名付けるならば今は新学期

休みの日に早めに目が覚めると、得したような、損したような気持ちになる。

今日、東京は久しぶりに気持ちよく晴れた。
ひとまず私は、続いた雨のせいでたまった洗濯物をすべて洗濯機にお任せし、待っている間、今日という日の過ごし方を考える。

無限に思えた3ヶ月という休職期間が、8月31日で終わった。
8月31日。夏休みが終わる日。

仕事は今のところ楽しくやれている。
焦り、申し訳なさ、自責。
そう言ったものたちはすべて夏休みに置き去りにした。つもりだ。

今日は社長の厚意でいただいた週半ばのお休みの日である。
人生とはやはりこうあるべきだと、どうしても思ってしまう。
限られた時間のなかで、自分になにができるか。支払われる対価に見合った能力を発揮するためにはどうすればいいのか。では、私の能力とはなんなのか。
仕事をしている間は、そんなことばかり考えている。

仕事、好きな人も嫌いな人もいると思う。
仕事をするために生活をしている人もきっといるし、渋々取り組んでいる人ももちろんいると思う。
なにを対価として仕事をしているのかも、人それぞれだと思う。

それでも、日々張り詰めながら、一生懸命自分のできることをして、自分のできる範囲を少しずつ広げていきながら、
こんな風に、休養を愛おしく思う時間に安堵する。

私は人様によって生かされ、次は人様を喜ばせるために生きている。

日々の小さなことをちゃんと幸せだと感じ取れるように、鈍らせることなく、私は私という人生を全うするために、考え続けることをやめない。

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