来たるべく日のために。
あおちゃんがついに現役を引退します。
私は引退するとなったら少なくとも最終戦の1ヶ月以上前に発表すると思っていました。
私の性格上、引退がいきなりやってきたりしたら、その1ヶ月の間、もがき苦しみ、気持ちの置き場がわからず、グチグチと周りに悲しい辛いと撒き散らし、もうどうにもならないだろうと思ったので、今から約2年前から「青山敏弘選手の引退に向けて、精神を平穏に保つためのプロジェクト」を立ち上げたのです。
お題は大層なものですが、やることは地道です。
少しづつ、少しづつ、あおちゃんから気持ちを少なくします。
折しも時はコロナパンデミック。
否が応でも会える機会が減りました。
それでも遠くから見送ったり手を振ったり手紙を書いたりもしていました。
人との触れ合いが難しかった時間、他にも出会いがありました。
ご存知、レッサーパンダと松下洸平くんです。
パンダは動物ですし、松下洸平くんは、遠いところにいる人なので、自然と「触れ合う」という形態から離れる事になりました。
そうこうしているうちにほぼコロナ前と同じような生活になってきたのですが、その頃サンフレッチェでは監督が代わり、あおちゃんは試合に出られなくなりました。
ついに来てしまった!
これが1年続くと引退か…
10年出し続けた横断幕も一昨年は途中で辞めてましたし、出す場所も遅く行っても出せる場所にかえました。
去年はエディスタが最後だったのでなんとか半分以上は出しました。
試合に出られない理由はわかっていたので、それ以上多くはのぞみません。
もともと寿人さんにパスを出す、ミカやヤマさんや、柏くんにパスを出す人だったので、そこがかわるとなかなか機能出来なかったのですが、そもそもサッカーでもバスケでも流動的なチームスポーツというのは、チームにハマれないとどんなに上手くても機能しないものです。
あおちゃんは、あおちゃんのチームでないと力が発揮できないので、昨今のチームになるべく育成されたエリートプレイヤーとは違う時代の選手になってしまったのです。
なのでヨーロッパから監督がきたら使ってもらえなくなると思っていたので、ヨンソンさん続投にならなかった事で4年間、現役が伸びたのでは?と思ったのです。
そんなふうになんなら、2017年辺りから
「もう何時でもおかしくないなぁ」と思っていたので、覚悟は出来ていたんだと思うのです。
そして満を持しての引退発表。
私の「青山敏弘選手引退プロジェクト」は着々と進められています。
とりあえず、11月はできるだけ吉田にゆく。
これを伝えたら「当たり前じゃ」と言われました。
しかし、そんなにガツガツしてないのでゆったり楽しめているのです。
今のところ八つ当たりもしてないし。
しかしまだあと一ヶ月。
いろんな感情が渦巻きますが、ここからさらに精進していこうとおもいますのでよろしくお願いします。?
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