セレッソ戦。


大阪まで試合を見に行くことになんの疑問もなかったのですが観客席に座って感じたのは、自分が完全に「部外者」として試合を見始めているということでした。

ほとんど「思い入れ」がわかないという状態で特に応援していないチーム同士の試合を見る感覚です。

 しかし、前回、ああでもないこうでもないと書きながらそのすべてを覆してくれるような内容だったらいいのにな、と思っていました。
理想は、内容がよくなってきてから満を持しての勝利だったのです。
「きっかけがあれば」「とりあえず一勝すれば」なんていうのは、一回勝ってしまっただけでそのあと「あの時勝てたことと同じことをすれば」ということに陥るのが嫌だったからです。

 今回勝てたのは、自分たちが前節より丁寧なフォーメーション取りができていたからでしょう。
定位置からの景色がいつも異なるような動きまわるサッカーができるほどチームは、成熟していないのです。
まずは、自分たちの位置関係を把握するところからです。

ポゼッションができていないので守備的にブロックを組んでいた、ということなのですが、それが90分を通してほぼほぼできていたというところからセレッソとしても崩しに行けなかったというのもあったでしょう。

 なにより、この勝利の大きな要因は、「セレッソができていなかった」ということに尽きると思うのです。
少々のミスなら見逃してくれていましたし、こちらのターンでもたもたしているというところに突いてくるようなこともなく、なんなら、あのエミルの押し込みがなかったら、またもスコアレスドローという結果であってもおかしくなったのです。

 それなのに後半は、どんどんと押し切られるという。
これは、采配ミスだと思っています。
戸倉が入ったところでなぜに荒木君を置いたのかということです。
間違いなくそこを狙ってきていたというのが見え見えで吉野君をボランチにするよりそれこそ和田君であったと思うのです。
最後にそこでかき回されるのは、より難しくなるかもしれませんが、それならボランチは、そのままで右ストッパーに和田君を入れたほうがサイドからしか攻められないセレッソの息の根を止めることができたのでは、ないかと思うのです。

 それでも最後までやり切れたほうが収穫だったと言いたいのですが、このことを自分たちができた、と思っては、ほしくないのです。
あくまで相手ありきでしたから。

相手が違ってもこの状態を保つことができたのか、それが最低限スコアレスへの道でありそれ以上となった時、エミルが押し込んだシーンがなんども起きることはなく、今度は自分たちがそれを作り出さなければならないということ、セレッソ相手にそれはできなかったということ、ネガティブな要素をどれだけ自分の中で消化できるのか、が次へ進むために必要なことだと思いました。

 

エミルが振り返った時、間違いなく、入る、と思いました。
あれが自分にできるのか、今一度、思い直して週末に臨んでほしいと思いました。


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