【希望と絶望の混在する映画】すばらしき世界
前日につい「誰も知らない」を観てしまい、タイトルとは裏腹に、なんの救いもない映画なのかと思い込んで観に行った。
人生の大半を刑務所で過ごした元ヤクザの三上が、10年ぶりに出所し、今度こそカタギになると決心するところから物語は始まる。
自分を守るために見ないふりをすること、勇気ある撤退をすること、それは正しいのかどうかわからない。ただ、それを選ばざるを得なかった三上は、そんな自分のことを好きだとは思えなかっただろうな。人はひとりで生きてはいなくて、誰かを支えて支えられて関係を持って生きている以上、我慢しないといけないこともある。長澤まさみ演じるやり手プロデューサーが小説家を目指す津乃田に言った言葉や、三上が津乃田に言った言葉が私だったらどうしていたか、と問いかけているようで答えに窮している。
三上のお母さんへの思いは切なくて、おそらく頭ではわかっていることを、心が僅かな希望を求めているのを観るのは、誰も知らないと重なってとても辛かった。そういう思いをしている子供がどこかにいるかもしれないということに対して、何もできない自分の無力さも感じた。
けれど、みんながみんな冷たい訳ではなく、三上に親身になってくれる人がいることには救いがあった。直木賞作家の佐木隆三さんが書かれた「身分帳」というノンフィクション小説を題材としているということで、現実は厳しいことも多いけれど、それと同じように希望もあるのだと、なんとなくホッとした。そして、自分は相手の本当の姿を見て接することができているだろうか、厳しい現実ではなく希望のある現実として生きられているだろうか、と反省もした。
ドラマや映画を観るとき、どうしても役者さんが演じているものという見方になってしまうことが多い。「この役者さん上手だなぁ。よくこんなに自然に演技できるな」と思うのだが、役所広司さんの演技は、演技ということを忘れさせる評判通りの演技だった。(ややこしいけど)
それくらい役所さんは三上であったし、三上の良くも悪くも真っ直ぐな性格が、役所さんのそれであるかのようだった。普段は優しく穏やかなのに、一旦スイッチが入ると狂気的にすらなる様子も、殺人を犯したことがある人をとても表現していた。
考えさせられる映画だったが、見終わった後にどうしようもない無力感や絶望感がある訳ではなく(私の中ではパラサイトがその最たるもの)良い映画だな、と言える一本だった。
アイキャッチは、映画の中で三上が頼って行った組の姐さんが言った「娑婆は我慢の連続、でも空は広いと言いますよ」というセリフが印象深くて。
余談(余談が長くなってしまった…)
隣に座った初老のご夫婦が、話はするし、お酒を飲みながらおかきを食べるし、お酒を飲むので笑い声(なぜ笑っているかわからないところで何度も大笑いしていた)も話し声も大きくなるし、何かをカンカンするしで、集中しきれなかったのが残念。うるさくてイラッとしたし、周りの人もうるさいだろうしと思って、何度か注意をしようとしたのに、タイミングが掴めずに注意せずじまいだったのが心残り。でも注意してたらしてたで、ややこしいことになる可能性もあったと思うと、ことの大きさは違えど、映画の内容と重なることもあり、これまた考えさせられた。
でも、ハッキリ言えない自分は好きではないので、今度はちゃんと言おう!(こんな機会もうない方が良いけど…)