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のらねこ旅日記≪雨の地獄谷温泉≫

  大学同期のHに誘われて、長野県の地獄谷温泉に行った時のお話です。
(30年位前ですが)
彼女は『秘湯』とか『隠れ家』といったワードが好きで、満を持して行った地獄谷温泉でしたが、当日は土砂降りでした。
  最寄りのバス停から山の遊歩道を30分、きっと晴れていれば、爽やかな森林散歩だったのでしょう。
でも、雨はどんどん強くなり、足元は小川のように水が流れ、横をサワガニが歩いていました。
私たちはだんだん無口になり、ただひたすら、旅館を目指しました。
  こうしてたどり着いた地獄谷温泉後楽館さんは、古色蒼然とした山奥の一軒宿でした。
『のらねこ日記いきもの編ニホンザル』でも書きましたが、入り口は、おサルさんが土産物を盗むため開放厳禁で、窓には緑色の亀甲金網が張ってありました。(私たちの部屋の金網にはここの猫さんの通り道の穴が開いていました)
  お部屋は普通の和室で、引手のとれた襖1枚で廊下と隔てられていました。
洗面所とお手洗いは共用で、長い廊下の途中にありました。
洗面所は昔の学校にあったような横長の流しに蛇口が並んでいるものでした。
お手洗いの入口は、すりガラスの窓がついた板戸で、中との段差が30㎝位ありました。段差を降りて手前に洗い場、奥に個室が3~4個ありました。
1度勢いよく入口の引戸を開けたら、
いきなり戸が敷居から外れて
『ガシャン!』と段差の下に墜ちたので焦りました。(簡単に直せましたが)
  肝心のお風呂は、さらに長い廊下の先にありました。
内風呂と露天風呂がありましたが、露天風呂は外から丸見えで、特に向こう側の斜面にある野猿公苑がよく見えたので
「ちょっと明るいうちは、入れないね」とHと話し合いました。
  ここには、2泊3日の予定で、1日目は
大雨だったので宿からは出ず、部屋でゴロゴロして過ごしました。
  夕食は1階の食堂のような所で、お鍋と野草の天ぷらが出ました。
野草の天ぷらというと、私は柔らかい若い芽や葉を天ぷらにしたものをイメージしていましたが、ここの野草の天ぷらは、手のひらぐらいの大きな葉っぱが揚げてあって驚きました。
  お鍋の方は(なんの鍋だか忘れましたが)塩味が強く、煮詰まるとますます塩辛くなりました。
  お隣のテーブルには京都からやってきたグループさんがいて
「塩辛い!」とお鍋にお茶を入れて味を薄めていました。
  夜、お風呂に入りに行きましたが、ずっと雨が降っていたので、露天風呂を諦めて内風呂ですませました。
  2日目も雨でした。でも頑張って観光に出掛けました。
野猿公苑に行き、雨の中温泉に入っているおサルさんたちを見ました。
それから、山を降って民族資料館とベコニアガーデン(今はないらしい)に行って、お昼を食べ、また雨の遊歩道を30分かけて宿に戻り、部屋でマンガを読んだりしてゴロゴロしていました。
(宿には大量のマンガがありました)
  この日の夕食は、別の客室でいただくことになりました。
お料理はお魚の姿揚げに中華あんがかかったもので
「隣の用水池で養殖しているティラピアの中華あんかけです」と、言われました。
平べったいお魚だったので、一瞬
『ピラニア?』と思ってしまいました。
  この日の夜もまだ雨で、私は内湯に入りましたが、Hは洗面器を頭にかぶって
露天風呂に入りました。
部屋に戻るとHが
「コンタクトレンズ落とした!」と騒ぎ始めました。片方落としたそうで、
2人でお風呂場までの長い廊下や脱衣所を探しましたが見つかりませんでした。(ハードレンズはお高い)
  最終日は朝から晴天で、宿を出た私たちは、遊歩道で下山せず歩いて15分のタクシーが呼べる所に行き、タクシーで駅へ向かいました。
  長野電鉄湯田中駅に着くと、Hは売店で新聞を買いました。
彼女の革製のスニーカーはまだ濡れていて、列車に乗るとH はスニーカーを脱いで新聞紙を丸めてスニーカーの中に突っ込み、残りの新聞紙は床に敷いて足をのせていました。
  でも長野駅に着くまでには乾かなかったので、Hは駅前のデパートで靴を買い、スニーカーをゴミ箱に捨てました。
そして善光寺にお参りしてから、帰路につきました。
  その後もH とは、ちょいちょい温泉旅館に行きましたが、彼女から『秘湯』というワードは聞かなくなりました。








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