絶対に文章が上手くなる、冴えたやり方
小説に限らず、文章指南本に共通した、スキルがメキメキアップする方法があります。
ほぼどれにも書いてあるので、誰でも知ってる方法です。
>> 文章を上達させるには、本をたくさん読むこと
そりゃそうだ。正論です。正しすぎて腹が立ちます。
文字を、文章を書くってのに、本を読まないで書くことなんかできません。ケーキを食べたことないのに、ケーキを作ろうをするようなもの。レシピをどれほど知ってても味を知らなきゃ、美味しいものを作れるはずがありません。
まったくもってその通りで、1ミリの隙も無いノウハウ。なんですが。
ここであえて、反論ってのを言っておきます。
本をたくさん読んだからといって、文章が書ける理由にはなりませんよってこと。
「読んで上達」には、本読みがハマりがちな落とし穴があります。面白い本ってのは、読者を引き込む要素に溢れています。そんな本を読むときってのは、文字を読んでいるようで、文字を見ていなかったりします。じゃ、なにを見ているかというと、文が直接映像になって、頭に浮かんでくるんです。
背景ならば、建物・人込み・鳥のさえずり、冷厳な岩山、絶対零度の宇宙空間。人物なら、表情や動作、嬉しさやとまどいといった心の状態。目は、もちろん文字を見つめてます。指はページめくってます。でもそれは、キャラたちを追っかけているのであって、文字を読んでるわけじゃない。
本に夢中になればなるほど、脳が勝手に反応してしまい、字や文を意識するどころではなくなってるんですよね。最初は、文に意識がいくんですが、いつのまにか引き込まれてしまって、その世界の住人か、主人公に寄り添う傍観者となっていく。
面白ければ、面白いほど、文章は頭に残らない。
文章は脳内で映像化されるから、記憶をたどって浮かんでくるのは映像のほう。文が出てくるセリフとか、特別印象に残った説明くらいでしょうか。そんなときでも、キャラの顔や背景画像が一緒です。
ノウハウ本ならいざ知らず、小説の場合かなり当てはまります。
これ、ぼくだけじゃないですよね。
逆に、ずっと文を意識できる小説ってのは読者を夢中にさせない程度の作品、ともいえます(はい、すいません)。
大好きな小説があって、どうしても構造を知りたくなったことがありました。ですが、何度読んでも引き込まれてしまう。どうにか克服しようと思いついたのが、手書きでノートに書き写すことでした。
30%もいかないで断念したのですが、冷静に文字を書きとれ、映像化は静まりました。成功したんです。これがきっかけで、ほかの本を読んだ時も、多少は文章を映像化しないで読み込めるようになりました。ですが文章が上達した感じはありません。
以後は映像化のほうが難しくなってしまった。読み進める速度も遅くなり、本を読むペースは3分の1くらいまダウン。一冊5時間で読んでいたのが、2日たっても読み切れない。
速さでもって、脳に叩き込んいたいたのだと分析できたことはいいとしても、本が以前ほど楽しくなくなりました。これは反動。それとも進歩でしょうかね。
ぼくは、たかが素人の文字書き。本が人生の中心にあるくらい、物語を読むのが好きな人間です。困ったことに、この先、人生はまだまだ長そうです。ほとんど何も手にできなかったのに、失ったモノは大きかった。
そんなオチでした。