対話道の探究(24、なあんも心配要らない。安心して進も。)
私は夫婦二人暮らしで
この数年は混雑時を避けて帰省するようになったので
年末年始をバタバタしている感じはないのだけれど
小売りや運送をはじめ、
さまざまなサービスやお仕事に携わっている人たち
世の中が動くために働いてくれている人たち
を目にしていると、
感謝してもしきれない。
ありがとうございます。
今もかかわっている場所は忙しい場だけれど
自分ができる範囲で活動を選んでいるので
以前のような強いプレッシャーやストレスにおびやかされることは少ない。
でも
かつてフルタイムで勤務していた頃
趣味も、主婦も、娘としての役割も・・・等々
力も手も抜けない不器用さで
苦しむことが多かった。
人に助けを求めたり、手を借りたりするのは苦手で
誰かが私のためにしてくれた厚意も
そのまま受け取れなくて
自力でなんでもやれることを「良き」ものとして
(実際はなんでもできてない、笑)
してもらうこと、受け取ることはしてはいけない「悪しき・罪深き」ものと
していた。
そのうえ
多くのことを「自分でなんとかする」「私ががんばってどうにかする」
ことを目指していたので
がんじがらめになって、とても苦しかった。
さらにはできなかったときの自分や
起きてもない悪い事態を想像してしまい
ちゃんと呼吸していなかったと思う。
結局は、誰かのお世話や
何か見えない作用に助けられて
まあまあ前に進むことが多くて
それもスムーズに受け入れきれないまま
そのことに感謝しなければいけないとか
自分の能力がまだ足りないとか
自分を批判したり、自分を下げたりする思考を繰り返してた。
自分のめざす自分は
もっとちがう場所にある、と追い求めて。
焦って、力んでいた。
常に緊張しながら世間と関わるのが当然だと
思い込んでいた。
脳腫瘍の手術を受けてから
その力みや緊張が自分を追い詰めていたことに気づいたけれど
まだ、自分とちがうところにある「何か」を
探し続けていた私。
今、それは不要だったとようやく気づいたところ。
ちゃんと、ここにもっているし
ここに私は生きている
何も心配いらない。
病気してから、急速に人生が変わったわけではない例の私だけれど
それは「私にとっては」大切で必要な時間だったとわかる。
これからも
私に最適なタイミングで
最善の選択ができるし
最高の力で対応していけるはず。
今まで私の中に蓄積されてきた経験や知識や知恵が
そのときの私にとって一番よいところで機能するはず。
だから、何も心配要らない。
安心して進も。