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北からほろほろ読書日記📖2024年7月(秋永真琴)

 七月某日
 
 小説好きは二月と七月にそわそわする。
 直木賞と芥川賞が発表されるので。
 今回(第171回)の直木賞は一穂ミチ『ツミデミック』(光文社)が受賞した。一穂先生、おめでとうございます。
 ボーイズラブのレーベルでデビューし、長くそのフィールドで活動してきた作家では初めてじゃないだろうか。いろいろなジャンルの出身作家が活躍し、賞賛されることは、いち本好きとしても、作家の端くれとしても、本当に嬉しい。
 
 個人的には、候補作のひとつである、岩井圭也『われは熊楠』(文藝春秋が受賞を逃したことは純粋に残念だった。
 題名通り、博覧強記かつさまざまな奇行の持ち主として知られる生物学者・南方熊楠の波瀾万丈の一生を、独自の解釈で描いた評伝小説。朝ドラ『らんまん』でも名前だけ登場した。政府の方針で全国の神社が統合・解体され、敷地内の豊かな自然が失われることに抗議した反骨の人物。そのエピソードも小説の中に出てくる。
 ところで、変わり者の天才の考えることって、やっぱり(少なくとも私のような凡人にとっては)謎じゃないですか? だから天才を描く物語って、周りの人を語り手にして、天才の姿を外側からあぶり出す手法を取ることがけっこうある。
 分かりやすい例としては、あのシャーロック・ホームズもワトソンの視点で書かれる。ホームズが考えていることは直接にはわからない。
 しかし岩井先生は、デビュー作の『永遠についての証明』(角川文庫)でも、天才過ぎて社会と折り合いをつけられない数学者の内面に果敢に立ち入った作家です。
『われは熊楠』も、異能の人が抱くさまざまな感情……学問を究める歓喜と苦悩、無理解な周囲への憤り、なかなか学会で評価されないことへの焦りや迷いも、力強い筆致で内側からあまさず描いていく。そこに圧倒された。
 こちらも素晴らしい小説だし、他の候補作だってみんな面白い。全員優勝(by サンボマスター)というわけにはいかないのか。いきません。
 
 
七月某日
 
 子どものころに住んでいた町に、大人になってから足を運んだことはありますか。
 人生の大半を札幌で過ごしているけど、住んだ区は何カ所かある。小学校時代に住んでいた地域においしいスープカレー店があって、年に1、2回食べに行く。あるとき、ふと思い立って、食べたあと真っ直ぐ帰らずにその周辺を散歩してみた。
 商店街の街並みは、当時の面影がある。
 歩道の石畳の色や、街路樹が立ち並ぶ雰囲気は、記憶にあるままだ。もちろんお店はいろいろ変わっているんだけど、見覚えのある建物もけっこう残っていて、懐かしい気分になる。
 でも……こんなに道幅が狭かったっけ。
 長さも意外となくて、たちまち商店街を通り抜けてしまった。
 そのまま、当時の生活圏をぐるりと回る。
 拍子抜けした気持ちはさらに強まる。
 毎朝、十五分くらい歩いて登校し、放課後は自転車を懸命に漕いで、友だちの家に遊びに行ったり、お菓子やマンガを買いに行ったりした、小学生の私にとってほとんど「全て」だった世界……それはだいたい一キロ四方に収まっていて、大人の足だとあっけなく縦断できる程度の範囲なのだった。
 けど、広かったな。
 いまの大人の私が生きている、電車やクルマで移動する生活圏より、あのころの世界はずっと広く感じられた。それが「思い出補正」なのはわかっているけど。
 
 高楼方子『ゆゆのつづき』(理論社)を読んだ。
 港町で暮らす五十代の翻訳家の女性・由々が、徹夜で仕事をしたある夏の朝、ふとしたきっかけで、十一歳の夏休みの忘れがたい一日のことを思い出す。
 この回想シーンが物語の前半で、それだけで独立した作品のように素晴らしい。
 陽射しが白い午後の、人影もなく、不思議なしずけさに満ちた道を、とぼとぼとひとりで歩いているときの、過去からも未来から切り離されてどこにも辿り着けなくなってしまったような、寄る辺ないあの気持ち……それがあざやかに胸に蘇ってくる。
 友だちになりたいと思った子との悲しい温度差。
 その日たまたま会って話したきり、二度と会うことはなかった人への淡い恋心。
 長い間、胸の奥に沈んでいた記憶たちにまつわるできごとが、現在の由々の生活の中で少しずつ起こり始めるのが、中盤以降の展開だ。
 やさしくていねいな文章が、読者の五感を刺激し、由々に生まれる名づけがたい微妙な感情に少しずつ輪郭を与えてくれる。
 大人の「由々」は、子どもの「ゆゆ」の続きを生きていた。過去の思い出に囚われていたわけじゃない。でも、過去は確かに今の自分をつくりあげていた。
 自分の歴史を自分が尊んであげられるのは、とても豊かで素敵なことだ。
 あの町で過ごしていた私も、今の私とつながっているのだろう。多少の社会性を身につけただけで、基本的なものの考え方や感じ方は小学生のときと変わらないような気がするし。それは成長が足りなさすぎますか。
 
 
 
秋永真琴(あきながまこと)
札幌在住。2009年『眠り王子と幻書の乙女』でデビュー。ファンタジー小説や青春小説を書いています。ビールとスープカレーが好きです。日本SF作家クラブ会員。
Twitter(X):https://twitter.com/makoto_akinaga
note:https://note.com/akinagamakoto

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