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4.コピー500本ノックは失恋女を救う。

養成講座は、まず基礎クラスに3ヶ月通ったと記憶しています。コピーとは、広告とはなんぞやと教わる講義が主でした。課題が出されるのですが、書きやすく面白いお題ばかりで、採点も優しかったと思います。講師の方も、受講生の良いところを見つけ、よく褒めてくださいました。
さて、私がこの講座に通ったいちばんの動機は「コピーが書けるようになりたい」ではありません。「ナカダさんのことを考えてしまう頭のスペースを埋めたい」です。ここはとても大事なところです。
コピーライターの講師は、第一線で活躍している方ばかりでした。特に印象深かったのはネイルと高そうなスーツの色をいつも合わせていた女性講師と、かの有名な「地図に残る仕事」というコピーを書いた男性講師。
私は、コピーというのは思いつきで書くものではない、人を動かすロジックが必要なのだと学びました。(しかしロジックだけでも人は動かないのが難しいところ)そして、自分が「コレいいでしょ」と思ったコピーが、プロの目からみたら全然ダメだということが普通にあることも。その逆があることも。
なんて面白いんだろう!
私は、コピーライティングに夢中になりました。ナカダさんを、少しずつ頭の中から薄めていくことができました。その頃、コピーは私のセーフティネットでした(今もややそうなんですけど)。ナカダさんのことを考えて目の前が暗くなりそうになったら、コピーの課題を考えました。女性講師の言葉でとてもよく覚えているのは「あなたたちが本来どういう性格なのかはどうでもいいです。でも、性格が良さそうなコピーを書きなさい」という言葉でした。それは前職で、仕事ができないことを「優しくない」と言い換えられた私を救うように聞こえました。私は、いつも課題について考えている日々を過ごしました。それこそが私の目的でした。ナカダさんのことを考える時間を減らすこと。ひとつの課題で、最高500本くらい書いたときもありました。実際に講義で提出するのは10本ですが、講師の方は必ず見抜きました。「らにしみずさん、たくさん書いたでしょ」と言ってくれました。そして何本かを褒めてくれました。「これ新聞広告にすると面白いかもね」なんて、言ってくれました。
余談ですが当時、吉本ばななさんの公式サイトで読者からの相談を受け付けていて「自分の文章が性格悪そうかどうかが分からないけど、なんとなく悪そうに感じているのです」ということを送りました。ばななさんは「性格悪そうには見えないねえ」と返してくれました。優しいのです。そしていまならはっきりと分かりますが、ばななさんは文章に関して人を喜ばせるためであっても絶対にうそを言わない。その優しい言葉には、当時の私はすごく支えられました。
思えば、高校生あたりから人に認めてもらえるようなことがぱたりとなくなったような気がします。中学生時代は、私の能力を必要以上にかってくれ、信じて、伸ばしてくれた先生がいました。私ができないことは無視し、できることを少しだけ褒めて、もっとこうしたらいいとアドバイスをくれました(のちに不倫の申し出のようなことをされて縁を切ることになるのですが、その先生の導きは私の人格形成にはかなり影響しています)学生時代を終え社会へ出た私は、やっと入った職場でできないことが多すぎて怒られすぎて完全に潰れ、そこへ失恋が重なり、自分への評価は完全に枯れ果てていました。私は水を飲むようにコピーを書きました。
講座で同じクラスの仲間たちは、どうやら友達のようになったり、なんとなくグループができているようでした。私はその輪には入りませんでした。人と話して心をゆるめたらナカダさんが出てきてしまいます。とにかくコピーを書くことしか、自分がまっすぐに立っていられる方法がありませんでした。
そんな鼻息荒い私に話しかけてきてくれた猛者がいました。クラタくんという同年代の男の子でした。誰も思いつかない視点のコピーを書いて褒められていたことがあり、私も彼を覚えていました。まつげが長く黒目が大きい、可愛いタイプの顔をした男の子でした。(クラスメイトの顔や名前は、全てコピーとつなげて覚えていました。あの、カルピスが課題の回で褒められた◯◯さん、幻冬舎文庫が課題のコピーで恥ずかしいものしか出さなかった◯◯くん、のように。コピーが印象にない人は全く覚えられまえんでした)
「このあとみんなで飲みにいくんだけど、一緒にどうですか」
クラタくんの言葉を聞いて、私が思ったことはあろうことか、こうでした。

この人、私のノートを見て、コピーの秘密が知りたいのではないか。

ちょっと前に恋愛問題で救急車に乗った人と同じ人とは思えません。ともあれ私は、クラタくんが取り仕切るグループと講義後に飲みにいくようになりました。
養成講座が最終月に入り、主宰者のスドウさんから話しかけられました。ひとつ上の実践クラスに行ってみないか、というお誘いでした。「上の実践クラスを経たら、仕事を紹介することができると思う」と。私はそこで小さく驚きました。この習い事、仕事になるのか、と。新しい道がぴかりと光って見えるようでした。私はあと3ヶ月養成講座に通うことにしました。クラタくんとその仲間たちも一緒でした。私のコピーへの炎はますます燃え上がっていきました。そしてナカダさんの失恋でできた傷は癒えていきました。


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