな酷いことはありません。
余程、元々いた会社に恨みを持っているのでしょうね…でなきゃ、あんなこと、しませんもの。

どんなことも、片方の、一方的な主張だけを真に受けるようなことは、絶対にしてはなりません。これは、その典型的な例です。こうしたものから生み出されるものは「分断」しかありません。

「自由」って誰のためにあるもの?

このように、争い事というものは、だいたい「醜い」ものなのです。日本人って、本当にみっともないなと思います。こんなことも「自由」とされるのなら、由々しき事です。

そもそも、「自由」って、誰のためにあるのか…それは、自分のためじゃない。周囲にいる人間のためにあるのではないか。自分のことは二の次に、なぜできないのか?
それができないから、トラブルが起こるのです。それは、自ら引き起こしているのです。そんなことでは、物事は、何も解決しません。余計に悪化させるだけです。

人の助けを借りなければ、自分自身、この社会では生きていけないことを、どうやら、理解している人は、ごく僅かかもしれません。

残念ながら、「自由」が「分断」を生むという、矛盾した時代を、いま、私達は生きています。「おかしい」と思うでしょ?ならば、自分のことだけを考えるの、みっともないから、やめませんか?

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