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読書会@ミナちゃんち 島本理生「ファーストラヴ」


一見そう悪くは見えないこと(むしろ、良いことに見えたりするようなこと)。そのなかに「これ実は暴力なんじゃないだろうか?」と思えることがある気がする…ということを何年か前から考え始めた。殴られたり、罵られたりではないこと。教育という名目だったり、好意でくるんであったり「それ、やられている本人にも責任があるんじゃない?」と言いやすかったりするようなこと。それを考えるきっかけになったのは、わたしが受ける少なくない数の「私を褒めて、私担当になって、私を尊敬して」攻撃だった。逃げ道を潰して(ふたりで会うことや定期的に時間をとることを要求するなど)自分の欲のために相手の自由な発言や行動を奪う、コントロールするということを、長年友人だと思っていた人や尊敬していた先輩などがやることに気がついてしまって、私は人自体を嫌いになりそうになった。

島本理生さんの作品には必ず「暴力を受ける女性たち」が出てくる。さらにもうひとつの特徴は、まっとうな目でそんな女性たちを見て、普通の世界に戻そうとする脇役の人たちがいる。本を読む私たちは、狂気と正常の両方の視点を持つことができる。狂気を狂気だと気がつくことができる。島本さんもまた、ある場所で立ちすくむ人を小説で救うことに挑まれているのではないかと思う。

私は数年かけて少しずつ人間関係を変えた。転職もそのひとつだった。全然興味ないのですと言っているものに構わず誘ってくる人を、行くかどうかの問いはなく日程を出してと言ってくる人を、ふたりで会うことを指定してくる人を、ソウルメイトだと言ってくる人を、話を聞いてあげると言ってくる人を、ひたすらに絶った。それなら死ぬと言われても断った。「おまえごときが私の誘いを断るなよ」と言われているように思ってしまう自分の気持ちと戦った。自分の自由を奪うものたちはすべて暴力である、としばらくの間振り切った定義をした。どうしてこういうことになったのか、自分ではなんとなく分かっている。良い人になりたかった、寂しかった、自分に自信がなかった、そういうシンプルな理由ばかりではないのだと思う。たぶん。

今年最後の読書会はミナちゃんのおうちにて。ミナちゃんは23歳で結婚して、3年前に男の子を生んだ。羊のような雰囲気のニュージーランド人のだんなさんとのふたり暮らしについて「うちさ…、なんか、ほんと、静かなんだよね…」と言っていたミナちゃんは、思い切って犬を飼って2ヶ月後に妊娠した。いま、ミナ家はとても賑やかだ。チビちゃんがパパと散歩に行っている隙を見てわたしは島本作品と暴力について話した。読書会がはじまるとき、私はふたりの友人を入れようと思いミナちゃんに打診した。彼女はそれをはっきりと断った。今年、そのふたりに対して私は「もう、ダメかもしれない」とおもう出来事を経験した。ミナちゃんのような正しい人たちに、そしていつもまっとうな世界を見せてくれるよなよなに、数々の素晴らしい本をはじめとする芸術に助けられて、私はこちら側の世界に戻ってきつつある。いつでもあちらに戻れる。そういう部分が私にはある。そこと距離を置きながら、自分の人生をみちみちと生きていきたい。自分の人生を、だ。他の人の人生を凝視しない。興味は尽きないけど!

ミナちゃんの大切なマイルズ。名前の由来はもちろん「レキシントンの幽霊」である画像1




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