【論語】当たり前をやり続ける


子曰く、出でては則ち公卿に事(つか)え、入りては則ち父兄に事う。喪の事は敢えて勉めずんばあらず。酒の困(みだれ)を為さず、何にか我に有らんや。
先師が言われた。「役所に出ては、公卿(高官)によく事え、家に在っては、父兄に善く事える。葬い事には及ぶ限りつとめる。又酒を飲んでも乱れることはない。そのほか私に何があろうか」
『仮名論語』論語普及会編

内容としてはいたって普通、当たり前である。お酒の失敗の多い私には耳の痛い章句ではあるが。ただ、平凡なことを完全に守るということは、実際に行ってみると簡単なことではない。孔子の生きた時代は乱世であり、現代よりも平凡な道徳を完全に守ることは難しかっただろう。

森信三先生は3つのことを守るべきと書かれている。これだけやればよいのではなく、これらのことが出来るようになると、他のことにも気付いていけるということなのだろう。

・椅子を入れる

・靴を揃える

・あいさつをする

どれも当たり前だけど、完全にやるとなると難しい。つい気を抜くと忘れてしまうことも多い。椅子に座るときになって、椅子を入れることを忘れていたことに気づく。

そして、森信三先生は慎独という言葉も用いている。(『大学』「君子は必ず其の独りを慎むなり」が出典)人が見ている時だけではなく、1人の時こそ慎むということだ。

イエローハットの創業者であり、掃除運動で有名な鍵山秀三郎さんも凡事徹底という本を書かれているくらい、平凡なことを続けることは大事なことである。

当たり前をやり続けることによって、他者のすごさもわかる。椅子を入れない人は毎回席を立つたびに椅子を入れていることに気づかないし、靴を揃えない人は靴を揃える人のすごさをわからない。

その智が大であればあるほど、自らのいる位置を卑しくし、自らのいう言葉を謙虚にする。それは求める道の窮まりないことを夫子(孔子のこと)は知るからである。 『日本の名著 伊藤仁斎』

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