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南アフリカの歴史とオススメと私的見解
東京は成田空港からトランジット1回で24時間前後で辿り着ける南アフリカ最南端の国、南アフリカ。
今回はその中の
ケープタウンの歴史と観光
日本人である我々が持つべき観点というものを経済人である私の観点からお話出来ればと思います。
さて、この国の歴史は明るい方で有れば
アパルトヘイト
を語らずにはいれないと思いますが、それ以前の歴史からまず理解していきましょう。
その歴史は1600年代にオランダ系移民が大航海時代に多く移り住んだことから近代史が始まっていきます。19世紀初頭にイギリスが支配するようになり、長らくその支配が続き、政治上は
1961年にその支配を終えて独立
を果たします。
その後も農家の奴隷として永く使われていた黒人を排他的に扱う奴隷政策は例えば建物の入り口が異なるとか、選挙権がないとか、白人と結婚できないとか、昇進出来ないとか多岐に渡ります。
そもそも支配層であるイギリス系白人が制度を作る為、それらが一朝一夕に変更されるということが無かったのは今の
資本主義による国際金融資本の支配と近い
ものがあるように感じるのは私だけでしょうか。
ちなみに当時日本人は南アフリカとの数少ない貿易相手国だったこともあり、
名誉白人
という称号を国際法上は手にしており、当時から住む日本人はそれを誇らしく思ったという話がありますが、一体何が誇らしいのか、むしろ恥じるべきことと、今の2024年になっては思うわけです。
黒人差別と我々は無関係と思うなかれ日本人の皆様。
しっかりと士農工商穢多・非人という差別的棲み分けが同時期の日本でも行われて、武士を重んじるドラマや映画などを見ると今もしっかりとその歴史は人々のアイデンティティに刻み込まれているわけです。
非人
なんて人に非ずですから、言葉の通り凄まじい差別を我が国も持っていたからであり、実は子々孫々、脈々とその歴史は続いていたりします。
さて、
黒人奴隷支配は1948年に法制化
されます。これがアパルトヘイト。法律ではっきりと黒人や有色人種と白人で分けちゃうわけですから、すんげえ話ですが、当時は
「普通」
だったわけです。
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1994年までこのアパルトヘイトという差別政策は続きます。別に1948年に始まったわけではなく、法律になったのがその時なわけであり、慣習としてそのような事があったというのはその前からあったと想像に難く無いと思います。
今の経済による支配ではなく、当時は経済支配に加えて政治による支配が加わっていた訳ですから、今より想像もできないぐらい劣悪だったことは間違いないでしょう。
また思想のコントロールという意味でも数十年間続くこの異常な支配ですから、しっかりと頭の深い所まで洗脳教育を施していたことが分かりますね。洗脳教育といっても新興宗教のようなそれではなく、
当たり前の常識を変えていくというのが最も怖い
のです。
我々が法律という物で縛られているのも実は同じことなんですが。
そして、南アフリカでは30年前にマンデラ大統領の誕生により、このアパルトヘイトという差別政策は政治の中では終わりを迎えるわけですが、昨日まで奴隷だった奴をいきなり友達として扱えと言われても選民達(あえて白人を選民と呼びます)も困りますよね。
一方で奴隷達の方も困りますよね。昨日までご主人様だった人に次の日からオー、マイフレンド!とか言えねー、ってね。
法律が変わっても差別がすぐに無くならず、厳しいんですよね。そして
何よりも厳しいのは教育格差
だと思います。
字も読めないのに、白人社会に溶け込みに行っても馬鹿にされるしって、自由な社会は自由じゃねーって気付かされる訳ですから。
平等とは名ばかりで、
社会は絶対に平等ではありません
平等とか勘違いすると支配層にはアホだと思われるわけです。
みんな支配層は理解していて、平等だよ平和を目指そうよ、と正義を振りかざした言葉を使いながら、実際は平等では無いわけなので、この明確なダブルスタンダードを理解することが選民への変化の道標なのかもしれません。
現に南アフリカでは
タウンシップ
と呼ばれる昔の差別の時のままの黒人貧困層のみの住むバラックが存在します。
実に数十万の人が住んでいるらしく、アパルトヘイト政策終了から30年経った今もその姿は顕在です。
これはつまり、平等とはアパルトヘイト政策の時代を含めて平等、なわけです。1994年に富が集められて、再分配されて、再スタートしたわけでもないですし、教育格差を無くす為に白人を数ヶ月閉じ込めて、黒人に教育を施した訳でもないのです。つまり、「そのまま」な訳です。
本当に平等と言うならば少なくともアパルトヘイト政策の続いた数十年間分の逆バージョン、つまり有色人種による白人差別を数十年まずやるべきでしょう。
やるわけないじゃん!
って思ったそこの貴方。そうです。だから平等なんて有り得ないのです。
さて、つまり今もなお、低賃金で働くアフリカの黒人種はいるわけですし、それを表面的に差別する人はいなくなったわけですが、経済的な差別の仕組みは顕在だ、ということですし、富の格差の意味ではアパルトヘイト時代なんかより酷くなっていると思います。
持つものは言うわけです。
自由競争と資本主義
という言葉を使い、更なる支配層に支配されていることに気付きながら中間層であることに若干の喜びを覚えて。ドラえもんで言うとジャイアンに虐められる、のび太を横目に見ているスネ夫のようなポジションですね。
さて、そのようや支配構造の続く南アフリカですが、それを少しでも救えるとしたらどうすれば良いのでしょうか?
それはこの事を知る事だし、
関心を持つ事
に他ならないと思います。
それでは、その為の観光の部分を最後に少しだけ触れていきましょうか。
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やはりなんといってもサファリと言いたい所ですが、今日は
テーブルマウンテン
に焦点を充てておきたいと思います。
正直人工物としか思えない不思議な形の山ですが、標高は1000メートルちょっとですが、いくつかの登りルートがあり、ケーブルカーでも登る事ができます。圧倒的にオススメは日の出前の日の出に合わせた登頂ですが、数時間かかると思いきや、300メートル地点の登山口から登ると早い人だと20分、遅い人でも1時間も有れば充分に登れちゃいます。しかも都市部から車でわずか10分程度ですから、毎朝のランニングとかでこれちゃう距離ですし、実際にそういう人も複数いました。そこに広がる景色はライオンヘッドという別の山を上から見ながら広大な自然とヨーロピアンな街並みを一望できます。
オススメというとレストランとか色々あると思いますが、この南アフリカという国から学べることは支配の在り方に関してでしょう。
是非皆さん南アフリカを旅されてはいかがでしょうか?