のらねこ旅日記≪はるかな尾瀬≫
高校生物部の夏合宿は、尾瀬でした。
7月になると、先輩に連れていかれて、スポーツ用品店でトレッキングシューズを買い、放課後になると運動部に混じって、学校近くのスポーツ公園を集団でランニングさせられました。
おまけに
「ファイトー!オゼ!オゼ!オゼ!」と声だしもあり
『なんで生物部が走っている?』と他の運動部員から奇異の目で見られていました。
出発日は夏休みに入ってすぐでした。夕食を済ませてから列車で群馬県の沼田駅へ向かいました。
車内は、同じようにリュックを背負ったお客さんでそこそこ混んでいて、床に置いたリュックに寄りかかって座っている人もいました。
深夜に沼田駅につくと、そこからは貸し切りバスで移動し、尾瀬の入り口、鳩待峠には午前4時に着きました。
ここで、朝食として持ってきたパンを食べて、日の出を待ち、午前6時から至仏山に登り始めました。
現在は鳩待峠からショートカットで、尾瀬ヶ原に入れるルートがありますが、この頃は至仏山を越えて行くルートしかなかったので、ろくに寝ていない体での山登りは、少々キツイものでした。
それでも午前9時に山頂へ到達し、そこで昼食となりました。
昼食といっても朝と同じパンでした。去年ある部員がおにぎを持ってきて、朝は大丈夫だったけど、山頂では腐って糸を引いていたということがあったので、とにかくパンを持ってこい、と先輩からさんざん言われていたのです。
私は好きだったクロワッサンを持っていきましたが、リュックのなかでぺちゃんこになっていました。
厚さ5㎜になったクロワッサンを食べながら『来年はレーズンロールにしよう』と思いました。
昼食休憩が終わり、私たちは山を下り始めました。
事前に『遅い人にペースを合わせる』と決めたはずでしたが、いい加減くたびれていて早く宿に着きたい、という心理が働いたのか、部員のほとんどが早いペースで山を下っていきました。
一方1年女子が1人、靴ずれでよく歩けなくなってしまい、先生1人とじっくりと草木を観察したい先輩2人が彼女につきそい、ゆっくりと下山していました。
そして、私と同期のO の2人だけ、先頭グループとしんがりグループのちょうど真ん中へんに取り残される形になりました。
山の下には湿原が広がっていて、今日の宿になる山荘も見えていましたが、いくら下って行っても、山荘がなかなか近くなりませんでした。
ようやく麓の森に入り、ホッとしたのも束の間、山荘が見えなくなってからが長かった!
あとどれくらいあるかわからない状態で、曲がり道に差し掛かるたびに
「ここを曲がれば、きっと森の出口だよ」と励まし合っていましたが、何度曲がれど、湿原は見えませんでした。
ようやく、森の出口の先に湿原が見えた時、あまりのうれしさに、思わず駆け出したOでしたが、足がもつれて転んでしまいました。
私たちが山荘にたどり着くと、先輩や同期が「おーい、遅いぞー!」と声をかけてきまきた。
それに対して、怒ったOは
「遅い人に合わせるって言ったじゃないですか!○○さんが足を痛めてしまってるんですよ!」と抗議しました。
それを聞いた先輩2人が大慌てで、救急箱をもって森の方へ走っていきました。
翌日は、尾瀬ヶ原と尾瀬沼で平らな木道の上を歩くだけだったので楽でした。尾瀬沼山荘に泊まり、最終日は、三平峠から大清水にぬけて、帰路につきました。
翌年は、靴ずれ対策として、1年生には早めにトレッキングシューズを用意させ、それを履いて重りの入ったリュックを背負い校舎の階段をひたすら登り降りするという山岳部のような訓練をしました。
その甲斐あってか、落伍者や故障者は出ませんでしたが、山荘でちょっと困ったことが発生しました。
山荘の部屋を3つ予約して、2部屋を人数が多い女子が使う予定でしたが、
当日、女子が何人か欠席したので、1人差で男子が多くなったのです。
結果、男子が2部屋使うことになりました。
女子の部屋は、三畳間と作り付けの2段ベッドが4つありましたが、当然人数には足りませんでした。
ます、三畳間に布団を敷き詰め、身長の低い1年女子が4人横に並んで寝ることになりました。
2段ベッドは、お疲れ気味の子を優先的に1人寝にして、あとは厳正なジャンケンにより、私と同期のT、AとKK が1つのベッドに2人で寝ることになりました、
消灯し、夜も更けた頃、私のベッドでは、Tの侵略攻撃が始まりました。
爆睡中のTが私の方へゴロゴロ転がってきたのです。手で押し返してもダメで、とうとう私は壁際まで押しやられてしまいました。
狭くて寝ていられず、かといって起こすのも悪い気がして、私はしばらく真っ暗闇の中で正座していました。
やがて、Tがゴロゴロ戻って行ったので、私は寝ることができました。
遠くで誰かが歯ぎしりしている音か聞こえました。
翌朝、Aにこの話をすると
「私も、KKの歯ぎしりで眠れなかった」とこぼしました。
「あの2人を組ませればよかったね、次はそうしよう」と私とAは心に誓いました。
あれ以来、私はちゃんとトレッキングシューズで行くような山登りはしていません。
でも1年上の先輩方は、コロナ前までは毎年尾瀬に行っていたようで、ここ何年かは、同期メンバーも参加しているようでした。
私は仕事で行けませんでしたが、機会があったら、行きたいなと思っています。(体力があるうちに!)