13.上のスタッフは文字で知らせてくる(私の場合)
「俺と組まないならもう大きい仕事はできない」
Sさんにそう言われたときに私がそれほど動揺しなかったのは、単純に、大きい仕事は人が増えて調整ばかりさせられるからやりたくないということと、Sさんが私を干せる権限を持っていないだろうと思ったからです。会社にとってあくまでSさんは「うまく利用すべき人」で、人事などにおける影響はほぼないだろうと、まわりの方からの発言から考えられました。はたして、Sさんと離れてからも私は別の大きいコンペなどにアサインされるようになりました。運良くいくつか続けて受注し、指名での仕事が増えました。やっと「Sさんの後ろで青い顔している亡霊」ではなくなったのだと私は嬉しくなりました。その頃の私は、色々な意味でチームを組みやすい人だったと思います。まずは、私の仕事にはもうSさんが絶対に入ってこないこと。「コンペなど、大型案件のみコンビを解散」とSさんは言いましたが、その後の会社の判断ですべての仕事で永遠に組まないということになりました。パワハラの認定が下りたということです。Sさんと仕事をするのを嫌がる人は相当数いたので、私と組めば必然的にSさんは入ってこないというメリットがありました。もうひとつは、私はSさんのようにだけはなるまいという思いから、ネガティブコミュニケーションに対して敏感になっていました。相手を思いやって仕事をするという鎖で自分を縛っていたとも言えます。怒ったらSさんと同じだ、その恐怖が、私を「感じの良い人」にしました。
私はどんどん忙しくなりました。帰る時間は遅くなり平日は終電近くまで仕事をし、終わらなかったぶんは土日に来て片付けていました。でも、今思いだしても「アイデアを考え、広告を作っていた」という印象がありません。ひたすら片付ける、作業をしている、という感じでした。自分が話している内容もよく分からなくなるほど疲労していましたが、Sさんの下にいるときより精神的には数段マシでした。
最高に忙しくなっていた2013年、我が家にひとりの男性が少しの服と何足かのスニーカーを持って転がり込んで来ていました。今は夫であり、当時は発注先の編プロのディレクターだったその人とは、入社直後から5年くらい知り合いであったにもかかわらずお互いノーマークでした。しかしある年の年末、忘年会でもしましょうと大久保の韓国料理屋に行ったとき、前に座る彼の白いシャツの上に白いゴシック体で「結婚」という文字が出ていました。「うわー私、結婚するのか」と思いましたが、彼は、Sさんに気に入られている人であることが引っかかりました。離席しトイレで「結婚したらSさんを新居に呼びたいとか行ってきたらどうしよう」と想像し、私は暗い気持ちになりました。まあでも、とりあえずお話だけでも聞いてみるかと彼を2次会に誘い「長男か」「両親は健在か」「浮気はするのか」「ギャンブルは」など、結婚条件一問一答を繰り広げました。その後、2回ほどお付き合いを断られたような気がしますがとりあえず付き合うことになり、1ヶ月で結婚を決めました。あれからまる5年、穏やかに暮らしています。彼は、私に対して怒るようなことは滅多に(今も)ありませんが、そのときは「転職をしたほうがいい」ということを何度も語気を強めて言っていました。でも私は疲れすぎてハイになっていて、怒りをエンジンにして動いているようなところがありました。辞めるなんて考えられませんでした。もっとできるとさえ思っていました。
ある朝、丸ノ内線に乗ってパニックになるまで、自分が壊れていることに気づけませんでした。
混んでいる電車に乗ると息ができなくなり、手足が冷たくなってしまうようになった私は、バスで会社に通いはじめました。そのことはもちろん会社には報告せず、変わらず深夜まで働いていました。ある日の終電間際、新宿の地下街を歩いていたら突然トンネルに入ったように音があちこちから共鳴し、耳に入ってきました。女の人の笑い声がすぐ近くで聞こえて振り返ると、何十メートルも後ろにいる人の声でした。人の耳は(そして脳は)とてもよくできていて、「聞きたい音」を選択して聴くことができます。それ以外の音は「絞るべき音」として無視をすることができるのです。でも私の耳は、その区別ができない状態になっていました。すべてが同じ音量で聞こえてしまうのです。このころは、デパ地下も、いるのがつらい場所でした。お金の音、おばちゃんの呼び込む声、紙袋がこすれ合う音などすべてが同じ音量で入ってきてしまうのです。
一応、サイボウズ(勤怠表)をプリントアウトして新宿の心療内科に向かいました。優しそうな男性の医師は言いました。「うつ病という診断書を書くので、すぐ会社に出して、すぐに休職してください」診断書を待つ間、うつではないだろうな〜と思いました。頭にふと「パニック障害」という言葉が浮かび、待合室にちょうどその関係の本があったので症状を見比べ、やはり私はそっちだと思いました。そしてそれならば、かかるべきは神経科だということを知りました。
翌日上司にうつ病の診断書を提出し「退職をさせてください」と言いました。結局、その上の部長から「ゆっくり休んで考えてください、ハワイでも行って(乗り物乗れないんだっつうの)」ということで退職願は受理されることはなく、私は3ヶ月の休暇に入りました。私はまた、精神的に参って仕事を休むことになってしまったのです。クラシック事務所でのときから数えると、3度目でした。もう働くの向いていないんじゃないかな、と思いながら休暇に入りました。
電車でパニックになったのは、それが初めてではありませんでした。担当案件でSさんと気の強い女性営業との板挟みになりながら仕事をしていたときに初めて発症していたのです。でもそれは東日本大震災のすぐ後だったので、震災が原因だろうと自分で勝手に理由をつけて、放置してしまいました。ラッシュがなるべく少ない路線にある家に引っ越すという手段で切り抜けようとしました。でもパニック障害は、放っておいてはダメなのです。悪化し、一気に吹き出たのがこのとき、2014年のことでした。3ヶ月の休職で治るとは思いませんでしたが、5年でほぼ完治するともそのときは思っていませんでした。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?