16.吉本ばななさん。
なぜここで日本が誇る作家のお名前が出てくるのか。これは、私の転職や人生を語る上でちょっと重要なポイントだからです。私は、10代の頃から吉本ばななさんのファンで、小説はすべて何度も読み返し、不安な日は本を持ち歩き、イベントなどにはできる限り出向いて生ばななさんを拝んでいます。ばななさんは私の憧れであり、彼女の生きるものに優しい視線は私のコンパスなのです。そんなばななさんが、六本木ヒルズでトークショーを行う「かもしれない」とツイッターに投稿されました。当日のことでしたが、私は行きました。予定されてはいなかったサプライズ登場だったのか、案内などはありませんでした。会場もはっきりとは書いていなかったので、私は「ここかな…」と思うイベントスペース近くでうろうろしていました。トークショーの時間になり、予定されていたイタリア人の女性と、ばななさんが現れました。お父様についてのお話や朗読など、心があたたかくなるイベントでした。「それではばななさん退場です」というときにばななさんは普通に、私たちが入ってきた入り口から外へ出ていかれました。関係者が通る裏口ではなく。
「ンマッ!」(ばななさんとお話ができるかもしんまいッ!)という気持ちがつい声になりました。私も出口に向かって小走りに向かい、すでにファンの数人から囲まれているばななさんのそばに行きました。並んでいたわけではないのですが、まわりの人がはけ、私が近づいても良いような道ができました。私は「こんにちは、あの、ご本全部持ってます」と低い声で言いながらにじり寄りました。ばななさんは最初少し驚いたお顔でしたが「ありがとうございます」と言ってくれました。私はその少し前に、偶然ばななさんのお友達と知り合っていました。その方と知り合った経緯のお話をしたり、ばななさんと同じく私もフラを趣味としていることなどを話すと、本当に普通のトーンで聞いてくれました。優しく、目線を合わせて接してくれました。
最後に一緒に写真を撮っていただき「それでは、失礼します」とごあいさつしてくるりと回れ右をして歩き始めた瞬間に、ぽろぽろと涙がこぼれました。体からさーっと何かが出ていくのを感じました。その頃の私は、心にもやのようなものが溜まっている状態でした。マンションを購入しようと探し始めたのは良いものの、夫となかなか意見が合わずに2年くらいがたっていました。私と夫は、そもそもかなり趣味趣向、性格が異なります。そのちがいをお互いが鼻で笑いつつもやや尊敬していることでうまくまわっているところがありました。それでも、家購入に関してはすりあわせが難しいな、という思いが出ていました。また仕事に関してはやりたいことと楽な毎日を天秤にかけ、転職に踏み出せずにいました。「身動きがとれない」という状況だったのです。ばななさんに優しく接していただいたとき、陳腐な言い方ですが私の心は震えました。自分の毎日を、大きなものから肯定されたような気持ちが強くぼやっとしていた自分の輪郭がばしっと定まったような気がしました。その翌日に、内覧に行った家を、私たちはふたりとも気に入り購入することになりました。あれだけ色々見てもふたりとも「いいね」となる家はなかったのに、です。奥平亜美衣さん(この当時は存じ上げなかったのですが)や、浅見帆帆子さん、武田双雲さんが言われているように「気分をあげれば良いことを引き寄せるよ」ということを体験できた出来事でした。(でも、このばななさんとの邂逅を引き寄せたのは何だったのだろう、私このとき淀んでたしなあ という疑問は残るのですが)翌月、私は夏休みをとってマスメディアン(クリエイティブ職に強い転職エージェンシー)に登録をしました。自分の条件を遠慮がちにでもはっきりと伝えたときまず言われたのは「その年齢でコピーライターのみやりたいというのは厳しいかもしれません」ということでした。ディレクションをやらない(できない)ということだと選択肢が狭まるということでした。私は当時勤めていた会社では10年間ディレクション(という名の進行管理でしたが)をやっていたのです。できないことはないです。それならば「できる」って言って入って、後からやらないという交渉しよう、と思いました。転職の意志が固まったのです。マスメディアンの担当者は、すぐに何社か紹介をしてくれました。その最初のいくつかに、私の今の職場となったデザイン事務所がありました。
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