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私が意図せず「SNS離れ」し始めた理由について
X(旧Twitter)、Facebook、Instagramなど、SNSは普及してからかなりの時間が経過した。こういったサービスが出たばかりの頃は、喜び勇んで登録し楽しんでいたものなのだけれど、最近どうもこういったSNSの画面を開くのが苦痛になってしまい、いわゆるSNSとしてカテゴライズされているサービスで利用頻度が変わらないのは、YouTubeくらいな気がする。
別にSNSを見るのを辞めよう、だなんて考えたことはない。SNSを開く時間が自然に減っていった、というのが正しいところだと思う。
当然私のSNS離れに関しては理由が有る。
SNS離れの理由その1:他人に興味がない自分大好き人間に疲れた
Facebookが普及した当初なんて顕著だったと思うのだけれど、晩飯を淡々とアップし続ける人だとか、自慢の高級車をアップする人だとか、そういった人がたくさんいた。
最近はそういったセンスの無い投稿はあまり目にしなくなったが、あれは本当にひどかった。
まあ、晩飯くらいなら別に良い。けれどいわゆる「意識高い系」の人々が「意識は高く美意識は低い」という投稿を繰り返していたのはなかなかキツかった。なんでアメックスカードとロレックスの写真アップしちゃうの?って感じ。
これは当然Xにおいても同様で、Xユーザーが意識が高いかどうかは別として、なんらかの創作に取り組まれている人々は自作品の宣伝の場として活用していることが多い。
すると他人の投稿なんて全く興味が無く、恐らく興味があるのは自作の宣伝投稿のインプレッションくらいのもので、そうなると永遠と電車の中吊り広告を見せられる様な、ある種の拷問めいた時間を味わわなければならない、ということが起きてしまう。
当然自分もなんらかの創作を行う人間なので、こういった広告人間に成り下がってしまっているのでは無いか、と感じることもあり辟易としてしまった。投稿もあまりしなくなった。
我々の人生の正体は時間なのかもしれないので、SNSで発信したり情報をチェックしたりするよりも、きっと海とか太陽とか空とか見ている方がよほど良いのでは無いか、と思う。
SNS離れの理由その2:アルゴリズムが不快
FaceBookやinstagramでは、年々広告が表示されることが増えている。これじゃテレビを見ているのとなんら変わりない。
Xに関して言うと「おすすめ」という表示欄が出来てから、どうもユーザーの利用状況に大きな変化が起きたように感じている。
とくにXに関してはTwitterとしてサービスが日本に上陸したあたりの方が、よほど楽しく利用できた様に思っている。
そもそもこの「おすすめ」の欄に自分の投稿が掲載されると、インプレッションが爆増するのだ。すると自分の投稿を「おすすめ」に乗せたいと思う人が増える。
そして投稿があざとくなる。つまらなくなる。どんどん見なくなる。
SNS離れの理由その3:言葉・主張の強い人々の誕生
特に政治的な投稿においてはこの傾向が強くなってしまった。
別にこういった言葉・主張の強い人々は昔からいたよな、と思いつつ、世相を鑑みると「こういった投稿を目にして耐えられるほど自分に余裕が無い」ということも有るような気がする。
戦争が起きているしこの国のトップは国民に嫌がらせしてるし、燃料たけえなって思っていたら野菜も高くて、トドメに米不足。
そんな状況のなか、自分とは異なるイデオロギーを持つ人間を「嫌味・悪意たっぷりで叩きのめしてやりたい」とでも言いたげな人物の投稿を見る余裕は無い。苦痛だ。
それにメンタルの調子が悪い人の投稿もきつい。
ということもあって、過激で好ましくないユーザーに関しては徹底的にミュート・ブロックしていたところ、最終的にほとんどのユーザーをミュート・ブロックしなければならないことに気づき、その不毛な作業にとても疲れてしまい開くこと自体が面倒になってしまった。
SNS離れの理由その4:才能が可視化されるまでの不条理
これは「理由1」にかなり近い内容になるのだけれど、インターネット時代は「才能が可視化される」というメリットが有るわけだ。
当然、こういった「才能の可視化」が機能を果たしていた時代も有ったけれど、結局のところ自身の才能を外側に発信するユーザーが増えまくってしまった結果、才能を見つける作業以上に凡才を見つけてしまう確率が増えてしまった、というのも事実だと思う。
特にビジネス的にインプレッション数を考えると、とても単純なことでインプレッション数が多ければ多いほどビジネスチャンスが舞い込む。
この計算式を応用すると、凡才でもインプレッション数を稼げてしまえば好機到来、ということもあって、どうもSNS活用の天才ばかり見つけることが出来るようになってしまった、というわけだ。
悪貨は良貨を駆逐する、という言葉があるがまさにそれで、創作のスキル以上にインプレッション数稼ぎに長けている、というアンバランスなパラメーターの持ち主が跋扈するようになってしまい、もうすでにSNS上で「楽しい才能」に出会うことは難しいのかもしれないな、と感じることが増えたのも原因の一つだ。
なんというか、前述のとおり「あざとい投稿」に関してはその「あざとさ」に辟易していることも有って、そういったインプレッション稼ぎが上手な連中には興味がないうえに、そもそも「SNSで自分を売り込む」ということが必要な時代において、そういったことに熱心に取り組むユーザーが増え、そしてそういったユーザー達の投稿があまりにもフラットすぎる場合、森の木の葉を一枚一枚確認するような不条理を感じてしまってもう無理。
余談だが、デジタルデータは本当に価値が下がっているな、と思う。
SNSから離れてどうだったか
SNSから離れたことによって、色々とメリットが有った。
まず、小説や本を読むようになった。
これらはある程度商業的に整形された情報なわけだけれど、やはりお金を頂戴するという責任感を伴った文字情報の品質は高いな、と思う。
特に私はKindleUnlimitedユーザーなので、読むものには困らない。
また、映画を見るようになった。
私は映画というのはエンターテイメントの王様だと思っている。かかっている金の豪奢なこと。
これもサブスクに加入していれば、見ていなかった名作なんかもたくさん見ることが出来る。とても有意義な時間だ。
タイパ、なんて言葉は嫌いなのだが、SNSのタイパはあまりよろしくないな、というのが正直な感想だ。
やはり本物の情報や作品に触れている方が、よほどタイパもよろしい。
なんかつかれたな、と思ったら、いっそ一度SNSから離れてみることをおすすめしたい。その隙間に違うものを入れてみると、発見があるものですよ。