『過去を変えた』私の母~発達障害児育児の失敗
発達障害を持つ被虐待児(アラフィフ)のお気持ちです。
『過去は変えられる』
って、最近よく言いますよね。
「不幸な過去のできごとは変えられない」と嘆く人へ、「起きたことは変えられないが、受け取り方次第で心の中での位置づけが変えられる」という説得。
そう気持ちを切り替えることで生きづらさを減らすことができるのは素晴らしいことです。
それはさておき、私は『過去を変えた』母について考えます。
『末っ子で甘やかされてわがまま』
自分で言うのも何ですが、私は大変賢い子とされていました。
時系列はよく覚えていないのですが、3歳だか5歳だかで新聞を読んでいたとか。
おぼろげな記憶だと、政治面は面白くなく、何も知らなくても楽しめる社会面の事件記事(40年前なら『ロス疑惑』など)や、興味と知識のある野球の記事は面白かったです。
今で言う『ハイパーレクシア』で、文字を読む力はあっても、政治という前提知識が必要な話は教えられていないのでわからなかったのですね。
また、当時小学校で行われていたIQテストでも学年で一番を取っていました(数値は非公表)。
後述の発達障害の検査では平均して115前後で「この数値で一番とか……」と思ってしまったのですが、カウンセラーの先生曰く「過酷な環境や向精神薬の投薬の影響で下がったのかもしれない」とのことです。
ですが同時に、女の子にしてはかなりガチめの自閉症で、小学校では授業中に『自分の中の理』に反したことが起きるとパニックを起こして、学年中に響き渡るレベルのギャン泣きを短い周期で起こしていました。
専門用語で言う『行動障害』、周囲が理解できない本人なりの理屈で自傷・他害・破壊など極端な行動に走ることです。
割と重度の発達障害児・者に見られます。
当時は、医学の世界でも『知能が平均か、それ以上の自閉症の子』が存在すると思われていませんでした。
行動障害を起こす自閉症にしては知能が高いので、公立小学校で私は『末っ子で甘やかされたからわがままになった』ので泣いている、という位置づけをされていました。
「恥ずかしくて学校に行けない」
小学2年生のある日、何かの機会に私を含めた下校班と母が行き会って、同じクラスの佐藤さんが母に「この子、頭おかしいの?」と聞きました。
母は帰宅すると火がついたように怒って、「お母さん恥ずかしくて学校に行けない!」と私に怒鳴りつけました(そのうち書くかもしれませんが、母はPTA役員をやりたがる人だったので)。
母としては、『頭がおかしい』と言われるレベルで『わがまま』を言う娘が許せなかったのだと思います。
外面がよく、常に他人に遠慮していた母にとって『わがまま』は単純に悪で、その上周囲からしつけ方を疑わせる要因でした。
母は、『賢い』のに「誰にでも『できる』普通のこと」を『やらない』私は「末っ子だから甘えて『わがまま』を言っている」という理解しかしていませんでした。
私としては、一生懸命生きていても知らず知らずに『そう』なってわけがわからなくなることをやめられず、それを『わがまま』だと怒られて萎縮して生きて、それでも『そう』なってしまう……という悪循環の中で、『そう』なって怒られるたびに自己肯定感を削り取られていました。
その結果、今では『他人が近くにいること』が耐えられません。
中学生くらいになると、行動障害をある程度意志の力で我慢でき始めたのですが、薬剤を使わない自己のコントロールは『火事場のクソ力』を絶えず出し続けることとイコールでした。
キン肉スグルですらピンポイントでしか出せない力を使い続け、私は限りなく消耗していきました。
自分を責めながら行動障害を抑える努力をしていた30年後、怒涛の答え合わせがやって来ました。
「発達障害です」
2003年頃に、当時通っていたクリニックで『知能が低くない自閉症=発達障害』という概念を教えられ、「あなたはそれに当てはまるかもしれない」と言われました。
調べると、確かに当てはまることが多く、自分は『(当時の用語で)アスペルガー症候群』だな、という理解を得ました。
10年近く納得しつつ宙ぶらりんにしていたのですが、2011年の夏に診断と検査を受けて、晴れて『発達障害』の診断名を得られました。
表現に不快さを持つ人もいるかもしれませんが、私にとっては論拠をもって「頭がおかしい」と言われる方が、感覚的に「わがまま」と言われるよりもずっと救われる、幸せなことでした。
『障害児に無理難題を押しつけて責めた鬼母』
そうなると、母は『「できる」のに「わがまま」を言う困った子を一生懸命育てる健気なママ』から『生まれつき「できない」無理難題を障害児に押しつけ続け、案の定できなかった結果を責める鬼母』という風に認識が改まります。
同時に、『障害を持つ子どもの困りや苦しさを「わがまま」ということにして恥じなかった想像力の欠如が著しい親』『障害児を生んでおいて、「障害を持って生まれた子どもが恥ずかしい」と他責の限りを尽くしていた無責任な親』という属性が加わります。
本人の自己イメージである、『子どもが多少勉強できなくても責めず、普通のささやかな幸せを願う可愛いママ』の正反対を行く畜生ぶりです。
そもそも、『わがまま』なメンタルの子は、怒られることがわかっていて『わがまま』を働いても、泣いて謝ったりはしないと思います。
母はそんなことにも気づかず、あるいは「自分の子は頭がおかしい」という事実を見たくないために、『ただ怒って目の前の鬱憤を晴らしていた虐待親』として振る舞っていた、という認識になります。
私は母を『親の資格がない』『人非人』『鬼畜』『畜生』と思うようになりました。
『過去は変わる』
それまで知られていなかったことが判明して、世界がひっくり返ったことは何度もあります。
地動説も種の進化も相対性理論も、当初は突飛な説だと受け止められていました。
発達障害はそこまで大げさではないかもしれませんが、「末っ子でわがままでお母さんに恥ずかしい思いをさせてごめんなさい」と謝っていた子どもが「障害を持って生まれたことだけは私は何も悪くない、障害のある子に他責したド畜生を許せない」と認識を反転させるには充分です。
最初に挙げた例とは違った意図になったかもしれませんが、自分の意志だけでなくても「受け取り方によって過去は変わる」ことはおおいにありうるのだな、ということを思いましたよ、というお気持ちでした。