18.仕事をする母はたくさんいる。好きな仕事をする母は?
新しい職場であるデザイン事務所には、自分の顔を見れば不機嫌そうに怒鳴りつける人は、もういません。苦手なことをやらなくて良いから10年振りに「自分の仕事の質で評価してもらえる」実感を味わえました。得意な人が、得意なことをやる気持ち良さ、ストレスのなさ。(その件はデザイナーに代わります!と電話で言えることの喜びったら)気が強い人の意見によく分からないまま同意する必要もありません。大きなコンペを受注したり、クライアントから「このコピーはまさに私たちの言いたかったことです。読んでいて泣きそうになりました」と言ってもらえたり、後輩のコピーを指導したり、私は、コピーライターになりたいと23歳のときに思ってからやっと、コピーライターになれたような気がしています。集中して仕事をすることで19時に会社を出ることもでき、平日友人たちと会うこともできます。家で雑にごはんを作り、なんでも喜んでくれる夫と一緒に食べることもできます。そうなるとまた、欠けているものがなにか探してしまうのが私のわるい癖で…。
転職してしばらくしてふと「子ども、産まなくていいのかな?」と思いました。それまで私は、子どもを欲しいと思ったことがありませんでした。結婚をする運びになったとき「もし子どもができたら産もう、不妊治療的なことはしない」と夫に言っていました。でも、すぐに夫の大腸がんが見つかり私がそのあとパニック障害になり、お互いを必死で支えているうちに5年がたって私は40代になっていました。私が前にいた広告代理店は、親会社が鉄道会社であることもあり「安全、安心」がコンセプト。コンプライアンスに厳しく、世間の目というものをとても気にします。なので、もしも子どもを産んでも必ず復帰できると思われました。しかし、私は考えていました。「ここで子どもを産んだら、しばらく転職は無理だろう。年齢を考えたら、そのあとの転職はもっと無理だろう。つまり、私はずっとこの会社にいることになる」
私は同僚たちを見て、ひっかかることがあったのです。営業として第一線で働き、笑ったり怒ったりしながら働いていた女子社員たちが、ママになり復帰したら1日書類を作る部署に異動していきます。そういうこと、私は受け入れられるのだろうか。
私は、2000年に社会に出ました。当時は「働き方改革」などもちろんなく、
概ねは
A案:男性と同じように働き、評価を勝ち取る(バリキャリ)
B案:一般職として昔ながらのサポート的女性の働き方を選ぶ(腰掛け)
と、なんとなく別れていたような気がします。ちなみにバリキャリと腰掛けという区別は、ドマーニの編集長のインタビューに書いてありました。まさにそうですよね。そしてAの道を選んだ人も、子供を産んで働くならBの道に変更することが多かったような気がします。「働く母」は増えていると思いますが「仕事とがっぷり向き合えている母」はまだまだ少ないのではないでしょうか。分かりやすく会社を辞めてパートタイマーになるという話ではないです。同じ会社に復職しても自分が積み上げてきたスキルや人脈が必要ない部署に異動すること。時短勤務をすると皆に迷惑をかけるし、自分も大変だから、第一線から外れた方がいいでしょ?という判断。これって、人に優しい対応なのでしょうか。もちろん、自分で希望して営業から外れているケースも多いでしょうしそれは悪いことではないと思います。だからこれは、あくまで私の意見なのですが…。仕事ひとすじじゃないけど、若い頃から働いてスキルを積み上げてきた人が子供を育てる時間を確保するために、そのキャリアを伸ばすことを「いったん」諦めて、とりあえずお金のために、働ける場所で、働くようなことになってしまう(でもその「いったん」が解かれるのはいつなのだろう?)会社に「いさせてもらう」もしくは「会社を上手に利用する」みたいな感じになってしまう。その働き方で失うものって、子どもへの愛でチャラになるくらいのことなのでしょうか。
私たち夫婦はおそらく、これからも子どもを持ちません。「子どもができたら私の仕事人生、苦しかっただけで、潰されただけで終わっちゃうよ」という気持ちが私にあったことは否めません。今までできなかったことができるようになったり、派生した仕事を好きになれたり、なにかに気がついたり、ここは好きだけどここは苦手だとわかったから少し方向を変えてみようとか、自分の仕事のやり方をカスタマイズしてどんどん自分自身と仕事の壁をなくしていくのは、どんくさくて不器用な私には20年とかじゃ満足いくまでできないことなのです。時短にするかわりに、たとえば「好きじゃないけど得意なこと、できること」で働くという選択を、どうしても良いと思えなかった。私、甘いんだろうな、と思いつつ。お義母さん、孫を抱きたかっただろうな、と思いつつ。(ちなみにうちの両親は妹が産んだ孫がいるため、私の方には期待をかけないようにしてくれているところがありました。私も、姪をとても愛しております。彼女が産まれたことで、いちど木っ端微塵になったうちの家族はなんとなく再結成したのですがそれはまた別の話)
たとえば、実際にまわりにいるのですが「世界的デザイナー!」みたいな強い夢を持っている人は、子供を産んだって、どんなに苦しくたって仕事と子育てを両立するかもしれない。「こんな努力、夢の前には努力じゃない」っていう人たちはいます。あともちろん、エネルギーと集中が大きく、有能で、フリーになって成功する人もいるし、子どもが生まれたら新たな才能が開花してそれが仕事になる人もいます。人の可能性は無限だし、いくらでも明るい方へ歩くことはできます。そして大事なことですが、仕事だけが人生の重大事ではありません。仕事だけが追求すべきことでもありません。
でも私みたいに自分のやりたいこと以外全然ダメで、新しいことがこわい、気が小さい人間が、自分の好きなことならちょっとは社会に役立つこともできるんじゃないかって少しずつ網目を細かくしながら仕事と人生の質を丁寧に詰めていくことに喜びを見出しはじめて、そしたら子産みのリミットは迫ってきてて、じゃあ仕事と子育て両立できるかといったらそれは今の日本では難しいのではないかと思います。前線から外れるのは産休の1年だけではないからです。私がやりたかったのは素敵なコピーを書くことよりむしろ、そうやって仕事と自分の境目を少しずつ均していくことかもしれないと、これを書いていて気がつきました。
まあ、それでもなんでも、子どもって縁があれば飛び込んでくるんだと思うから、今生は大型犬のような夫とふたりで仲良くしろよってことなんでしょうけどね。
帰って、豚と茄子の味噌炒めでも作るかね。美味しいって言ってたから。
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