一生懸命生きる
ここのところ、芸能人の自死や、寝たきりになった人の嘱託殺人の事件などが騒がれています。
どちらもそれぞれに辛いことがあったであろうことが想像できるだけに、何とか出来なかったのか、いや、その選択も無くはないと、双方思いをめぐらせてしまいます。
昨年まで橋田壽賀子さんが安楽死の合法化を訴えておられました。
最後は1人になる自分や、見送ったご主人様のことを思い出すと、自意識があるうちに自分の去り方を決めたいと思う人もいて、選択出来る体制が欲しいと願われたのだと思います。
私の祖父母はみな家族に手厚く看病され、中でも私の父方の祖母は最後まで自分の家で過ごし、ぼけることも無く、母に看取られて亡くなりました。
脳卒中にかかってから10年近く寝たきりでしたが、認知症にならなかったので、家庭で介護ができました。
私も少しだけ手伝いましたが、寝たきりで動けないのに、祖母が「死にたくない」と言うのです。
あちこち痛いし、オムツを変えてもらわないとならない、1日横になってるから夜は眠れなくて朝方ウトウトするような生活で、少しずつテレビも見なくなり、好きだった和歌集を読むこともなくなり、最後は少しずつロウソクの火が消えるように老衰で亡くなりました。
友人の父様ガンで末期をさまよっても、やはり死にたくないと。
実際どちらも自分が同じ立場になったら、そこそこの所で、何とかしてくれ、もう、いいだろう、と言い始めると思ったのですが、その場になったらやはり死にたくないものなんでしょうか。
今はまだ実感がないのです。
ないなりに2人でかんがえてみたんですが、父や祖母の世代というのは、物理的に生きることが簡単ではなかったのかもしれません。
食べ物のこと仕事のこと、貧乏ですし、戦争も体験していますから、思うようにならないことだらけだったとおもうのです。
寝たきり、思うようにならないというとは、仕方の無いことで「死ぬ」ということについては「そんな簡単に死んだらだめだ」から、色んな手筈をかんがえたのかもしれ.ません。
もしかすると、先人たちは難しい生きる方を一生懸命続けていて、人として生まれたからには簡単に死なないという思いをもって最後までいききったのかもしれないとおもったのです。
そう思えば、一生懸命、とりあえず一生懸命だね。
一生懸命生きることが次に繋がるんだということがみえた気がしました。
とりあえず、今日のことを忘れずに。
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